天使たちの西洋美術

美術、イタリア、読書を愛する西洋美術研究者SSの思ったこと

【映画】「ロブスター」を美術の言葉で表現してみた

寝ている時にすごくいいアイディアが浮かんだり、複雑な数学問題を解いたり、語学がすらすら分かったりすることがある。明け方に多い気がする。なぜか、今朝は映画「ロブスター」を芸術に関する言葉を使って表現してみたいという考えが浮かんだ。

The Lobster

題名:ロブスター
制作:2015年、ギリシャ、フランス、アイルランド、オランダ、イギリス合作
監督:ヨルゴス・ランティモス
主演:コリン・ファレル

ポスターの一つ

この映画って日本でどのくらい観られてて、どんな感想や評価なのか知らないけど、私は強烈な印象を受けた。ずっと観たかったけどやっと果たせた。

くだらない事から始めると、主演のコリン・ファレルは「アメリカン・アウトロー」(2001年)「トータル・リコール」(2012年)みたいなカッコイイ役が頭にあるので、ぽっちゃりお腹の冴えない中年おじさん役が残念過ぎ!と最初に思う。ハリウッド俳優がよくやるけど、役に合わせて太ったんだって。ま、その方が感じは出るか。かっこいいと奥さんに捨てられたって設定がうまくいかないもんね。それでもやっぱり、大恋愛モノ(?)に発展する魅力がある。「ビガイルド」(2017年)では、たった一人で全ての女性の欲望の対象になるすごい役をやってるだけあるし〜。

若き日のコリン

怪しい魅力といえば、毒のある役が得意のベン・ウィショーも出てる。特にいい男ってわけでもないのに美青年役やったりしてこなしてしまう。彼の出てる作品では圧倒的に「パフューム:ある人殺しの物語」(2006年)が一番。女性たちは強くて強面の人が多いかな。

Dadaism

この映画の奇抜さ、というか想像を絶する設定や展開、はダダ(イズム)を思わせるところがある。一瞬、何が何だか分からなくて、理解不能状態でついて行けない。私は、かなりそういうのについて行ける方なんだけど、びっくりした。あまりに常軌を逸していて笑っちゃうんだけど、コメディというには登場人物は誰も笑ってないし、むしろホラーだから、こういうのが嫌いな人には観ていられないかもしれないと思う。

Magritte

ぱっと見の画面は実に地味で、特に変わったところは無い。場面はほぼホテル内、森、街の三ヶ所。どれも特別変わった視点で撮影してるとかいうわけでも無いから、切り取ったらあまり魅力的に見えないかもしれない。そいういう意味では上のマグリットシュール(レアリスム)とは全然違うと言える。でも同じマグリットによる「暗殺者危うし」は、かなり雰囲気が近い。この作品って、上の作品みたいに顔が剥がれてるとか、体内に異様な構造があるとか、そういうあり得ないところが一つもないのに、何かおかしい。怪しいし不思議だ。死体があるにも関わらず、この無表情はなんだろうか。音楽に聴き入ってる場合なの?窓の外の三つ並んだ顔も不自然だし、といくらでもおかしなところがあって、そこがシュールだ。マグリットは「ファントム」っていう怪人ものの大ファンで、自分で色々と奇怪な事件ものの話を考えていたというから、窓の外と部屋のこちら側の人々は捜査機関の人たちで、ついに暗殺者を追い詰めたところのイメージなんだろうか。

暗殺者危うし

人形のような動きや、表情の欠如、ロボット的な喋り方、どこか冷たい雰囲気なども「ロブスター」に共通している。大体題名の「ロブスター」ってどういう意味?と思うでしょ。ロブスターは主人公がなりたい動物なの。????主人公は犬を連れてるんだけど、その犬はお兄さんなんだって???(もしかして日本の有名な喋るお父さん犬からイメージしたのかと思うけど、違う。犬は喋れない、ただの犬)ウウッ!シュール!シュルレアリズムっていうのは現実を超越するという意味だから、まさにシュール!

Paul Delvaux

ホテルでは女性はワンピース、男性はスーツみたいに与えられた同じ格好をしていて、パーティみたいな講習会イベントをやってる。それなりに華やかなイメージなのに緊張感ある暗い雰囲気がポール・デルヴォーを思い出させる。デルヴォーは同じ顔の女性たちをドレスや裸体で、不思議な環境に置いて描いた画家。シチュエーション・ホラーっていう言葉が結構当てはまる。着ている物は古典的で、映画の人々も同様にクラシカルな装い。クラシックだけどエロティックで冷たい。「冷たいエロス」といえばアントニオ・カノーヴァだ。彼は新古典主義の最大の彫刻家で、誰もが虜になるような綺麗な作品や、国際的に有名な人物の肖像など作りまくった。

冷たいエロスがキャッチフレーズ

この映画は画面も、衣装も、建造物も、撮影技法や、暗転の仕方までクラシック(古典的)だ。ただひたすら、物語の背景が突拍子もなく、SFにカテゴリーされたりしているけど、宇宙船とか好きな普通のSFファンが見たら怒りそうだ。じゃなぜSFにカテゴリーされるのかというと、人口減少対策で、独身者は存在してはならない!45日以内に相手を見つけられなければ、動物になる!!!っていうとんでもない社会を描いた近未来社会派映画だからです。それでお兄さんは犬になっちゃって、主人公はロブスターになりたいの。ロブスターは超長生きで生殖機能が衰えないんだって、知らなかったけど本当かな?

動物にされるのから逃げた独身主義者の人たちはどうするかというと、森に隠れて暮らしてる。誰から隠れているかといえば、相手を見つけるために四十五日間ホテルに滞在している者たちからだ。彼らはハンターになって、政府に反抗する独身者たちを狩ると、動物にされるまでの日数が延びるのだ。そんなこと、よく思いつくなーっとつくづく思う。この監督はギリシャ人で、ギリシャといえば西洋美術(文化)の源。ギリシャ美術は現実的なローマ美術と違って、超越的な美を追求したり独創的な思想を大切にするところにあるけど、ほんとゾッとする独創性を秘めた人だ。

Paolo Uccello

で、森の美術としてはルネサンスのイタリア人画家パオロ・ウッチェッロの「狩」が大好きな作品なので挙げてみた。パオロはルネサンスの中でも数学的思考法(特に遠近法)の虜になった事で有名な画家で、この作品も遠近法の使い方が面白い。狩という動的な場面にも関わらず、全体に静寂感があって、どこか御伽話の絵を見ているような魅力がある。

Magritte

もう一枚映画を見ていて思い出したのが、マグリットの「森」という作品。狩られる独身者たちがチラチラ見え隠れする森は、マグリットが描いた馬に乗った人と森が錯綜する場面と似ている。映画のシーンで、独身者たちが隠れる練習をしているところで、本当にマグリットの絵を思い出しながら観てたのが、もしかしたら夢に出て来た理由かもしれない。マグリットはこの作品の他にも、怪しい森の絵をいくつも制作している。

Marina Manoukianの森にいる魚の恋人たち

マグリットの描いた魚の恋人たちを森の写真と合わせた作品なんか、ランティモス監督はこの絵を見たのかもと思う程、映画とそっくりだ。(作者のマノウキアンコラージュが得意の現代美術家。)主人公と恋人を連想してしまう。彼らは自由思想家かというとそうではなくて、政府とは真逆の、怖い掟がある。それは絶対恋愛禁止。破ったら信じ難い罰が待ってる。ところがまずいことに、ホテルから逃げた主人公はここで恋に落ちてしまう。それで生き埋めにされるのかと思ったり、恋人は失明したりする。レジスタンス(抵抗運動)のリーダーは英雄的な場合もあるけど、極端な独裁に走る場合もあるのは歴史が証明済で、ここでも完全にそういう状況。リーダーが女性というのが浅間山荘事件の永田洋子を思い出す。1972年にテレビでライブ配信されたテロリストの立てこもり事件で、視聴率89.7パーセントの新記録を持ってるんだって。怖いね😱

Remedios Varo

サルヴァドール・ダリと同級生だったメディオス・ヴァロの作品も浮かんだ。ヴァロはシュルレアリズムと童話挿絵を合体させたような様式を作り出した女性画家で、繊細なデッサンや筆使いには定評がある。彼女の作品はどこか可愛かったりしても、常に不安げで不気味だ。何か儀式的なもの、秘儀とか密教的な雰囲気を持ってる。これも映画「ロブスター」に通じる点。要するにフォービズムとか表現主義とかバロックの持つ、過激な、心情を露わにする激越な雰囲気は全然なくて、お兄さん犬が殺された時や、最後の場面などの超緊張した時でも、凄く抑えた感情表現がされている。それでも内容は非常に劇的。これはバロックの誰にも分かりやすい劇的とは全く違った種類の劇的。

Max Ernst

静寂と死と隣り合わせの緊張が、理解を超越した設定で展開するところは不穏で過激で時を超越した空間を得意としたマックス・エルンストの画集を見たくなるような映画だった。エルンストは天才の一人だと思うんだけど、もしかしたらこの監督もそういう類の人なのかな。

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