天使たちの西洋美術

美術、イタリア、読書を愛する西洋美術研究者SSの思ったこと

【イタリアの街】ナポリ周辺:古代の夢と島

2018年9月27〜28日(六、七日目)

 

残り二日のナポリをどう過ごすか、【提案2】はお天気が悪かったら却下、だって外を歩く内容だから。

 

Palazzo degli Spiriti

 

ナポリの周辺には素晴らしい島がいくつもあり、古代から理想の休暇場所と考えられてきました。古代ローマの有名人たちの別荘などがあったのが分かっています。

 

Nisida

 

ニシダ(どうしても西田と変換)島では紀元前44年にブルータスがカエサルの暗殺を練りました。ブルータスの自慢の別荘があった場所です。そんな素晴らしい島は現在少年刑務所で、一般には行くことができません。刑務所にも色々あるな〜。カプリ島にはティベルティウスやアウグストゥス等皇帝の別荘がありました。今は壮絶な休暇用観光地です。ガイオーラ島にも古代ローマ帝政期にいくつもの別荘がありました。

 

Gaiola

 

で私が考えているのは、カプリなどナポリからポジターノアマルフィ方面ではなく、反対にポジッリポの向こう側です。

 

Procida

 

プロチダ島です。ディズニーランドでしょうか?いや本物です。新しく作ったわけではありません。奥にはもっと大きくて有名なイスキア島もあります。イタリア旅行でカラフルな家って言うと、チンクエテッレを思い出す人が多いのはなぜでしょう?旅行代理店の仕業に違いありません。だってイタリアには、あっちこっちにカラフルなお家の群れ風景があるのだから。

 

Ischia

 

イスキア島は紀元前8世紀には温泉がある保養地としてギリシャ人に愛されていました。そして向かいの本土にはクマエが建設されます。クマエと聞いただけで、西洋文化を勉強していたら憧れるのではないでしょうか。クマエには古代アポロン神殿があり、そこにはアポロンの神託を使える巫女たちが住んでいました。シビラと言います。あの女性が苦手なミケランジェロが描いた最も魅力的な女性たちは、システィーナ礼拝堂のシビラだと思います。

 

Santa Maria Soccorso

 

イスキアはその後も発展し、写真のように島全体が中世には要塞化されます。「お助けの聖母マリア」聖堂は島の崖っぷちにあり、船乗りたちのエクスヴォート(奉納物)で知られています。ここでは、夕日が沈む時緑の光線を拝める、とかアーサー王の妹のモルガン姫の蜃気楼が現れるとか、伝えられてきました。そんな伝説が似合うような場所です。

 

Cuma

 

先に書いたようにクマエは紀元前8世紀にイスキア島のギリシャ人によって建設されました。今は完全な考古学地区で、街は離れたところにあります。つい最近付近の海から壮大な屋敷跡が発見されて話題になりました。

 

何千年も海底に居た彫像たち。床モザイクや柱の跡などもはっきり分かる

 

 

シビラの宣託を聞いに行くための凝灰石の洞窟トンネル

 

以前からこのトンネルが通って見たかった!このトンネルを通過する者はどんな気持ちだったのか、国の運命を左右するような一大事に、引き締まった思いだったことでしょう。トンネルを抜けると古代ローマの地下神殿、ゼウス神殿、アポロ神殿の遺跡があります。ちなみにアポロンから予言能力と千年の命をもらったシビラですが、アンチエイジングのお願いを忘れたため超お婆さんになって死んだそうです😢え〜ん。そんな長生きしたくないよー。

 

Gaiola

 

丸一日、外をあちこち歩きながら最高のナポリ湾を堪能するのですが、問題はそれぞれが結構離れているし、島だから時間がかかるので全部はとても行けないと言うこと。選ばないとね。難しい選択ですが・・ビーチ派ならガイオーラ島でしょう。特に何も無いけど小さな島二つが渡れて、潜ったりできます。最初の方の写真がそうです。

 

 

ナポリからプロチダやイスキアなどへ向かう船はあるけど、ナポリからクーマまで地下鉄で50分乗って、そこからぶらぶら歩いて考古学散歩し、お昼を食べてタクシーで港まで行き、4時間に一本プロチダ行き船があって15分で着く。どうかな?考えて見て

 

Posillipo

 

ポジッリポを眺めながらナポリへ帰るかな

 

 

 

 

【イタリアの街】ナポリで宮廷人に!

2018年9月27〜28日(六、七日目)

 

昨晩は小旅行からナポリに帰って来ました。駅から500メートルの最高評価のアパート。

 

 

 

最初のホテルの方が豪華だったけど、こっちも負けずにスタッフ、清潔度10点とかだし何より駅に近い。それに結構広くて、アパートだからホテルと違って、一つはロフト付きと数部屋ある。今回の旅は5人で3宿。2人と3人の組み合わせだから私が必ず3人の方に入って、後はくじ引きね🤞 部屋数が多いと連絡がしにくいから少なくしたいの。勿論一人部屋がいいって言う人もいるけど、みんな協力しあって仲良くやりましょう👭

 

で、本題。残りの二日(最終日29日は空港へ行くだけ)をどう過ごすかです。

 

明日授業後にみんなで集まって決めよう。

だから今は提案を幾つかします。考えておいてね。

*万一お天気が悪かったらできるだけ建物の中にいるようにしますけど。

 

【提案1】

⭐️王宮

Palazzo Reale

 

新古典主義の傑作。巨大なナポリ最大の建造物を、豪華なお部屋や当時使用されていた調度などと見学します。

 

⭐️格式高いカフェ・ガンブリヌス

 

Caffe Gambrinus

 

1860年、イタリア建国と同時にできたナポリの最高級カフェ。ナポリは庶民的な側面で、イタリアらしさの代表のように思われ、世界中に知られていますが、実はそれとは対象的な高級で格式高いところもあります。格式高い場所は王宮の周辺で、このカフェはそのど真ん中。できた時から最高級のカフェ、ジェラート、パスタ(スパゲッティじゃなくパン菓子のこと)を提供し、高名な芸術家たちも集まりました。ガブリエレ・ダ・ヌンツィオはよく知られていて、このカフェの大理石の机に歌詞を書いたものをトスティが曲にした、など。絶対いい加減な格好で行ってはいけない場所。なのでこの日はワンピースで出かけましょう。

 

 

Teatro San Carlo

 

ここは私が行ったオペラハウスの中で最も印象深かった場所です。私はボックス席だったのですが、そこへ連れて行ってくれた女性がスーパーモデル級で、席に着くまでに二つの鍵を開け、分厚いカーテンを通りました。劇場の豪華さに対して、観劇した作品は現代風の演出だったのでシンプルな舞台でなんだかそぐわない感じでした。やっぱりこういう場所では、こういう時代の演出が似合うと痛感しました。現代劇が嫌いなわけではありません。それはそう言う場所で観たいのです。またまたスタンダールが書いています。

 

全ヨーロッパにこんな劇場は存在しない。比較できるような場所さえない。

目は見開かれ、心は囚われ・・

 

オペラを観るのは時間もかかるし夜になるので好きな人だけにして、1時間弱でガイド付き劇場ツアーなら気軽に行ける。やっぱりワンピース👗

 

 

⭐️聖フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂

 

San Francesco di Paola

 

古代ローマに対抗すべくパンテオン教皇庁のローマに対抗すべくベルニーニの回廊を組み合わせた、まさに王のための聖堂。王主催の行事を行うための大広場には酒・ガンブリヌスが!

 

⭐️新城

 

Castel Nuovo

 

1279年に建造が始まり、主を変えながら様々な時代に改築されてきた要塞。王宮礼拝堂や絵画館も備える。ナポリに5つある城のうち最も目立った存在。

 

⭐️卵城

Castel dell'Ovo

 

紀元前1世紀にはあったと言うナポリ最古のお城。現在のお城は9世紀にノルマン人が基礎を築き、16世紀に要塞化が進んだ。中には前史博物館が入っている。卵城の名の由来には幾つかロマンチックな説がある。

 

●提案1は全て固まった地域にあり移動はしないんだけど、一つ一つが巨大だったり道一つ歩いても結構あると思うので、一日使って王宮一帯を堪能する。特にお城は三つ見るのは大変過ぎだから、一つは削除しなければならないけど、そう考えると結構行けるね。

 

【旅】モリーゼ州の研究者から連絡が来たよっ!

(2018年)昨日の深夜と言うか今朝方、モリーゼの研究者から連絡がありました。

 

『隠れたモリーゼ 第1巻 話す石たち』

 

 

教授自ら車を出してガイドをしてくださるって申し出です!

ヤッター💗

 

フランコ・ヴァレンテ教授のサイト。

難しいと思うけど、イタリア語を勉強してる人には、解説の動画もたくさんあるよ。

 

一年以上前にモリーゼのことを調べる中で、専門的なサイトを持っている人を見つけ、フェイスブックでしか連絡先が見つからなかったので、一年も前にメッセージを書いて、半年近く経って返事を受け取り、その後も何度も取りにくい連絡を取りながら、やっと具体的な内容にこぎつけました。あー大変だった。日本人でもあるけど、すぐ返事くれる人と見てんだか何だか分かんない人と(その点既読がつくのが受けるのは分かる)いて、教授も連絡くれるときは、めちゃくちゃ熱い内容(凄い説明してくれる)だけど、ぱたっと途絶え、ず〜っと連絡できなくなる人でした。ホッとした。

 

他の人を考えてたけど、彼以上の人は居ないので。後は怒涛の如く説明の嵐が降ることを覚悟して、イタリア語勉強を強化しないとね。モリーゼの記事を読みまくります!

 

いよいよ、旅全体の詳細な計画が明確になって来たんだけど、再考もあって書き換え更新してるので、参加者は読み直してね。申し訳ないけどお願いします。

 

*彼とは親友になりました。どれだけ世話になったかしれません。ひたすら感謝します。

 

 

 

【イタリアの街】オレアリアの聖母マリア大修道院

2018年9月26日(五日目の後半)

 

マイオーリ市のサイトから借用しました

 

アマルフィ訪問の後、最高の場所へ連れて行こうと思います🧡 アマルフィのような大観光地は正直行って苦手だし、私は本来中世の聖堂が一番詳しいので、本領発揮してこんな場所はいかがでしょうか?

 

 

描かれたオレアリアの聖母大修道院

 

オレアリアの聖母マリア修道院は、長い眠りから目覚めたばかり!つい最近、水曜日と土曜日の数時間だけ訪問可能となりました。なので、何が何でもここへ行きたく予定を変更しました。前の書き込みに変更が出たので、読んでくださった方すいません。更新したのを見てください。

 

聖人に守られた洞窟礼拝堂の窓からは輝くティレニア海が見える

 

中部から南部にかけては洞窟を掘った聖所があちこちに見出せます。所謂有名観光地ではないですが、それだけに荒らされていないし、信仰の空気が感じられるというものです。

 

 

この大修道院施設は三つの小さな聖堂の集合体です。9世紀には存在したのが分かっています。10世紀には随分と拡張され、フレスコも残っています。

 

 

画からも明快なように、ここにはイコノクラスムを逃れてきた者も含め、ギリシャ系の修道士たちが住んでいました。最後の修道院長が1509年に亡くなり、打ち捨てられて行きます。ギリシャは西洋文明全体の源ですが、特にイタリアには、それ抜きには語れない絶大な影響を文化全体に与えてきました。

 

http://maioricultura.it/it/abbazia-santa-maria-de-olearia/

この大修道院の情報が載っています。写真もあるので見てください。

 

洞窟修道院跡を改造したレストラン

 

なんて素敵なんでしょう!修道院を見終わる頃には日も暮れかけているはず。ここのレストランで今日の最後の食事をゆっくり取りましょう。時間を気にせず地中海を前にして。

 

9世紀から住んでいた修道僧たちには申し訳ないですが、車でサレルノまで帰り、ホテルに預けておいた荷物を受け取って列車に乗ります。乗ったら38分でナポリ。最後のナポリの宿も、遅く着くことを考慮し駅のそばにしました。

 

*残念ながらここへは行けませんでした。遠くから眺めただけ。次回か!

 

【イタリアの街】:アマルフィ

9月26日(五日目)

 

ポジターノは却下して、その代わり最高にロマンチックな大修道院で今日を閉めることにしました。何故ってポジターノは呆れた高級観光地で、私の愛する聖堂も特に無いし、そういう軽薄なところは嫌いだから。スタインベックの理想郷は、どうせものすごく変わってしまっていることだしさ。

 

via Amalfitana

 

5月20日ポジターノについて書いているので見て。

 

https://artsaba.blogspot.com/search?q=%E3%83%9D%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8E

 

Amalfi

 

サレルノからアマルフィはバスで1時間15分。アマルフィ海岸沿いの道はカーブの連続で、乗り物酔いする人は要注意だとか。イタリアの運転手は運転も派手だからね。最初の写真がそうだけど、綺麗そうじゃない?

 

Sant'Andrea

 

とにかくアマルフィに着いたら大聖堂へ向かいます。この辺はどこも断崖に家が重なるように建ってるから、階段は避けられない。大聖堂へも登ります。この聖堂の起源は9世紀なんだけど、11世紀に建て直され、その後何度も改築されて、この有名なファサードはなんと18世紀のもの。な〜んだ中世の偽物か。フィレンツェとおんなじだ。

 

聖堂扉

 

でも入り口の青銅の彫刻がある扉は千年をちょっと出た辺りの、コンスタンチノープル製で、モンレアーレ(パレルモ)やピサ(トスカーナ)など、この時代に作られた素晴らしい扉を思い出します。扉口のルネッタにある聖アンドレーアのモザイクも正統派のビザンチン様式。パレルモの二つのウルトラ巨大な聖堂(モンレアーレとパレルモ司教座)などに見られるビザンチンとアラブの融合したような、重ねアーチのデザインなども共通しています。この重ねアーチは典型的な地中海ロマネスク様式ですが、それは1276年に完成した塔でも繰り返されています。

 

南イタリアでよく目にする凝ったアーチと焼き物での装飾

 

Chiostro del Paradiso

 

「天国の回廊」は1266年頃の製作です。白と完全な幾何学模様に、中庭の棕櫚の葉が映える空間は、ガウディも感銘を受けたのではないかと勝手に想像したくなります。

 

聖堂内には博物館も併設されていますが、ナポリで山ほど観るのでここでは飛ばしても良いでしょう。階段だらけの街は世界的な観光地なのでお土産やさんはあちこちにあります。

 

 

「天然バイアグラ5ユーロ」と書かれています。なんのことはない鷹の爪です。こういう香料&薬味のお店は、日本では見ないけど、海外にはスパイスショップってよくあって、私は好きでつい見ちゃう。お決まりのリモンチェッロ(レモンのお酒)は煩いくらい売っています。

 

Limoncello

 

上記二つがアマルフィの特産物だとか。リモンチェッロは何度も飲んだことがあるけれど、すごく甘いこってりした強いお酒だから、ゴクゴク飲むものじゃなくて、夏にカンカンに冷やして呑みます。特徴のある味だから似たり寄ったりと思うかもしれないけど、実は当然ながら美味しいのと、いかにもお土産品ってのとでかなり違う。

 

アマルフィは大聖堂だけでなく、坂道をぶらぶらする予定。素敵なカフェがあったら休むのもいいけど、最高に素敵なのはこの後!

 

 

すごいカーブの連続の海岸沿いバスに乗る。

この日の後半はスペシャルな洞窟修道院へ、行くよ💘

 

 

【イタリアの街】パエストゥムとサレルノ司教座

2018年9月25日(四日目)

 

サレルノが最高なのは、この旅の当初から計画しているパエストゥムに行くため。30分で着きます。

 

Paestum

 

ポンペイに行かない代わりってわけじゃないけどパエストゥム訪問。

 

ここについても以前書いているので見てください。パエストゥムの説明があります。ヘラ、ケレス、ネプチューンの三つの違った様式の神殿が残った世界でも有数の古代ギリシャ遺跡です。今からもう、アドリア海の真っ青な海と空、広々した空間に堂々と立つ神殿が想像できます。シチーリアでも感動しましたが、ここが最も状態が良いのです。

 

3 templi

 

二つは判別可能ですが三つ目が遠くにあるのが分かりますか?みんなが疲れていなければ歩きましょう。外の神殿を回ったらお昼にしましょう。博物館レストランと博物館カフェの他に「パニーノの神殿」と言うお惣菜パニーノ店もあり、どれもいい感じです。そのどこかで。

 

Mozzarella di Bufala

 

北部と違って南部イタリアは、とにかく新鮮!野菜もそうだけど日本人にとっては絶対チーズ!チーズには熟成させたものとその日に食べる新鮮なものがあって、南部では絶対新鮮系がお勧め!写真は水牛のモッツァレッラブルスケッタ。超シンプルだけど、それだけにトマトやチーズ、オリーブオイルの味が最高💛

 

お昼が終わったら、いよいよ「飛び込む人」に会いに博物館へ。

 

飛び込む人

 

このなんとも言えない楽しげなお墓のフレスコを拝みに行きます。以前は詳しく書いてるので読んでね。

 

 

この周辺はとっくに世界遺産登録されている場所ですが、珍しいエトルリアギリシャのフレスコが極めて多く、非常に観がいのありそうな博物館です。

 

Tempio di Netturno

 

絵かと見紛う美しさです。

 

パエストゥムを満喫したらサレルノへ帰ります。サレルノ駅目の前のホテルへ、荷物と共に入室。元気のある人は私と街へ繰り出しましょう🍷

 

Salerno

 

私は何が何でも司教座聖堂へ行くと決めているけど、疲れていたら宿で休んでいてください。ナポリよりずっと安全だし、たまには外出組とお休み組に分かれて、別々に食事しましょう🍝

Duomo di Salerno, San Matteo Evangelista

 

私と大聖堂へ向かった人を、福音書記者が迎えてくれる。

 

パエストゥムからサレルノへ帰ってきたら、宿で一息してすぐ司教座聖堂へ向かいます。宿が駅前だと、移動には圧倒的に便利。

 

San Matteo Evangelista

 

なんと派手な聖人でしょうか❗️よく観れば確かな技術で製作された銀の彫刻と判ります。もっとよく観察すれば、天使のような存在と本が見てとれます。西洋美術を勉強していれば、これでマタイと分かるはずです。福音書記者マタイの象徴は「羽の生えた人のようなもの」なので天使みたいなのは、実は天使ではなくマタイの象徴、手に持っている本は当然、自分で書いた福音書です。現代のド派手な飾り付けでも福音書がお花で表現されています。

 

 

サレルノ守護聖人は、なんと福音書記者マタイ。なんとって書いたけど、だって福音書記者ってたった4人しかいないのだから、そりゃー大したものです。しかもマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという順番で新約聖書は並んでいるので、聖書を開けたらまずマタイが目に入ります。因みにマタイが「有羽の人のようなもの」なのは、マタイがキリストの人間界における系譜から書き始めた事と関連があると言われます。ライオンのマルコ(力強い内容)、牛のルカ(ルカは馬小屋でイエスが生まれたと書いたので)、鷲のヨハネ(彼の文章は飛翔するようだから)と比較すると、断然意味が明快です。ヴェネツィアが聖マルコの遺体を盗んで来たのは有名な話ですが、サレルノにはシリア生まれのマタイの御遺体があります。上は聖人のお祭りの写真、9月21日、私のイタリアの旅に参加しにみんながナポリに着くその日です。う〜んちょこっと残念。

 

 

近くで見るとかなり怖い。これは1544年にサラセン人の大襲撃を受けたサレルノを、聖人が救ったときの奇跡。大聖堂で祈る人々、突如、天が割れ現れた聖人は「サレルノは私のものだっ!!」と怒鳴ると、一天にわかにかき曇り嵐や竜巻がサラセン人を乗せた船を木っ端微塵にしたのでした。その時からサレルノのシンボルは聖マタイとなりました。

 

 

 

 

Simbolo di Universita` di Salerno

 

サレルノの象徴表現はいくつかありますが、とにかく聖マタイが主人公です。ここではペンと本を持っています、ペンの代わりに本と祝福の手というのもあり、これは上記の奇跡を忘れないためです。それではこの象徴はなんでしょう?ペン両脇には長衣の人たち。Hippocratica Civitas Studium Salerni と書いてあります。ヒポクラテスは紀元前460-370年頃生きたギリシャの医者です。彼の最大の功績は、医学を迷信や呪術(祈祷)などから解き放ち、臨床と観察が大切、というまさに科学の真髄に導いた事です。現代だって非科学的な思考は数多に見られるのだから、真に知的な人でした。それがなぜサレルノ

 

Universita` di Salerno

 

サレルノには9世紀にもう高名な医者がいて英仏の王様などがやって来たという、世界初の医学校があったそうです。12世紀には当時知られた世界中で有名になり、13世紀にはバチカン公認となっています。要するに世界初の医大であり、大学としてもボローニャ、パリに次ぐのです。シンボルの人に戻るけど、長い衣を着た人は知識人で、彼らは医者なのです。

 

Cattedrale San Matteo

 

横道に外れましたが、という事で聖マタイへ捧げられた司教座聖堂へ。交差部にドームがかかっていないのは古い証拠。さらに聖堂前に中庭がついているのも歴史を感じさせます。

 

近世に撮影されたバロックの正面です

 

 

ビザンチンのモザイクもあちこちに残っています

 

 

床モザイクも最高品質

 

コマチーニ

 

コマチーニってイタリア語でよく言うんだけど、幾何学的で精巧な床モザイクを各地で製作した人々のこと、またその作品。中世に豊かで重要だった聖堂に観られる。千年経っても色褪せない素晴らしい技術。この聖堂内では、床だけじゃなく、説教壇や衝立などにも使われて居ます。

 

守ってくれている。こういうところは日本と同じ

 

 

観終わった頃は日が暮れていると思うけど、ここまで暗くないんじゃないかな。聖堂は旧市街の真ん中だから、そこで食べて帰ろう。サレルノではあちこちの聖堂で無料のコンサートもやってるみたいだし、もし私たちが居る二日にそんなイベントがあったら行ってみない?

 

海を背景に、聖堂前広場でコンサート

 

【イタリアの街】世界最高峰の考古学博物館とルッカの十字架

2018年9月24日(三日目)

 

移動の日。この旅では2回しか移動しませんし、前後がナポリなんだけど、間に二日サレルノへ泊まります。

 

Croce di Lucca

 

アマルフィポジターノに泊まろうかと思った私が甘過ぎでした。アマルフィにはそれなりに宿の数あはるけれど、カップル用、家族用でダブルベッドだらけ。どこでもそうなんだけど、人数分のベッドを探すと言うのが最大のネックになってアマルフィは却下。ポジターノは、私のような貧乏人は見たら目が潰れちゃうくらいの金額で却下💰

 

ティレニア海沿岸地図

 

サレルノにするか、海に面したバルコニー付きのロマンチックな宿にするかすごく悩んだ末、サレルノに決定。ロマンチックな宿は辺鄙な場所には見つけたけど、行くのに時間がかかる。それに反してサレルノならナポリから40分(急行なら30分)で、その上しょっちゅう電車があるので凄く気が楽です。マイオーリの海に張り出した宿を考えたけど、そこへ行くには一日二本しか選択肢が無かったから。と言うことでサレルノでは超駅前のめっちゃくちゃ便利なホテルに二泊。シンプルだけど広いし、仕事が確実と評判です。と言うわけでサレルノへは夜到着しても心配なし。1日の最後に移動します。

 

月曜日なので閉まっていないところで最重要なのが、世界最高峰の考古学博物館です。

 

Museo Archeologico Nazionale di Napoli

 

私は正直言って、ナポリは詳しくありませんし、考古学は門外漢なので、ここへも2回しか行ったことがありません。しかも一回は風邪をひいて具合が悪いのに無理して頑張って見たので、今回は万全の体制で臨みたいです!

 

この超広大な建造物は16世紀に馬の調教用に建てられました。全く信じ難いことです。17世紀には大学として改築され、1777年にナポリ大学が旧イエズス会修道院へ移動すると、ブルボン家など王家の収蔵品を展示する場(大図書館もある)となり、1860年いよいよイタリアが生まれた時、国の所有となりました。

 

怖可愛いワニのモザイク

 

世界史の教科書に必ず登場するアレキサンダー大王のモザイクはここにあります。

 

紀元前333年のイッソスの戦いで、遂にアレクサンダーは王の中の王と言われたダレイオス3世自らが率いるペルシャ軍10万と激突。圧倒的少数だったにも関わらず、アレクサンダーは縦横無尽に多数の軍隊を指揮し、ダレイオスの母、妻、娘を捕虜にする。彼のカリスマ性が轟いた瞬間だった。ポンペイ出土。

 

西洋美術館にあるローマ風景にも描かれている、かの有名な(ルネサンス期には史上最高の作品と評価され、複製や様々なヴァリエーションで表現された古代彫刻)ファルネーゼヘラクレスもここにあります。

 

私のお気に入りは、黒い青銅の走る人や動物たちの像のある部屋

 

紀元前5世紀頃の最高にカッコいい神はゼウスかポセイドンか?

 

18世紀にポンペイやエルコラーノなどの遺跡からどんどん発見された、ポルノな日用品は学者たちをドギマギさせ、大混乱を引き起こしましたが、現在は「秘密の部屋」に収納されています。目を疑うような大胆な造形のものが目白押しです。

 

山ほど出土した男根

 

楽しげな巨根の焼き物たち

 

 

ポンペイから出土したものはほとんどここにある。突然の噴火で埋まってしまった人々の姿が生々しい。街の再現模型。

 

 

カメオ技法で製作された古代ローマのガラスの壺

 

とにかく絶対見切れない量の芸術品や日用品が、様々な技法で堪能できる、間違いなく世界最高峰の博物館です。

 

この博物館は(も、と言うべきか)巨大で疲れるので、午前中一杯見学。

 

宿の方向へ向かいながら、お昼にしましょう。

 

Pasta e fagioli

 

南イタリアの海岸地域は、言うまでもなく海の幸が断然お勧めです。私が食べたいのは伝統料理の豆のパスタ(ムール貝そえだとさらに良い)です。でも博物館の前に新しくできたヴィーガンのピッツェリーア Vitto Pitagorico があるから、お腹が空いてみんながイライラしてたらそこでも良いけど、やっぱり伝統ナポリ料理の店もたくさんあるから辛抱するか。

 

博物館を出るとまず目の前に聖子羊聖堂があり、コンスタンティノープルの聖母聖堂が見えます。この道を歩きます。美術アカデミーと二つの聖堂を通過。

 

San Pietro a Majella

 

今では中庭にベートーベンがいるクラシック音楽のコンサートを主にする聖ペテロ聖堂を左に曲がります。すると大きな広場に出ます。駐車場になって雑然としていますが、実は中世らしさを留めた地域で、誰〜も行かないと思うけど、私の愛するルッカのヴォルト・サントに捧げられた聖堂があります。何が何でも行きます。

 

Volto Santo di Lucca a Napoli

 

Croce di Lucca

 

Croce di Lucca

 

1688年建立。ルッカのヴォルト・サント(聖十字架)に捧げられた聖堂でしたが、20世紀に病院の一部とするため、最も芸術的だった部分が壊されました。仕方のないこととはいえ残念です。同時に聖堂ではなくなり閉じられていましたが、つい最近開かれました。すぐ上は夢のような本屋、として解放された時の写真です。中には、まだ往時を偲ばせる、外からは知る由もない素晴らしい祭壇やフレスコが残っています。私たちが行った時に空いているかどうか調べきれませんでしたが、兎に角行きます。入れたら私は感動で、話しかけられても聞こえなくなるかもしれないので、一緒に行くみんなは知っておいて。

 

時間をかけてナポリ料理を味わった後に、街を歩きながら地味な聖堂を見つつ宿にたどり着いたら、カバンをとっていざサレルノへ。

 

サレルノは世界初の医学校の地。当然医学の歴史博物館があります。怖い部分もあるけれど、人間の知識と学問の発展、逆に言えば不合理な迷信が、いかに一般的であり、人間は感情でものを考えるかと言うことが分かります。

 

 

医学校や病院がどのようなものだったかを示す様々な資料。

 

ヴァーチャル博物館、サレルノの医学学校と言う名前

 

http://www.museovirtualescuolamedicasalernitana.beniculturali.it/it/

博物館のUチューブです。その名の通り、ヴァーチャルに再現していて面白いので見てみて。司教座聖堂博物館もある。

 

 

ま、サレルノへは何時に着くか分からないから、みんなの様子を見て決めます。

 

【 イタリアの街】ナポリ:聖エルモ城、聖マルティーノ修道院

2018年9月23日(日曜日)二日目の午後

 

お昼は超有名ですがウルトラ敷居の低いラーメン屋さんみたいなピッツェリーアへ行こうか?と書いた矢先ですが、ナポリにいる間に一度は必ず行きたいと思ってはいるものの、初日の夜に行ってもいいかな。

 

昼食後は複合チケットの残り、聖エルモ城と聖マルティー修道院へ行きます。

 

 Presepio

 

宿の周辺はバス停がいくつもあるし、ちょっと歩いてわざわざフニコラーレ(登山電車ができたので〜🎶)に乗ってもいいし、とにかくヴォーメロへ登ります。

 

 

Vomero

 

ヴォーメロはナポリの高級住宅地でお店も沢山ある所。違うけどナポリの表参道かな〜?カポディモンテのように一段と高い丘なので、歴史的に支配者たちの住まい、そしてかつての支配者たちは大支配、大搾取しておきながら信心深いので、自分の家のすぐそばに修道院を建てたから、お城と大修道院の複合施設が聳えています。

 

航空写真を見てください。変形六角形がお城(戦いのための形をしています)、その右下にある四角い部分が大修道院の回廊と中庭です。

 

聖エルモ城から見た大修道院の一部とヴェスヴィオ火山

 

 

 

Vedi Napoli e poi muori(ナポリを見て死ね)

 

このかっこいい言葉はゲーテが「イタリア紀行」の中で書いて有名になりましたが、彼の創作ではなく、地元の人はそう言ってる、と書いています。な〜んだ。地元贔屓(ヒイキってこう書くんだ)だったのか・・。でもまあ、西洋史に燦然と輝く都会、特に古代から中世にかけてナポリの右に出るような大都市は無かったという見方もできるから、そう言いたくもなるか。

 

 

Castel Sant'Elmo

 

エルモ城は実を言うと、行ったことがありません。今回ぜひ行きたい所の一つです。1275年からシャルル・ダンジュー(アンンジュー家)のお家🏠でした。16世紀に大砲用の要塞に変化して、ギザギザした形になりました。要するに街を管理するための要塞です。ナポリは、海の二つの城と丘の上の城、さらに街中に一つと巨大な城群で市民を包囲していたのです。1799年にパルテノペア(ナポリの古代名)共和国の反乱が起こり、市民に外国王室は追放されますが、あっという間に取り返され、反乱者たちは惨殺されたりこの城へ投獄されました。その中にユートピア思想で高名な修道士、トンマーゾ・カンパネッラが居ました。彼は宮沢賢治にも絶大な影響を与えた人です。その証拠に「銀河鉄道の夜」に彼の名が見られるし、賢治自身、理想共和国イーハドーブの実現に着手しました。(院生だった頃知り合ったイタリア人女性は、宮沢賢治の研究をしていたのが思い出されます。)

 

 

 

 

ここは360度ナポリが見渡せる場所にあり、最大の絶景ポイント💖

 

お城を歩き回って、牢獄の歴史と絶景を堪能したら、足元の聖マルティーノ大修道院へ。

 

San Martino

 

修道院にはありがちですが、この世の天国を表すのか、呆れた素晴らしさ、壮大さです。お城を歩いて腹ごなしをした後、大修道院には様々な施設がありずっと見がいがあります。まず骸骨の装飾が有名な大回廊。ナポリが一望できる優雅な空間。以前書いているのでリンクを見てください。

 

https://artsaba.blogspot.com/search?q=%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8E

 

皆違った骸骨がいっぱい並んでいる中庭

 

教会はナポリ守護聖人ジェンナーロの宝物館で、ナポリバロックが炸裂。その他歴代の主人たちが使用した馬車が集められていたり、聖フランチェスコが考案したと言うプレセピオの博物館(イタリアにはよくある)で最高最大がここです。

 

Presepio

 

ナポリでは一々大きくて、歩くだけで大変ですが、これで複合券を使いきりました。本当にお得です。ゆっくり休みながら時間をかけて見学しましょう。

 

今日は間違いなくヴォーメロで夕食。沢山あるしカジノまである。お店を見ながらぶらぶらして決めたらいいね。

 

夜の聖エルモと聖マルティー

【イタリアの街】2018年ナポリ:新ジェス・ヌオーヴォ、聖ドメニコ大聖堂、超絶技巧の聖セヴェーロ

9月23日(二日目)

 

ナポリの二日目、日曜日の午前中。

 

Giuseppe SanMartino

 

今日は昨日買った複合券の残りを使います。でも朝早く高いところへ登るのと、夕焼けを見るのとどっちがいいでしょうか。昨日は朝一でカポディモンテへ登ったので、今日は最後に、もう一つの丘に登りましょうか。と言っても、ナポリの場合は、プーリアとモリーゼで本当に歩いて登ったのとは違って、交通機関を使います。

 

宿から近い聖キアーラから始めます。

 

Santa Chiara

 

日本のガイドブックにも載っている名所です。焼き物の化粧板で覆われた修道院中庭が非常に珍しく目を引きますが、宿に近いので余った時間で行きましょう。

 

Piazza Gesu` Nuovo

 

サンタ・キアーラを通過して出た広場は新イエス広場です。ナポリバロックの代表的なモニュメント(グーリアと言う)の向こう、頭がちょん切られたようなファサード(建築物の正面)を持つジェズ・ヌオーヴォ聖堂が最初の訪問地。側で見るとダイヤ型の非常に印象的なファサードです。ここにはエクス・ヴォート(信徒が祈願成就を感謝して捧げる品)のための礼拝堂があり、権力と支配を印象付ける壮麗なバロックから、時には怪しげな信仰に繋がりそうな民衆の信仰の姿まで、同時に体験できます。

 

Gian Domenico Vinaccia 

 

絢爛豪華なバロック礼拝堂の一つに、1677年に製作された70体の木彫聖遺物容器があります。名の知れた大芸術家ではないですが、そういう人がこれだけ素晴らしい作品を作れるのがイタリアの奥の深さ。今までゆっくり見る時間がなかったので、足を止めて観たいです。ここは大聖堂で聖具室も金ピカです✨

 

San Domenico Maggiore

 

イタリア最大の哲学者とも言われるベネデット・クローチェの名前がついた通り周辺には、重要な聖堂が密集しています。またグーリアが目に入ります。ナポリらしい雑然とした広場で、美術や歴史に関心がなければ、なんだあの汚い建物は?と思うようなのが聖ドメニコ大聖堂の後陣(聖堂の後ろ部分)です。でも入れば例によて素晴らしく、フランチェスコ・ソリメーナの「異端に対する凱旋」の天井画も見られます。

 

Francesco Solimena

 

ルネサンスでもそうですが、特にバロック以降の大流行した様式は、作品を見慣れない人には、どれも似たようであまり印象に残りません。ロココ新古典主義も、もっと言えば現代の抽象画などにも言えることです。でもそういった典型的な様式の中にあっても、よく見ると非常に美しかったり、感動的だったり、躍動感があったり、熱かったり、寂しげだったり、とにかく作品の仕上がりと与える印象は、結構それぞれ違うもので、そこが一流と二流の違いというか、製作者の違いです。同じ人物の作品でも良し悪しがあるのも当然で、ナポリではソリメーナの一番良い作品が見られます。

 

Giuseppe Di Stefano

 

ちょっと一息。ナポリのことを書きながら、このアルバムを聴いています。これぞ真のナポレターノ!芸術は不思議なもので、色や形、音だけで人の心を動かすことができる。ジュゼッペ・デ・ステーファノはその圧倒的な歌唱力で聴く者をノックアウトします。そうそう、日本ではカンツォーネと言います、ナポレターノではなく。私はロック、ファンクやシンガーソングライター系の音楽ファンなんだけど、昔からこのアルバムが大好きで、ナポリに行ったら是非、青の洞窟じゃなくって本場の舞台で、ナポレターノの歌声にぶっ飛ばされたいっ!っと思っていました。それなのに悲しきかな、ナポリでも最近はそういう舞台が無くなってきたと言うのです。(今、歌も悲しくなってる!ステーファノ大泣き!!)いろんな人に聞いているのだけど、この望みは叶うでしょうか。行く人たち、みんなで祈ろう。

 

 

San Severo

 

いよいよ次は驚異の聖セヴェーロ礼拝堂です。表紙のイエスの彫刻が最も名高いのですが、実は他の作品も全て恐るべし!です。ナポリに行って、ここへ来ないなんてあり得ませんっ!最近は目立つようになりましたが、以前は見つけるのが難しく、外からは全く隠された建物の中に、信じ難い常軌を逸した世界が展開します。

 

Cappella San Severo

 

最近は演劇や歌などイベントもするようになりました。全く当然です。全てが舞台空間そのものだから。舞台空間、それはバロックの極端な演劇性、劇的瞬間を捉えるバロック芸術に最も適合したものなのです。そう言えばナポレターナもバロック的。バロックは北部より圧倒的に南部イタリアで花開きました。いつも思うのですが、カラヴァッジョの暗く陰湿なバロック絵画と、なんと遠く隔たった感覚でしょう。それでもそこには通底したものがあり、この有無をも言わせぬ超絶技巧の聖セヴェーロ礼拝堂にも、奥底に存在するどす黒い不安のようなものが感じられます。そしてそれはこの地下で形となって現れるでしょう。

 

 

San Severo

 

わーきもちわるいよーっ!怖すぎるー!説明が知りたければ過去ブログを見てね。

 

 

この聖堂はあまりにも彫刻が際立っているので、絵なんて無いような気がしますが、実はちゃーんと天井画だって頑張っています。かわいそうなので全部よく見てあげましょう。地下のあまりに恐ろしい実験室の印象を振り払うように、もう一度一階の、技の限りを尽くした作品の共演空間を見渡したら、そろそろお昼の時間です。

 

私の人生で最高のピッツァはナポリでした。たった二種類しかないしシンプルこの上ないのに、この美味しさは何なんだっ!!!いつも混んでるし、全くゆっくりでき無いし、その上改装後食べてないので、味が変わってないか心配ですが・・・。行ってみる?

 

 

【イタリアの街】2018年ナポリ、カタコンベ、ピニャテッリ館

9月22日(初日の午後)

 

Catacombe di San Gennaro

 

カポディモンテ+聖エルモ城+聖マルティー修道院+ピニャテッリ館のコンボチケットが二日間有効なので、22、23日に全て回ります。立地と入館時間を考え、お昼はカポディモンテのカフェで済ませます。フォカッチャなども美味しいと地元民が言っています!

 

Pasta

 

なぜなら次は丘から下ったすぐにある聖ジェンナーロのカタコンベに行くので、バス停位置を考えると絶対、大博物館内で食べるのがベスト。下の写真の一階にあります。

 

Capodimonte

 

バスで一駅、もしくは徒歩で9分(とは思わないけど)でカタコンベです。

 

 

catacombe di San Gennaro

 

ここはイタリア1のカタコンベと言われています。ローマに数では負けますが、歴史の古さと巨大さで勝つからです。ということは当然キリスト教世界一です。2世紀に既に存在し、キリスト教徒以外の人々が葬られていたようです。3世紀には最初のナポリ司教と共に拡大し、特に5世紀に、現在のアメリカでも大人気を誇る大聖人ジェンナーロが埋葬されてからは圧倒的な指示を得、その後のナポリ司教は皆ここへ埋葬されるようになります。数少ない初期キリスト教美術の証言であるフレスコも未だ色鮮やかに残っています。(最初の写真は家族のフレスコ)

 

 

最初の司教座聖堂もここに建てられました。今ではその後の度重なる改築で全く違った姿になっていますが、カタコンベの上に建っています。物凄く楽しみです🤗カタコンベとは地下深く掘られたお墓のことですが、夏でもまるで冷蔵庫の中のように冷えるので、羽織りものがあるといいでしょう。ただローマと違いここは、空間が広大なので寒さも和らぎはすると思いますが。

 

カタコンベ見学で異次元の空間を堪能したら、バスに乗ってピニャテッリ館へ。車で8分、丘を降りて港に面した、広大な土地に新古典様式の白亜の建築物がそれです。

 

Villa Pignatelli

 

約二千年前の信仰の空間から19世紀の貴族の豪華な空間へ。1826年にイギリス人のためにピエトロ・ヴァレンテが作り、かの大金持ちロスチャイルド家の手に渡り、最終的にピニャテッリ家から寄贈された館は、ナポリに無数にある見所の内の一つ。

 

 

映画監督ヴィスコンティのイタリア統一前夜を描いた超大作「山猫」の撮影もされました。貴族のアランドロンが成り上がり者の娘クラウディア・カルディナーレに惹かれてゆくのが、時代の移り変わりを象徴しています。最後の最も華やかなシーン。

 

 

当時の貴族たちが実際に着ていた衣装も陳列。庭園は馬車の博物館となっていて、フランスとイタリアで流行したものが中心とか。

 

 

最近は、生活がリアルにわかるようにお風呂も公開されています。大理石のシンプルな新古典様式は素敵だけど、日本人から見るとなんだか寒そう。

 

 

壁は部屋ごとに様々な素材が使われていて、革の打ち出しなど今では絶対できない技法。

 

 

 

このロッジャこそ、あらゆる時代に地中海人が求めて来た正統派の美を物語っていると言う気がします。柱は勿論ビザンチンの東方的な装飾でもなく、中世の混沌とした化物もいない、パッラーディオ風のアカンサスの柱頭でもなく、最も古典的な何も無いシンプルが極まったドーリア式。そこに古典古代の彫像の複製などを並べ、ロッジャの外には噴水、その向こうにはナポリ湾が見える。全くお金持ちって・・・。

 

ま、それでも私たちが現在様々な美術品を堪能できるのは、大いにお金持ちのおかげなんだけどさ。と、思いながら館を出ます。ここは5時までだけど何時かな?

 

宿の方へ、ナポリ湾をゆっくり歩いてゆきます。バスって手もある。

 

Castel dell'Ovo

 

卵城が見えます。遠くにはベスビオ火山の黒い影が。良い写真が撮れますように。

 

元気が残っていたら、道沿いにあるナポリ最大の聖堂を訪問。

 

San Francesco a Paola

 

ナポレオン時代にナポリの町の大改革をした結果生まれた、町で一番広いプレビッシート広場の中心にある、新たなパンテオンです。

 

Castel Nuovo

 

ついに絵のような要塞の威容が目に入ります。今まで見た中で、最も強烈な印象を与えるお城です。怖くて暗くて残酷な感じ。街にどれだけストレスを与えていたのだろうかって考えてします。

 

ナポリの初日はこうして終わります。お夕飯はお惣菜など色々入手し、宿に帰ってみんなでくつろぎながら食べるのはどうでしょう?部屋はとても広くて、清潔だから。

 

ナポリで真のナポレターナ(カンツォーネ)を、間近で聞いてみたいと思っていたので、どこかで1日は必ず夜出かけましょう。サンタ〜ルチ〜ア〜🎵

 

*サンタルチーアはカポディモンテで歌いましたがピニャテッリには行けませんでした。次回!

 

【イタリアの街】2018年2日目、ナポリ、カポディモンテ博物館

9月22日(実質初日)

 

Artemisia Gentileschi

 

ナポリの初日はいきなり首切りから始まります!

 

Napoli

 

大美術館へ行きましょう。ナポリの街を見下ろす、まさに王宮然とした二つの博物館が今日のメインです。

 

Castel S.Elmo / Museo S.Martino

 

イタリアはあちこちで、美術館+博物館+聖堂などの割引入館券を販売しています。ナポリでは、カポディモンテ+聖エルモ城+聖マルティー修道院+ピニャテッリ館が二千円足らずで訪問できる夢のようなチケットがあります💕日本だったら上の一つの博物館だけでそれだけかかるし、言うまでもなく内容は比較になりません。美術愛好家には嬉しくて涙が出そうな内容です😭

 

http://www.museocapodimonte.beniculturali.it/immagini/

カポディモンテのサイトです。作品画面頁にリンクさせています。

 

Capodimonte

 

カポディモンテとは「山の頂上」と言う意味で、ナポリにある二つの最頂部の一つを占めています。広大な庭園の中に、大倉庫として建てられたと言っても過言ではない大宮殿のようなお屋敷があります。ファルネーゼ家の人々は、善人だったかはともかく、有能で文芸、特に美術の鑑識眼においては突出していました。信じ難い量の、同時に質も高い作品を、しかも幅広く収集したのです。このファルネーゼ・コレクションが元になり、最後には文人ではなく軍人一家のサヴォイア家に渡り武器コレクションが増え、現在は現代美術部門も有する大美術館です。

 

陶器でできた部屋

 

膨大な収集品を収めるための館とはいえ、王宮としか言いようのない部屋も堪能できます。写真は有名な陶器の部屋。中国風(シノワズリ)デザイン。

 

Parmigianino

 

有名な作品もたくさんあります。数年前に上野にやって来たパルミジャニーノの肖像画は、日本人にも人気のある作品。 ラッファエッロの肖像画は彼の全作品中でも最高傑作。マサッチョやマゾリーノ、ボッティチェッリのようなフィレンツェルネサンスを築いた人たちの作品、パウルス3世が教皇になったことで、セバスティアーノ・デル・ピオンボのように教皇庁で活躍した同時代の美術家の作品が中心です。ヴェネツィア派の作品も多いのですが、私はマゾリーノも好きだし、セバスティアーノとロットの大ファンなのでカポディモンテを愛しています💕

 

Masolino(部分)

 

Lorenzo Lotto

 

取り分け最初期の女性画家で、最大と思われるアルテミシア・ジェンティレスキの首切り場面(トップの写真は部分)は、あまりにも有名です。この他カラヴァッジョにしては大きさ、質、共に最高の「キリストの鞭打ち」や中世の作品では、ナポリ司教座聖堂にあったシモーネ・マルティーニの、当時の技術の粋を極めた祭壇画、ブリューゲルが代表するようにイタリア人以外の作品もあります。

 

 

Brughel

 

スペイン最大の画家の一人リベラの作品も何点もあります。リベラはスペインらしく、生々しいリアルを突きつけてくる画家で、激しい暴力的な画風も得意です。初めてここを訪れた時に最も印象的だったのは、いわゆる美術書には出てこないような作品、特に残虐性や暴力がテーマとなった作品です。超一流の画家は少なくても、明らかにそう言うテーマで収集したものと思われます。静物画(欧米では「Natura Morta=死んだ自然」と言う)も、狩られた鳥獣など恐ろしげです。

 

D.W.A. Bouguereau

 

確かにダンテは「神曲」地獄編にとんでもないことをたくさん書いていますが、全裸の男たちが争い、首に噛み付くのをダンテとウェルギリウスが興味深げに見ています。

 

Schedoni

 

この恐ろしげな一角で、私に深い印象を与えたのがスケドーニでした。カポディモンテへ来るまで知らない画家でした。バルトロメーオ・スケドーニは1578年モデナに生まれ1615年パルマで死んでいます。たった37才でした。絵を見れば分かる通り、超一流の腕前です。12才で画家として父の手伝いをしながら署名もしていたようで、16才でローマ(美術家としての頂点である教皇庁での仕事を求めて)へ発っています。フェデリコ・ズッカリ、カッラッチ、カラヴァッジョ等の影響が見られますが、代表作であるカポディモンテの「慈愛」などは、彼独自の、醜い対象を描きながらも美しい作品に仕上げる表現力が見事です。むしろ先に挙げた三者より、デッサンには卓越したものがあります。

 

Salone Pompeiano

 

王宮広間には様々なテーマがあり、ポンペイ風が上。数々の陶器や調度品、彫刻なども当然あり、まだあるのか、まだあるのかと最後に現代作品にたどり着いた頃には、クタクタになっています。

 

Roggia

 

ここが全ての入り口。この階段上がるのか!(もっと下にある)とうんざりしそうになるのを、気合いを入れて見学開始。それにしても昔の人は、貴族達も体力があったのでしょう。廊下を歩くだけで体力つくこと間違いなしです。

 

ありがたいことに美術館内にバチカンより百倍素敵なカフェがあります。

 

Capodimonte Caffe`

 

初日の午前中一杯カポディモンテで過ごします。お昼は簡単に。

 

 

【旅】2018年イタリアの旅後半:偉大なるナポリ

9月20日に成田から一緒に旅立った先鋒隊は帰国。チャ〜オ〜❣️

 

入れ替わりに21日、後半戦を戦いに成田からグループがやって来ます。私は20日朝、イゼルニアの駅まで先鋒隊を見送ってモリーゼに残り、21日にナポリに移動、その夜ナポリのカポディキーノ空港へみんなを迎えに行きます。ベンヴェヌーテ❣️(皆女性なので、語尾はテ)

 

Capodichino

 

夜なのでこんな感じかな。もちろん空港内で待ってる。みんなが出て来たらすぐ分かるように。

 

これからは「大ナポリとその周辺」の旅について計画を書いて行きますね。

 

空港から宿へは車で5分と言うこと。すぐ宿へ向かいましょう。宿は最高評価。ナポリ大学方面の環境の良い場所にあり、バルコニー付きのスイートとおしゃれなロフト風!

 

 

部屋はすごく広くて綺麗!もちろん清潔。何と言ってもこの窓の外には広いバルコニーがあって旧市街の様子がよく分かる。後半の旅は前半と違い、ナポリだけで何年もいられるくらい見るものがあるので連泊します。まずここに三泊。私は必ず宿と連絡取るんだけど、やり取りの感じも凄くいいよ。

 

 

宿はこの写真の左側の道沿い。早起きしたい人は港へ行っても良い。って言いたいところだけれど、単独行動はやめてね。南部は楽しいこともたくさんあるけどちょっとした危険も多いから、その辺は注意。

 

 

 

 

 

【旅】持ち物確認

旅の用意。

 

もしこれからスーツケースを買おうと思うなら、私は圧倒的に軽いのを選びます。

 

https://www.alitalia.com/ja_jp/fly-alitalia/baggage/hand-baggage.html

アリタリアのページです。

 

私の旅では、機内持ち込みに限っていますので、スーツケースの大きさや重量、液体の持ち込みかたなど確認してください。空港でカバンを開けることのないように。スムーズに通れるように注意。硬いスーツケースでなく、布製のボストンバッグだと車内で特に便利です。座席の下に入れられるので混んでいても邪魔になりません。

 

冬の旅と違って、暖かい時期の旅は荷物もずっと少なくて済みます。必要の無いものを極力避け、荷物は少なくしましょう。日本人だけの貸切バスと違って、現地の人にまみれて自分で荷物を運びながら移動するので、旅の間中ずっと楽です。

 

私のお勧め荷物は

1)できるだけ早く乾くアイロンの要らない衣類(当然下着も含め)

2)薬(解熱剤、風邪薬、胃腸薬、もちろん自分が普段必要とする薬)

3)交換の靴(絶対歩き易い、長く歩ける靴)

4)お土産などで荷物が増えた場合の折り畳める丈夫な鞄。

行きは荷物は預けません。乗り換えや鞄受け取り時間、ロストバゲージの心配もないので。でも帰国時は預けて問題ないから(大切なものは預けないのは当然)サイド鞄が活躍。鞄はスーツケースの上に乗せて運べる物がベスト。

 

当然カード、現金も必要です。(パスポートや旅券は言うまでもないよね。)多く持ち過ぎないけれどどこでもカードが使えるわけでは無いし、多少は必ずユーロにして持っていくこと。普段の財布ごと持って来て、必要の無いカードや保険証をなくした知り合いがいましたが、そういったことは絶対しないこと。ユーロの交換は、ちょこちょこチェックしてレートの良い時に変えておくと余裕です。最近は外国人観光客のおかげであちこちに外貨の交換所ができました。

 

👗エレガントな装いもできるようにしておくと旅の内容が広がります。オペラやナイトクラブ、王宮礼拝堂などでの観劇に。当然ドレスには靴やアクセサリー、バッグも必要です。高級品とかブランド品の必要は全くありませんが、きちんとした格好で揃えましょう。その時だけはお化粧も合わせましょう。普段と兼用にしようとするとめちゃくちゃになりますしみっともないから、一つだけ完全に別に考えましょう。うるさく言うのは向こうでの扱いが違うからです。せっかく美しい場所なのに、所構わずヨレヨレのTシャツやジーンズで来られたら来られる側だって不愉快です。綺麗な格好で行けば、尊重しているのが伝わり丁寧に扱われますが、ウォーキングシューズなんかで行くと最悪の場合は差別さます。

 

シルクの黒いワンピースはつぶしが効く

 

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今年持ってくワンピース

去年と違い、今年は北イタリアで標高のちょっと高い場所もあります。数年前に行ったボッビオの9月半ばはかなり寒かったので冬のジャケットを買いました。今年の旅のために考えている、ルッカでアリアを目の前で聴く企画も毎年夕方遅くからなので、今年は長袖のワンピースを用意しました。光沢のあるシルクなのでバッチリです。巨大真珠のネックレスは平凡なので、もっと個性的なものにするかもしれないけれど。

 

それでは旅支度も楽しんで❣️

 

 

【旅】2018年9日目:サン・ヴィンチェンツォ・アル・ヴォルトゥルノ、イゼルニア

最後の宿はカンポバッソから1時間弱のイゼルニアです。バスは一日3本。電車は8時半の次の12:32が良いのではないかと思っています。13:27イゼルニア着。この宿は歴史中央地区ではありません。翌日私以外、帰国に向けローマへ発つので、駅の近くで動きやすい方がいいと思ったので。ローマまで2時間強です。

 

Campobasso

 

ということは午前中カンポバッソでぐるぐるできるので神秘博物館へ行って見たいです。

 

Museo dei Misteri

 

https://www.misterietradizioni.com/misteri/

先にも書きましたが、ミステーリとはミステリーと語源は同じですがちょっと違います。ここでは人間山車のことを指すようです。サイトにはそれぞれの聖人の解説、山車にかかる人数、高さなどが写真付きでたくさん載っています。小さな村でこんなに盛り上がっていたら、子供時代の良い思い出ではないでしょうか。

 

残った時間はお買い物もかねて、町歩き。エルボリステリーア(薬草化粧品薬屋さん)はあの小さな街に6軒もあるしね。ランチも買って行きましょう。

 

Isernia

 

私達がお昼に着く、イゼルニアは街に歴史がある割には、市内に残っているものがありません。ですが周囲には結構モリーゼ1、2を争う有名な場所があります。

 

駅前の大通り角にあるマンションで一泊住民

 

一般的な観光地としてはほとんど知られていないでしょうけど。

サン・ヴィンチェンツォ・アル・ヴォルトゥルノは、中世美術を勉強し始めた初期に知りました。それほど有名なところです。なので18時まで空いていますからすぐ向かいます。

 

San Vincenzo al Volturno

 

https://www.youtube.com/watch?v=4F7J_lOwU-k

上空から見た綺麗な映像です。

 

http://www.telemolise.com/view.php?idfilmato=88798520113042018090638&tipo=tg

ここは初期ヨーロッパにおける最も重要な聖地であったと、聖職者、イギリス人研究者などが説明したイベント。英語圏の人のイタリア語。大変ゆっくりだから勉強してる人にはいい聞き取り練習になるかも。

 

Annunciazione

 

これに感動できるのはマニアかもしれませんが、聖地の持ってる力というものがありますし、とにかく20世紀に農民が偶然発見した地下聖堂には、西洋美術や中世史に関心のある人喫水の9世紀のフレスコがあります。

 

次はイゼルニアを南下し大天使の洞窟サンタンジェロ・イン・グロッテヘ

 

Sant'angelo in Grotte

 

「洞窟の中の大天使」という町の名前。日本ももっと面白い名前を残せばいいのに、といつも思う。なんでも新町とか緑台とかつまんないし歴史も文化も何もない。

 

 

ここから入ります。今回の旅は洞窟の旅ですが、ここは外からは想像もつきませんが、最もフレスコが堪能できる場所です。

 

Cripta

 

お〜!かわいいよーっ。結構一面に残っています。絶対上手いとは言えないのですが、ルネサンスが来る前の人々の、画面における空間認識がよく分かります。この絵からすると今からは想像もできないほど、栄えていたようです。

 

 

 

近くには観光地として一般的に大人気の「苦しみの聖母聖所」があります。

 

Santuario di Santissimo della Addorolata

 

「苦しみの聖母」というのは、キリスト教美術では胸に剣を七つも突き刺した恐ろしい図像なのですが、裏腹に明るく華やかな聖所です。ここへの道筋には「十字架の道行き」という、イエス磔刑に着くまでの受難を表現した14の祠(ここでは祠はなく、現代彫刻)があります。もう夕方でしょうから上のイメージでしょうか。今回のプーリアとモリーゼの旅は、中世そのものの旅でした。メインにはルネサンスや近代のものが一つもありませんから、最後の最後に有名なゴシック・リヴァイヴァルの聖堂で閉めてもいいかもしれません。

 

 

それともこんな新しい(1888年に起こった奇跡が元で1890年に着工。普通の人にとっては1890年だって128年前で古いかもしれないけど、14世紀とか12世紀とかやってると9世紀ぐらいが古い!って感じです。考古学の人からすると、あったらし〜ってなりますよね。)聖堂は行かなくていい、イゼルニアへ帰ろう。まだお店も開いてるかもしれないから最後のお買い物だっと言うのもありかもね。

 

イゼルニアのエレガントな場所の一つ

 

とにかく最後は絶対歴史中央地区のいいレストランでお食事に決まり。

 

Torcinelli

 

予約しないと入れない「かつての氷工場」というレストランや、モリーゼ郷土料理などもたくさん見つけたよ。どれも田舎の貧しい料理から発展した感じだけど美味しそう🍷今回の旅をみんなで振り返りながら夜をゆっくり過ごしたい。だって帰ったら荷造りの戦いが待ってるでしょ!

 

【イタリアの街】2018年8日目:モリーゼの過激に可愛いロマネスク聖堂巡り

おはよー!昨日は山頂まで頑張った!

カンポバッソの山の麓のアパートで自分の家に居るみたいに起きます。アパートのいいところ。知らない人は誰もいないし、台所や、何より幾部屋もあるのがホテルと違う。私はリビングやテラスが好きだから。

 

9月18日

 

San Giorgio, Petrella Tifernina

 

今日はモリーゼの歴史美術の研究者フランコ・ヴァレンテ教授、自らが車を出して案内してくださいます😍!9時にアパートの前に迎えに来ると連絡がありました。彼のガイドで辺境の聖堂巡りをします。プーリア以上にモリーゼは車が無いのが死活問題で、車を出してもらいます。トスカーナとかだとチャータータクシー(一日中あちこち連れてってくれる)の会社があるけれど、結局散々探したけど全然見つからなくて、個人のツテを頼ります。順番はこれからですが今日絶対回るところから紹介します。

 

Matrice 

 

美術が好きなら同意してくれる人も多いと思うけど、白黒写真の方が綺麗な場合ってありますよね。映画もそうだけど。だいたい今のやたら詳細な映像で見られさえすればそれでいいって言う考えは、どうかしてる。今だって十分に綺麗なんだから、あとは足りない内容を考えよって!テレビだろうがインスタだろうが、全てにおいてそう思う、常日頃。

 

で、マトリーチェはカンポバッソから、そう遠くはないんだけど、聖堂は「道の聖母」というだけあって、なーんにもないところにポッツーンと建っています。

 

Santa Maria della Strada

 

見所は、自由でおおらかな浅浮き彫り。この辺のロンゴバルド・ロマネスクで、質素な白い石にできる影も美しい。

 

 

Petrella Tifernina

 

マトリーチェの他に、18日に絶対訪問する二つの聖堂があります。一つはペトレッラ・ティフェルニーナ(写真)にある聖ゲオルギウス(ジョルジョ)です。

 

San Giorgio

 

このファサードもいい感じですが、何と言ってもここは、この聖堂ほど破天荒はないよって言うぐらい、ロマネスク自由パワーが炸裂した浮き彫り彫刻が見もの。

 

一体何がどうしたのか謎な場面

 

イソップ物語を思い出だす動物が可愛いけどキリスト教との関わりは不明

 

http://www.medioevo.org/artemedievale/Pages/Molise/Petrella.html

 

イタリア語がわからなくても写真がたくさんあるサイトです。

 

ロンゴバルド人に、ローマ人やギリシャ文化の人々が恐れおののいたのが分かります。洗練された都会の文化人には、考えもつかない野蛮人だった彼らの美術は、まるで子供のお絵かきのようです。こういう美術に触れる度に不思議に思うのは、この人たちは町で一番腕のいい職人だったのだろうか?たまたま下手な人のが残っちゃったのか?でも聖母に捧げられた聖堂は、建築自体はしっかりしているし、幾何学文様部分はそれなりに構図に収まっています。謎は深まるばかりですが、今回はこれらの美術を専門に研究している教授が案内してくれるそうなのでお話が楽しみです。日本では絶対入手不可能な分厚い研究書も下さるそうで、重いけど大切に持って帰ります。

 

 

リンクは両方とも説明して下さるヴァレンテ教授のサイト。彼のサイトの表紙にもここの浮き彫りが使われています。

 

ペトレッラティフェルニーナの目玉は何と言っても先に挙げた浮き彫りですが、フレスコや木彫像などもあります。もひとつおまけにモリーゼには騎士団伝説があり、現在はトリノにある聖骸布や、聖杯伝説も以前はここに隠されていた!ということを主張する人々がいて、最近は観光目当てか県をあげてイベントにもなっています。

 

Pietracupa

 

ピエトラクーパもモリーゼに行きたいと思った理由の一つとなった場所。トリップアドヴァイザーは一応参考にするんだけど、いつも満点近い評価の洞穴聖堂があります。

 

Sant' Antonio Abate

 

この聖堂が大天使の洞窟と違うのは、下に降りるんじゃなくて登るところ。切り立った岩をくりぬいて作られています。実は結構広くて、これ以外にもいくつも部屋があり、現在も使われています。とにかく今日も登りまくり。東京にいる時とは大違いの運動量!(ピエトラクーパについても以前にもサイトで紹介しているから見てね。写真も違うし)

 

Campobasso

 

多分この三つを回って休憩と食事を挟んだら、1日は一杯だから、カンポバッソへ。

19日はいよいよ旅の実質最後の日です。早めに帰ってゆっくり、とかいうのがいいのか、思いっきり夜まで街をぶらつく方がいいかはその時の元気次第で。

 

 

 

 
西洋美術、イタリアの旅、読書が大好きな貴方へ、中世西洋美術研究者SSが思う事いろいろ