天使たちの西洋美術

美術、イタリア、読書を愛する西洋美術研究者SSの思ったこと

【旅】運不運と死の観念

ミラノの友人とやりとりしていて、ミラノにはまだコロナウィルスの患者が出ていない事を知った。日本のテレビを見ていると、どのニュースにもかの有名なミラノ司教座聖堂が映り出されていて、いつもはごった返す広場はがらんとして居る図だ。全くミラノはウィルスの中心地みたいだけれど、実際には40キロ離れた場所なんだとか。

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Carlo Crivelli

ただがらんとして居るのは当然で、日曜日から学校、教会、バーなどなどみんな一斉に閉まっていて、友人らも全員自宅で仕事をして居る状態だそうだ。かく言う私も仕事が延期とかキャンセルとか、あちこちで変更が出てすっかり混乱してしまった。私のような非常勤講師には辛い現実だが、もっと辛い人々も居るのだから仕方ない。開いた時間で、積読本を読みまくろう。

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Duomo di Milano

生まれてこの方、こんな騒ぎになったのは記憶に無い。中には不運にも命を落とす人もいるが、冷静に考えれば致死率はそれほど高くなく、歴史を見てもこれ以上、ずっと過酷な疾病の流行は何度もあった。にも関わらず、ここまでヒステリックな報道や、常軌を逸したマスクの値段、町をあげての封鎖などは、死と言うものが遠のいてきた証拠でもあるかもしれない。

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Poldi Pezzoli, Milano

出掛けでもしたらまるで悪人状態のこんな状態が、1日も早く収束して欲しいと皆思って居るに違いないけれど、第二の武漢などと言われている現在は仕方のない事なのだろうとも思う。こんなことになったのは、日本経済がこの10年で世界にすっかり追い越された事を如実に物語って居る。国民の安全、社会福祉に何よりも予算をつけるべきなのに、ケチ臭い政府の予算は、もう日本が先進国では無くなってしまったかのようだ。

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Piero della Francesca,Brera,Milano

ヨーロッパでは社会福祉や公共の平安という意識は、古代ローマは別として、一般にルネサンス以降見られるもので、病院の起源となるような宿泊施設や孤児院があちこちに出現した。それまでがあまりにも死と隣り合わせの日々だったからで、例えば14世紀には黒死病で人工の3分の1が失われるようなこともあった。今の私たちと、どれほど死というものの感じ方が違っただろうと思う。もちろん現在でもアラブやアフリカなどの紛争地帯で生まれ育った人たちは、一年中死と身近に生きているわけで、それが当たり前だった中世と違い、当たり前ではない事を知りつつ生きるのはより辛いだろうと思う。それどころか数十年昔でさえ、今より野蛮だったのを映画や小説などから感じるし、そう言う意味では、遅々としてではあっても人類は平和への道を歩んでいるのかもしれない。

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Poldi Pezzoli, Milano

これらの写真は去年、ミラノで撮影したものばかり。去年のミラノは素晴らしかった。街には活気があり、重要な美術館も夜遅くまで運営され、多くの作品が修復されていた。もし今旅をしていたら、と思うと恐ろしい。旅は全く違ったものになったはずだ。キャンセルできる旅なら良いが、普通ヨーロッパへの旅は何ヶ月も前に計画をして航空券を買っているはずだし、何よりずっと楽しみにしているだろうから、取りやめるのはよほど勇気のいる事だ。不運極まりないダイヤモンド・プリンセスの人たちを思い出さずにはをれない。

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Brera,Milano

キャンセルできればすれば良いと書いたけれど、反対にキャンセルされる側に立てばとんでもないことになる。3月の終わりに小旅行をする予定だけれど、どうなる事やら。親はやめるように言うけれど、そうすべきなんだろうか。勿論その時になって、戒厳令が発令されたり、体調が悪ければ取りやめは当然だけれど、そうでもない限り私は出掛けたい。キャンセルされなかった宿や街の人たちは喜ぶはずだと思う。

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vicino a San Sepolcro, Milano

あらゆる時と場所に運不運がついてまわる。中世には「運命の輪」と言うのが誰もが知る象徴として、聖堂に描かれたり彫られたりしていた。運を支配しようとする努力が、中世と近世を隔てる態度の一つでもある。それが近代化だし科学の力なんだけど、人は決して完全に運を降伏させることはできないし、その受け入れ方、受け止め方は個人で大きく違う。こう言う時にこそ、その人の度量が知られるもので、無意味ないじめが決して起こらないことをひたすら願う。

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Porta Ticinese, Milano

旅には、劇的に危険性が減ったとはいえ、昔から死と喜びが共にあった。12世紀からミラノを観てきたこの門は、古代ローマ皇帝様式の聖ロレンツォ聖堂のすぐ近くにあるから、より一層多くの死、それに喜びを観てきただろう。世界に平安が訪れますように。

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