天使たちの西洋美術

美術、イタリア、読書を愛する西洋美術研究者SSの思ったこと

【旅】イタリアの薬局は薬草屋さん?

イタリアへ行く度に寄る場所に薬局があります。薬局といってもマツキヨとかとは全く違って、すごく素敵な場所だったりします。フィレンツェサンタ・マリア・ノヴェッラの商品は日本でも購入可能ですが、馬鹿馬鹿しい金額なので日本で買ったことはありません。そこまで効果があるとも思えないし。

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Santa Maria Novella, Firenze

でも高級で素敵な石鹸や基礎化粧品などで、お土産としても定着していて、要望の多い場所の一つです。今年も行きました。何度も行っていますが結構変化があって、今年はカフェスペースが充実していました。特別高くはないので、駅も近いことですしハーブ・ティーを飲んでもいいかもしれません。

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フィレンツェの薬草屋さん

サンタ・マリア・ノヴェッラばかり有名ですが、こういう場所はあちこちにあります。元は修道院の薬草研究から生まれたものです。ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」にも出てきますが、大きな修道院には薬草を栽培し、収集し、軟膏や飲料として役立てる中庭や保管庫がありました。13世紀にドメニコ会の修道院として始まったサンタ・マリア・ノヴェッラは「世界最古の薬局」が売り文句ですが、紀元前から薬草は薬として使われているので解釈の問題ではないでしょうか。ただ現代的な意味での薬局(薬屋さん)になったのは16世紀のことでメディチ家御用達の他ヨーロッパ中に王侯貴族の顧客を持っていました。

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修道院の薬草液

これは今回買ってきた一部。ベネディクト会系の修道院ではイタリア中で買うことができます。起源でもあるローマのスビアコにはシリーズが勢ぞろいしていますが、今年は行かなかったのでパルマで買いました。小さい瓶はプロポリス原液です。日本で買うと1万円もするものがあるのにたったの5ユーロ。もちろん同量。飲んでみたけれどどこが違うのか分からない。もう一つは「毛が抜けるのを防止するための液」頭頂の毛を剃ってしまう修道士が必要だったとは思いませんが、今はアンチエイジング系の商品が結構あって笑っちゃいます。これは大変気に入ったのでもう失くなりそうです。日本の商品も使ったことがあるけれど、こっちの方が香りもつけ心地も気持ち良くて、またまたずっと経済的。

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S.Giovanni Evangelista, Parma

上の瓶を買った、聖福音書記者ヨハネ聖堂です。後陣から見たところですが、幾つも回廊のある大修道院です。ルネサンスバロック期に描かれた図書館のフレスコを、修道士が大変丁寧に説明してくれ、凄く面白かった。私が買った定番の物とは別に、この修道院の作品を置いた薬局が隣接していて、土曜日のみ開きます。

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トリノの薬屋さん

先に書いたものは完全に修道院の薬局ですが、天然と科学的、両方の商品を扱うお店も少なくありません。「エルボリステリーア+ファルマチーア」のように表示されていて、最近はパラファルマチーアといって、日本のドラッグストアほどではないにせよ薬以外にも色々扱うお店もあります。

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アルガンオイル

これは友人が感激して、私も一緒に買ったアルガンオイル原液と基礎化粧品です。品質証明書付き。やはり日本では二倍出しても買えないということで大瓶をゲット。こちらも付け心地最高。ミラーノはカドルナの薬局で書いました。現代の薬局が天然の物も扱っている所です。ある意味一番現実的。あえて例えるなら、日本で漢方薬も扱っている普通の薬局といった感じでしょうか。

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Antica Farmacia di Sant'Anna

調合もしてくれます。今回訪問したパヴィーアでもピアチェンツァでも修道院内で買えたし、ボッビオではまるで白魔術のように女店主が調合した瓶を、旅の参加者Kさんが買いました。Kさんに体調とか心理的な問題とか、日常の働き方など色々質問して作るのです。10数ユーロだから効かなくても話の種に買ったのかもしれませんが、みんな一緒に楽しんでサンプルももらいました。一日4滴を4回だったかな。

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Santa Maria della Scala

モンテカティーニ・テルメではエクス・ソフィア・ローレン(昔のソフィア・ローレンみたいなという意味で派手な化粧)の女主人の店で、リップクリームを数人で買い占めました。やっぱり10ユーロちょっと位、小さくて軽くて可愛いのでお土産に配るみたい。私はもうお土産は買わない主義なので、甘草やアニスの飴で許してください。

【イタリアの旅】世界遺産や地獄めぐりのトスカーナ

毎年行っている秋のイタリアの旅ですが、2019年はロンバルディーアの旅を終えた参加者と入れ替えにトスカーナを旅する人たちがミラーノへ到着。訪問地の一口紹介をします。

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Museo, Pisa

Milano(ミラーノ)

アリタリアだと大抵ミラーノ到着は夕方遅くになり、初日は夕食に出るくらいしかできません。飛行機の疲れもあるし翌日は早く出たいので、ホテル周辺でちょこっと食べたいという要望でした。で、いきなり地元ちっくにケバブ屋へ連れて行きました。日本と違い、ヨーロッパにはずっと前から多くのケバブ店があり、すごくリーズナブルな上、野菜がとれるので私は大好きです。もうすでにヨーロッパの都会の食事を担っています。慣れない人はイスラムの人たちのことを怖がるけれど、彼らは皆苦労しているので非ヨーロッパ人である私たちには親切です。

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ミラーノの司教座聖堂

午前中しか彼女たちはミラノにいられません。何も知らなければ、やはり司教座聖堂広場へ連れて行くべきでしょう。巨大建造物の場合、どこから目に入るかも印象に大きな違いを与えます。ドゥオーモ広場への出口は沢山あるのですが、真っ正面から出るようにしました。階段を上がりながら「うわ〜っ!」という声が聞こえます。テレビや本で見ている物でも目の当たりにすると、その大きさや質感が圧倒的な印象で迫ってきます。ただ、残念ながら昼には車上に居ないといけないので、長い列には並ばず、ヴィットリオ・エマヌエーレの大ギャラリーを通過し、スカラ座へ向かいます。と言っても、その前のレオナルドの記念碑で説明し、ホテルへ荷物を取りに戻ります。午前中だけでしたが、イタリア初心者には大変な感動でした。

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Prato

ミラーノからプラートへ向かいます。先のグループよりもトスカーナ組は長距離を移動します。イタリアの場合、国鉄は早く買うと非常に割引になります。でも私は基本的に早割を使いません。時間に縛られたくないので。常に天気やみんなの疲れ具合など見て予定を微調整するからです。早割は払い戻しが効かないのです。今回はみんなの帰国日のフィレンツェ・ミラーノ間だけ先に買いました。飛行機は乗り遅れできないもんね。実は今回唯一の残念なことが起きました。ミラーノ・チェントラーレ駅で列車に乗り込んだ時、どさくさに紛れてスリにあった人が出てしまったのです。すごく親切そうに堂々と近づき、カバンを置く手伝いをしようとしたようです。美少女二人と少年だったとか。私が被害に遭った二人だけが席にいないのを見て、どうしたのかと声をかけた時には、スリたちは下車したところでした。5千円ほどの被害とはいえ、気分が悪いですよね。旅の前にはなんども注意を呼びかけましたが、乗車の時言うべきでした。ごめんなさい。しかし明るい彼女らは健気に、後を思いっきり楽しんでくれました。旅先ではくよくよしたら、ますます損だから切り替えが肝心です。

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Cattedrale, Prato

列車の乗り換えはとてもスムーズに行きましたが、トスカーナ組は天候には恵まれませんでした。なのでプラート駅からはタクシーで中心地の宿へ。ホテルではなく鍵を渡してくれるアパートタイプです。それぞれの部屋は作りが結構違い、当たり外れがありますが仕方のないことです。場所は歴史中央地区内なので気楽に出入りできます。日本の普通のツアーだと、新しいホテルに泊まるため歴史中央地区から遠い場合がよくあります。気軽に部屋に帰れないので、私は好きではありません。プラートはかなり好きな街です。確かに大好きな街だらけですが、無数にあるイタリアの街ですから、再訪するかどうかでどれだけ好きかが決まるでしょう。プラートには何度も行ったことがあるし、また行きたいです。メディエヴァリスタ(中世愛好家)にとって、プラートはフランチェスコ・ダティーニの街で、ルネサンス好きにはフィリッポ・リッピの街、ファッション関係者には布の街かもしれません。私は全てに当てはまるのです。リッピの大作フレスコの隣にはウッチェッロのフレスコもあります。

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Cappella di Filippo Lippi, Prato

丁度週末で大聖堂広場やあちこちに屋台が出て、活気がありました。私もシルクの服を買いました。ゴッホの花柄でかなりのお買い得。気に入っています。みんなジェラート(アイスクリーム)で元気をつけて、大聖堂美術館を見学します。なぜか無料ガイドをしてくれて、最後にメインのリッピの礼拝堂に到着します。優雅で繊細なボッティチェッリの美しい線も、リッピと出会っていなかったら違ったことになっていたに違いありません。ミサが始まるギリギリまで鑑賞しました。

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プラートの博物館フレスコ

フィリッポ・リッピの息子フィリッピーノも大好きな画家ですが、修復された彼の作品を楽しみに博物館へ。イタリアの常で館自体に当時のフレスコが残り、魅力的な上様々な時代の作品があります。油の大祭壇画や後期ゴシックの作者不詳の作品など興味深いものが沢山あります。屋上からは街が一望できます(プラートの最初の写真がそうです)。特にブルネッレスキがデザインした聖堂は彼らしい威厳があり目立ちます。結婚式も上から覗いてしまいました。飾らない感じの新婦を囲んで皆楽しそうにしています。毎年9月から10月にかけてイタリアへ行くのでよく結婚式を目撃します。今年もいくつか見ましたが、去年プーリアはビトントで遭遇したものや、ナポリの演歌歌手の結婚式程派手ではなく、北イタリアの結婚式は落ち着いた感じでした。

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ティーニの家

中世の際立った人物として名高いフェデリコ二世のお城を眺めつつ夜更けまで、新感覚バールで生魚料理で飲んだ事もとても印象的でしたが、個人的にはフランチェスコ・ダティーニの家に行けた事が嬉しかった。ダティーニは、このサイトでは何度も書いていますが、中世の立身出世の見本のような大商人です。彼がアヴィニョン教皇庁で大儲けした後、故郷に錦を飾った家が残っています。孤児のような状態から貴族をも凌ぐ金持ちになった彼なので、やはり貴族の真似事のようなフレスコです。貴族の最高の楽しみ、狩の主題は多くのサロンを飾っていました。猟犬の目が怖いです。帰りは歩いて駅まで行く途中、また雨が降って来ました。通りすがりの夫婦が傘に入れてくださって、道案内してくれます。彼らお勧めのバールで休んで、温泉地モンテカティーニ・テルメへ。

 

Montecatini Terme(モンテカティーニ・テルメ)

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Tettuccio, Montecatini Terme

モンテカティーニ・テルメを初めて訪れた時、みんなを連れていきたいと思いました。ヨーロッパのブルジョワジーの歴史や社会習慣を肌で感じられると思ったからです。ところが残念なことに、当時と比較し格段に寂れていました。中心の施設は完全に修復が必要な状態で、一番の売りの様々な地方の飲料水も、以前は全てが常に流れていたのに少ししか出ていないし、カフェや高級店舗も閉まっていました。あれではガラガラなのも頷けます。その上ずっと雨が降ったので、予定していたモンテカティーニ・アルトでの夕食を新市街の大衆料理店へ変更。私としてはかなり残念な感じでしたが、みんなはお買い物に精を出し、何より洞窟温泉で、煉獄や地獄を巡り、森林に囲まれた屋外プールでジャグジーを堪能したのでとても喜んでくれました。

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Grotta Giusti

それに、雨が止んだ合間を縫って、走るようにしてモンテカティーニ・アルトへ登山電車で登り、小さな丘の上の街巡りも果たせました。パードレ・ピオの日だったのですが、参加者たちは聖ピオの祭壇の前で熱心に話しかけられて、皆分からないのに、熱心に聞き入っているところなど流石日本人です。もちろん後から説明したけれど。ホテルと駅はカートを引いて歩ける距離で、列車の時間が迫っていたので歩いて移動。ところがその最中に土砂降りに!ジオックスの靴を履いていた私は水の中を歩いているような状態でした。呼吸する靴ジオックスは、底に無数の穴が開いているのが売りな、イタリアの靴ブランドです。

 

Pisa(ピーサ)

いよいよ今回のトスカーナの旅のメインでもあるピサへ。

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かの有名なピサの斜塔

ホテルでは思わぬ事がありましたがそれは後ほど書くとして、とにかくピサは奇跡の広場に見所が集中しています。たっぷり二日取り、塔へ登り、司教座聖堂ガリレオの話をしたり、世界に類のない素晴らしい洗礼堂も上階へ登り、カンポサント(お墓)では最後の審判のフレスコなどを堪能し、さらに私がやったことのなかった壁上も歩きました。かつては中世のヨーロッパ都市の多くが壁で覆われていて、ピサにもかなり残っています。壁の上を歩くと、当時の街の大きさが理解できるし、観光スポット以外の様々な情景を見る事ができます。ガリレイやジョルダーノ・ブルーノなど偉大な学者たちが教えたピサ大学を眼下に見ながら、穏やかなピサ人の日常風景の中に出て、壁は途切れました。

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司教座聖堂の説教壇

西洋美術史上、ピサはピサーノ親子という天才的な彫刻家を輩出した街として知られ、父と子の手による最高品質の説教壇が、洗礼堂と司教座聖堂にあります。まだルネサンスは遠くゴシック時代にあって、これだけ自然主義的な生々しい表現の彫刻は皆無に近く、彼らがいかに古代ローマ研究をしたか知る事ができます。親子の作品を比較するのも楽しく、息子が天才彫刻家であった父を越えるために大変な努力をしたのが伝わってきます。

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San Sisto, Pisa

一般には全く無名ですし聖堂へ入ることすら難しいですが、私にとってピサで最も重要な聖堂は1080年創建の聖シストです。生涯の研究テーマとなった勝利の磔刑像がここにもあるのです。神父さんの携帯へ電話し、無理やり約束を取り付け撮影させてもらいました。遠方から私のためだけにやって来てくださった神父様に心から感謝します。もちろん、みんな一緒に見学しました。真のロマネスク聖堂です。当然博物館にも時間を使い、買い物もして愛しの街ルッカへ。

 

Lucca(ルッカ

トスカーナ州フィレンツェとピーサに次ぐ大きな街ルッカ。でもその割には観光地化され過ぎていず、中世の佇まいを最も残した街です。最初に一ヶ月語学留学したのも、論文のテーマに選んだのも、地元国立市との姉妹都市提携まで、様々な点で私にとっては全く特別の街です。最大級に愛する彫刻家の一人チヴィターリもルッカを愛する理由の一つ。ルネサンスの人間味より、中世の聖なる印象が強い彼の作品は、隣町フィレンツェの俗な印象と大いに異なります。

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Matteo Civitali

ルッカ市長と会う約束もあり、二日ではとても紹介しきれず、町中を走るようにしてみんなを連れ回してしまいました。前回ルッカへ皆を連れて行った時は、自転車で市壁の上を回ったのですが、転んだ人がいたので今回は事故を恐れて無しに。司教座聖堂はじめ幾つかの重要聖堂、博物館、塔にも登り金満家のお屋敷も訪ね、アンフィテアトロ(古代競技場)跡で夜中まで飲んで、可愛いお店や由緒正しい宝石店も訪れ、最高のレストランで二度も特別料理を堪能しましたが、私的には全然足りません!

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Cattedrale, Lucca

街によっては一人歩きが危険ですが、ルッカは本当に安心な街。清潔で穏やかで観光ズレしていなくて、美術作品にあふれ最高です。完璧な壁に街全体が覆われているので歴史中央地区には、ほとんど車も来ません。

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塔の頂上に出る直前

観光的に有名なのは、中世には何本もあったという頂上に木の生えた塔。今はグイニージの塔だけですが狭い頂上は観光客で一杯です。街の中央にあるので、ぐるっと街を見渡せます。ルッカが小高い山に囲まれた土地であるのも風景が美しくなる要素です。どこを見ても煉瓦色の屋根とロマネスク聖堂に塔(他にもある)が、緑の丘と空を背景にしています。穏やかなトスカーナらしい景観です。

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塔の上から

ルッカは中世初期に発展した珍しい街の一つで、ボッビオを通じてアイルランドの修道士とのつながりがあり、ケルトとロンゴバルドの融合のような作品が数多く残っています。古代ローマルネサンスの大美術とは全く違った、下手でも自由で、キリスト教も異教もゴッチャになった信仰が読み取れます。どこか可笑しく、微妙に不気味でもあるところが魅力。写真の柱頭でも動物は明快ですが、左下にいるのが天使なのか聖母なのかハッキリしません。角には顔が彫り込まれています。

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他では目にすることのない柱頭彫刻

ルッカは、聖顔(ヴォルト・サント)を持ってヨーロッパ最大の巡礼地の一つでしたから、巡礼のための資料館のようなものがあります。時間になっても閉まっていたのを無理やり大声で呼んで開けさせました。若いお兄さんは寝ていたのでしょうか?いくら滅多に人が来ないと言っても、開けていなければ来ようもありません。中世後期の建造物の壁一杯に、巡礼の歴史を映画仕立てで映し出すので、その世界に入ったようになります。映像はセンス良く、写本などを交えて中世のルッカの街が理解できます。

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巡礼ポイントの映像

ルッカにも連泊したので歴史中央地区のど真ん中に泊まりました。他の街と異なり、壁の中に歴史的景観を残すことに大変注意を払っているので、現代的ホテルは皆壁の外にあります。かつては洋裁工房だったというサロンで朝食をとり、全ての部屋の作りが違います。感じが良いので評判でもあります。あっという間に2晩が過ぎ最後の街フィレンツェへ。

 

Firenze(フィレンツェ

日本人に最も人気の高い街で、確かに世界に誇る美術作品の宝庫ですが、観光化の嵐に晒されたため、街の景観は酷くめちゃくちゃになり、物価は周辺の街と比較しうんと高く、私は住みたいと思ったことはありません。しかし長く閉まっていた大聖堂美術館が、大々的にリニューアルオープンしたのでぜひ行きたいと思っていました。残念ながらみんなにその時間はありません。

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Cattedrale, Firenze

フィレンツェは最大の観光地なので、日本のツアーも幾らでもあり、個人的に訪問しても簡単に行ける場所です。日本からの飛行機は、ローマかミラーノへ着きますが、フィレンツェにもアメリゴ・ヴェスプッチ空港はあるし、国鉄も、わざわざローカル電車に乗って小さなフィレンツェの駅で降りるなどしない限り、間違えようもありません。だから私の旅ではいつも、ツアーや個人ではなかなか行きにくい場所、説明が無いと楽しみにくい所へ連れて行くことにしています。

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Santa Croce,Firenze

ミラーノ同様、初めての人にはやはり司教座聖堂を見せるべきと思い、駅近くのB&Bから洗礼堂とファサードを眺めながら、ポンテ・ヴェッキオを通過し、ミケランジェロ広場へ。予定ではその上の聖ミニアート・アル・モンテを見学して、ミケランジェロ広場からフィレンツェを一望しそこで夕食、のつもりだったんだけど、みんな翌朝の朝食の買出しに出かけたので聖ミニアートは行けませんでした。私なら朝食より、聖堂を取るけれど、みんなスーパーへ行くのが好きなんですね。それでもライトアップされた眼下の街とダヴィデ像で大いに盛り上がって撮影しまくり、最後の夕食を終えました。夕食は「観光地は高い不味い」の典型ですが、場所代です。いかにルッカの食事が素晴らしかったか、理解できるというものです。

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ミケランジェロ広場から眺めるフィレンツェの街

トスカーナ組は先のロンバルディーア組より1日早く、翌朝帰国しました。私はフィレンツェで合流した大学院時代の友人と街に残りましたが、イタリアの友人たちがマルペンサ行きバスに乗せるところまでお世話してくれました。彼らに感謝💚

 

私と親友の旅はこの後も続きます。

【イタリアの旅】2019年の街:修道士から王室、それにお買い物

全てのイタリアの州を一応回った(カラーブリアだけはちゃんと観ていません)私の今年の旅は、原点でもあるミラーノとトスカーナでした。

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Pavia

ミラーノは初めてイタリアへ行った時に一ヶ月滞在した街だし、トスカーナは研究論文のテーマであるルッカがある州です。回った全ての街(前編のロンバルディーア)と一言コメントを記します。

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Monza

Monza(モンツァ

マルペンサに着きミラーノへ行かずにモンツァへ直行しました。夜の便だったので急いでもらい、時には180キロ近いスピードで飛ばし40分ほどでホテルに到着。メルセデスベンツユダヤ製の警察車両も察知するナビの力を実感したひと時でした。王宮と大聖堂博物館を中心に見学。王宮ではいつものように、女性ガイドを私が通訳しながら部屋を周り、近代の王室の生活が身近に感じられ面白かった。モンツァの人々はいつ観てもおしゃれな人が多く、小さな町が豊かなのが感じられます。司教座聖堂ファサードの修復が終わった頃、再訪したいです。

 

Pavia(パヴィーア)

パヴィーアは住みたいと思うほど、お気に入りの街。ホテルは駅前。歴史中央地区が駅と離れていない場合は、駅近に宿を取るのが断然楽。

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Certosa di Pavia

パヴィーアといえばチェルトーザ・ディ・パヴィーア(カルトジオ会修道院)が圧倒的に観光地として有名ですが、ルネサンスの俗な趣味に毒されたド派手な修道院に住んだ、孤立無援の沈黙の修道士たちを想像するのはかなり困難です。でも博物館もあるしルネサンスを知るには、その建築も合わせて名高いので最初に訪問しました。初めて訪ねたのは20年以上前で、若いアフリカ系の僧が英語で解説してくれました。今回また会えるとは思ってもみませんでしたが、今回はグループツアーで無く、個人的に話が聞けました。当時は二人だった修道僧は7人に増えていました。小さな僧坊のいくつかはきれいに手入れされていて、そこで暮らしているのが分かります。

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小さな僧坊が並ぶカルトジオ会独特の中庭

修道院からパヴィーアの街へ戻り、二日の滞在中にヨーロッパでも珍しい中世初期から中期にかけてのロンゴバルドやケルトの匂い漂う聖堂などを回ります。

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San Michele Maggiore,Pavia

街で最も重要な聖堂は司教座聖堂(カッテドラーレ、ドゥオーモと言われたりもする)とは限りません。教会行政的にはそうですが、歴史的、芸術的には別のことも多く、パヴィーアでは何と言ってもサン・ミケーレ・マッジョーレ(聖大天使ミカエル)です。モンツァで見たヨーロッパ最古の王冠は、この聖堂で戴冠されたのです。他にも独特のこの時代の様式の聖堂や、何と言ってもキリスト教世界全体に絶大な影響を与えたアウグスティヌスのお墓のあるサン・ピエトロ・チェルドーロ聖堂、ルネサンス期のパヴィーアの街を知ることの出来るフレスコを始め、内部が魅力的なサン・テオドーロ聖堂は絶対外せません。

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San Pietro Ciel d'Oro

司教座聖堂は、近世の聖堂にしてはかなり興味深く、その巨大さやシンプルな構造、現代彫刻の取り入れ方などなかなかオリジナリティがあります。夕刻迫る聖堂前広場でアペリティフを飲みました。暗くなり重要建造物がライトアップされてゆく中で、スプリッツアペリティフの一種)をゆっくりと取る。広場の丸い石畳も独特で、映画の中にタイムスリップしたような雰囲気のある時間です。夕食には地元の飲み屋でオッソブーコも体験して、みんな、あまりの内容の濃さに大満足の二日目を過ごしたのでした。

 

Piacenza(ピアチェンツァ

数年前にも行ったばかりですが今回は生徒の方々を連れて再訪します。ここはパヴィーアより大きく、歴史中央地区を歩いて回るだけでもそれなりに時間がかかります。幾つかの聖堂と特徴ある元ファルネーゼの館の博物館が最重要。

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San Savino, Piacenza

ロマネスク好きなら思わず顔がほころんでしまうような聖サヴィーノでは、白黒の愛らしい床モザイクの他、記念碑的な木彫磔刑像が堪能できます。

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Museo Farnese, Piacenza

ファルネーゼの巨大な館はガイドと共に回ります。数年前には私一人だったので、ひたすら中世のフレスコについて彼女と話したのですが、今回はグループだったので決まった全コースです。甲冑や武器、ファルネーゼ家の建築について、中世初期の彫刻とフレスコ、ルネサンスからバロックのフレスコや絵画、最も有名な作品としてはボッティチェッリのトンド、際立った特徴である馬車の大コレクション、世界に誇るエトルリアの肝臓などです。ゆっくり見れば半日は必要なほどの素晴らしい博物館です。

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Cattedrale.Piacenza

とても面白かったのはクロノスという司教座聖堂の裏などを回るツアーです。写真は聖堂のクーポラ(ドーム)の内側に登ったところ。細いむき出しの天井裏を歩き回り、ファサードにある十字形窓から外を眺めたり最高です。そこには現代彫刻が展示され、現代風に映像を使ったイベントスぺースもあります。ちょこっと失敗でしたが(^◇^)

ピアチェンツァへ行ったなら絶対にオススメのツアーです。私たちはイタリア語と私の通訳ですが、多分英語もできるはず。

 

Bobbio(ボッビオ)

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ponte,Bobbio

ボッビオはウンベルト・エーコの「薔薇の名前」のモデルになった場所です。要するに中世ヨーロッパ世界の知の集積地でした。世界中から様々な修道士が集まってきましたが、ここを創建したのはアイルランドからやってきた修道士たち。ケルト文様がいたるところに残っています。

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mosaici、Bobbio

中世初期を知ることは難しく、むしろ古代ローマの方がよほど物が残っているのですが、ここボッビオはそれを可能にしてくれるところです。ケンタウロスとキマイラが戦っています。この床モザイクには十字軍当時の西欧の人々の思い描いた、現実と空想の世界が融合した世界が展開されています。

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De Chirico, Bobbio

ボッビオには先にも書いたように、かつては西欧世界最大の図書館があり、素晴らしい蔵書があったのですが、皆ヴァチカンやアンブロジアーナなどへ持って行かれて、残っているのはケルト文様の断片などです。面白いのは、博物館ではケルトの初期中世に始まり現代美術まで一気に見ることができるところ。キリコのような有名な画家の他、現代美術の巨匠フォンターナの滅多に見ることができない初期作品(磔刑の陶器)や、親しみやすい水彩など幅広く、1時間ほどで1500年の美術を概観できます。巨大美術館は疲れるという人にも最適です。今ではメインストリートは一筋しかない小さな村ですが映画館もあり、質のいいお土産屋もあり避暑地としてはすごく良い場所なので、近隣のイタリア人が週末に訪れます。ピアチェンツァから温泉に来たという夫婦に、郊外のレストランを紹介してもらい、こんな田舎で最高に都会的なおしゃれな食事をしました。

 

Vigevano(ヴィジェーヴァノ

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Vigevano

今回私が初めて訪ねたのが、ヴィジェーヴァノです。たまたま雑誌クレアに特集が組まれていて、掲載されているレストランへも行きました。雑誌に載っていたからではなく地元民に推薦されたからですが。広場は驚くほど美しく、文字通り舞台のようというか映画のセットのようです。広場には白い石で美しい装飾文様が描かれているのですが、それは同時に自転車の通路になっています。他の部分は灰色の丸石ですが白い部分は平らなので走りやすいのです。毎朝自転車で通学や通勤する人々がここを通ります。なんて素晴らしいのでしょう!こんな美しい景色の中を毎日通って1日を始めるなんて。

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Castello Visconti, Vigevano

今年はレオナルドの没後500年祭を至る所でやっていて、煩くもあり嬉しくもありました。写真は、ヴィジェーヴァノヴィスコンティの屋敷から、レオナルドの描いた人物たちが覗いているところ。なかなか素敵な演出です。いつも思いますが、ちょっとした演出が粋でセンスが良いのです。ここではレオナルドの全作品を一気に実物大で見ることができました。個人的に面白かったのは彼の、人体解剖学図とヴィジェーヴァノの修道士のそれとを比較した企画。

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Guido Da Vigevano

あー、恐ろしや中世。もっと穏やかに死にたいものです。グイド・ダ・ヴィジェーヴァノは中世盛期の修道士で医者でもあり人体解剖図や、光学機械を考案したりしました。レオナルドの先駆けというわけです。先に書いた靴博物館もとても面白いし、赤いパンプスを買ったけれどもっとあそこで靴を買うべきでした。何と言っても溜まった場所が、これ以上考えられないくらい素敵なところだったし、ミラノに近いのでみんなを連れて再訪したい場所です。

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部屋の窓から広場を眺める

Milano(ミラーノ)

ミラーノには飛行機が着くので、ここで先発隊を見送り、後発隊を迎えました。ロンバルディーアを巡った先発隊の最後は、ファッション週間だったミラノの博物館巡りと友人宅訪問です。ミラーノへ行くほとんど全ての人に私がお勧めするのは、 ポルディペッツォーリ博物館です。場所といい、大きさといい、内容といい圧倒的にお勧めします。

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Poldi Pezzoli, Milano

1879年に天に召されたペッツォーリの信じ難い美術収集品を元にした博物館です。彼の書斎は趣味が良いかどうかは別として、非常に印象的なもので、特にダンテをモチーフとしたステンドグラスは、コピー作品がアンブロジアーナ博物館にも飾られるなど独創的で大変美しい仕上がりです。金持ち男性が執念を燃やす、武具甲冑の大コレクションに始まり、懐中時計や仕掛け物など、絵画館では見られない収蔵品も面白く、ルネサンスの大芸術も質の高い作品があります。ボッティチェッリの全作品中、私が最も好きな聖母子もここにあります。

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Botticelli

館自体も、金魚の泳ぐ室内噴水に始まり愉しいし、素敵な休憩場所もあり一押しです。ここだけで十分美術作品に出会えるので、特に絵が好きでなければもうブレラに行く必要はありません。が絵画好きなら絶対に行きましょう。このブログにも何度も書いているブレラ絵画館へ。ブレラはファッションの中心、ミラーノでも最もおしゃれな地域モンテナポレオーネやスピガの近くブレラ通りにあります。ということは世界一おしゃれな地域の一つといえるかもしれません。ブレラ周辺は絵画館だけでなく、画廊やカフェ、ファッション関係のお店も何もかもと言って良いほど、アーティスティックな傾向にあり、こちらも素敵な格好をしていないと行きにくい場所でもあります。特に私たちが行った時は世界中からファッションキングやクイーンを目指す人々が集まり、馬鹿らしい格好の(しかしものすごくお金のかかった)人たちも目にできて、さらに面白かったです。

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Galleria, Milano

夜中まで毎日堪能して、有名な場所から全く特殊な場所まで訪問し、食事も素晴らしかったロンバルディーアを後にする先発隊は泣く泣く空港へ向かいました。別れる時にはハグしてくれました。日本人同士なのに、感動の現れととって、一緒に旅してくれたことを感謝します。

【博物館】ブレラ絵画館の金曜コンサート

私は西洋美術史をずっとやっているので、出来うる限り博物館、絵画館、聖堂などへ入ります。普通に入れないところも頑張って交渉します。2019年秋のイタリアでも再訪や初めても含め、あちこち訪問しました。

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ミラノはブレラ絵画館で

写真はブレラ絵画館です。世界屈指の作品が集まる絵画館の一つで、建造物自体がナポレオンも所有した大層なものなのに、指定された夜は2ユーロという仰天の安さ!私が訪問した際は生演奏付きで3ユーロというものでした。夜の十一時までやっています!絵画の時代に合わせたコンセプトで、中世風に管楽器の4重層、ハープと弦楽器の近代、チェロのソロがその中間的な時代を代表していて、雰囲気は最高です。

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ミラノのブレラ絵画館で

ハープの女性が派手だからか、友人が多いのか圧倒的に集客率はハープと弦楽器が高かったけれど、私は文句なしにチェロ。子供の頃からバイオリンを習って、ピアノもちょっとは弾いたし、音楽の授業ではリコーダーでいつもソロパート。家でも毎日のように好きでリコーダーを吹いていました。でも本当はチェロが好き💗もし一人で、時間を気にしないでいいのならずっと聞いていたかった。

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ミラノはブレラ絵画館で

ただ上野と違って、ミラノは気軽には行けないので、コンサートするなら素晴らしい中庭やカフェ、回廊があるんだからそこでやってほしかった。せめてもう少しマイナーな作品の前でできなかったでしょうか。だってそれぞれが最も重要な、美術館が誇る作品の真ん前で演奏するので、それを楽しみにして行った者には最悪です!最初に絵画館が所有する、最大の大作、ベッリーニ兄弟の「聖マルコの説教」の前。異教徒を表す被り物や、空想的な建造物などとても魅力的な作品です。次に、大人気のハープと弦楽器の真後ろには、世界屈指のクリベッリの最高傑作が並んでいます。修復後の状態も素晴らしく、何よりもこれに近づけないのは、怒りというか悲しみというか、あっち行けって感じでした。思い切って観客を無視して絵に近づくとブーイング。ここはコンサート会場じゃなく、絵画館だよね?みんな知ってる?って言いたくなった。最後のチェロは、演奏家も気に入ったしチェロが好きだし、何よりここで重要なのは場所です。彼が演奏していたのはフランチェスコ・アイエツの最も有名な作品、の前ではなく二番目くらいに有名な(私はあまり好きではない)作品の前だったので全然平気だった。めちゃくちゃ勝手ですが・・。ちなみに彼の有名な作品は「接吻」という作品で演奏している壁の裏にあります。

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ブレラのサポーター頁の表紙はアイエツの接吻

正直いって、以前と比較し展示スペースと作品数は物凄く減った気がしました。素敵なお土産屋(とてもお土産とは思えない高級品を売っている)で、絵になっている作品が展示されていないので聞いてみると、新しくなってから一度も展示されたことがないという事でした。非常に残念です。

【博物館】ヴィジェーヴァノと靴博物館

お買い物は全くしない。もしくはほとんどしない、という人もいる。もちろんそれぞれの勝手。私はお買い物が大好きなので、必ずイタリアで買ってくる。服も靴もイタリアのデザインの方が好きだし、変な体型の私にはその方が合うから。

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イタリアを象ったブーツ

今回は何が何でもヴィジェーヴァノで靴を買う、と決めていました。彼の地は、世界で初めて靴工場が作られた場所で、靴博物館もあります。ものすごく面白かった。女性ばかりの旅だからみんなすごく盛り上がった。写真は全て博物館で撮ったもの。イタリアを象ったブーツは、シチーリアとサルデーニャが無いけどそれもある意味真理だし、北イタリアが垂れ下がって形をなさないのも、深読みすれば理解できる。結局ローマを中心とした中部イタリアから半島の南部が歴史的にも最もイタリアらしいのかもしれない。ヴィジェーヴァノは紺色の隠れたギリギリの辺りだろうか。

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現代のデザイナーものもある

博物館はガラガラで私たちだけの独占状態。入り口には街と靴の歴史を語るヴィデオの暗室があって、エステ家のお姫さまの話から始まる。

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ベアトリーチェ・デステの靴

イタリア、ルネサンスなどの歴史を読んでる人には有名なエステ家だけど、ベアトリーチェルネサンス・ミラノの最大の英雄(悪者)スフォルツァ家に嫁いだことで、様々な作品に描かれている。彼女が履いたんだって。へー。へちゃくちゃになってるなー。当たり前か五百年も前の話だもん。革でできた、厚底のスリッパみたいな履物は、時空を超えて私の心に迫りました。これじゃあ走れないなー。運動が得意だったはずなんだけど。靴の本も展示してあり、驚くべき厚底の作り方が解説してあります。

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ムッソリーニらの靴

上は男たちの靴で、アメリカの小説家スコット・フィッツジェラルド、イタリア王サヴォイアはフィリベルト、最後にファシストという言葉を創造したベニート・ムッソリーニの靴です。歴史を知らない人にはなんの感動もないかもしれないけれど、フィリベルトはイタリア史としても、フィッツジェラルドムッソリーニは世界的な歴史的人物。特にムッソリーニの靴は、世界が右傾化する今、背筋が寒くなるような思いでした。

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呆れたデザインの靴たち

こんな呆れたデザインのコーナーもあります。ガガ様が履くかもしれない、いっじょーに厚底な黒い靴、先にヒールがついてる赤い靴、木型そのままみたいな靴、手前のは足指が見えてるらしい?

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ストッキングドッキング靴

どうやって履くのか理解不能な靴もいくつもあって、これはストッキングが張り付いた靴で、実際使用されたものだって。女優さんも大変です。

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マグリッドに捧ぐ

シュールレアリスムの人気芸術家マグリッドに捧げられた靴。彼の初期作品を革で靴に仕立てています。

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中国のコーナー

中国コーナーはムッソリーニよりも怖かった。私は絶対、民族主義者というか差別主義者ではないけれど、纏足は怖い。女性が逃げないように歩けなくするため、幼少期から小さい靴を履かせ続けるテンソクほど人権無視なものは無い。20世紀初頭に廃止されたけれど、現在もまだ纏足状態で生きてきた女性たちが農村には生きている、という記事を読みました。https://www.huffingtonpost.jp/2017/05/29/chinese-foot-binding-was-more-than-an-erotic-practice_n_16862992.html

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日本コーナー

日本コーナーもあります。一国に捧げられたコーナーとしてはこの二つだけで、いかに日本が独自なのか、再確認。個人的にはもっと綺麗な下駄や草履を展示したいです。

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ヴィジェーヴァノ市長の靴

1933年の市長の靴。ヴィジェーヴァノの街の印を付けた革のブーツ。なかなか派手です。

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靴博物館の入り口

靴博物館の入り口にひっそりと佇む靴職人とその弟子。弟子の見上げる姿が愛らしく、ちょっと切ない作品です。

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赤いパンプス

というわけで、当然私も買いました。ヴィジェーヴァノ靴屋さん全部をゆっくり回りたかったけれど、聖堂も行かないとならないし、レストランも行ったしで断念。物凄くかっこいいパンクなお兄さんが、やたら感じが良いお店(クレアに載ってた)でも買いたかったけどサイズがなかった。赤いバックスキンとヘビ皮がイタリアらしい。歩きやすいヒールで、一緒に行ったMさんとお揃いなんだけど、彼女のは黄色でもっとモードな感じ。サイズも違うから全くお揃いに見えないの。このお店でもっと買えば良かった!!信じられない安さで、かっこいいのが沢山あった(今回最大の後悔でした)

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小説を巡って

博物館には「ヴィジェーヴァノの靴職人」という1959年に出版された小説に捧げられた場所もあります。ルーチョ・マストロナルディはこの街出身の作家で、欧米各地に翻訳された出世作は、自身の街を物語るもの。出版当時の靴が並べられています。私は60年代や70年代が好きなんだけど、こういうのもカッコいい!

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Vigevano

文字通り「世界一地美しい広場」にエントリーするのが納得できる広場は、泊まったアパートの屋上から撮影!

 

最後に一言。フィレンツェのフェラガモ博物館より100万倍良かった💓

 

【旅】スーツケース:どんなのがお勧め?

今回は初めて真ん中で二つに分かれるタイプのハード・スーツケースを持って行きました。失敗だった。めっちゃ使いにくい。世の中で最も使われてるタイプで、すっごくお買得(4千円しなかった)ので買ってみたんだけど、もう使わない。仕事で重い大型本を持って行くときに使うしかない。

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今もミラノを走る路面電車

形の自由が利く布製の方がどれだけ使いやすいことか。毎年過激な旅を繰り返してるから、スーツケースも何代目か忘れましたが、昔は大型のハードケースでした。絶対飛行機に預けないとダメなやつ。こういうタイプはもうほとんど使いません。まだ綺麗なローマで買ったのが一個あって、かっこいいから使いたいけど、直行便で時間に余裕があり、あまり街を移動しない旅の時用です。

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真ん中で別れるタイプ

要するに、個人の旅では団体旅行のバスで運んでくれるわけではないので、持ち運びに便利なことはとっても重要。狙われにくいし、列車やバスに積みやすい。荷物が小さければタクシーにだって簡単に詰めるし、数人でも一台で足りるけど大きいと二台以上必要で、イタリアでは電話で呼ばないとならない場合が多いから時間ももったいない。

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ち〜さ〜い車

特に最近は環境問題に適した超小さい車が流行ってて、めっちゃ可愛いけど大きなスーツケースなんか絶対入らない。宿まで車が乗り入れられない時も、引いて歩くのに小さい方が便利。あらゆる意味でアクティブ!

 

でも何より大切なのはロスバゲの心配がないこと。飛行機から先に降りちゃったり、どっかへ行っちゃって届くのに何日もかかったりしたスーツケースを、何回も見てきたから絶対預けない。写真はローマの空港で捕まった窃盗団の記事から取ったもの。

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盗まれたスーツケースの山

繊細な品が壊れる心配もないし、兎に角私は、往路は何が何でも預けない主義。

 

で、話は手荷物の大きさ内でどんなものがいいかって事だけど、私のアクティブ旅行の経験では、布地の柔らかいスポーツバッグタイプに車が付いたものが最高。形が変形して、飛行機内はもちろん、列車のシートの下に入れられたりする。離れたところに置かなくていいから安心。宿でもスーツケースより置くのが楽。ただ今回、一回土砂降りに遭遇したんだけど、その時はハード仕様の人が濡れなかった。布地タイプのスーツケースの人は、内容物が濡れちゃったから、その点はスポーツバッグだっておんなじ。慎重な人は、かぶせるビニールを持ってくと良いね。イタリアは日本よりずっと降水量が少ないんだけれど、世界的に天候が不安定になってるし、雨もありかもしれない。

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墨絵調に決めたアパート

手荷物スポーツバッグだって、パーティー用の服や靴、ジーンズも十分に入るよ。その他大型の軽いバッグが仕込んであって、荷物が増えたら取り出す。普段向こうで持って歩くバッグは機内に持ち込めるから、飛行機で使いやすく、どんな服装にもおしゃれに似合うのがベスト。

 

日本が丸ごと旅してるみたいな、観光バスツアーが好きな人は大型のスーツケースを運んでもらえば良いから、どんな旅にするか、内容によってカバンも決めてね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰国、モスクワのカプセルホテル、台風、ラグビーそして写真

帰国し、「命の危険」なんて言葉が繰り返される台風も、我が家は有難いことに何事もなく過ぎ、やっと落ち着いたのでまた書き始めます。千葉を始め、大変な目にあった方々のために、正しく税金が使われることを期待します。

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生涯追い続けるヴォルト・サントと

今回は、信じがたい幸運続きの旅でした。後ほど書きます。加えて、人生で初めての経験が幾つかあった旅でもありました。帰国便がいつになく、長時間乗り換えにかかったこともあってか(年か?)、いつもはあまり感じない時差ボケが酷くなかなか生活が戻りませんでしたが、やっと戻ってきました。いつも通りの、夜更けに寝て朝みんながとっくに起きた頃に起きる生活です。よく帰国した後は風邪をひいて寝込みますが、今年はそれもなく元気です。大抵一ヶ月ほどの旅が比較的短く三週間ちょっとだったことや、帰国時に寝たことも良かったかも。帰国時に寝たっていうのは、人生で初体験のうちの一つ、カプセルホテルです。しかもモスクワで。長時間待たねばならないからどうしようか考えて、ビザを取って「赤の広場」へタクシー飛ばそうかとかも考えましたが、それにはロシア語を多少なりとも勉強してからと思いやめました。今私が知っているロシア語の文章は10に満たない程ですので危険かな。

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モスクワのカプセルホテル

それに、イタリア滞在中にかなり仕事が入ったので、体力温存のために寝ることにしました。多くの空港には、プライオリティー会員だと利用できるサロンがありますが、これには時間制限があるしベッドがあるわけではありません。ところがモスクワ空港には簡易ホテル(シャワー付き)やカプセルホテル数個があります。ホテルは満杯で、ここで乗り換える人が多いのを実感します。ヨーロッパ、アジア、アラブなどまさに文化の交流地点です。1時間3ユーロのカプセルは長身だと足の先が出るほどで、よく宇宙モノの映画に出てくるような文字通りカプセルでしたがこれも満員。私は1時間待って写真の時間8ユーロのホテルに。前の人が出ると一応掃除してるのも確認。テレビ、WiFi,大きな鏡などあって着替えもできる、小柄な人には余裕のスペースです。空港ロビーと違い荷物や姿勢を気にしなくて済むので、熟睡。

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Cattedrale di Milano

今は写真整理をしながら、ラグビー観戦。ラグビーは、ボクシングと共に私が最も愛するスポーツです。写真整理しながら旅の話を書いてゆきます。

 

【美術館】ブレラ絵画館は西洋美術の最高峰

ブレラ絵画館公式ウェブサイト

https://pinacotecabrera.org/

イタリア語ですが写真も沢山あるのであちこちクリックすれば作品や様子が分かります。

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Bacio

イタリア語ではmuseo(ムゼーオ)とpinacoteca(ピナコテーカ)と大きく分けて美術に関する施設が二つある。ムゼーオはギリシャのムーサ(英語ではミューズ)に由来し、インドヨーロッパ語のあちこちで採用されている言葉だけど、本来は音楽と舞踏、さらには学芸一般の守護女神のことだから、当然美術に限ったことではない。ピナコテーカもギリシャ語由来のピナックスで、こちらは絵や描かれた物を主に指した。ヴァチカンもウフィーツィもムゼーオだから絵画だけでなく彫刻も武具も家具も変なものもあるけど、ブレラは絵画館なので純粋に美術が好きな人が行くべき場所。

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Brera

世界一の西洋美術が何かは明確ではないけれど、間違いなく世界一の絵画館の一つにブレラは入る。イギリスのように他所から集めてきたものではなく、ほぼイタリア国内の作品でできているところが全く違う。しかもあれだけの点数と高い質にも関わらず北イタリア中心。元々イエズス会のもので、17世紀の彼らがどれ程力を持っていたかが知れる。その後マリア・テレジアが購入し、ナポレオンが1809年の彼の誕生日に一般公開しました。

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Mantegna, 1480c

ブレラは大学生だった私の最大の憧れの一つでした。西洋美術史の本にしょっちゅう出て来る有名な作品を沢山所蔵しています。上のマンテーニャの「哀悼」など名高く印象的な作品たち。あまりに巨大で、ミラノの街中に位置するので外観は把握できません。だけど初めてブレラを訪れた私の印象にまず残ったのは、入館する前の記念彫刻でした。それはチェーザレ・ベッカリーアの像。ナポレオンなど世界史のビッグネームが創建したのに、入り口に鎮座するのはベッカリーア。

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Cesare Beccaria

チエーザレ・ベッカリーアはイエズス会で数学と人間科学を学び、1762年にはミラノ国の貨幣の混乱とその治癒策について」をルッカで出版。友人らと雑誌「カフェ」を創刊し、ミラノ大学で法学と経済学を教え始めます。アダム・スミスマルサスなど当時最先端だったイギリス経済学者と通じています。私の父は経済学者だったので、子供の頃から彼の名を知っていました。でもベッカリーアの名を世界に知らしめたのは1764年の「犯罪と刑罰」で、ここで彼は世界で初めて拷問と死刑に反対する論考を展開します。フランス革命に先駆けること25年。封建的刑罰の非人道性を激烈に批判したこの本は、啓蒙君主たちを始め世界を揺るがし近代法制度の精神の礎となるのです。あまりにも具体的で恐ろしい事実が克明に表わされ読むのは辛いが、彼の主張自体は人間精神の高貴と善に溢れたものだ。犯罪の抑止は、拷問と刑罰ではなく教育によってなされるべきだという彼の一貫した姿勢は、現代社会、日本にも最も必要なものに、私には思えます。ちなみに現代イタリア語の基礎を築いたアレッサンドロ・マンゾーニは彼の孫で、代表作「婚約者」はイタリア人なら嫌でも知っている小説。

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Raffaello Sanzio

あー!入館前にすっかり時間を使ってしまいました。ベッカリーアの名を知ってる日本人が全然いないのは心から残念!!とともに絵画館入り口に設置されているのを見て、イタリアの偉大さを痛感しました。で、二週間後、私の旅では木曜の夜にブレラを訪れます。なんと9月の木曜は18時以降たったの2ユーロで入館できる!!!!!今日のレートで243,73円!!!千分の一も所蔵作品が無い日本の美術館の入館料は百倍近い💢
そんなこと言うならイタリアへ住めと言う人がいると思うし、自分もそう考えたことがありました。でも我ながら失敗だったと思うけど、日本に少しでも良くなって欲しいのです。良くするためには改良すべきところを認識する必要があります。

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Francesco Hayez

で、美術館について残念なことですが修復の問題。これは無数に作品を所蔵するイタリアでは当たり前のことで、一年中何かは修復しています。今回も上記のラファエッロの「聖母の結婚」やボッチョーニとともにアイエツの自画像なども観られません。フランチェスコ・アイエツは近世を代表する最後の巨匠と呼びたくなるような画家です。一番最初の「接吻」はあまりにも有名であちこちで商品化されています。「接吻」はその単純化された愛の表現が普遍的なもので人気があるのですが、実は非常に複雑な作品で、歴史的、政治的意味を持っています。いつか授業でも取り上げたいと思います。

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Giorgio Morandi

ブレラにはこういった抽象画もあり、モジリアーニのように日本人にも馴染みの画家の現代の作品もあります。彼はエコール・ド・パリの画家として知られていますがイタリア人です。

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Piero della Francesca

イタリア美術や中世〜ルネサンス美術を勉強している人には、このピエロ・デッラ・フランチェスカの作品が目的かもしれません。個人的には、ピエロは他の作品の方が好きですが。

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Cima da Conegliano

この画家を知ってたら通ですが、作品はしばしば目にするもので、ヴェネツィア派らしい色彩感覚と筆使いで、こういった作品群はブレラの中心をなすものです。私は、頭にナタ(斧、ナイフ)が刺さった殉教者聖ドメニコ主題に取り憑かれて、いっぱい観ていますが、この作品は実にまとまった典型的なものです。

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Pellizza

この作品は美術史に加え、イタリア史を読むと出くわす作品です。1901年に描かれた大画面の作品は、ピエモンテの労働者が、彼らの置かれた悲惨な状況に対し蜂起した史実を描いたもの。画家ジュゼッペ・ペッリッツァはこの運動を見て心を打たれ、画家もまた社会に対して表現すべきと感じたと書いています。労働運動を率いるのは、彼女の夫なのでしょうか、幼子を抱いた女性が心配しているようにも見えますが、彼とは個人的には無関係の彼女も自ら運動に参加しているのかもしれません。この作品の評価は非常に高く、様々な研究もあります。「労働者よ連帯せよ」というメッセージは明確で、世界中の労働運動の象徴となりました。作品としてはディヴィジョニスタとして出発した彼らしく、近くで見ると線点描方のようにぼやけた色の集合で描かれ、顔など全くはっきりしません。離れればそれが返って空間や時間の広がりを感じさせるし、顔が明確でないことがむしろ全ての労働者を象徴しているようにも見えてきます。感動しました。

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Bellini

感動したというか、圧倒されたのはジェンティーレとジョヴァンニのベッリーニ兄弟の作品。フレスコでもないのにこんなに巨大。無意味に巨大な作品の多い昨今と違い意味のある巨大さです。見れば見るほど興味深く、ヴェネツィアでなければ生まれなかった作品です。彼らは一族でヴェネツィア美術の基礎を作りました。

 

とても書ききれないので筆を置きます(この表現、絵を描いていた私としては好きです)が、ティントレットやクリヴェッリなど印象に強く残った作品が目白押しです、カラヴァッジョに着く頃には疲れ切っていました。

 

【西洋美術】ルネサンスの曙;知られざる最高の彫刻家たち

美術が好きだという人、西洋美術、イタリアは特にいいねとか言う人に「どんな作品が好きですか?」と質問して、答えてくれる人はほとんどいない。たまにミケランジェロが好きとか、やっぱりダヴィンチでしょ、とか言う人がいる。

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Matteo Civitali

私はそんなつもりはないのに、人を追い込んでしまう。幼い頃からそうで、母を質問責めにして嫌われた。いつも父に聞けと言うので、母は何も知らないのだと思うようになった。会話を続けるためにも、無知だと思われないためにも何事か答えるのは必要だと思う。別に美術作品なんて、誰のどの作品が好きだって自由で、答えが間違ってるなんてことも無いんだし。バロックとゴシックを取り違えていたり、たまに大間違いなことを言う人はいるけど。

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Jacopo della Quercia

中世から近世への移り変わりの時期、ルネサンスの曙期には素晴らしい芸術家が山ほどいる。中でも彫刻家に傑出した人が多い。にも関わらず一般に知られているのは盛期から後期ルネサンスのレオナルド(ダヴィンチのこと)とミケランジェロ、ラッファエッロさえ知らない人がいる。これはとても残念だ。美術好きな人にぜひ知ってほしい。今回の旅ではトスカーナを訪問するので彼らの作品に多く出会うことができるでしょう。

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Jacopo della Quercia

シエナのヤコポ・デッラ・クエルチャはミケランジェロも研究した当時最大の彫刻家で、夢のようなゴシックの街シエナを作るに大いに貢献し、最も美しいと様々な詩に読まれた墓碑彫刻をルッカに残した。このイラリア・デル・カレットの墓はその美しさのゆえに破壊を逃れた作品で、何世紀も眠り続ける彼女の足元には心配そうな子犬がいて哀れを誘う。

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Agostino di Duccio

フィレンツェ空前絶後のドナテッロを輩出したが、ギベルティ、ブルネッレスキ、ヴェロッキオなどルネサンスを起こした大立者が揃うだけあり、ここで活躍した彫刻家も多い。上のアゴティーノの作品はなんだか現代彫刻のような趣きさえあるが、古代研究を示すフィレンツェルネサンスの一例。

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Mino da Fiesole

この有名なミーノ・ダ・フィエーゾレ作コジモ・デ・メディチの胸像は、いよいよ古代ローマルネサンス。中世には考えられなかったような立体感を持ち、堂々としている。初期ルネサンスがどれだけ勢いのあった時代かが慮られる。

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Desiderio da Settignano

誰よりも繊細で脆い、儚さを表現することができたデジデリオ・ダ・セッティニャーノの作品には、珍しく子供が多い。子供が美術作品として表現されるようになったと言うこと自体、父権的封建的な古代からの脱却を感じさせる。彼が早世したのはつくづく残念だ。

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Antonio Pollaiolo

筋肉と骨格の人体解剖学に高い関心を示したポッライオーロは、格闘する男性の肉体表現で一躍人気を博したが、こんな美しい女性像も作っている。兄弟で活躍した。

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Bernardo Rossellino

美しい女性像は沢山あるが、やはり聖母子にかなうものは無い。大理石の質感を生かした優しくも威厳のある聖母子像があちこちで見られる。

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Matteo Civitali

状態は悪いが、私には大変美しく映る聖母子。もうお分かりの通り私はマッテオ・チヴィターリを愛して止まない。木彫やテラコッタなど、素朴な素材を使った作品が特に素晴らしく、フィレンツェと入れ替わりに栄華を失ってゆくルッカの反映か、より宗教的で精神的な雰囲気を持っている。

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Matteo Civitali

これは私が撮影した数えきれない作品の中で最も気に入っている写真。名刺に使ってる。マリアの優美さもさることながら、生まれたてのイエスがいきなりマリアを拝むその姿が汚れない。釈迦も生まれたてで天を指差し「天上天下唯我独尊」といったと言うから、やはり神に近い人は違うね!

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Luca della Robbia

チヴィターリも一家で活躍したが、一族で長年隆盛を極めたのがデッラ・ロッビア家。焼き物を芸術の域に高めヨーロッパ中へ作品を送った。何人も一流の美術家がいるが、時代とともに雰囲気も変わる。私は初期のシンプルな力強さに満ちた作品が好き。

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Benedetto da Maiano

最後に最もルネサンスらしい、中世の神からこの世の人間への意識の転換、を如実に表すのがベネデット・ダ・マイアーノだ。いつ見てもその迫力に圧倒される。聖人像も素晴らしいが、モデルを写した作品には鬼気迫るものさえある。

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チヴィターリの像

ルッカの街の中心、古代ローマのフォーロにある大天使ミカエル大聖堂を前にしたマッテーオ・チヴィターリの像を後ろから。

 

【西洋美術】モザイクに見る技法と分別、さらには芸術

今は展覧会へ行くと、展示作品の解説欄に「ミクスチャー」とよく書いてあります。要するに今までの定番の技法では説明できない、様々な技法の混合、さらには謎の新しい技法などを指して言います。特にエルンスト以降、油彩、アクリル、版画の様々な技法さらには立体物を貼り付けたりするコラージュまで加わるのが当たり前になります。

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エルンスト

デュビュッフェが、拾ったゴミも芸術になると証明し、精神病患者や子供の絵画などへ興味を持ち、提唱したアール・ブリュット(醜い芸術)運動以降は、益々なんでもありになっていきます。

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デュビュッフェ

ちなみに、私はエルンストもデュビュッフェも大好きです。イタリアでわざわざエルンストの大型本を買ってきたし、デュビュッフェに至っては弟のお土産にポスターを苦労して持ち帰ったほどです。正直いって、二人は大芸術家で、アンリ・ルソー以来の素人画家(ナイーブ・アート)とは比べることはできません。ルソーやナイーブ(素朴派ともいう)の人たちの作品は時に大変感動的でさえありますが、エルンストやデュビュッフェが持っている土台(素描の力、構成力や色彩表現など)となる基礎に欠けていて、私はそういったものを芸術作品と捉えることができないでいます。

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ルイ・ヴィヴァン

素朴派の画家では特にルイ・ヴィヴァンが好きで、真似して作品を描いてみたいと思ったこともあります。しかし素朴派の良さは、技法や内容ではなく、まさに魂そのものが映し出されたような純粋なところなので、真似することは最悪の事態、全く作品を理解していないことになると考え直しました。真似するならやはりデル・サルトやミケランジェロシスレーマティスのような基本ができた大芸術家に決まっています。そこからは誰もが美術を学ぶことができるでしょう。

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デル・サルト

とにかくミクスチャーのような現象は新しいもので、かつては大まかに技法や様式に分別できました。なんでも分別するのがいいとは限らないのはよく分かっています。どうしてもぴったり来ない作品や、無理に分別した感じの物、どこにも属さない新しい分野を作らないとならないように感じる場合が出てしまうからです。しかしそういった問題を意識していれば分別は大変役に立ちます。全ての作品や画家を個別に記憶するのは無理ですが、こういった様式のこんな技法のこういうテーマのいつ頃の作品と言えば、作品を想像できます。


伝統的には、西洋絵画の技法をザクっと言ってしまうと次のようになります。

モザイク、象嵌、フレスコ、テンペラ板絵、油彩(キャンバス)、水彩(紙)です。

浮き彫りや版画が入っていないのは、今は絵画に絞って考えているから。

でこの順番は①歴史が古く②高額③技術の難度が高い④堅牢さ(持続年数)とほぼ一致しているので、モザイクほど珍しくなります。高額なのでもともとどこにでもあるわけではなく権力、経済力と結びついた場所にありますから大画面にもなり、とにかく希少価値が高いのです。新しい技法ほど、経済的で小品になり個人的になるので数はいくらでもあるわけです。

 

とかいうとモザイクは高貴で豪華な代物に思えます。地中海や古代ローマの貴族の館や大聖堂を思い浮かべれば簡単です。

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ヴァチカン

ところが実際には笑ってしまうような可愛いモザイクもたくさんあります。

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チェスでズルをする人?

これはピアチェンツァの聖サヴィーノ聖堂クリプタのモザイクです。クリプタというのは地下礼拝堂で、聖堂を捧げた聖人が眠るのが基本ですから、とても重要な場所です。そんなのにこんな柄で良いの?と思うような絵がロマネスク時代にはあちこちで作られました。

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モンスター同士の戦い

こちらはボッビオのクリプタで撮影しました。暗い上、私の身長では苦しい撮影で良い写真が無いのが残念ですが、実物は白地でハッキリと図柄が見えます。頭が胸についた怪物は実際にいると信じられていました。ウルトラマンジャミラは完全にこれが原点ですね!ドラゴンと書かれているのが見えます。この床にはいろんなデザインのドラゴンがいてなかなかオシャレです。

 

こう言った、高い技術を要する職人芸とは到底思えないものが中世盛期には珍しくありません。古代の恐るべき自然主義はどこへやら、暗黒の中世美術はこんな感じです。暗黒は結構明るいものかもしれません。

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古代ローマのモザイク

確かにこのローマの作品は素晴らしく、立派な芸術でしょう。上手いことこの上ありません。職人芸といったほうがいいでしょうか。人は、なんとなく昔は下手でだんだん上手になるような錯覚を知らず知らずに抱いていますが、ヨーロッパではそれが全く通じません。しかしこのスキのない作品とゆっる〜いロマネスクモザイクとどっちが好きかと言われれば人によるのではないでしょうか。

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パレルモのノルマン王宮

これも最高に素敵なロマネスクモザイクです。西洋東洋ビザンチンロマネスクアラブキリスト教聖俗と合わさりまくった感じが楽園の風景にあっています。

結局芸術とは何かは永遠のテーマですが、私には大切なもので、それには教養と感性が関係して、人間と文化というものを考えさせる何かがあると思わせるのです。

 

【イタリアの街】中世ヨーロッパの国際的大都市ピサとルッカの重要建築

ヨーロッパ建築関連の本を手にすれば間違いなく大きく扱われているのがピサの司教座聖堂とその一帯の空間「奇跡の広場」。一番新しく圧倒的に奇妙で世界の七不思議の一つになる程有名なピサの斜塔は、その一角にある。奇跡の広場を訪問したことがある人は世界中に大勢いて、日本のツアーにもよく組み込まれている。でも多くの人からツアーで寄っただけだからちらっとしか見ていないと聞かされる。なんというもったいない話だろう。一日でもいられる程の歴史や美術が詰まった場所なのに。

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S.Michele in Foro,Lucca

一方フィレンツとピサからすぐにあるルッカを訪れる人は、その2都市に比較し物凄く少ない。私が大好きなのももしかしたら関係あるかもしれない。観光地化によって汚されていないで頑張っているから。両方へ行ってみれば一目瞭然なことがある。それは重要建造物の様式が非常に似ていること。1枚目の写真は、ルッカの街のど真ん中に位置する聖ミカエル大天使聖堂。古代ローマのフォロ上にあるのでサン・ミケーレ・イン・フォーロという。ルッカローマ帝国の歴史を変える重要会談のためにカエサル(イタリア語ではチェーザレ、英語ではシーザー)が滞在した場所で、当時の面影があちこちに残って居る。

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Duomo, Pisa

ピサはとても有名だから色んな人が結構素敵なサイトを作っています。イタリア語だけれど写真だけでも十分綺麗で分かるから以下のサイトを見てみて。

https://www.itinerariapicta.it/pisa-piazza-dei-miracoli-il-battistero-e-il-duomo/

イタリア全州を旅して辺鄙なロマネスク聖堂まで観て回っている私の感覚では、建築様式は土地によって非常に大きな差がある。ヨーロッパが初めてで何も知りませんっていう人だと、イギリス、フランス、イタリア、スペイン、ドイツはなんとなく違うね〜、くらいかも知れないけど。中央ヨーロッパも全然違うし、ロシアをヨーロッパと言わないならば、それにしては似ているとか、アラブやアジアにもヨーロッパ風の建造物があるねとかから始まって、なんでも知れば知るほど違いが判るようになるのは当たり前。

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S.Martino Duomo, Lucca

ルッカの聖堂写真が夜の写真なのは、ルッカで一番重要な日9月14日の光の祭典(聖顔ヴォルト・サントの祭典)の時に、夜中の12時過ぎまで町中歩いて行列を追ったりするんだけど、その時のものだからです。上の写真は、非常に残念なことにファサードの頭が未完成なまま放置されてしまったルッカの大聖堂。合体した塔、意匠の意味を紐解き始めると、オタクなので何日でも居られます。私の論文のテーマとなった聖顔の十字架はこの中に御坐す(おわしますって読む)。

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S.Maria Forisportam, Lucca

重要聖堂を見ただけで様式がそっくりなのが誰にでも判ると思うけど、より小さい聖堂にもこのピサ・ルッカ様式のロマネスクが見られます。ロマネスクってゴシックと違って、地域差が大きくこれもロマネスク様式なの???と感じる人は少なくありません。でも西欧中のロマネスクで最も華やかかつ繊細なのがこのピサ・ルッカ様式。

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S.Giusto, Lucca

ロマネスク聖堂はどれも古代ローマの半円アーチを持っていますが、ルッカ・ピサ様式では、コロッセーオを思わせる円柱の回廊が何段にも重なってファサードに現れる。

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S.Paolo a Ripa, Pisa

華やかなのは化粧板に大理石の聖地カッラーラの真っ白な石を基礎にプラートの緑の石を横島に入れ幾何学的にまとめて居るため。

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Doumo, Pisa

近くからよく見ると細かい意匠が所狭しと施されています。色大理石の他にマヨルカ焼きの陶器やガラスの練り物も使われます。それでもピサのファサードルッカに比較し、ずっと落ち着いて見えます。それは柱に衣装が無いから。

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S.Martino.Lucca

これは私のデスクトップ写真ですが、ルッカ司教座聖堂ファサード一部です。空間が怖い病気ではないかと疑いたくなる程、浮き彫りや象眼細工がなされています。全ての円柱は異なったデザインで、近くから見ると統一感どころではありません。浮き彫りはいかにもロマネスクらしく、足を開いた人魚や噛みつき動物や謎の動きをする人などがいますが、どこかアラブ的、イスラム的東方的です。

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S.Michele in Foro,Lucca

中世初期、コロンブスはまだまだ現れません。そんな時代に遠隔貿易を盛んに行えていた地域は少なく、ピサやルッカは最先端な国際都市でした。ヨーロッパ最古の中世のお金はルッカのものだし、絹織物を産業にしたのもルッカが最初でした。商品は布に包まれていますが、この布の模様が職人たちを刺激し新たな文様や意匠が生まれたというのには説得力があります。日本のカステラの語源説も一つはこれです。カステラとはお城が訛った言葉ですが、あのお菓子が包まれていた布の模様だったとか(本当かな?)。

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Piazza dei Miracoli, Pisa

共通点はまだあります。イタリア語ではFacciata a salienteというのですが、上昇するファサード、飛び出したファサード、目立ったファサードなどという意味です。起源はローマの教皇座旧聖ジョヴァンニ・イン・ラテラーノですが、実際の建造物よりもファサードを大きく作る方法です。

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神田

昔は日本にもこれを真似した建物がたくさんありました。神保町辺りへ行くと未だにお店がそんな作りになっていて面白い。

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S.Michele in Foro, Lucca

この見せかけファサードとか書き割りと言ったりもする建築方法はヴェネツィアなど他の地域にもありますが特にルッカ・ピサ様式には多く、その極まった例がルッカの大天使ミカエルです。これは大天使を後ろから撮影したところ。どこかとぼけた脇の甘い天使たちは黙示録の終末を告げるため、最後の審判の笛を吹き鳴らしています。これを撮影するためには塔に登らなければなりません。

 

【イタリアの街】かつてはブルジョワの長期滞在型治療、今はエステの街のモンテカティーニ

マドンナの究極の美容ブランドの源がモンテカティーニ・テルメのものってことで、カタカナで検索するとそんな内容が出てくるけれど、ここはヨーロッパで最も有名な温泉治療地。

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MontecatiniTerme

テルメは温泉という意味なので〇〇テルメという地名はあちこちにあり皆温泉が出る場所。イタリアは火山地帯だからあちこちに〇〇テルメがある。中でもここモンテカティーニ・テルメは460,000m2の敷地面積も療養施設の数も群を抜いていて、古代ローマ時代から有名だった。

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温泉プール

ルネサンスの科学の明星時代15世紀初頭には、水の効用が公式に認定されレオポルド1世時代に大人気となる。絵を見るとなんだかモンテカティーニ・テルメの象徴的な建造物を指差しているみたいに見えてくる。

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Leopoldo

モンテカティーニの中心にある優雅な温泉治療施設に入るとすぐ目に入るのが、この柱廊と泉。円形屋根の下ではピアノ演奏がされて、緑に囲まれながらゆったりくつろぐ場所。周囲の公園をお散歩する人々がいるが、せわしい雰囲気は全く無い。

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MontecatiniTerme

60-80mの地層からくる水は地表に現れるまでに無機塩で細菌が殺されるので処理が必要ない。泥療法、水浴療法、水中マッサージ、温泉プールの運動療法などなど、全ての治療に全く天然のお湯が使われる。

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色んな種類の飲み水

特に飲む療法が基本で、この新古典主義ロココ様式が混ざった全く優雅な廊下には、ずらっと温泉水の蛇口が並んでいる。一つ一つそのお湯がどこから来るかが書いてあって、効能なども記されている。飲み比べると明らかに味が違うのが分かる。

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サロン

建物の中に入るとまた豪華だけれど、王侯貴族のお屋敷にありがちな、これでもかの金ピカとかでは無く、近世のブルジョワを思わせる落ち着いた雰囲気。いちいち家具などが重厚でカッコいい。本、お茶などちょっとしたお土産も売っている。

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木のサロン

こちらは打って変わって現代建築のモダンアートのような素敵な空間。石造建築が基本のイタリアにあって木材で森林空間を表現している読書室。図書館と読書室があるところが、私にはとても印象深かった。日本のただただあそびほうける遊園地的空間とは全く違った、真の大人の施設。遊園地は当然あってしかるべきだ。私だって子供の頃は大好きだった。子供の頃はね。肉体とともに精神と頭脳も成長するべきでしょ。

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街の真ん中の回転木馬

子供で思い出したけど小さな街の真ん中には回転木馬が置かれていて、時々子供が乗っていて可愛い。夜になると灯りが入って高い建物がほとんどない広い空間に活気をつける。他のイタリアの旧市街と違い聖堂や重要建造物が全く無いモンテカティーニ・テルメは、温泉療法に来る人たちの宿だけでできている。空間は開け、真っ直ぐな道が遠方の山へ続いている。

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可愛い登山電車

山の上モンテカティーニ・アルトへは凄く可愛い登山電車かバスで行く。行きは絶対これに乗ろう!窓が開いていて爽快!

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MontecatiniAlto

絶対このモンテカティーニアルトで夕食。ちっちゃーい中央広場には可愛い礼拝堂や劇場もあり、中世の街があったことがわかる。私的には本当はこっちへ泊まりたかったんだけれど、宿も小さくて6人が泊まれなかったの。それもまた良い感じだ。ここからテルメの街を見下ろし、路地の聖母子や子猫に出逢ったのがとても良い思い出です。夜遅くテルメの歴史的ホテルへ戻るにはもう登山電車はないから車。

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MontecatiniTerme

翌日はエステしたい人はエステ、町歩きでお買い物したい人はお買い物にしようかな。安全極まりないところだから。

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エステの殿堂

エステには色んな種類があって当然金額も違う。正直言って、私の経験では日本のエステの方が、頑張って施術してくれる感が強い。イタリアでは基本ほっておかれる。ただ何と言っても泥だらけになったりして、塩の上だろうが生ぬるいバスタブだろうが寝転んでいる空間の広さと豪華さは雲泥の差。不安になるくらい広い空間にポツーンと一人で大理石のバスタブに浸かって、神々に見守られている。どっちが気持ちいいかは人によると思う。

 

 

【博物館】ピアチェンツァの肝臓とファルネーゼのお城

西欧史や美術史を読んでいるとよく見かける謎の物体。一昨年撮ってきたんだけれど、分厚いガラスケースに入っていたので私の腕とカメラではこれが精一杯でした。

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Fegato di Piacenza

巨大なファルネーゼ家のお屋敷は今は博物館となっていて、ボッティチェッリのトンド(円形の贈り物としてよく描かれた絵画)など、中世から近世にかけての絵画やフレスコを十分堪能した後で、打って変わって馬車コレクションが延々と続き、イタリアではつきものの考古学資料館が併設され、歩くだけで疲れる巨大な建造物の最後の最後に、全く特別な展示室があり、現代美術の部屋になるのかと思いきや、ルパン三世が盗みそうなガラスケースが部屋の真ん中にポツーン。中には燦然と輝くダイヤモンドの替わりにエトルリアの肝臓と呼ばれる青銅製の物体がある。

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Fegato di Piacenza

紀元前2世紀から1世紀末に作られ、占いに使われていたことは分かっている。キリスト教が普及して、異教的=非科学的=怪しい占いやおまじない、呪いの類が廃止されこの職業の人たちもいなくなった。よく見ると文字が書いてあって、何やら線が引かれて丸印も見える。肝臓は人間のではなくて羊の肝臓をモデルにしていて、ちょっとは一安心できる。

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Villa Giulia,Roma

ピアチェンツァの肝臓はこの類で最も有名なもので、こう言っていいのか分からないけれど、なんとなく美的で魅力的だ。実際にはもっと古いものがメソポタミアなどで排出されていて、世界の博物館にある。写真のはローマにあるテラコッタ製の紀元前4−3世紀製。

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英国

さらに古いものが大英博物館にある上の写真のものだけれど、なんか美的じゃないからか魅力を感じない。

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Fegato di Piacenza

そこいくとやっぱりピアチェンツァのはどこからみても、現代彫刻みたいな趣がある。これは裏から見たところ。エトルリア文字があちこちに書いてあるけれど、どうやって占っていたのかは文字資料が見つかっていなくて分からないらしい。もともと特別の臓器占い師が専門職としているんだから、秘密なのかもね。古代社会らしい!これも長年見たくてやっと数年前に拝めました。

 

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馬車など

馬車なども、見たことがないくらいたくさん揃ってる。有名人(王侯)が乗った赤ちゃん用の馬車とか、消防車とか特に車に興味のない私でもとても楽しめた。

 

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Botticelli

絵画部門の最大の売りはボッティチェッリのトンド(円形の額)。非常に丁寧に描かれていて、後期の作品に漂う悲壮感が見て取れる。プラートのところで紹介したフィリッピーノ・リッピの作風ととても近いのもよく分かる。親方(フィリッポ・リッピ)の弟子と息子である彼らはとても親しく、歳の近い親子か歳の離れた兄弟のようだった。私は勝手にボッティチェッリはフィリッピーノを愛していたと思っている。二人ともこれ以上なく成功した画家で社会的地位も高く、しかもイケメンだったのに結婚しないで子供も残さなかった。お父さんとなんという違いだろう!二人の画風には後期になればなるほど、悲壮で神経質な印象がつきまとう。もちろんフィレンツェという国自体の没落や社会不安が大きいけれど、個人的な悩みもあったことがボッティチェッリに関しては証言があるから。一般には「春」や「ビーナスの誕生」ばかり人気があり、あとは無視されがちだけれど(というかあとは堕落のように言われたりもする)私は、二人とも生涯を通じて大好きな画家です。

【修道院】カルトジオ会の世界で最も有名な観光修道院チェルトーザ・ディ・パヴィーア

修道院制度はプロテスタントにはありません。マルティン・ルターがヴィッテンベルクの門に95か条を打ち付けた(有名な伝説で歴史上は疑問が持たれている)のは、1517年で16世紀です。キリスト教はわざわざ言うまでもないけれど1世紀から存在します。私たちのカレンダーがキリストの誕生でできているのを、どれだけの人が考えたことがあるでしょうか?

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San Bruno

1世紀から存在するキリスト教は極めて早い時期から修道制度を持ちました。最初は砂漠に自ら修行へ行く、隠修士と言われる人々が尊敬を集めるようになり、だんだんと制度化されます。修道院制度についての本は結構日本語で読めるものもあるので興味のある人は是非読んでください。キリスト教の発祥は東方ですから当然修道院制度も東方で生まれました。西方修道制は後に確立され、その最初はベネディクト会です。

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certosa di Pavia

それが中世になりヨーロッパ中がキリスト教化されていく内に、修道士たちは隆盛を迎えます。様々な修道会ができました。乱暴に一言で説明すると、信徒たちと交わりミサを施したりお世話するのは神父様。人里離れ、世界の救済のために祈りを捧げ厳しい生活に身を捧げるのが修道士。と言うことで、本当はデブの修道士とかは居るはずがないのですが、大修道院に王侯貴族や庶民もお布施をしまくると、清貧のはずの修道会はお金持ちになってしまい堕落が始まります。するとその改革運動が起こり、より厳しい修道会が生まれる、と言うことの繰り返しで、中世最大の巨大修道院となったクリュニーや先のブログに書いた聖ベルナールのシトー会、アッシジのフランチェスコフランチェスコ会、大神学者を大勢輩出したドメニコ会、神の軍隊といわれ日本にもやってきたザビエルが属するイエズス会、近代のサレジオ会、クッキーやバター飴で有名なトラピストなどなど正直言って無数にあります。

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facciata

このパヴィーアにある今や大観光地の修道院は、最初の写真、ケルンの聖ブルーノによって作られた修道会で、チェルトーザとはイタリア語発音でカルトジオ会と言います。聖ブルーノは偉大な聖人ですが政治的な人ではなかったし(聖ベルナールはフランス王に絶大な影響を与えたし、聖人には時々かなり政治的な人もいます)イタリア人でもないし、とにかくあまり良い美術作品がありません。私が一番好きなのは、写真のヴァチカンは聖ピエトロ寺院の身廊にある大彫刻です。初めて見た時から、あの巨大バジリカに無数にある素晴らしい美術品の中でも特に好きな作品です。

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大いなる沈黙

カルトジオ会の特徴は2014年制作のドキュメンタリー映画「大いなる沈黙」にある通り、沈黙です。だから、どのカルトジオ会も非常に不便な場所にポツンとあります。なのにルネサンスの成り上がり大貴族のお墓のために作られたパヴィーアのものは、派手さこの上なく聖ブルーノの顔に泥を塗るようなものですが、それはアッシジでも同じこと。

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お墓

ミラノの君主イル・モーロのお墓のため。ところが彼はフランス軍に囚われて客死するので実際は空なんだけど。

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affresco

中のフレスコには、この聖堂を聖母子に捧げる人々の姿が。超ルネサンス的です。中世ではこんな事罰当たりって感じでしょうか。製作には数百人の建築関係者が関わっていますが、彼らの多くはミラノ司教座聖堂を作った人々で、ミラノでの失敗をここでは解消し、ゴシック的=中世的古臭い聖堂を、より明るくルネサンス的にしています。

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天井の家紋

この素晴らしい天井が至る所にあるのですが、真ん中のおどろおどろしい太陽みたいのはヴィスコンティ家の家紋です。

 

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ドームの解消

この柱、ドーム、屋根の仕組みはミラノ大聖堂と基本的には似ていてもずっと快適で光が入るように工夫されています。要するに聖堂というより宮廷的になっています。

 

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僧坊と中庭

カルトジオ会の修道士にとって最も多くの時間を過ごす僧坊と中庭です。かつては薬草園で、今も当時の薬草百科辞典のような写本お土産とか売っています。カルトジオ会は何事も一人で独力で行い会話しないのが基本なの、全員の小さな僧坊があります。ドローン写真をみてください。細かいのは僧坊なのです。

 

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affresco

いくら観光地とはいえ、本来の在り方や聖人の理想も尊重して訪問したいものです。


 

【博物館】プラートが誇る聖母の腹帯と国立フィリッピーノ・リッピ芸術院

ルネサンス好きの人には大人気の、不道徳な女狂いの修道士フィリッポ・リッピ。画家としては「彼によって初めて生きた女性が描かれた」と言わせるほどの素晴らしい画家。女性が可愛くて綺麗なんだけど、お爺さんも実に生々しく描いています。そんな彼の出身地がプラートです。最大のフレスコや初期作品、重要な祭壇画など沢山あります。

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Filippino Lippi

で、その彼が大美人修道女に産ませた子供がフィリッピーノ(本当はフィリッポだけど、父と区別するために小フィリッポという)で、彼もフィレンツェや宮廷で成功した画家となり、親子共々国葬されました。10歳にもならない頃から父の作品の手伝いをしていたようで絶大な影響を受けていますが、大人になるに従って父のおおらかさが失われ、繊細で神経質な息子の画風が現れます。忘れてならないのは親子の間には、かのボッティチェッリが存在すること。彼らの作品は、優美な線の美しさと華やかさで、フィレンツェのガチンコ風(ジオット、マザッチョ、ドナテッロ、ミケランジェロを思い描けばいい)とは全く異質のもの。

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Filippino Lippi

博物館ではフレスコの壁龕が再現されています。良い展示方法です。なぜなら聖堂のフレスコは、描かれた内容とそれが存在する場所との関連が非常に重要だから、一枚の絵のように切り離して展示すると元の意味が解らなくなってしまうのです。もちろん構図や色彩の配置、光の具合など全てが計算されていますから、理想は本来あった場所に当時のような環境で鑑賞できるのが良いんだけど、聖堂が壊されたり、痛みが激しかったりなかなか思うようにはいきません。

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Filippino Lippi

中央の聖母子を礼拝する聖人たち。フィリッピーノらしい、やたらスタイルの良い美形の男女に古代ローマの大理石意匠。アンドレア・デル・サルトの「ハルピュイアの聖母子」を思い出さずにはおれません。額縁から今にも飛び出しそうな聖女の立体感が素晴らしい。流石ルネサンスの申し子です。でもやっぱり一番嬉しいのは、かしずく聖女と殉教聖人の方に身を乗り出すようにした、アンニュイな幼子イエス。全体を見ると聖母子と聖人たちの関係が明確で、二次元の絵画とはいえ建築の一部であるフレスコ壁画の良さが際立ちます。聖母子の頭上で手を合わせて祈る天使たちも、やけにリアル。

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Filippino Lippi

そんな故郷の偉人を讃えるべく、プラートには息子フィリッピーノ・リッピの名を冠した国立総合美術学院(日本語の訳は私の訳)があります。私も美大だけれど、初めてイタリアへ行った時、子供時代からこんな環境で育ったらどんなに違っただろう!デザインセンスも、人間形成も、と思ったのを今でもよく覚えているし実感しています。

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2018年の儀式

ここでこのページ最初の作品を説明します。「聖母の腹帯の祭壇画」と言います。聖母の腹帯?これはプラートへ行ったことがある人なら誰でも知ってる(知らない人は文化芸術に無関心な人)有名なもの。何しろ司教座聖堂に、普通とは全然違って端っこに不思議な屋根付きのお立ち台があります。よく見れば判る通り素晴らしく手をかけています。それもそのはずルネサンス最大の、というか私的には美術史上最大の彫刻家ドナテッロの作品です。

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Donatello

聖母が天に召される時、昇天しながらはら〜っと哀れな私たちに残してくださったのが、神の子イエスを宿しているときにお腹に巻いていた帯。肌身離さず持っていたのかとか、1348年から行われる御開帳だけどそれ以前はどうなってたの?とかは言わない。87センチの長さで大聖堂博物館に、金の枠付きで保存されているその帯を、重要な時だけ、大聖堂から皆の衆に開示します。そのためだけに中世の大聖堂に、フィレンツェで超売れっ子のドナテッロを呼んで作らせたのがあのお立ち台でした。ページ最初の作品はそれを描いた祭壇画で、中北部イタリアを中心に結構、聖母の腹帯主題の作品があります。

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Cattedrale di Prato

ちなみに私のこのページのタイトル画像はフィリッピーノ・リッピの絵の一部です。「聖ベルナールに出現した聖母子」 という有名な作品はフレスコではなく巨大な絵画作品で、フィレンツェのバディーアにあります。バディーアは中世からルネサンスにかけて非常に重要な聖堂でした。今も街の大中心部に位置するのに、フィレンツェ好きの日本人がほとんど行かない場所です。なぜだろう?とても素晴らしい建物で、丘の上からフィレンツェを眺めるとバディーアの塔が司教座聖堂に次いで目立つのに。

西洋美術、イタリアの旅、読書が大好きな貴方へ、中世西洋美術研究者SSが思う事いろいろ