天使たちの西洋美術

美術、イタリア、読書を愛する西洋美術研究者SSの思ったこと

【芸術】永遠のテーマ

首都大学東京OUの講座「展覧会をもっと楽しく」が無事終了しました。

無事っていうより、考えていた以上に良い内容だったと自画自賛しています。

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Milano, 2019

講座初日に、東京富士美術館の「ルネ・ユイグの眼差し:フランス絵画の精華 大様式の形成と変容」

https://www.fujibi.or.jp/exhibitions/profile-of-exhibitions/?exhibit_id=1201910051

を観に行きました。去年ミラノで撮影した上の写真とは真逆の内容です。ルネ・ユイグとはアカデミックを一身に体現したような人ですが、写真は悲惨な社会問題である性犯罪をテーマとした、インスタレーションの現代美術ですから。私にとってはどちらもアートです。そこにアート、芸術とは何かという永遠のテーマが存在します。

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フィリップ・ド・シャンパーニュ

これは今回の展覧会中、ほとんど唯一の宗教画です。アカデミックです。フランス絵画とはいえ、ほとんどイタリア絵画の焼き直しのように見えます。近代以降フランスは芸術の中心地の時代がありました。しかし個々の作品を見ると、イタリアに遠く及ばないのが明確になります。印象派やエコール・ド・パリの画家たちも多くはフランス人ではありません。イタリアは、特に美術史において圧倒的な地位を占めるのでどの国も及ばないのです。

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Annibale Carracci, Brera

アンニーバレ・カッラッチのブレラの作品です。彼は美術史上最も重要な画家の一人です。教科書にも載っている「豆を食べる人」は彼の作品です。アカデミック(大美術)な観点から、描くに値しないと判断されてきた普通の人々を描いた最初の画家と言っていいでしょう。彼の描く肉屋は、間違いなくエコール・ド・パリで最も過激な画家スーチンに深く影響を及ぼしていると私は考えています。その彼にしては平凡な作品ですが、シャンパーニュが手本にしたのは明快だし、シャンパーニュよりデッサンも色彩もカッラッチの方が優れています。世界を圧倒するイタリア美術会ですが、現代美術において話は違ってきます。ブレラの小さな近世絵画の一角では、イタリア人の作品は一枚だけになっています。

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ブレラ絵画館の近代美術の一角

展覧会では学芸員の方に長時間お付き合いいただき、解説していただきました。私の横槍が入るので、ずいぶんやり難かったはずですが大変丁寧に対応していただき、心から感謝します。ダブル解説というか、絵の内容を細かく解説する彼女に対して、私は個々の作品と言うより、美術史全体の流れや、それぞれの国の特徴、歴史的、宗教的、社会の心性をいつも重視しています。タッマーにですが、それは違うだろうと思うこともありましたが、解釈や考え方はそれぞれなので、できるだけ多くの意見を聞いたほうがいいのは当然です。

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アンニーバレ・カッラッチ自画像

いつものように、前置きが長いですが、要するに言いたいことは簡単です。

「アカデミック美術は芸術か?」

「素朴派(ナイーブ・アート)は芸術か?」

と言う問題です。

無理やり答えを見つける必要はないのですが、芸術の概念を明確にする基準はあっていいと思っています。

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Luca Giordano

なので講座の後半は、講義室でアカデミーの歴史を作品を追いながら話しました。今回の展覧会にちなんで、一応フランスアカデミーを中心に据えましたが、言葉の源、プラトンから始まり、美術アカデミーの始まりであるフィレンツェヴァザーリから、ローマ、各国と続きます。ボローニャのアカデミーはカッラッチ兄弟により運営された、最もアカデミックでないアカデミーです。

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アイエツ自画像

写真のルーカ・ジョルダーノやフランチェスコ・アイエツはアカデミックな画家です。「手に筆を持って生まれてきた」ような人たちです。彼らの筆は走りまくります。フランスアカデミーでは、筆の跡を残してはならないと言われてきたのですが、それは凡庸な迫力のない作品が多く生み出される要因の一つとなりました。でも兎にも角にも、アカデミーの画家たちはデッサンは上手で、職人芸に長けています。

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ブグロー

ブグローは今回の展覧会の花形画家の一人で、最後のアカデミーの巨匠ではないでしょうか。この作品は「ルイ13世誓願」というアカデミーで熱狂的に支持された作品です。でも美術史を知っていれば、誰でもラッファエッロを思い出すでしょう。

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ラッファエッロ

1820-4年に描いたブグローは、1513年のラッファエッロのシスティーナの聖母を下敷きにしています。足元の二人の天使、両側の緑の天幕、中心は空間浮遊する聖母子で、それを崇拝する寄進者という内容は、そっくりそのままです。拝む人物を教皇からフランス王へ変えているだけ。ラッファエッロの作品は私の写真が良くない上、三百年も前に描かれているので当然痛みも激しく、比較するには不利です。それでもラッファエッロの作品の魅力は現代人にも訴えるものがあり、それにひきかえブグローの聖母子は硬く、つまらない作品となっています。ブグローはちょっと変態を疑いたくなるほど、美少女、美少年、美女の裸が得意な画家なので得意分野でなかったことは確かですが、とにかく誰が見ても綺麗に描くことのできる画家でした。

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ブーシェ 自画像

綺麗に描くことができたといえば、ロココの帝王ブーシェ を思い出します。彼も天才に違いありません。彼らのように、天才的なデッサン力、天性の構図力や色彩感覚を持っている画家が、必ずしも芸術と感じさせてくれるわけではないのを、痛感します。カラヴァッジョを天才という人が沢山いますが、彼はデッサン力も構図力もありません。しかし彼の絵には芸術だと感じさせる迫力があり、特に晩年の作品には鬼気迫るものがあります。印象派の画家なんて、びっくりするほど下手だったりしますがあれだけ愛されています。20世紀には、アカデミックという言葉は俗悪以外の何物も指さなかったので、ブグローのような画家の作品には全く値打ちがありませんでした。今は数万倍の価値がつけられています。いつでもお金に換算して考えるのは大変悲しいことですが、それはその時代が望んだ価値を表しているともいえます。20世紀は抽象の時代、ジャクソン・ポロックやルーチョ・フォンターナの時代だったので、アカデミックな画家はクソミソに言われました。

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Lucio Fontana

私は、デッサン力を高く評価しますし、構図や色彩感覚も重視しますが、独創性や魂の入った作品というか、心から表現したいと作者が感じているかどうかは実に大切だと思います。社会問題と取り組む挑戦は、真面目に受け止められるべきだとも思いますが、コンセプチュアル・アートはしばしば、反芸術的で、真の芸術を愚弄するものだったりします。何でもかんでも、テレビやネットで話題だからすごいのだと判断したり、エピソードに感心して芸術だと思う態度は、芸術とは正反対の非独創的な態度なのです。

 

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