天使たちの西洋美術

美術、イタリア、読書を愛する西洋美術研究者SSの思ったこと

【旅】ヴァチカン美術館:スダール症候群と「書いた。愛した。生きた。」

友人Mがヴァチカン美術館征服の旅へ行く前に、思い出を書いています。今回はスタンダール症候群について。

地図の廊下の天井

スタンダール症候群」のスタンダールは、1783年にグルノーブルに生まれたフランス人の小説家(評論もある)。今では文学史の重要な一人だけど、よくあることに生前は理解されなかった。でも元々裕福な良家に生まれ、軍人なのに馬にも乗れず剣も持った事がなくてひたすら遊び呆け、その後も財務官やフランス領事になったんだから全く文句は言えないよね。

映画「パルムの僧院

赤と黒」「パルムの僧院」が断然有名で、映画にもなってる。1948年の映画だけど、映画史上、最大級の良い男と言われるジェラール・フィリップが主演。北イタリアのパルマの修道僧が主人公。その他「イタリア年代記」とか「イタリア絵画論」とかも書いていて、スタンダールがいかにイタリアを愛してたかが分かる。

新古典様式のクーポらと柱

7才の時にお母さんが亡くなったんだけど、生涯母を異常に愛し続けた。女遊びはすれど、理想の女性は母ていう定番のタイプ。まーね。産んでくれた人ほど、大切にしてくれる人がいないのは至極当然な事だけど、芸術家にはよくあるような気もする。レオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロもそう言われる。とにかく大好きなお母さんはイタリア系でロマンチックな人だった(らしい)。お父さんは彼女と正反対の実務家で王党派、高等法院の弁護士だった。父に社会的な成功を求められて勉強しまくり、成績優秀で理工学校に合格したんだけど、慣れないパリの生活でノイローゼになっちゃって母方に引き取られて、そのコネで陸軍に入隊しイタリア遠征した。これも時々あるんだけど、軍隊で遠征してるとは言え、本を書いたり研究したり、いわゆる兵隊の仕事とは無縁の生活をする人がいる。しかも敵国に遠征してるのに、そこが気に入っちゃうっていうのも珍しくない話で、スタンダールは母への愛と合わさって、気持ちの上ではイタリア人になっちゃった。

地図の廊下というように地図が主役だけど天井がもの凄い

軍隊を辞めた後は、また母方のコネで官僚になりガンガン出世。ナポレオンはロマンチストのヒーローだったんだけど、ナポレオンの没落と共にスタンダールも出世の道が消えちゃった。でもフリーのジャーナリストになって、イタリアの自由主義者たちと親交を結んで活躍する。大嫌いなフランス(父は完全なフランス人だ!)だったにも関わらず、フランスのスパイと思われ、40才を目前に失意の内に帰国。

天井は似たようでそれぞれ違ったデザインになっている

代表作「赤と黒」は、フランスの王政復古時代を批判的に捉えた、彼の思想をよく表したこの時期のもの。でも「赤と黒」の出版された1830年七月革命が起きて、自由主義者の天下が再び訪れる。オーストリアメッテルニヒが反対してトリエステのフランス領事にはなれなかったけど、教皇領のチビタヴェッキア駐在フランス領事(だ〜いぶ小さい)になった。1842年、パリの街頭で脳出血で倒れた。墓碑銘はものすごく有名。「書いた。愛した。生きた。」でも実はその前に彼の名前が書いてある。「ミラノ人アッリーゴ・ベイレ、書いた。愛した。生きた。」だっていうのを知ってる人は少ない。フランス人小説家って言って欲しくないんじゃないかな〜と思ったりする。

バロック風の円天井

このスタンダールの名前がついた症候群っていうのは、1817年にスタンダールが初めてイタリアを訪れた時、フィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂で、猛烈な眩暈と動悸がして気分が悪くなり、しばし茫然自失したことに端を発している(という)。1989年に、イタリア人の心理学者マゲリーニが、多くの観光客に似たような症状があると気づき、名付けた。ほとんどが外国人観光客で、崇高な充実感と強い圧迫感が伴うんだとか。原因ははっきりしないんだけど、実証的説明をすれば、首を5分以上長時間後ろに反らせたまま(見上げる状態)でいると血流が悪くなる、というもの。

Dario Argento

ちなみに世界に誇るイタリアB級ホラーの帝王ダリオ・アルジェントはこれを利用した映画を撮ってる。主人公はウッフィッーツィ美術館の中でスタンダール症候群になって倒れちゃうのだ。ボッティチェッリのビーナスと主人公の顔が上手く重なってると思わない?イタリアでは大ヒットしたけど、日本未公開。

ウェッジウッド式、新古典様式の天井

これでわかったと思うけど、ヴァチカン美術館では、気をつけないとスタンダール症候群になる危険が大いにある。あまりに有名な絵や作品があるから、それほど真剣に見てる人は少ないけど、何キロにも及ぶ天井は、様々な内容と様式の美術で埋め尽くされているから。これだけで他の国ならとっくに大作品になってるのに、見向きもされないのがヴァチカンの凄さかな。

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