天使たちの西洋美術

美術、イタリア、読書を愛する西洋美術研究者SSの思ったこと

【本】カルヴィーノ、イタリア、安野光雅

私は学生時代からイタロ・カルヴィーノの大ファンです。先日、今まで知らなかった彼の本を発見しました。それがこの「カナリア王子」です。児童書なので気付かなかったのです。でも読んでみると、流石の内容でものすごく面白かったので、ぜひ大人の方にもお勧めしますし、当然ですがお子さんたちに読んで欲しいです。

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カナリア王子

ご覧の通り、イラストも安野光雅で素敵です。表紙だけで無く、中にも沢山入っています。安野光雅ってイタリアが本当に好きなんだなーと思いました。イタリアの画集を何冊も出しているし、2020年も「イタリア憧憬」が出ています。大変上手な人なので是非手にとって見てください。いつもとても繊細で丁寧な仕事ぶりです。

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安野光雅

題名:カナリア王子

出版:2008年 福音館

編集:イタロ・カルヴィーノ

 

650円と安いし、子供向けで平仮名だらけで読みにくい点はありますが、文字も大きく、本当に大人にもお勧めします。ちなみに福音館は当然キリスト教書店ですが、良い本を結構出していて、特に児童書は誰にもお勧めできるモノです。

https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=1163

福音館書店のページです。

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イタリア童話

この本はカルヴィーノが取り組んできた仕事の一つです。イタリアの埋もれた民話を収集し、200編ほどにまとめたのです。この中から選ばれた7編が日本語になっています。児童向けでは無いですが、1984年には岩波から上下巻で「イタリア民話集」も出されています。こっちはとっくに読んでいましたが、児童版にはイラストも含め、また別の良さがありました。

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マルコヴァルド

カルヴィーノは、とても児童書とは思えませんが、上記の「マルコヴァルド」も書いていて、これも翻訳があります。イタリアの昔話の良さは、イソップや日本昔話と違って、道徳教育的では無いところ、全く自由なところが最高です。本当は、イソップなどもそうだったのかもしレませんが、子供はこんなこと知ってはいけないとか、残虐だとか言って、本来の姿をどんどん変えて、味も素っ気もない教科書のようにしてしまうのは、どうかと思います。

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カルヴィーノの本の一角

やたら勝気で負けず嫌いなお姫様たちが太陽の娘に対抗して、自らグツグツ煮えた御釜に入ったり、耳をちょんぎったりしてバタバタ死んでしまったり。あまりの突飛な展開や、映像化でもすれば過激な表現になるだろう行動も、爽やかなまでにさらっと書かれていて驚きます。これ、どこかで読んだことがあると思うお話がよく出てくるのですが、実はイタリアがルーツだったりするのです。グリム童話も本当は、結構恐ろしい内容ですが、イタリアのは恐ろしいというより、おかしいのが特徴です。

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コスミコミケ

カルヴィーノは決して童話作家では無く、戦時下の子供の目を通して描かれた「蜘蛛の巣の小道」のように社会派の面もありますが、一言で言えば、物凄く知的で独創的な作家です。いわゆる幻想小説というカテゴリーでは収まらない作風で、作品はいちいち違った文体や、構成を持っている上造語も多く、イタリア語で読むのは大変です。古典作品や、いわゆる文学全般にも非常に通じている上、エッセイも実に興味深いもので、来日したときの日本の印象など、特に日本人には面白いと思います。芸術一般、科学などあらゆる分野に関心のある彼ですが、世界の起源に迫った「コスミコミケ」は、学生だった私に深い印象を与えました。「人類の起源三部作」の「真っ二つの子爵」「木登り男爵」「不在の騎士」の初期作品は、全く非現実的であるにもかかわらず大変感動的です。本で家が潰れそうなので、大量に処分したのにカルヴィーノの本は捨てられませんでした。読み返す価値のある本だから、似たようなものは無いから。

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見えない都市

イタリア語も持っていますが、最初に翻訳してくださった方々の努力なしには、私など読めませんでした。心から感謝したいです。

 

読書こそ文化の源、どうぞ手にとって未知の世界を覗いてください。もし、貴方が特に西洋文化について知識があるなら、さらに面白く読めるに違いありません。

 

 

【本・美術】異能の幻想画家ジョン・マーティン

題名:ジョン・マーティン画集

出版:2009年河出書房

初版:1995年ピナコテーカ・トレヴィル・シリーズ

 

私が普段授業する、首都大学東京OUもついに休校になったので、授業できない代わりに頑張ってブログ更新します。

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John Martin

「異能」って言うだけでワクワクします。本を見ると、装丁がいかにも怪しげです。帯の書体も意図的に古い印象を与えていて、なんだか埃をかぶった忘れ去られた本を再発見したみたいな感じです。読めると思うけど一応写すと「古代神話、聖書をもとに世界の破滅を描き続けた19世期の英国人画家の壮絶なる黙示録」「地上は人の悪がみち、都市には不義と悪徳が渦巻いていた。やがて子羊が第六の封印を解き〈神の大いなる怒りの日〉が訪れた。」だとさ。

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ソドムとゴモラの滅亡

実はこれはシリーズ物で、大型書店の美術部門では結構大々的に売っていたのですが、当時は買いませんでした。だって買わねばならない重要な本はいくらでもあって、こういう趣味っぽい、と言うか正統派から外れたようなものは後回しになってしまうからです。ところが再販のこのシリーズも無くなってきて、ちょっと前に中野の「まんだらけ」で見た『モンス・デジデリオ画集』は売れてしまったので焦って買ったのです。ここで使っている画像は全て買った本から撮ったものです。私は「まんだらけ」に行きます。そう聞くと、知っている人は、私はアニメオタクだと思うかもしれませんが、私が行くのは4階の美術書とか小説とか音楽とか演劇とか、そういった類の古本を扱う方です。昔から疑問に思っているのが「写真」コーナーにあるポルノ本。そう言う内容を求めている人は写真芸術に関心があるわけではないと思うから、きちんとそう言うカテゴリーにした方がいいと思うのですが、どうしてああなっているのでしょうか?「向いには宗教とかスピリチュアルなどのカテゴリーがあって、非常にまともな研究書から宇宙人やスプーン曲げの本まであります。不思議な所です。

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忘却の水を探し求めるサダク

うわー、この人大変そう。ヒーローって感じもしないところがなんとも言えない。

 

私がジョン・マーチンを知ったのは聖書の美術を色々と調べている時でした。ソドムとゴモラが40日間神の怒りで火達磨になった場面を描いた、二つ目の写真がそれ。ネットで知ったのですが、ごく僅かしか情報が無く良い状態でも見られなかったので、ぜひ本物を見てみたいと思いました。火柱の立ち方が異様に迫力があって目を引くのに、人間が非常に小さく、どうなっているのかよく分かりませんでした。本で見ると、天使に逆らって振り返ったロトの妻が、遠く一人、白い閃光に打たれ塩の柱になったところで、ロトと娘たちは脇目も振らずこちらへ逃げてきているのが分かります。136.3×212.3と言う巨大な作品でイギリスにあります。私の海外経験の最初がロンドンなので、これを機に行ってみたい気もしますが、画集を見れば見るほど、この画家があまり巧く無いのに気づきます。どの絵を見ても、人物表現が酷く、わざわざこのために渡英は考えられなくなりました。ま、イギリスには他所から取ってきた素晴らしい作品がたくさんあるし、聖堂もなかなか見ものなので、いつかは再訪したい国ですが。

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混沌にかかる岩橋

これは版画作品で、この作家の魅力をよく表していると思います。大変不思議な空間が広がり、光に満ちた彼方へと橋がかかっています。手前には空気なのか、水なのか色々と想像したくなる白い筋が何本か浮かび非常に効果を上げています。橋のこちら側には妖精か天使か、謎のものがいて人間と思しきモノに何やら命令しているようです。なんとこれは栃木県が持っているらしいので、このコロナ・パンデミックが治ったら直ぐにでも訪問したいと思います。版画は一点ではありませんから、良い作品が結構日本でも見つかりす。Bridge over Chaosという題名だけでも興味を引かれます。混沌と訳したのは仕方ないにしても、カオスの概念は難しく世界の創造の根元の次くらいに来る、重要なものなのですが、古典研究者の間でもこのギリシャ語の訳にはいろんな考えがあるようです。

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マクベス

↑左手で謎の光に乗ってやってくるシェーッ!をしている3人組が印象的。

 

ジョンはフランス革命の1789年にイギリスで生まれ、多分生涯国を出ずに1854年アイルランドグレートブリテンとの間にあるマン島で死にました。64歳でした。大家族の末っ子です。母は地主の娘なので大反対にあいましたが駆け落ちして12人も子供を産んだプロテスタントでした。余程母が恋焦がれたと思われる父は、職を転々とした過激な人だったように見えます。ジョンの、よく言えば意思が強く、悪く言えば強情な性格は両親譲りです。教養は最低限ですがピエモンテ出身のイタリア人画家ボニファッチョ・ルッソと知り合い、第二の家族のようになって絵を覚えてゆきます。ボニフッチョの息子カルロ(イギリス生まれなのでチャールズと英語風に発音していた。)にもとても世話になります。僅かに残った作品では親子はまともな画家のように見えます。

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チャールズの作品

実の親から離れ師ルッソを追って絵付けの仕事などをもらいながら絵を描いてゆきます。展覧会でも当初は落選しても、大物に買い上げられたり彼は出会いに恵まれていたようです。才能があっても貧しいまま無名で死ぬ画家は数えきれない中、彼はデッサン力も無いのに大成功します。人々は大挙して彼の絵を見にギャラリーへ詰めかけたそうです。多分イタリアでは成功しなかったと思いますが、イギリス人の好みに合ったのでしょう。成功者となった後彼は自費で聖書などを版画で出版したり、ロンドン改造計画を考えたり、部分的にレオナルド・ダ・ヴィンチの真似事をしています。間違いなくルッソ親子の影響でイタリア人画家を知っていて、巨人たちが「最後の審判」図に描かれています。ラッファエッロが一番大きく、明快で、その横にレオナルド、ミケランジェロの姿も見えます。この人たちは天国へ行けるのでしょうか?他にも当時の実在の人物が描かれていますが、この本の解説には一切触れられていませんでした。大体、解説者の大瀧啓裕という人はSFファンタジー、幻想モノを中心とした翻訳者のようで、ひたすら「崇高の美」とマーティンの作品を呼ぶのですが、私には違和感がありました。

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最後の審判の中のラッファエッロたち

しかし、繰り返しているように芸術とはただ上手いだけでは説明できないモノです。彼には描きたいモノがあったことは確かです。作品を見るとグワァ〜ッ!とかシャーッ!とか言いながら描いている姿が目に浮かぶようで、岩や炎や稲妻を描くときの迫力たるや他に類を見ません。それに対して手前の人物があまりにも酷いのですが、ほとんど闇に紛れているため、絵全体を見ればそれほど気になりません。

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神の大いなる怒りの日

フランス革命産業革命という世界史の大転換時期にあって思うところがあったのでしょう。本当の意味で夢を追求して破産し、最後に描いたのは最後の審判三部作でした。

 

英語版のマーティンは解説がより正確です。

https://en.wikipedia.org/wiki/John_Martin_(painter)

日本語版は記事内容は?と思う点がありますが画像がたくさん載っています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3

 

【旅】運不運と死の観念

ミラノの友人とやりとりしていて、ミラノにはまだコロナウィルスの患者が出ていない事を知った。日本のテレビを見ていると、どのニュースにもかの有名なミラノ司教座聖堂が映り出されていて、いつもはごった返す広場はがらんとして居る図だ。全くミラノはウィルスの中心地みたいだけれど、実際には40キロ離れた場所なんだとか。

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Carlo Crivelli

ただがらんとして居るのは当然で、日曜日から学校、教会、バーなどなどみんな一斉に閉まっていて、友人らも全員自宅で仕事をして居る状態だそうだ。かく言う私も仕事が延期とかキャンセルとか、あちこちで変更が出てすっかり混乱してしまった。私のような非常勤講師には辛い現実だが、もっと辛い人々も居るのだから仕方ない。開いた時間で、積読本を読みまくろう。

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Duomo di Milano

生まれてこの方、こんな騒ぎになったのは記憶に無い。中には不運にも命を落とす人もいるが、冷静に考えれば致死率はそれほど高くなく、歴史を見てもこれ以上、ずっと過酷な疾病の流行は何度もあった。にも関わらず、ここまでヒステリックな報道や、常軌を逸したマスクの値段、町をあげての封鎖などは、死と言うものが遠のいてきた証拠でもあるかもしれない。

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Poldi Pezzoli, Milano

出掛けでもしたらまるで悪人状態のこんな状態が、1日も早く収束して欲しいと皆思って居るに違いないけれど、第二の武漢などと言われている現在は仕方のない事なのだろうとも思う。こんなことになったのは、日本経済がこの10年で世界にすっかり追い越された事を如実に物語って居る。国民の安全、社会福祉に何よりも予算をつけるべきなのに、ケチ臭い政府の予算は、もう日本が先進国では無くなってしまったかのようだ。

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Piero della Francesca,Brera,Milano

ヨーロッパでは社会福祉や公共の平安という意識は、古代ローマは別として、一般にルネサンス以降見られるもので、病院の起源となるような宿泊施設や孤児院があちこちに出現した。それまでがあまりにも死と隣り合わせの日々だったからで、例えば14世紀には黒死病で人工の3分の1が失われるようなこともあった。今の私たちと、どれほど死というものの感じ方が違っただろうと思う。もちろん現在でもアラブやアフリカなどの紛争地帯で生まれ育った人たちは、一年中死と身近に生きているわけで、それが当たり前だった中世と違い、当たり前ではない事を知りつつ生きるのはより辛いだろうと思う。それどころか数十年昔でさえ、今より野蛮だったのを映画や小説などから感じるし、そう言う意味では、遅々としてではあっても人類は平和への道を歩んでいるのかもしれない。

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Poldi Pezzoli, Milano

これらの写真は去年、ミラノで撮影したものばかり。去年のミラノは素晴らしかった。街には活気があり、重要な美術館も夜遅くまで運営され、多くの作品が修復されていた。もし今旅をしていたら、と思うと恐ろしい。旅は全く違ったものになったはずだ。キャンセルできる旅なら良いが、普通ヨーロッパへの旅は何ヶ月も前に計画をして航空券を買っているはずだし、何よりずっと楽しみにしているだろうから、取りやめるのはよほど勇気のいる事だ。不運極まりないダイヤモンド・プリンセスの人たちを思い出さずにはをれない。

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Brera,Milano

キャンセルできればすれば良いと書いたけれど、反対にキャンセルされる側に立てばとんでもないことになる。3月の終わりに小旅行をする予定だけれど、どうなる事やら。親はやめるように言うけれど、そうすべきなんだろうか。勿論その時になって、戒厳令が発令されたり、体調が悪ければ取りやめは当然だけれど、そうでもない限り私は出掛けたい。キャンセルされなかった宿や街の人たちは喜ぶはずだと思う。

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vicino a San Sepolcro, Milano

あらゆる時と場所に運不運がついてまわる。中世には「運命の輪」と言うのが誰もが知る象徴として、聖堂に描かれたり彫られたりしていた。運を支配しようとする努力が、中世と近世を隔てる態度の一つでもある。それが近代化だし科学の力なんだけど、人は決して完全に運を降伏させることはできないし、その受け入れ方、受け止め方は個人で大きく違う。こう言う時にこそ、その人の度量が知られるもので、無意味ないじめが決して起こらないことをひたすら願う。

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Porta Ticinese, Milano

旅には、劇的に危険性が減ったとはいえ、昔から死と喜びが共にあった。12世紀からミラノを観てきたこの門は、古代ローマ皇帝様式の聖ロレンツォ聖堂のすぐ近くにあるから、より一層多くの死、それに喜びを観てきただろう。世界に平安が訪れますように。

【芸術】映画とお金と芸術性

芸術全体に言えることだけれど、映画はあらゆる芸術の中でも最も予算を無視できないもの。制作に関わる人の多さだけでも他のジャンルとは異なる。よく「総予算〜!」と言ってお金のかかったことがまるで良いことのような宣伝文句を聞くけれど、これは作品の良し悪しとは関係無いどころか、個人的にはむしろ反比例する気がしてならない。

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ムーンライト

以前「ムーンライト」のことを書いた。2016年の映画。場面の表現方法や演出が芸術的だと感じたし、とても感動した映画。差別とLGBTテーマ繋がりで思い出すのは、これよりさらに出演者が少なくて、演出もシンプルだけれど良かった2018年の「ブロークバックマウンテン」。ほとんど二人だけで、後は自然の美しさが印象的な映画だから、主人公の二人は決定的な意味を持っている。これがブラピとデカプリオだったら、私は観なかったと思うし、結果的にこの映画が非常に成功した理由の一つだと思う。

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ブロークバックマウンテン

ストレンジャー・ザン・パラダイス」「ダウン・バイ・ロー」などのジム・ジャームッシュとか低予算だけれど独創的で良い映画を作る人は、それなりに居るのに、日本では本当に話題にならない。スパイク・リーの映画も幾つかは結構低予算で、とても印象的だし、何より存在理由のある映画。大掛かりで有名人が出てる凡庸な内容の単純な映画とは、大違いだ。

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スパイク・リー、1990年

やたら派手なアクションとシーンで、美男美女の有名俳優が出てくるとそこに目が行く。逆に人数が少なく、地味な背景で、場面展開も無いと、当然演出とセリフが重要になる。ヨーロッパ映画にはそういうのが沢山あって、ほとんど部屋の中だけで二人で喋って終わり、みたいなのさえある。思想がしっかりしていて、内容があればその方が余程心にしみるものだ。確かに社会派なしっかりした思想を持っていたとしても、演出や画像があまりにも悲しいとなると、私も苦しい。だからこそ、大袈裟な映画では大して問題にならない演技力や、言葉の力、美しい背景やセンスが低予算映画には必要だ。もちろん低予算ならなんでも良いわけでは無いし、大金かけた映画にもいい物もたまにはある。

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オーバーロードZ

低予算映画で思い出すのは、アサイラムアサイラムは1997年に設立されたカリフォルニアの映画会社で、低予算、短期撮影で有名。パクリとかスプラッター・ホラーなんかも特徴で、日本では結構人気があって劇場公開されたりもする。果たしてこの会社のファンの女性がどのくらい居るのか謎だけれど、私は間違いなくファンで、アサイラムって聞くと観たくなってしまう。頭が4つあるジョーズと巨大タコ対決みたいな呆れた馬鹿らしい映画もあるけど、それでも結構最後まで見られるのは、製作者が作りたくて作ってる感じがして楽しいから。でも特にそう言ったあまりにも内容のない作品は、日本からの発注で作られた物だったりして、全体的にはカウンターカルチャーとはいえ批判精神がある。これはアサイラム批判に関わらず常にそうなんだけど、日本では「オーバーロードZ」なんか異色のゾンビ映画って売られ方をして、ゾンビが見たい人には、ただただ数人の兵士が必死になってるだけの映画で、評価は1〜2点!とかなっちゃう。私には最後の場面が、あの映画の価値をいきなり引き上げた気がした。それまでひたすらドイツの悪魔め!一色だったアメリカ兵が部下をみんな失って命辛々帰国すると、上司がドイツ研究所から生まれた悪魔の生物兵器アメリカで使おうと、こう言う。「心配しなくてもいいんだ。我々は使っても。我々は正義なんだから。」戦争は人を狂わせる、どの国も正義とが悪とか無いって言ってるのは明白。大体とんでもない虫(生物兵器)を開発したのは連合軍側の女性科学者(マッド・サイエンティストの典型)だしね。

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フルメタル・ジャケット

戦争主題の映画は、結局二つに分かれると思う。「過酷な状況での友情を描く!」系の映画は、自国は正義、敵は悪が明確で、敵はどんどこ死んでも主人公側は楽しそうにしてるような単純な物。これに対して、どんな戦争も良い戦争なんか無いっていう反戦映画。私は当然後者しか見るに耐えない。キューブリックは最高の反戦映画監督で、映画史に残る作品をいくつも残した人。「博士の異常な愛情」「フルメタル・ジャケット」は直に戦争を扱った凄い作品。ただお金かかり過ぎではある。

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トータルリコール

大金かけた映画は幾つもあるけど、例えば「トータルリコール」。1990年にシュワルツネッガーがやった超娯楽物は、全く原作と違うし反美的なので話にならなく、今思い出してるのは2012年版の方。お金かかってるなーっ!とつくづく思いながら観ました。シュワルツネッガーのよりは、画面も主人公もずっとカッコいいし、何より大好きなフィリップ・K・ディックの1966年の原作 "We can remember it for you wholesale"と近い。ディックの小説は超一流とは思わないけれど、ほぼみんな読んでるほど好きです。オリジナリティがあるし、繊細さと阿呆らしさ、それに優しさが感じられる。そうだな。結局、どこまで製作者が作品を愛してるかっていうか、やりたいことをやってるかっていうことはすごく重要なんだと思う。芸術の基本要素かな。アサイラムが芸術とは決して言わないけどさ。

 

【芸術】永遠のテーマ

首都大学東京OUの講座「展覧会をもっと楽しく」が無事終了しました。

無事っていうより、考えていた以上に良い内容だったと自画自賛しています。

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Milano, 2019

講座初日に、東京富士美術館の「ルネ・ユイグの眼差し:フランス絵画の精華 大様式の形成と変容」

https://www.fujibi.or.jp/exhibitions/profile-of-exhibitions/?exhibit_id=1201910051

を観に行きました。去年ミラノで撮影した上の写真とは真逆の内容です。ルネ・ユイグとはアカデミックを一身に体現したような人ですが、写真は悲惨な社会問題である性犯罪をテーマとした、インスタレーションの現代美術ですから。私にとってはどちらもアートです。そこにアート、芸術とは何かという永遠のテーマが存在します。

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フィリップ・ド・シャンパーニュ

これは今回の展覧会中、ほとんど唯一の宗教画です。アカデミックです。フランス絵画とはいえ、ほとんどイタリア絵画の焼き直しのように見えます。近代以降フランスは芸術の中心地の時代がありました。しかし個々の作品を見ると、イタリアに遠く及ばないのが明確になります。印象派やエコール・ド・パリの画家たちも多くはフランス人ではありません。イタリアは、特に美術史において圧倒的な地位を占めるのでどの国も及ばないのです。

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Annibale Carracci, Brera

アンニーバレ・カッラッチのブレラの作品です。彼は美術史上最も重要な画家の一人です。教科書にも載っている「豆を食べる人」は彼の作品です。アカデミック(大美術)な観点から、描くに値しないと判断されてきた普通の人々を描いた最初の画家と言っていいでしょう。彼の描く肉屋は、間違いなくエコール・ド・パリで最も過激な画家スーチンに深く影響を及ぼしていると私は考えています。その彼にしては平凡な作品ですが、シャンパーニュが手本にしたのは明快だし、シャンパーニュよりデッサンも色彩もカッラッチの方が優れています。世界を圧倒するイタリア美術会ですが、現代美術において話は違ってきます。ブレラの小さな近世絵画の一角では、イタリア人の作品は一枚だけになっています。

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ブレラ絵画館の近代美術の一角

展覧会では学芸員の方に長時間お付き合いいただき、解説していただきました。私の横槍が入るので、ずいぶんやり難かったはずですが大変丁寧に対応していただき、心から感謝します。ダブル解説というか、絵の内容を細かく解説する彼女に対して、私は個々の作品と言うより、美術史全体の流れや、それぞれの国の特徴、歴史的、宗教的、社会の心性をいつも重視しています。タッマーにですが、それは違うだろうと思うこともありましたが、解釈や考え方はそれぞれなので、できるだけ多くの意見を聞いたほうがいいのは当然です。

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アンニーバレ・カッラッチ自画像

いつものように、前置きが長いですが、要するに言いたいことは簡単です。

「アカデミック美術は芸術か?」

「素朴派(ナイーブ・アート)は芸術か?」

と言う問題です。

無理やり答えを見つける必要はないのですが、芸術の概念を明確にする基準はあっていいと思っています。

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Luca Giordano

なので講座の後半は、講義室でアカデミーの歴史を作品を追いながら話しました。今回の展覧会にちなんで、一応フランスアカデミーを中心に据えましたが、言葉の源、プラトンから始まり、美術アカデミーの始まりであるフィレンツェヴァザーリから、ローマ、各国と続きます。ボローニャのアカデミーはカッラッチ兄弟により運営された、最もアカデミックでないアカデミーです。

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アイエツ自画像

写真のルーカ・ジョルダーノやフランチェスコ・アイエツはアカデミックな画家です。「手に筆を持って生まれてきた」ような人たちです。彼らの筆は走りまくります。フランスアカデミーでは、筆の跡を残してはならないと言われてきたのですが、それは凡庸な迫力のない作品が多く生み出される要因の一つとなりました。でも兎にも角にも、アカデミーの画家たちはデッサンは上手で、職人芸に長けています。

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ブグロー

ブグローは今回の展覧会の花形画家の一人で、最後のアカデミーの巨匠ではないでしょうか。この作品は「ルイ13世誓願」というアカデミーで熱狂的に支持された作品です。でも美術史を知っていれば、誰でもラッファエッロを思い出すでしょう。

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ラッファエッロ

1820-4年に描いたブグローは、1513年のラッファエッロのシスティーナの聖母を下敷きにしています。足元の二人の天使、両側の緑の天幕、中心は空間浮遊する聖母子で、それを崇拝する寄進者という内容は、そっくりそのままです。拝む人物を教皇からフランス王へ変えているだけ。ラッファエッロの作品は私の写真が良くない上、三百年も前に描かれているので当然痛みも激しく、比較するには不利です。それでもラッファエッロの作品の魅力は現代人にも訴えるものがあり、それにひきかえブグローの聖母子は硬く、つまらない作品となっています。ブグローはちょっと変態を疑いたくなるほど、美少女、美少年、美女の裸が得意な画家なので得意分野でなかったことは確かですが、とにかく誰が見ても綺麗に描くことのできる画家でした。

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ブーシェ 自画像

綺麗に描くことができたといえば、ロココの帝王ブーシェ を思い出します。彼も天才に違いありません。彼らのように、天才的なデッサン力、天性の構図力や色彩感覚を持っている画家が、必ずしも芸術と感じさせてくれるわけではないのを、痛感します。カラヴァッジョを天才という人が沢山いますが、彼はデッサン力も構図力もありません。しかし彼の絵には芸術だと感じさせる迫力があり、特に晩年の作品には鬼気迫るものがあります。印象派の画家なんて、びっくりするほど下手だったりしますがあれだけ愛されています。20世紀には、アカデミックという言葉は俗悪以外の何物も指さなかったので、ブグローのような画家の作品には全く値打ちがありませんでした。今は数万倍の価値がつけられています。いつでもお金に換算して考えるのは大変悲しいことですが、それはその時代が望んだ価値を表しているともいえます。20世紀は抽象の時代、ジャクソン・ポロックやルーチョ・フォンターナの時代だったので、アカデミックな画家はクソミソに言われました。

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Lucio Fontana

私は、デッサン力を高く評価しますし、構図や色彩感覚も重視しますが、独創性や魂の入った作品というか、心から表現したいと作者が感じているかどうかは実に大切だと思います。社会問題と取り組む挑戦は、真面目に受け止められるべきだとも思いますが、コンセプチュアル・アートはしばしば、反芸術的で、真の芸術を愚弄するものだったりします。何でもかんでも、テレビやネットで話題だからすごいのだと判断したり、エピソードに感心して芸術だと思う態度は、芸術とは正反対の非独創的な態度なのです。

 

Buon Anno! あけましておめでとうございます

    求めよ さらば与えられん

   尋ねよ さらば見出さん

   叩け さらば開かれん      (マタイ第7章7節より)

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Matteo Civitali, Lucca

去年ルッカで撮影した、マッテーオ・チヴィターリ作、救世主の大理石彫刻です。何度も撮影していますが、季節や時間、その時の私の心の状態で変化があります。

この写真は、ほぼコンピューターの修正なし(原寸はもっと大きい)ですが、悲しい現実の多くある世界において、未来への微かではあっても光を感じさせる雰囲気が伝わるのではないかと思い、年頭に持ってきました。

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Matteo Civitali, Lucca

初期ルネサンスに生きた天才的な彫刻家の一人でフィレンツェでも修行しましたが、ほとんど故郷ルッカで仕事をしました。中世から近世へかけてヨーロッパで最も華やかだった都市を、さらに輝かせました。様々な素材で製作された聖像は、どれも大変感動的です。それはドナテッロの様な強烈な個性を放つ、力強い生命の躍動というより、繊細で今にも壊れてしまいそうな、それでいて五百年の歳月を生き続けている、ある種耐える力に対するものでしょうか。口をきっと結んだドナテッロ作と反対にマッテーオのイエスは僅かに口を開けています。

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Matteo Civitali, Lucca

絵画作品を背景に持っていたため、背中が平らになっています。元のフレスコから引き離されて、いよいよ悲しさが募ります。このイエスは死を超えて復活した、勝利の頂点に立つ図像であるのに、なんとか両手を広げ、人間の悲惨を一身に受け止めているのです。

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Matteo Civitali, Lucca

エスの像は悲壮ですが、聖母子は心が和みます。何世紀ものチリや埃、風雨に晒され彩色は変化し痛んでいますが、それでも元の像の美しさが十分に伝わります。一部の成人男性だけが人間扱いされて来た歴史の中で、女子供は表現する価値がありませんでした。表現する価値が認められるには女神か聖女でなければなりません。中でも聖母子像が圧倒的に多く愛されたのは、幼児イエスの存在を抜きには考えられません。聖母子像に関しては孤高の天才彫刻家ドナテッロより、マッテーオ・チヴィターリに軍配をあげたいと思います。

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チヴィターリ工房、聖フレディアーノ、ルッカ

                 いつの日か

           人々の心に理解と寛容の精神が生まれ

             世界に平和が訪れますように

 

【展覧会】小旅行に美術館へ一緒に行こう「フランス絵画の精華」

https://www.ou.tmu.ac.jp/web/course/detail/1942I002/

首都大学東京オープンユニヴァーシティの、私の講座のサイトです。

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Claude Lorrain, 部分

私は首都大のOUで二つの講座を持っていて(それ以上は持てない規則)、南大沢と飯田橋で授業をしています。南大沢校舎へは、受験シーズン部外者は立ち入り禁止。なので冬季の授業は2〜3日の短期集中講座を行なっています。

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スコットランド国立美術館

飯田橋校舎では西洋美術を中心に授業しているのに対して、南大沢ではイタリア史(最近は宗教改革期なのでヨーロッパ全般が対象)の授業ですが、冬季は西洋美術に関する短期集中講座をすることにしていて、今年は八王子の富士美術館へ行くことにしました。展覧会タイトルは「フランス絵画の精華・大様式の形成と変容」です。

https://www.fujibi.or.jp/exhibitions/profile-of-exhibitions/?exhibit_id=1201910051

美術館の展覧会サイトです。

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大英博物館

ヴェルサイユ、オルセー、大英博物館スコットランド国立美術館らの協力で行われる展覧会で、西洋美術の王道や基本などを理解するのに分かりやすいと思いました。もちろん南大沢方面の方を対象にしているのでその近くってこともありますが。

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ヴェルサイユ

私にとっては、最近はイタリアばかりで他国へ行けていないので、懐かしい美術館、博物館ばかりということもあります。ヴェルサイユへは冬に行ったので、自慢の庭園は全く楽しめませんでしたが、かの有名な歴史上の建造物やナポレオンの戴冠シーンなどを見に行きました。大英博物館へは何度も行きました。美術よりロゼッタストーンとかエジプト関係の資料の方が印象的ですが、無料だということや写生ができることには深く感動しました。オルセーでは、それまで良いと実感した事がなかったゴーギャンを見直す事ができました。ルドンの名前をロダンと間違って解説しているバカな日本人が忘れられません。画家と彫刻家の違いも分からない人がどうして解説できるのでしょうか?

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オルセー

スコットランドアイルランドウェールズなどの地方は、大英帝国の光と影を見る思い、中世西洋文化の精華であるケルト美術を生んだ場所でありその起源である謎のケルト人、などなど子供の頃から特別な思いがありました。

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Philippe de Champaigne

富士美術館では、表題の特別展の他に常設で「ルネサンスから20世紀まで」の西洋絵画、レオナルド・ダ・ヴィンチの幻の「アンギアーリの戦い」、マネの銅版画や女性写真家など盛りだくさんの内容が同時に楽しめます。特に今年はレオナルド500年祭なので 「アンギアーリ」はこの機会に見ておくのも良いでしょう。

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Hubert Robert

初日は、美術館で合流し、多分とても少人数だと思うので、作品を前にして色々お話するつもりです。後にミュージアム・カフェで感想など出しあいましょう。二日めは大学の校舎で、映像を見ながら作品解説をします。二日間の冬の小旅行と思って、一緒に美術館へ行きませんか?人数が集まらないと開催されないので、ぜひご参加ください。

 

連絡は首都大学東京オープンユニバーシティ事務室

TEL:03-3288-1050 (受付時間:平日9:00~17:30)
FAX:03-3264-1863

 

お問い合わせメールアドレス:
ou-kouza●jmj.tmu.ac.jp
(おそれ入りますが、メール送信の際には上記アドレスの●を@に置き換えてくださいますよう、お願いいたします)

 

💙

 

【旅】旅先でお財布を買う?

じゃ〜ん!作ってみました!

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勢いガマ口!

幼稚園か小学校かって感じのガマ口です。もちろん1日で作った!フェルトの有り合わせで、手がうまく動かなくなった老齢のマチスが愛した切り絵をイメージ!!あとはバスキアの勢い(彼の絵は吠えてたり怒ってたり、わけわかんない感じ)です。誰もそんなこと思わないけど、私、本人はそんなつもり。

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ガマ口もう一面

なんでこんなことになったかっていうと、使っていたお気に入りのデザインの長財布が傷んだから捨てました。Pylonesっていうフランスのブランドので、日本にも多少入っています。でもイタリアの方がデザインも豊富だからフィレンツェで見たんだけど、どうしても気にいるのがなかった。下の写真のお財布、これ出す度に褒められた、お気に入りでした。

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お気に入りだったお財布

でもデザインが気に入ってただけで、ジッパーもYKKの様には滑らかでないし正直言って使いやすくはなかった。何よりユーロ紙幣に合わせて作ってあるから、円には余りが出ちゃう。カードは沢山入るけど、減らしたいし。出来るだけ軽くて小さい方が良い!と思って、海外土産にいただいたお財布を出してみた。昔流行ったセリーヌ(左上)の小銭入れなんて使いにくい事この上ないから二日で却下。アイルランドの帽子型小銭入れは、冬モード全開で可愛いけど、全く小銭しか入らないので現実的ではない。葉っぱのはフィレンツェの高級皮革でやたら手触りはいいけど、こんな形だから紙幣は折り畳んでも無理。Mywalit(右上)もイタリアの皮革専門ブランドで、これは紙幣も小銭もカードも入るので、イタリア旅行用にいつも使っていた物。日本で買うと平気で万する高級品だけあって(もちろんイタリアで買ってる)作りはしっかりしてる。でもやっぱりユーロ用だから円を入れるのは辛い。

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海外のお財布色々

結局、紙幣を二つ折りすれば入るくらいのガマ口型が、小さくて使いやすいのではと行き着いて、散々デパートやアウトレット始めいろんなお店を覗いたけれど、なかなか無い。で、作るに至ったのでした。フェルトだからめっちゃ軽い。中は二つに分かれているので、紙幣とコインを分けられる。お・気・に・い・り。作ってみたら、長財布は大きくて嫌だからガマ口が流行ってるって聞きました。そーなんだ。やっぱりね。

 

旅先でお土産(自分用にも)などにお財布を買うときは、紙幣の大きさを考えましょう。有名ブランドの高級品もそういう意味では結構使い難かったりします。

【旅】海外での携帯やwifiについて

海外旅行へ行く時にwifiを空港で借りて行く人がいる。今頃それはない。重いし使える容量は少ないし、日数で契約すると思うから1週間もいればかなりになる。

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Simカード

私は現地へ着いたらできるだけ早く携帯のSimを入れ替える。30ユーロ前後で一ヶ月使用可。今回はヴォーダフォンだったけど、普通はTim(テレコム・イタリア)を使う。そんなに違いはないので最初に出会った方を選ぶ。

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sim裏

飛行機をイタリア国内で乗り継ぐ場合は、ローマとかミラーノの空港で、乗り換え時間に交換するのが理想的。飛行機を降りた時からイタリア人のように、使用量を気にせず使えるし、気軽に電話もかけられる。旅先で一年中動画を見てる人もいないだろうから、ほぼ縛りなしでネットも電話もかけられる。TIMかVodafoneの看板があるお店で聞いてみてください。絶対おすすめだから。

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Pavia

今回はモスクワ乗り換えだったので、乗り継ぎ時交換は不可能でした。EU内ならどこでも使えるけれど、当然国内だけで使用するのと国をまたがるのでは金額(使用量)が違ってくるので、あちこち国をまたがる旅の人は、長く居る国で交換するのがいいかも。

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Pavia

B&Bというか民泊というか、昔ながらのホテルとは違った宿がどんどん出てきている現在、持ち主(大家さん)と連絡を取って鍵をもらい、開けてもらう形式がとても増えた。大抵ホテルより経済的で、旅の情報サイトで点数を上げようと頑張ってるところも少なくないから、とっても素敵な事も珍しくない。 当たり外れがあるのは確かだけれど、英語のできるイタリア人も増えたし、最近は翻訳ソフトも随分向上したので、必要最低限の言葉ができれば面白いのでお勧め。問題あった時にはホテルの方が楽ではあるけど。私は常にこういう民泊を利用するので、向こうですぐに連絡がとりあえる携帯が必須。だからSimを替えてるの。自力旅行が好きで、言葉も頑張りたいって人はぜひやってみて。

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Cattedrale,Pavia

今回はパヴィーアの駅近くで替えたので、パヴィーアの写真を入れました。でも、それより先にハードユーザーでない限り、普通の1週間程度の旅行で、たまに家族へ無事の連絡を入れる程度ならシムを買う必要もwifiを契約する必要もない。ちょっと高くなるけれど、海外で使える契約にしておけばそれだけでいいと思います。海外での携帯をどうするか考えてる人の役にたったらいいな💛

 

 

 

【旅】予定を決めない気まま旅

旅行はturismo(英語のツーリズム)で観光を想像する。小旅行で大人数、ガイドに連れられて観光地を訪ね、特別有名な場所を数カ所訪ねて、特別な目的があるわけではない。そんな感じ。それに対して旅はviaggioで観光の場合もあるけれど、どっちかっていうと長期で少人数。時には辺鄙な場所を孤高の人になった気分でする一人旅。ちょっぴり危険でさえある。勝手にそんなイメージを持っています。宇宙に旅立つのがボイジャー(viaggioと語源は同じ)だったりするからだろうか。

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Parma

私は十代から幾度となくヨーロッパへ渡航しています。イタリア留学も時間ができると経済的な旅を繰り返しました。最初はまず有名な場所から訪問するので、日本人観光客に会いました。私が留学していた80年代は現在とは比較にならなく日本経済が好調で、円が強かったこともあって日本人観光客は問題になる程うじゃうじゃいました。ウッフィーツィに日本人を入れるな、という意見が真剣に考えられた位です。その後韓国人、中国人やロシア人観光客が目立つようになり、近年は日本人観光客は確実に減りました。これは単に経済問題というより、日本は良い国だから海外へ行く必要がない、という若者の閉鎖性、現政権の日本志向の現れと思っています。世界が狭くなるというのは、知力の低下そのものです。様々な意見や世界を知ってこそ、比較検討することができるのだから。

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Fidenzaの司教座聖堂博物館で

そんな訳で旅をすることは世界を広げる最短の手段ですが、でも旅をしても理解の仕方は人それぞれ全然違います。理解できていないとすぐ忘れてしまう。私の授業に参加してくださっている多くの方がイタリア旅行経験者で、一様に、旅行へ行く前に授業を受けたかったと言います。 でも後からでも見たものの意味が解ると楽しいので、歴史や美術への興味が湧いてきます。

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PalazzoPitti.Firenze

私自身もそうだから、旅に行く前に訪問地の歴史や作品の資料を読みます。読み返す良書もあります。新発見や修復の計画などについてはネットで調べます。列車のチケットや博物館のチケットなどは結構変化するので、ガイドブックに書いてあっても無かったり、違っていたりするから。例えば留学時代にはほとんどの聖堂は無料で、聖堂正面から正しく入館できたのに、現在はチケットが必要で横扉から入り、正面には柵などが設けられていて悲しい限り。バルジェッロもブレラも多くの美術館、博物館が縮小されて展示作品が大幅に減り、目当ての作品が違う場所へ移動していることも珍しくありません。

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La lunetta di Cattedrale.Fidenza

旅といえば、バックパッカーのような人たちが思い出されます。一人で荷物を背負って世界中、あちこち旅する若者たち。驚いたことに私の遭った日本人バックパッカーたちは、大抵英語もほとんど話せませんでした。度胸と健康、それに幸運だよりです。そういう人の効率はとても悪いから、滅多に博物館も聖堂も行かないし、人々ともコミュニケーションできないので、なんとなく町歩きをして終わりになってしまう。自力で遠い街へあちこち行く事に価値を見出してるのか、とにかく求めるものが全然違う人たちでした。

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ピッティ宮の装飾品の間の油絵。フィレンツェ

両親が私の留学中にイタリア中を回っている時、バックパッカーたちから驚かれた事に、驚いていました。若くも無いのに、予約無しで、片言ですがイタリア語を駆使して気ままに旅していたからです。父は、確かに一応英語が読めるし、フランス語やドイツ語もちょっと知っていたりします。だから普通の人とは違うと言われればそれまでですが、たいしてできるわけではないし、旅へ行く前に必ず訪問先の言語と歴史を勉強していきます。ポーランドへ一人で行った時など発音に難儀していました。でもとにかく、色んな人たちと会話しながらなので、場所や出来事など非常によく記憶しています。

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Pavia

私はツアーに参加したことがありません。アフリカへ行こうと思った時は流石にツアーに参加するつもりでしたが、残念な事に流れてしまい未だにツアー未経験です。ルーブル美術館の中を走るように移動するグループなんか見ちゃうと、どうしても参加する気になれません。博物館も美術館も聖堂も、時間に囚われず鑑賞するものだと思っているから。それにヨーロッパへ行くんだったら夜中出歩かないと話にならないのに、許してもらえそうに無いし。

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修復中の聖ロレンツォ礼拝堂、フィレンツェ

今回はロンバルディア(ミラノ、パヴィーア、ピアチェンツァ、ボッビオ、ヴィジェーヴァノ)とトスカーナ(プラート、モンテカティーニテルメ、ピーサ、ルッカフィレンツェ)の二グループを案内したのだけれど、最終日に大学院時代の友人とフィレンツェで合流しました。そこからは彼女と二人旅。いきなり全てが変わります。一週間弱ですがなーんにも決めていません。みんなを連れている時は、きちっと朝起きてできる限り多く見られるように、息つく暇なく活動します。が、いきなりゆっくり外出。

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ルネサンスの象徴。ブルネッレスキの大クーポラが直近

まず友人Mの求めで聖マリア・ノヴェッラ薬局へ、そしてインフォメーションへ。彼女はフィレンツェカードを買うと、特定の場所で電話できるというネット記事を読んでいたんだけど、でたらめと発覚。正直フィレンツェカード物凄く高いですよね。あんなに沢山の博物館へ行けるとか言ったって、時間制限があるんだから、それこそ駆け足で見なきゃならない。詐欺みたいな話。私は大聖堂博物館でチケットを買っただけでした。それで大聖堂と地下遺跡、クーポラにも登れて、聖堂博物館、洗礼堂へも入れます。日本語のサイトをみたら、驚くことに3000~6000円!15ユーロで買ったんだけど、どうしてだろう?現地で買った方がずっと安い。ま、いつもそうか。

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大聖堂博物館

大聖堂博物館は素晴らしかった!以前とは全面的に違います。大変気に入りました。ベランダからはクーポラが迫ってるし、ファサードの変遷が明確。何よりもルネサンス当時の計画を実物大で再現したところは感動的です。かなり長時間居座りました。ただ今年はレオナルド500年祭で、普段ならミケランジェロの詩が展示されてある場所がレオナルド・コーナーになっていました。友人Mは院の卒論にミケランジェロの詩をテーマとして、私も彼女と一年中議論したので残念無念でした。また来いって事だね。と言って、私たちはミケランジェロの家へ向かいます。

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ミケランジェロ地震の墓標となるはずだったピエタ

ミケランジェロの家というか、彼が残して甥などブォナッローティ家が所有した家が残っています。中はガランとして何にも無い大聖堂と違い、後代のものですがそれなりに残っています。ミケランジェロの作品はごく僅かですが、Mはミケランジェロが履いていたというスリッパを撮りまくっていました。スファルツァのお姫様のと違い、普通に歩けそうなスリッパです。サンタクローチェ(聖十字架)教会の方向ですが、何キロも行列している大聖堂と違ってガラガラで、周囲には観光客目当てのお店とは違った落ち着いた佇まいがあり、いい感じです。以前訪ねた時とやはりだいぶ変わって、見易くなったと思います。ここで働いている人たちは皆すごく親切で、至極丁寧な解説を私一人にしてくれました。向こうは私が知っているのに驚き、私は謎だった事が色々わかりとても面白かった。

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Casa Buonarroti

Mがフィレンツェカードを持っているのでピッティ宮殿へ行くことにします。ピッティは、いつ行ってもあまりに巨大で、休まずに隈なく見るのは大変な事です。疲れた白人夫婦が私にチケットをくれました。ボボリ庭園と銀細工&装飾品の分は見切れないからというのです。ラッキー!あれだけ大勢人がいるのに、どうして私に声をかけてくれたのか謎ですが、とにかくありがたく頂きピッティはただで見学。元々Mはボボリの丘の上にある陶器館へ行きたくて、私は装飾品目当てだったのでまるで私達の意図を察した神様がプレゼントしてくださったかのようです💚絵画館は何度も行っているのでまた今度。

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Palazzo Pitti

フィレンツェには当然連泊して、時間を気にせずゆっくり見たいところを見学しました。落ち着くので、カフェやレストランは川向こうのお店で。フィレンツェにしたら、それほど高くもなく不味くも無いお店があるからね。歩きながら、これぞフィレンツェって感じのアンティークショップや工芸美術のお店に入ったりして裏通りを歩きます。

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パルマの洗礼堂

結論としてフィレンツェ観光を今考えている人にはお勧めしません。何と言っても最大の見所である洗礼堂が大工事中だし、メディチ毛の霊廟とミケランジェロの有名な墓碑のある聖ロレンツォも足場だらけ(写真)。あれだけの美術の宝庫だから、一年中どこかは修復しているものだけれどメインが修復中は避けるべき。初めての人は来年以降修復の様子を調べてからにすべき。

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battistero,Parma

帰国はミラノからなので、フィレンツェからミラノの間にあるどの街へ行こうか考えます。小さな行ったことの無い村でもいいけど、Mは知らない所だらけだし、久しぶりにヴォルト・サントのフレスコがあるパルマへ行くことにします。パルマはハムが有名だけど、私にとっては大聖堂広場が最高で、アンテーラミやパルミジャニーノなど美術史に燦然と輝く芸術家を配した場所。大き過ぎず小さ過ぎず、素敵な街です。ネットで宿を探します。長居しないなら駅近が良いけれど、歴史中央地区の方が雰囲気は圧倒的に良いから、値段との相談。あった!

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パルマB&B

信じられない素晴らしさ!愛する司教座聖堂広場のすぐ側にB&Bが。満点に近い評判でしかも断トツで安い!急だったので電話で予約しました。久しぶりのパルマ駅はやはり変わっていて、バス停やタクシー乗り場が地下になっています。歩ける距離でしたが、旅も最後の方で荷物も重かったし、こういう観光地でないところはぼったくりもないのでタクシーに乗りました。予想通り6ユーロで到着。他より安いしとても親切。

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cattedrale,Parma

一番目が夜中の写真でこっちは昼間。この右に印象的な洗礼堂があります。左側は聖堂博物館で、向かい(写真を撮っている方)は司教館です。本格的な本屋など、様々探したあげく私の欲しい情報が見つからないので、司教館へ突撃。神父様や教会関係者が結構忙しそうに出入りしている入り口で、受付のシニョーラ(御婦人)に要件を述べます。するとアポもないのに専門家に合わせてくれると言います。彼を探すのに時間がかりましたが、エレベーターで司教館の最上階へ。そこはパルマの街に関する美術の資料室というか図書館のような場所で、分厚い全集などを出し、ガンガンコピーを取って下さったのでした。素晴らしい。この自由な雰囲気、官僚的でないところが大好きです。

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パルマのお菓子屋さんはすごく可愛い

私たちはとても宿を気に入ったので連泊。聖堂や博物館以外にも、お店を見て歩くのも忘れません。物凄く可愛いお菓子屋さん発見!伝統菓子の横には創作菓子が。工具に見えるのもぜ〜んぶお菓子🍪。このお店の奥で朝食をとりました。このB&Bには朝食はついていません。あまりに美味しかったのでお土産を買って帰ります。何しろ宿が歴史中央地区のど真ん中なので、直ぐに帰って荷物を置いたり、休憩したりできるのです。鍵は三つで、同じ建物の住人と挨拶したり住んでるみたいです。

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San Giovanni,Parma

ヨハネ修道院の大図書館では、ルネサンス後期に描かれたフレスコを細かく説明してもらいました。寡黙だったり、ガリガリでいかにも修行っぽかったり、いろんな修道士がいたのですが、説明してくださった方は流石ノリノリの明るい修道士でした。盛んに研究が行われているようでCDまで販売していましたのでお布施として買いました。いつか授業で紹介しましょう。

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Chiostro del Correggio

見所はたくさんあるのですが、是非お勧めしたいのがコレッジョの回廊です。大修道院や聖堂と異なり、部屋の規模が小さく、天井も低いのですぐ側に大画家の筆致を感じられます。館のメインは二つのサロンで両方とも全く異なったデザインですが、完全に統一ある空間に仕上がっていてこの上なく魅力的です。錬金術に凝ったパルミジャニーノほどではないにせよ、意味ありげな図像が実に興味深く、色彩の配置も見事です。

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フィデンツァの司教座聖堂

聞き込みして街一番のレストランへ夕食に行くと、日本人の団体客に出くわしました。イタリア食材の輸入会社の新人歓迎会だとか。あそこに住めるなんて羨ましいな。でもずっとパルマにいるのもなんだからとフィデンツァへ行ってみることにしました。隣町です。フィデンツァは初めてですが、以前から行きたかった場所。なぜならベネデット・アンテーラミの作品があるのです。彼は西洋美術史において、個人の名前が認識されるようになった初めての彫刻家の一人。パルマで作品を見て魅了されて以来大ファンです。

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Benedetto Antelami

観光客など誰もいない、普通の穏やかなイタリアの小さな街。テレビドラ目に出てきそうながっちりお化粧をした超カッコいい婦人警官に道を聞いて観光案内所へ。誰も来そうにないのに充実の案内所でした。残念なことに大聖堂の目の前には、全くつまらない公団住宅のようなアパートが建っています。それでも博物館の管理人さんたちは、孫でも来たみたいな張り切りようで、普段開けた事もないドアを開けまくって、マトロネーオ(大聖堂の二階席)やオルガン奏者の部屋などへ連れて行ってくださいました。お礼を払おうとするといらないと言います。そう言う時は聖堂の献金箱へ。夕暮れ時、街に暖かい色の照明が灯ります。市庁舎と司教座聖堂をつなぐメインストリートには歴史建造物が残り、あっと驚く美味の生ハムが、えっと言うような僅かな値段で売っています。もちろん買って帰りました。できるなら日本へ大量に持って帰りたい。そうそう、ビール屋さんで政治社会文化問題を話した挙句、店のおごりになったのもフィデンツァです。その前には劇場を訪問。大劇場はお休みでしたが、小劇場で少年少女が修道女の指揮の下、お祝いをしていました。参加者のお母さんの許可をもらって一瞬参加。どうしようか悩んでいたり、立ち止まっていると、司教座聖堂の管理人が、自転車で追いかけて来て色々と教えてくれる優しい街でした。

 

【イタリアの旅】季節について考える

旅をするにはいつが良いだろうか。

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ルッカの巡礼資料館の映像

旅と天候はとても関係がある。いくらでもお金と時間のある人は良いけれど、普通の人は限られた時間と経済でやりくりするから、季節は重要だ。どの国でも良い季節というのがある。イタリアは伝統的にはひたすら冬は悪い季節だった。雨が降り湿気も多い。と言っても全体的な降水量は日本より少ない。が、近年世界中が天候不順なのかイタリアも以前のようにはいかなくなった。前は本当に降られなかったのに、最近は傘無しでは絶対に旅に行けなくなった。

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中世イタリア商人の活躍を表す地図

中部イタリアに住んでいて、イタリア中旅したから一応一年を通しての天候は知っていて、自分が旅をするのは9月と決めていた。9月14日がルッカのヴォルトサントの祭典の日でもあるし。とにかく9月はとても良い季節だ。8月のように暑過ぎて動けないこともないし、間違っても寒くない。良い季節なので結婚式が多い。歴史中央地区や海岸に立つ大聖堂など、建物の外で多いに祝うので、私たち観光客もよく目にする。時にはお祝いの声をかけたりすると喜んで応えてくれる。

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今年もプラートとピアチェンツァで三つの結婚式を目撃

イタリア中が夏の大休暇から覚めて動いているので、不便もない。夏の休暇などに当たると、銀行さえ閉まるし、交通手段からお店からとにかく閉まる。ビーチでは逆に夏だけ開くお店もあるけれど、イタリアはビーチに寝転んで時間を潰す国ではないと思っている。もちろんシチリアサルデーニャのエメラルド海岸なんかへ行ったし、素晴らしい思い出ではあるけれど、私にとってイタリアはやはり芸術文化の国。

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ピサの博物館の目玉作品ドナテッロの聖遺物容器

暖かい時期には荷物が小さくて済むのも大きな利点。冬はどうしても衣類だけでも膨らんでしまうので、機内持ち込み鞄にドレスも入れて旅したい私にはきつい。何より冬が良くないのは、早く暗くなることだ。夏から秋にかけては夕方の8時でも結構明るくて、1日をたっぷりと堪能できる。博物館や聖堂など、内部が明るいので夕方でも結構見えるから。反対に冬は鑑賞できる時間が入館時間も短くなるし、見辛くなって写真撮影はかなり厳しい。その上寒くないから真夜中まで古城や大聖堂広場で飲んでいられる。ビーチだけではなく、博物館のようなところでも冬季は一切開かない施設もある。寒がりながら旅して風邪引くのも嫌だしね。

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コッレッジョの天井フレスコ

ところが今年は台風と嵐の中を縫うようにして飛行機に乗った。私たちの前日の飛行機は全てキャンセルだったので、出発当日は成田に飛行機の大行列が出来、離陸まで散々待った。東京が台風で出発できなかった事もある。帰国便だったので助かったが、往路なら計画は台無しになる。イタリアも雨がちになったし、思い切って来年は9月を止めることにした。

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ノリメタンゲレ(我に触れるな)

9月でなければ6月が良い季節。5月の半ばまでは季節が不安定でかなり寒かったりするが、6月に入れば寒い事はない。私は寒いのが嫌いなのだ。断然薄着が好き!6月も9月もハイシーズンだからもちろん安くはないけれど、折角行くなら数万円高くても良い季節に行きたい派です。今度は6〜7月にかけて行こう。と決めたのですが、旅の参加者達から、行きたい場所を聞くとアッシージとかヴェネーツィアとか出てきて、悩んでしまった。

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水没するヴェネツィア

アッシージへ行くなら聖フランチェスコ巡礼にしたいので、行く前に授業でフランチェスコについてやっておきたい。長年の参加者なら一応知ってはいるけれどしっかり説明し直したい。ヴェネーツィアはあとどのくらい持つかわからない、本当に失われつつある特別な街だけど、嫌いなのでなかなか決心がつかない。嫌いな理由は簡単で、観光地過ぎるため、混んで、バカ高く、感じ悪い。(言葉が分かると、悪い事も聞こえてくるのは確か。)その上、何世紀にも及ぶ運河への垂れ流しはじめ、下水道設備と埋め立て問題で街が汚く臭い。夏は特に臭い。勿論何度か訪問していて、若い頃は夢のような街(特にリド島など)と感じたものだけれど。結局カラッとした夏好きの私は南部イタリアの美しさが大好きで、プーリアへ舞い戻ってしまう。トスカーナは最も美術作品の集中した地域で、街全体が作品のようだ。ローマは別格だし、シチーリアの迫力は一度は行く価値あり。

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フィデンツァの守護聖人

そんなことを考えている内に6月に行くなら出遅れてしまった。飛行機代はひたすら早く買わないとどんどん値が上がるので、半年どころか一年近く前に買いたいのだ。私は残念ながらお金持ちではないし、お金は本、入館料、現地での移動費、装飾品などに使いたいから飛行機にお金はかけられない。それならいっそ思い切って冬のイタリアへ、ひっさしぶりに行ってみるか。冬に良い街は北イタリアだ。そうヴェネツィアは冬でないと。昔、カーニヴァルの時期は島が沈むかという混雑だったけれど、最近はそうでもないらしい。ヴェネツィアへ行くならトルチェッロへ絶対に行こう。初期キリスト教時代の遺跡と聖堂が残る。

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ボナンノ・ピサーノのピサ大聖堂西扉彫刻


訪問地は修復の様子などこれから調べるけれど、来年は冬のイタリアへみんなを連れて行くつもり。時期的には経済的なはずだけど、北部は南部より基本的にお金がかかるので、それ程は違わないかもしれない。クリスマスはキリスト教徒でないならば訪問に適した時期とは思えない。年末年始は高いし、夏に使える巡礼宿のような所は、寒さに弱い日本人にはこたえるので宿代も掛かるだろうから。自分のお土産抜きで、30万くらいで全部できれば良いな💘

 

 

 

【語学】旅先での言葉。最悪な時も楽しい時も。

旅に言葉は必要だろうか?

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Vigevano

躊躇せずに言おう。絶対必要だと。

言葉のできない人はツアーに参加、もしくは誰かできる人と一緒に行く方がいい。絶対に良い!どんな目にあっても良いなら、別だけど。

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Galleria, Milano

飛行機の出発が遅れて乗り換えられないとか、台風で飛べませんとかなったら、予定はキャンセルしてめちゃくちゃになる。往路でロスバゲなんて最悪な事態も起こる。空港職員がストライキをすることだってある。何日もミラノのホテルで帰りの飛行機を待つ日本人男性にあった事があるので実際の話。彼は全く話せないから、ひたすら日本の代理店頼み。どんな代理店か知らないけれど三日も待ってもラチがあかなかった。数年前HISで飛行機を取ろうとして、空港の名前が全然違うのを発見。間違ってると電話したら、想像絶する酷い対応。私はバーリの空港の名前を調べられるけど、知らなかったらありもしない名前の空港に不安にならないですか?

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Bobbio

到着後も色々問題はある。置き引きは当たり前、スリも手練手管。慣れない場所で転んじゃったり、疲れているのに頑張って風邪をこじらせたり。パスポート取られたら出国できないから、どうしたって何日か掛かる。初めてイタリアへ行った時、HISで飛行機と初日のホテルだけとって行ったんだけど、もらった地図にホテルが無かった。夕闇迫るローマを散々探してお巡りさんも出動し、結局全然違うところにあった。当時はスマホの時代じゃ無かったから最悪もいいところだ。二度ものすごく不愉快な目に遭ったので、あの会社は未来永劫絶対使わない。

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Pisa

結局全てが順調に行けば良いけど、何かあった時に言葉ができないとものすごく困った事になる。イタリアへ何回行ったか分からない、留学もしていた私なので、当然いろんな目にあっています。自分も取られた事があるし、何もかも無くした人や病気で入院した人の通訳をしたことも。病院の通訳は専門的な知識が無いので凄く嫌だったけど、困ってる日本人がいるから行ってくれと、外国人大学の先生に言われたのでした。

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Benedetto Antelami

怖い話ばかりじゃ無い。危険があってもそれ以上に素晴らしいから旅に行く。私にとっては聖堂や美術作品という圧倒的な目的があるけれど、普通旅で最もすばらしい思い出は何だろうかというと、人々との触れ合いという事がよくある。コミュニケーションの基本ツールは言葉だから、話せれば何倍も旅が楽しいし、できる事が広がる。

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Monza

帰国便でのこと。モスクワからいろんな国籍の人が乗っていました。ロシア人と日本人、ヨーロッパ各地の人、アラブ系の人など色々。飛行機では10時間以上も隣同士なんだから、気持ちよく過ごすためにまずは挨拶。「ハーイ」とか「チャオ」とか。凄く大切だと思う。ずっと嫌な雰囲気でイライラしながら乗ってるのと、楽しく過ごすのでは疲れも全く違うから。荷物の上げ下げだって手伝ってくれるし。通路を挟んでお隣は日本のサラリーマンでした。挨拶しようにも彼は顔を合わせようとしません。それに引き換え隣に来たフランス人のお兄さんは、やたら陽気に挨拶してくれました。前はロシア人、後ろはイスラエルの女の子で、日本人サラリーマン以外の全ての人と挨拶し、時々会話しながら帰りました。周囲がみんな挨拶して喋っているのに、日本人男性だけ頑なに黙っていました。どうしてだろう。海外出張へ行くくらいなんだから簡単な英語くらいできるはずなのに。片言でも間違ってもいいから、挨拶程度の簡単な会話をした方が場が和んでいいのに。イスラエルのパンク・バンドのドラマーが隣だった時なんか、ライブに招待してくれました!

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Fidenza

言葉ができて良いことは幾らでもあるけれど、イタリアの文化的な施設(博物館、聖堂、お屋敷など)はヴォランティアも含めて、施設の説明をしてくれる人がいる場合が多いので、私は必ず頼みます。大抵無料です。そういう人がいない場合、神父さんや監視役の人が忙しそうでなかったら、色々と質問します。知らない場合もあるけれど、大抵は自分の国や文化財を愛してて色々説明してくれます。そうやって今までに何人もの研究者に会いました。大都市でない限り、博物館の館長だったり、展覧会を企画した美術史の教授だったり、本当によく知っている人たちです。街のロータリークラブに連れて行ってもらって専門家を紹介してもらったり。みんな大歓迎してくれます。

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Pavia

今回も行く先々でいろんな人たちに助けられました。お洒落なモンツァ若い女性に始まり、話が感動的なのは神父さんたち。パヴィーアでは二人とお話ししました。聖堂ヴォランティアの人達は、素晴らしい説明にお礼を渡そうとすると、教会のお布施箱に入れてくれと言います。芸術雑貨屋さんみたいなとこのおじさんも面白くて、小さな版画をTさんにプレゼントしてくれました。馬肉専門の女主人もたくさん試食させてくれたし、歩いている途中でもお散歩中の人達に地元ちっくな情報をもらいます。若いお巡りさんがかっこ良過ぎて質問してみたら、思いもよらぬ発見だったり。

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Piacenza

帰国前日、夕方フィデンツァのビール屋さんで友人と二人で飲んでいたら、店主と彼の友人と「戦後の日本とイタリアの経済発展と社会のあり方の違い」というまともに硬い話になり(サムライ、スポーツ、漫画の話も出たが)、最後には、彼は新婚旅行で日本へ来たのですが、初日、隣に座った人達がおごってくれたと言いだしました。その時の親切は忘れない!ということで、10年以上前の、誰だか知らない日本人のおかげで無銭飲食ならぬ、店主のおごりとなったのでした。どなたか存じませんが有難う💗

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Lunigiana

とにかく、どんな旅でも言葉はできた方が百倍楽しい。若ければこれから仕事に繋がるかもしれない。仕事は関係なくても、くだらないテレビを見るより言葉の勉強をすれば、歴史や映画や小説の意味がより分かるようになる。とにかく世界が広がる。下手でいいし、片言でもいいから話してみよう。通じた時や、相手の言ってることが理解できた時、とても嬉しいし、自分に自信がつく。それが上達する源にもなる。そうすると何度でも旅に行きたくなって、言葉の上達に従って旅の内容も変化する。そんなことをしているうちに本も読めるようになって、海外ドラマ(北欧物は全く分からん)を見ても結構分かるようになる。人生が変わる。旅に行く前の一言会話から入って、本格的に勉強につながれば、全く人生が変わるかも知れない。私は完全にそうでした。初めてのイタリア旅行に感謝します。

【旅】イタリアの薬局は薬草屋さん?

イタリアへ行く度に寄る場所に薬局があります。薬局といってもマツキヨとかとは全く違って、すごく素敵な場所だったりします。フィレンツェサンタ・マリア・ノヴェッラの商品は日本でも購入可能ですが、馬鹿馬鹿しい金額なので日本で買ったことはありません。そこまで効果があるとも思えないし。

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Santa Maria Novella, Firenze

でも高級で素敵な石鹸や基礎化粧品などで、お土産としても定着していて、要望の多い場所の一つです。今年も行きました。何度も行っていますが結構変化があって、今年はカフェスペースが充実していました。特別高くはないので、駅も近いことですしハーブ・ティーを飲んでもいいかもしれません。

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フィレンツェの薬草屋さん

サンタ・マリア・ノヴェッラばかり有名ですが、こういう場所はあちこちにあります。元は修道院の薬草研究から生まれたものです。ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」にも出てきますが、大きな修道院には薬草を栽培し、収集し、軟膏や飲料として役立てる中庭や保管庫がありました。13世紀にドメニコ会の修道院として始まったサンタ・マリア・ノヴェッラは「世界最古の薬局」が売り文句ですが、紀元前から薬草は薬として使われているので解釈の問題ではないでしょうか。ただ現代的な意味での薬局(薬屋さん)になったのは16世紀のことでメディチ家御用達の他ヨーロッパ中に王侯貴族の顧客を持っていました。

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修道院の薬草液

これは今回買ってきた一部。ベネディクト会系の修道院ではイタリア中で買うことができます。起源でもあるローマのスビアコにはシリーズが勢ぞろいしていますが、今年は行かなかったのでパルマで買いました。小さい瓶はプロポリス原液です。日本で買うと1万円もするものがあるのにたったの5ユーロ。もちろん同量。飲んでみたけれどどこが違うのか分からない。もう一つは「毛が抜けるのを防止するための液」頭頂の毛を剃ってしまう修道士が必要だったとは思いませんが、今はアンチエイジング系の商品が結構あって笑っちゃいます。これは大変気に入ったのでもう失くなりそうです。日本の商品も使ったことがあるけれど、こっちの方が香りもつけ心地も気持ち良くて、またまたずっと経済的。

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S.Giovanni Evangelista, Parma

上の瓶を買った、聖福音書記者ヨハネ聖堂です。後陣から見たところですが、幾つも回廊のある大修道院です。ルネサンスバロック期に描かれた図書館のフレスコを、修道士が大変丁寧に説明してくれ、凄く面白かった。私が買った定番の物とは別に、この修道院の作品を置いた薬局が隣接していて、土曜日のみ開きます。

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トリノの薬屋さん

先に書いたものは完全に修道院の薬局ですが、天然と科学的、両方の商品を扱うお店も少なくありません。「エルボリステリーア+ファルマチーア」のように表示されていて、最近はパラファルマチーアといって、日本のドラッグストアほどではないにせよ薬以外にも色々扱うお店もあります。

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アルガンオイル

これは友人が感激して、私も一緒に買ったアルガンオイル原液と基礎化粧品です。品質証明書付き。やはり日本では二倍出しても買えないということで大瓶をゲット。こちらも付け心地最高。ミラーノはカドルナの薬局で書いました。現代の薬局が天然の物も扱っている所です。ある意味一番現実的。あえて例えるなら、日本で漢方薬も扱っている普通の薬局といった感じでしょうか。

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Antica Farmacia di Sant'Anna

調合もしてくれます。今回訪問したパヴィーアでもピアチェンツァでも修道院内で買えたし、ボッビオではまるで白魔術のように女店主が調合した瓶を、旅の参加者Kさんが買いました。Kさんに体調とか心理的な問題とか、日常の働き方など色々質問して作るのです。10数ユーロだから効かなくても話の種に買ったのかもしれませんが、みんな一緒に楽しんでサンプルももらいました。一日4滴を4回だったかな。

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Santa Maria della Scala

モンテカティーニ・テルメではエクス・ソフィア・ローレン(昔のソフィア・ローレンみたいなという意味で派手な化粧)の女主人の店で、リップクリームを数人で買い占めました。やっぱり10ユーロちょっと位、小さくて軽くて可愛いのでお土産に配るみたい。私はもうお土産は買わない主義なので、甘草やアニスの飴で許してください。

【イタリアの旅】世界遺産や地獄めぐりのトスカーナ

毎年行っている秋のイタリアの旅ですが、2019年はロンバルディーアの旅を終えた参加者と入れ替えにトスカーナを旅する人たちがミラーノへ到着。訪問地の一口紹介をします。

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Museo, Pisa

Milano(ミラーノ)

アリタリアだと大抵ミラーノ到着は夕方遅くになり、初日は夕食に出るくらいしかできません。飛行機の疲れもあるし翌日は早く出たいので、ホテル周辺でちょこっと食べたいという要望でした。で、いきなり地元ちっくにケバブ屋へ連れて行きました。日本と違い、ヨーロッパにはずっと前から多くのケバブ店があり、すごくリーズナブルな上、野菜がとれるので私は大好きです。もうすでにヨーロッパの都会の食事を担っています。慣れない人はイスラムの人たちのことを怖がるけれど、彼らは皆苦労しているので非ヨーロッパ人である私たちには親切です。

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ミラーノの司教座聖堂

午前中しか彼女たちはミラノにいられません。何も知らなければ、やはり司教座聖堂広場へ連れて行くべきでしょう。巨大建造物の場合、どこから目に入るかも印象に大きな違いを与えます。ドゥオーモ広場への出口は沢山あるのですが、真っ正面から出るようにしました。階段を上がりながら「うわ〜っ!」という声が聞こえます。テレビや本で見ている物でも目の当たりにすると、その大きさや質感が圧倒的な印象で迫ってきます。ただ、残念ながら昼には車上に居ないといけないので、長い列には並ばず、ヴィットリオ・エマヌエーレの大ギャラリーを通過し、スカラ座へ向かいます。と言っても、その前のレオナルドの記念碑で説明し、ホテルへ荷物を取りに戻ります。午前中だけでしたが、イタリア初心者には大変な感動でした。

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Prato

ミラーノからプラートへ向かいます。先のグループよりもトスカーナ組は長距離を移動します。イタリアの場合、国鉄は早く買うと非常に割引になります。でも私は基本的に早割を使いません。時間に縛られたくないので。常に天気やみんなの疲れ具合など見て予定を微調整するからです。早割は払い戻しが効かないのです。今回はみんなの帰国日のフィレンツェ・ミラーノ間だけ先に買いました。飛行機は乗り遅れできないもんね。実は今回唯一の残念なことが起きました。ミラーノ・チェントラーレ駅で列車に乗り込んだ時、どさくさに紛れてスリにあった人が出てしまったのです。すごく親切そうに堂々と近づき、カバンを置く手伝いをしようとしたようです。美少女二人と少年だったとか。私が被害に遭った二人だけが席にいないのを見て、どうしたのかと声をかけた時には、スリたちは下車したところでした。5千円ほどの被害とはいえ、気分が悪いですよね。旅の前にはなんども注意を呼びかけましたが、乗車の時言うべきでした。ごめんなさい。しかし明るい彼女らは健気に、後を思いっきり楽しんでくれました。旅先ではくよくよしたら、ますます損だから切り替えが肝心です。

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Cattedrale, Prato

列車の乗り換えはとてもスムーズに行きましたが、トスカーナ組は天候には恵まれませんでした。なのでプラート駅からはタクシーで中心地の宿へ。ホテルではなく鍵を渡してくれるアパートタイプです。それぞれの部屋は作りが結構違い、当たり外れがありますが仕方のないことです。場所は歴史中央地区内なので気楽に出入りできます。日本の普通のツアーだと、新しいホテルに泊まるため歴史中央地区から遠い場合がよくあります。気軽に部屋に帰れないので、私は好きではありません。プラートはかなり好きな街です。確かに大好きな街だらけですが、無数にあるイタリアの街ですから、再訪するかどうかでどれだけ好きかが決まるでしょう。プラートには何度も行ったことがあるし、また行きたいです。メディエヴァリスタ(中世愛好家)にとって、プラートはフランチェスコ・ダティーニの街で、ルネサンス好きにはフィリッポ・リッピの街、ファッション関係者には布の街かもしれません。私は全てに当てはまるのです。リッピの大作フレスコの隣にはウッチェッロのフレスコもあります。

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Cappella di Filippo Lippi, Prato

丁度週末で大聖堂広場やあちこちに屋台が出て、活気がありました。私もシルクの服を買いました。ゴッホの花柄でかなりのお買い得。気に入っています。みんなジェラート(アイスクリーム)で元気をつけて、大聖堂美術館を見学します。なぜか無料ガイドをしてくれて、最後にメインのリッピの礼拝堂に到着します。優雅で繊細なボッティチェッリの美しい線も、リッピと出会っていなかったら違ったことになっていたに違いありません。ミサが始まるギリギリまで鑑賞しました。

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プラートの博物館フレスコ

フィリッポ・リッピの息子フィリッピーノも大好きな画家ですが、修復された彼の作品を楽しみに博物館へ。イタリアの常で館自体に当時のフレスコが残り、魅力的な上様々な時代の作品があります。油の大祭壇画や後期ゴシックの作者不詳の作品など興味深いものが沢山あります。屋上からは街が一望できます(プラートの最初の写真がそうです)。特にブルネッレスキがデザインした聖堂は彼らしい威厳があり目立ちます。結婚式も上から覗いてしまいました。飾らない感じの新婦を囲んで皆楽しそうにしています。毎年9月から10月にかけてイタリアへ行くのでよく結婚式を目撃します。今年もいくつか見ましたが、去年プーリアはビトントで遭遇したものや、ナポリの演歌歌手の結婚式程派手ではなく、北イタリアの結婚式は落ち着いた感じでした。

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ティーニの家

中世の際立った人物として名高いフェデリコ二世のお城を眺めつつ夜更けまで、新感覚バールで生魚料理で飲んだ事もとても印象的でしたが、個人的にはフランチェスコ・ダティーニの家に行けた事が嬉しかった。ダティーニは、このサイトでは何度も書いていますが、中世の立身出世の見本のような大商人です。彼がアヴィニョン教皇庁で大儲けした後、故郷に錦を飾った家が残っています。孤児のような状態から貴族をも凌ぐ金持ちになった彼なので、やはり貴族の真似事のようなフレスコです。貴族の最高の楽しみ、狩の主題は多くのサロンを飾っていました。猟犬の目が怖いです。帰りは歩いて駅まで行く途中、また雨が降って来ました。通りすがりの夫婦が傘に入れてくださって、道案内してくれます。彼らお勧めのバールで休んで、温泉地モンテカティーニ・テルメへ。

 

Montecatini Terme(モンテカティーニ・テルメ)

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Tettuccio, Montecatini Terme

モンテカティーニ・テルメを初めて訪れた時、みんなを連れていきたいと思いました。ヨーロッパのブルジョワジーの歴史や社会習慣を肌で感じられると思ったからです。ところが残念なことに、当時と比較し格段に寂れていました。中心の施設は完全に修復が必要な状態で、一番の売りの様々な地方の飲料水も、以前は全てが常に流れていたのに少ししか出ていないし、カフェや高級店舗も閉まっていました。あれではガラガラなのも頷けます。その上ずっと雨が降ったので、予定していたモンテカティーニ・アルトでの夕食を新市街の大衆料理店へ変更。私としてはかなり残念な感じでしたが、みんなはお買い物に精を出し、何より洞窟温泉で、煉獄や地獄を巡り、森林に囲まれた屋外プールでジャグジーを堪能したのでとても喜んでくれました。

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Grotta Giusti

それに、雨が止んだ合間を縫って、走るようにしてモンテカティーニ・アルトへ登山電車で登り、小さな丘の上の街巡りも果たせました。パードレ・ピオの日だったのですが、参加者たちは聖ピオの祭壇の前で熱心に話しかけられて、皆分からないのに、熱心に聞き入っているところなど流石日本人です。もちろん後から説明したけれど。ホテルと駅はカートを引いて歩ける距離で、列車の時間が迫っていたので歩いて移動。ところがその最中に土砂降りに!ジオックスの靴を履いていた私は水の中を歩いているような状態でした。呼吸する靴ジオックスは、底に無数の穴が開いているのが売りな、イタリアの靴ブランドです。

 

Pisa(ピーサ)

いよいよ今回のトスカーナの旅のメインでもあるピサへ。

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かの有名なピサの斜塔

ホテルでは思わぬ事がありましたがそれは後ほど書くとして、とにかくピサは奇跡の広場に見所が集中しています。たっぷり二日取り、塔へ登り、司教座聖堂ガリレオの話をしたり、世界に類のない素晴らしい洗礼堂も上階へ登り、カンポサント(お墓)では最後の審判のフレスコなどを堪能し、さらに私がやったことのなかった壁上も歩きました。かつては中世のヨーロッパ都市の多くが壁で覆われていて、ピサにもかなり残っています。壁の上を歩くと、当時の街の大きさが理解できるし、観光スポット以外の様々な情景を見る事ができます。ガリレイやジョルダーノ・ブルーノなど偉大な学者たちが教えたピサ大学を眼下に見ながら、穏やかなピサ人の日常風景の中に出て、壁は途切れました。

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司教座聖堂の説教壇

西洋美術史上、ピサはピサーノ親子という天才的な彫刻家を輩出した街として知られ、父と子の手による最高品質の説教壇が、洗礼堂と司教座聖堂にあります。まだルネサンスは遠くゴシック時代にあって、これだけ自然主義的な生々しい表現の彫刻は皆無に近く、彼らがいかに古代ローマ研究をしたか知る事ができます。親子の作品を比較するのも楽しく、息子が天才彫刻家であった父を越えるために大変な努力をしたのが伝わってきます。

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San Sisto, Pisa

一般には全く無名ですし聖堂へ入ることすら難しいですが、私にとってピサで最も重要な聖堂は1080年創建の聖シストです。生涯の研究テーマとなった勝利の磔刑像がここにもあるのです。神父さんの携帯へ電話し、無理やり約束を取り付け撮影させてもらいました。遠方から私のためだけにやって来てくださった神父様に心から感謝します。もちろん、みんな一緒に見学しました。真のロマネスク聖堂です。当然博物館にも時間を使い、買い物もして愛しの街ルッカへ。

 

Lucca(ルッカ

トスカーナ州フィレンツェとピーサに次ぐ大きな街ルッカ。でもその割には観光地化され過ぎていず、中世の佇まいを最も残した街です。最初に一ヶ月語学留学したのも、論文のテーマに選んだのも、地元国立市との姉妹都市提携まで、様々な点で私にとっては全く特別の街です。最大級に愛する彫刻家の一人チヴィターリもルッカを愛する理由の一つ。ルネサンスの人間味より、中世の聖なる印象が強い彼の作品は、隣町フィレンツェの俗な印象と大いに異なります。

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Matteo Civitali

ルッカ市長と会う約束もあり、二日ではとても紹介しきれず、町中を走るようにしてみんなを連れ回してしまいました。前回ルッカへ皆を連れて行った時は、自転車で市壁の上を回ったのですが、転んだ人がいたので今回は事故を恐れて無しに。司教座聖堂はじめ幾つかの重要聖堂、博物館、塔にも登り金満家のお屋敷も訪ね、アンフィテアトロ(古代競技場)跡で夜中まで飲んで、可愛いお店や由緒正しい宝石店も訪れ、最高のレストランで二度も特別料理を堪能しましたが、私的には全然足りません!

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Cattedrale, Lucca

街によっては一人歩きが危険ですが、ルッカは本当に安心な街。清潔で穏やかで観光ズレしていなくて、美術作品にあふれ最高です。完璧な壁に街全体が覆われているので歴史中央地区には、ほとんど車も来ません。

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塔の頂上に出る直前

観光的に有名なのは、中世には何本もあったという頂上に木の生えた塔。今はグイニージの塔だけですが狭い頂上は観光客で一杯です。街の中央にあるので、ぐるっと街を見渡せます。ルッカが小高い山に囲まれた土地であるのも風景が美しくなる要素です。どこを見ても煉瓦色の屋根とロマネスク聖堂に塔(他にもある)が、緑の丘と空を背景にしています。穏やかなトスカーナらしい景観です。

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塔の上から

ルッカは中世初期に発展した珍しい街の一つで、ボッビオを通じてアイルランドの修道士とのつながりがあり、ケルトとロンゴバルドの融合のような作品が数多く残っています。古代ローマルネサンスの大美術とは全く違った、下手でも自由で、キリスト教も異教もゴッチャになった信仰が読み取れます。どこか可笑しく、微妙に不気味でもあるところが魅力。写真の柱頭でも動物は明快ですが、左下にいるのが天使なのか聖母なのかハッキリしません。角には顔が彫り込まれています。

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他では目にすることのない柱頭彫刻

ルッカは、聖顔(ヴォルト・サント)を持ってヨーロッパ最大の巡礼地の一つでしたから、巡礼のための資料館のようなものがあります。時間になっても閉まっていたのを無理やり大声で呼んで開けさせました。若いお兄さんは寝ていたのでしょうか?いくら滅多に人が来ないと言っても、開けていなければ来ようもありません。中世後期の建造物の壁一杯に、巡礼の歴史を映画仕立てで映し出すので、その世界に入ったようになります。映像はセンス良く、写本などを交えて中世のルッカの街が理解できます。

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巡礼ポイントの映像

ルッカにも連泊したので歴史中央地区のど真ん中に泊まりました。他の街と異なり、壁の中に歴史的景観を残すことに大変注意を払っているので、現代的ホテルは皆壁の外にあります。かつては洋裁工房だったというサロンで朝食をとり、全ての部屋の作りが違います。感じが良いので評判でもあります。あっという間に2晩が過ぎ最後の街フィレンツェへ。

 

Firenze(フィレンツェ

日本人に最も人気の高い街で、確かに世界に誇る美術作品の宝庫ですが、観光化の嵐に晒されたため、街の景観は酷くめちゃくちゃになり、物価は周辺の街と比較しうんと高く、私は住みたいと思ったことはありません。しかし長く閉まっていた大聖堂美術館が、大々的にリニューアルオープンしたのでぜひ行きたいと思っていました。残念ながらみんなにその時間はありません。

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Cattedrale, Firenze

フィレンツェは最大の観光地なので、日本のツアーも幾らでもあり、個人的に訪問しても簡単に行ける場所です。日本からの飛行機は、ローマかミラーノへ着きますが、フィレンツェにもアメリゴ・ヴェスプッチ空港はあるし、国鉄も、わざわざローカル電車に乗って小さなフィレンツェの駅で降りるなどしない限り、間違えようもありません。だから私の旅ではいつも、ツアーや個人ではなかなか行きにくい場所、説明が無いと楽しみにくい所へ連れて行くことにしています。

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Santa Croce,Firenze

ミラーノ同様、初めての人にはやはり司教座聖堂を見せるべきと思い、駅近くのB&Bから洗礼堂とファサードを眺めながら、ポンテ・ヴェッキオを通過し、ミケランジェロ広場へ。予定ではその上の聖ミニアート・アル・モンテを見学して、ミケランジェロ広場からフィレンツェを一望しそこで夕食、のつもりだったんだけど、みんな翌朝の朝食の買出しに出かけたので聖ミニアートは行けませんでした。私なら朝食より、聖堂を取るけれど、みんなスーパーへ行くのが好きなんですね。それでもライトアップされた眼下の街とダヴィデ像で大いに盛り上がって撮影しまくり、最後の夕食を終えました。夕食は「観光地は高い不味い」の典型ですが、場所代です。いかにルッカの食事が素晴らしかったか、理解できるというものです。

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ミケランジェロ広場から眺めるフィレンツェの街

トスカーナ組は先のロンバルディーア組より1日早く、翌朝帰国しました。私はフィレンツェで合流した大学院時代の友人と街に残りましたが、イタリアの友人たちがマルペンサ行きバスに乗せるところまでお世話してくれました。彼らに感謝💚

 

私と親友の旅はこの後も続きます。

【イタリアの旅】2019年の街:修道士から王室、それにお買い物

全てのイタリアの州を一応回った(カラーブリアだけはちゃんと観ていません)私の今年の旅は、原点でもあるミラーノとトスカーナでした。

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Pavia

ミラーノは初めてイタリアへ行った時に一ヶ月滞在した街だし、トスカーナは研究論文のテーマであるルッカがある州です。回った全ての街(前編のロンバルディーア)と一言コメントを記します。

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Monza

Monza(モンツァ

マルペンサに着きミラーノへ行かずにモンツァへ直行しました。夜の便だったので急いでもらい、時には180キロ近いスピードで飛ばし40分ほどでホテルに到着。メルセデスベンツユダヤ製の警察車両も察知するナビの力を実感したひと時でした。王宮と大聖堂博物館を中心に見学。王宮ではいつものように、女性ガイドを私が通訳しながら部屋を周り、近代の王室の生活が身近に感じられ面白かった。モンツァの人々はいつ観てもおしゃれな人が多く、小さな町が豊かなのが感じられます。司教座聖堂ファサードの修復が終わった頃、再訪したいです。

 

Pavia(パヴィーア)

パヴィーアは住みたいと思うほど、お気に入りの街。ホテルは駅前。歴史中央地区が駅と離れていない場合は、駅近に宿を取るのが断然楽。

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Certosa di Pavia

パヴィーアといえばチェルトーザ・ディ・パヴィーア(カルトジオ会修道院)が圧倒的に観光地として有名ですが、ルネサンスの俗な趣味に毒されたド派手な修道院に住んだ、孤立無援の沈黙の修道士たちを想像するのはかなり困難です。でも博物館もあるしルネサンスを知るには、その建築も合わせて名高いので最初に訪問しました。初めて訪ねたのは20年以上前で、若いアフリカ系の僧が英語で解説してくれました。今回また会えるとは思ってもみませんでしたが、今回はグループツアーで無く、個人的に話が聞けました。当時は二人だった修道僧は7人に増えていました。小さな僧坊のいくつかはきれいに手入れされていて、そこで暮らしているのが分かります。

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小さな僧坊が並ぶカルトジオ会独特の中庭

修道院からパヴィーアの街へ戻り、二日の滞在中にヨーロッパでも珍しい中世初期から中期にかけてのロンゴバルドやケルトの匂い漂う聖堂などを回ります。

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San Michele Maggiore,Pavia

街で最も重要な聖堂は司教座聖堂(カッテドラーレ、ドゥオーモと言われたりもする)とは限りません。教会行政的にはそうですが、歴史的、芸術的には別のことも多く、パヴィーアでは何と言ってもサン・ミケーレ・マッジョーレ(聖大天使ミカエル)です。モンツァで見たヨーロッパ最古の王冠は、この聖堂で戴冠されたのです。他にも独特のこの時代の様式の聖堂や、何と言ってもキリスト教世界全体に絶大な影響を与えたアウグスティヌスのお墓のあるサン・ピエトロ・チェルドーロ聖堂、ルネサンス期のパヴィーアの街を知ることの出来るフレスコを始め、内部が魅力的なサン・テオドーロ聖堂は絶対外せません。

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San Pietro Ciel d'Oro

司教座聖堂は、近世の聖堂にしてはかなり興味深く、その巨大さやシンプルな構造、現代彫刻の取り入れ方などなかなかオリジナリティがあります。夕刻迫る聖堂前広場でアペリティフを飲みました。暗くなり重要建造物がライトアップされてゆく中で、スプリッツアペリティフの一種)をゆっくりと取る。広場の丸い石畳も独特で、映画の中にタイムスリップしたような雰囲気のある時間です。夕食には地元の飲み屋でオッソブーコも体験して、みんな、あまりの内容の濃さに大満足の二日目を過ごしたのでした。

 

Piacenza(ピアチェンツァ

数年前にも行ったばかりですが今回は生徒の方々を連れて再訪します。ここはパヴィーアより大きく、歴史中央地区を歩いて回るだけでもそれなりに時間がかかります。幾つかの聖堂と特徴ある元ファルネーゼの館の博物館が最重要。

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San Savino, Piacenza

ロマネスク好きなら思わず顔がほころんでしまうような聖サヴィーノでは、白黒の愛らしい床モザイクの他、記念碑的な木彫磔刑像が堪能できます。

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Museo Farnese, Piacenza

ファルネーゼの巨大な館はガイドと共に回ります。数年前には私一人だったので、ひたすら中世のフレスコについて彼女と話したのですが、今回はグループだったので決まった全コースです。甲冑や武器、ファルネーゼ家の建築について、中世初期の彫刻とフレスコ、ルネサンスからバロックのフレスコや絵画、最も有名な作品としてはボッティチェッリのトンド、際立った特徴である馬車の大コレクション、世界に誇るエトルリアの肝臓などです。ゆっくり見れば半日は必要なほどの素晴らしい博物館です。

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Cattedrale.Piacenza

とても面白かったのはクロノスという司教座聖堂の裏などを回るツアーです。写真は聖堂のクーポラ(ドーム)の内側に登ったところ。細いむき出しの天井裏を歩き回り、ファサードにある十字形窓から外を眺めたり最高です。そこには現代彫刻が展示され、現代風に映像を使ったイベントスぺースもあります。ちょこっと失敗でしたが(^◇^)

ピアチェンツァへ行ったなら絶対にオススメのツアーです。私たちはイタリア語と私の通訳ですが、多分英語もできるはず。

 

Bobbio(ボッビオ)

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ponte,Bobbio

ボッビオはウンベルト・エーコの「薔薇の名前」のモデルになった場所です。要するに中世ヨーロッパ世界の知の集積地でした。世界中から様々な修道士が集まってきましたが、ここを創建したのはアイルランドからやってきた修道士たち。ケルト文様がいたるところに残っています。

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mosaici、Bobbio

中世初期を知ることは難しく、むしろ古代ローマの方がよほど物が残っているのですが、ここボッビオはそれを可能にしてくれるところです。ケンタウロスとキマイラが戦っています。この床モザイクには十字軍当時の西欧の人々の思い描いた、現実と空想の世界が融合した世界が展開されています。

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De Chirico, Bobbio

ボッビオには先にも書いたように、かつては西欧世界最大の図書館があり、素晴らしい蔵書があったのですが、皆ヴァチカンやアンブロジアーナなどへ持って行かれて、残っているのはケルト文様の断片などです。面白いのは、博物館ではケルトの初期中世に始まり現代美術まで一気に見ることができるところ。キリコのような有名な画家の他、現代美術の巨匠フォンターナの滅多に見ることができない初期作品(磔刑の陶器)や、親しみやすい水彩など幅広く、1時間ほどで1500年の美術を概観できます。巨大美術館は疲れるという人にも最適です。今ではメインストリートは一筋しかない小さな村ですが映画館もあり、質のいいお土産屋もあり避暑地としてはすごく良い場所なので、近隣のイタリア人が週末に訪れます。ピアチェンツァから温泉に来たという夫婦に、郊外のレストランを紹介してもらい、こんな田舎で最高に都会的なおしゃれな食事をしました。

 

Vigevano(ヴィジェーヴァノ

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Vigevano

今回私が初めて訪ねたのが、ヴィジェーヴァノです。たまたま雑誌クレアに特集が組まれていて、掲載されているレストランへも行きました。雑誌に載っていたからではなく地元民に推薦されたからですが。広場は驚くほど美しく、文字通り舞台のようというか映画のセットのようです。広場には白い石で美しい装飾文様が描かれているのですが、それは同時に自転車の通路になっています。他の部分は灰色の丸石ですが白い部分は平らなので走りやすいのです。毎朝自転車で通学や通勤する人々がここを通ります。なんて素晴らしいのでしょう!こんな美しい景色の中を毎日通って1日を始めるなんて。

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Castello Visconti, Vigevano

今年はレオナルドの没後500年祭を至る所でやっていて、煩くもあり嬉しくもありました。写真は、ヴィジェーヴァノヴィスコンティの屋敷から、レオナルドの描いた人物たちが覗いているところ。なかなか素敵な演出です。いつも思いますが、ちょっとした演出が粋でセンスが良いのです。ここではレオナルドの全作品を一気に実物大で見ることができました。個人的に面白かったのは彼の、人体解剖学図とヴィジェーヴァノの修道士のそれとを比較した企画。

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Guido Da Vigevano

あー、恐ろしや中世。もっと穏やかに死にたいものです。グイド・ダ・ヴィジェーヴァノは中世盛期の修道士で医者でもあり人体解剖図や、光学機械を考案したりしました。レオナルドの先駆けというわけです。先に書いた靴博物館もとても面白いし、赤いパンプスを買ったけれどもっとあそこで靴を買うべきでした。何と言っても溜まった場所が、これ以上考えられないくらい素敵なところだったし、ミラノに近いのでみんなを連れて再訪したい場所です。

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部屋の窓から広場を眺める

Milano(ミラーノ)

ミラーノには飛行機が着くので、ここで先発隊を見送り、後発隊を迎えました。ロンバルディーアを巡った先発隊の最後は、ファッション週間だったミラノの博物館巡りと友人宅訪問です。ミラーノへ行くほとんど全ての人に私がお勧めするのは、 ポルディペッツォーリ博物館です。場所といい、大きさといい、内容といい圧倒的にお勧めします。

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Poldi Pezzoli, Milano

1879年に天に召されたペッツォーリの信じ難い美術収集品を元にした博物館です。彼の書斎は趣味が良いかどうかは別として、非常に印象的なもので、特にダンテをモチーフとしたステンドグラスは、コピー作品がアンブロジアーナ博物館にも飾られるなど独創的で大変美しい仕上がりです。金持ち男性が執念を燃やす、武具甲冑の大コレクションに始まり、懐中時計や仕掛け物など、絵画館では見られない収蔵品も面白く、ルネサンスの大芸術も質の高い作品があります。ボッティチェッリの全作品中、私が最も好きな聖母子もここにあります。

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Botticelli

館自体も、金魚の泳ぐ室内噴水に始まり愉しいし、素敵な休憩場所もあり一押しです。ここだけで十分美術作品に出会えるので、特に絵が好きでなければもうブレラに行く必要はありません。が絵画好きなら絶対に行きましょう。このブログにも何度も書いているブレラ絵画館へ。ブレラはファッションの中心、ミラーノでも最もおしゃれな地域モンテナポレオーネやスピガの近くブレラ通りにあります。ということは世界一おしゃれな地域の一つといえるかもしれません。ブレラ周辺は絵画館だけでなく、画廊やカフェ、ファッション関係のお店も何もかもと言って良いほど、アーティスティックな傾向にあり、こちらも素敵な格好をしていないと行きにくい場所でもあります。特に私たちが行った時は世界中からファッションキングやクイーンを目指す人々が集まり、馬鹿らしい格好の(しかしものすごくお金のかかった)人たちも目にできて、さらに面白かったです。

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Galleria, Milano

夜中まで毎日堪能して、有名な場所から全く特殊な場所まで訪問し、食事も素晴らしかったロンバルディーアを後にする先発隊は泣く泣く空港へ向かいました。別れる時にはハグしてくれました。日本人同士なのに、感動の現れととって、一緒に旅してくれたことを感謝します。

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