天使たちの西洋美術

美術、イタリア、読書を愛する西洋美術研究者SSの思ったこと

【旅】イタリア旅計画:ルネサンスに興味①

対象:とにかくルネサンスと名の付くものなら見てみる、なんだか知らないがルネサンスに興味があるのだ、でもイタリアへ行ったことが無い、と言う人へ。

一週間から十日ほどのフィレンツェだけの旅。

地図:北中部、藤色のトスカーナ州フィレンツェ

重要人物や事件は青文字、美術家は赤文字、所蔵場所は太文字で記します。

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イタリア州別地図、上から北部、中部、南部、島嶼

私が大学院で最初に言われたこと。「ルネサンスと名が付けばなんでも売れるし研究も沢山あるが、中世の巡礼、しかも誰も聞いたことが無いルッカの木彫像など、やめなさい。どうやって生きていくんだ。せめてゴシックの街シエナにしろ。」もちろん私のためを思ってのことですし、藤沢道郎先生は誠実で大変優秀な方でしたので間違いありません。先生自身がルネサンスに特別な思いを持たれていたので、尚更でしょう。でも自分の興味が何より先行する私には無理でした。それ以来、先生の予言通り、生きていくのに苦労しています。子供の頃からだけど。

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1493年に印刷されたフィレンツェ

ルネサンスという言葉は「再生」を意味します。その意味で現在はスポーツジム初め様々なところで使用される言葉として定着していますが、元はフィレンツェで生まれた概念です。長きにわたってルネサンスは「古典古代の復興、人間再生」などという紋切り型で紹介されてきました。2020年7月の今日でさえ、テレビの「日曜美術館」で100年前と変わらずそう言っていました。要するに中世キリスト教の否定になります。世界史を知らない人に一言で大雑把極まりなくいうと、古代ギリシャ・ローマ世界をクラシック(古典古代)ローマ帝国崩壊後の中世(ビザンチン、ロマネスク、ゴシックなどキリスト教絶対主義の時代)、近世(ルネサンス以降産業革命前)、現代というように捉えれば、なんとかなります。歴史は連続しているのだし、地域によって様式の差は大きく、同じ様式も土地によっては非常に年代が異なったりするので、現実には様々ですが。ジェノヴァ人のコロンボコロンブスラテン語読み)が新大陸へ旅だったのが1492年、ルターがヴィッテンベルクの門に95カ条(ヴァチカンへの告発状)を打ち付けた(伝説)のは1517年なので、歴史上の一つの目安になります。ルネサンスとは中世と近世の橋渡し、中間、両方の要素がある時代と言えるでしょう。なので、ルネサンス美術の代表はボッティチェッリの「ビーナスの誕生」というのは間違いです。あれは象徴的な作品であって、ルネサンス美術の8割はキリスト教美術なのですから。

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Santa Maria Novella

ルネサンスは思想運動ですから、本当は美術ではなく文学が先ですが、日本人でラテン語や当時のイタリア語が読める人などほとんどいるわけがなく、やはり美術がメインとなるでしょう。一にも二にもフィレンツェ、そしてローマが圧倒的中心です。そこから世界へ広がるので、まずフィレンツェに降りましょう。フィレンツェの中央駅はサンタ・マリア・ノヴェッラと言います。駅の標識にFirenze S.M.N.と書いてあるのはそういう意味で、目の前にあるドメニコ会修道院聖堂の名前です。サンタマリーアは聖マリアのことですがノヴェッラとは物語というような意味で、ここではマリアの少女時代を意味します。ドメニコ会は聖母に特別な崇敬を与えていたので、ドメニコ会の聖堂には多くマリアの名がついています。

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Ghirlandaio, S.M.Novella

サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂ルネサンスの万能の天才レオン・バッティスタ・アルベルティによるファサード(建築正面)を持ち、中ではフィレンツェの象徴とも言える大クーポラ(ドーム)を架けた建築家ブルネッレスキの数少ない彫刻でありエピソードに飛んだ磔刑像や、絵画に革命を起こしたマザッチョのこれぞ遠近法というようなフレスコ 、まさにルネサンスという聖俗織り交ぜた礼拝堂を美しく飾ったギルランダイオ(写真上)など、たった一つの聖堂だけで美術館になる程のルネサンス美術の殿堂です。隣接した回廊にある、パオロ・ウッチェッロのフレスコも損傷激しいですが大変魅力的です。同名の世界初の薬局として知られる、ちょっと離れた場所でお土産ばかり買うのに時間を取るのはもったいない。

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ブルネッレスキの大クーポラが見えるフィレンツェの眺望

次にブルネッレスキの大クーポラを持つ司教座聖堂サンタ・マリア・デル・フィオーレへ行きますが、聖堂内へ入るのに大行列ができていたら中へは入らず、ぐるっと一周します。いかに聖堂の後陣(後ろの方)や脇がすごいかわかるでしょう。ファサードはとても新しいものですから綺麗ですが軽薄な印象です。それと反比例し後方は量感のある重厚な印象を与えます。脇にある大聖堂博物館へ。聖堂の中にあったものや重要な建造物のオリジナル彫刻はみな博物館にあるし、ルネサンス期の本来の聖堂ファサードが再現されていて、世界一の博物館と、私には思えるほどです。https://duomo.firenze.it/it/scopri/museo-dell-opera-del-duomo

大聖堂博物館のサイトです。イタリア語ですが、あちこちクリックすれば写真で様子がわかります。ここではなんと言っても前ルネサンスの巨匠たちから、司教座聖堂とジオットの塔に備えられていたドナテッロの大彫刻、ミケランジェロが自らのお墓のために作った彼の自画像(彫刻だけど)が表現された感動的なピエタなど、丸一日いても足りません。

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Michelangelo, Pieta`

聖堂内へは空いている時を見計らって入ったら良いでしょう。飛ばしても良い。他に見る物が山積みだから。次はサンタクローチェ聖堂です。サンタ(聖なる)クローチェ(十字架)というのはイエス・キリスト磔刑にかかったときの十字架のことを指します。

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Santa Croce

この聖堂はルネサンスというよりゴシック美術の殿堂ですが、右脇のお墓があまりにも有名です。フィレンツェを中心に活躍した有名人がゴロゴロここに眠っています。歴史的にはガリレオ・ガリレイが有名ですが、異端審問にかけられた彼は長らくゆっくり休めませんでしたが、やっとお墓を作ってもらえました。ミケランジェロは当然います。私的には先に紹介した自分の彫刻で飾りたかっただろうにと残念になってしまうお墓ではありますが。博物館では後期ルネサンスマニエリスム)を支えたジョルジョ・ヴァザーリの大祭壇画なども見られます。

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Brunelleschi, Donatello,1429

ルネサンス期の歴史を読めば必ず出てくるメディチ家と「パッツィ家の陰謀」というのがあるのですが、そのパッツィ家の霊廟ルネサンス建築のエッセンスとでも言いたくなるようなブルネッレスキの作品ですし、空前絶後の大彫刻家ドナテッロも仕事をしています。教会建築とは思えないほどシンプルな作りなのを確認してください。灰色の枠がアクセントになっています。素朴で面白いロマネスク、荘厳で最もキリスト教中世らしいゴシック、派手で豪華なバロックに対してルネサンス建築というのは、素人にはなかなか特徴が掴みにくいものです。これぞルネサンス建築というのは聖堂でなくお屋敷の方が分かりやすく、フィレンツェの街の中心にある大商人たちのお屋敷がいくつも残っています。メディチ家の最も重要な建築家であるミケロッツォパラッツォ・メディチ・リッカルディは代表的なもの。パラッツォは城という訳を見かけますが、そうではなく現在ではビルディング(総合集合住宅のような建造物)を指す言葉です。城にあたる言葉はCastelloカステッロと言います。基本的に戦いのためのカステッロと違い、パラッツォは裕福な人々の住宅や市庁舎のような建物で、写真もフィレンツェのど真ん中、目抜き通りに面しています。近くから見ると、一階部分の壁の巨大な石が大変印象的です。切り出したままのようになっていてゴツゴツ、凸凹しています。対照的に上階は整然と等間隔で並んだヴィーフォラ(二つに分かれた窓)が特徴です。淡い茶色の石の色一色の長方形。中世の装飾的でお伽話のような建物と違い、合理主義のルネサンス建築はこんな感じで、私のような中世好きには面白味に欠けます。

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Palazzo Medici-Riccardi

このお屋敷の中には大変有名な礼拝堂があります。「三賢者の礼拝堂」と一般に言われているものでベノッツォ・ゴッツォリの作品です。まだゴシックの雰囲気を残しながらルネサンスが訪れたのを実感させてくれる力作で、小さいながら必見です。キリストの誕生を祝うために三賢人が旅をしてゆくのですが、その大行列がメディチ家と画家の自画像も含めた、ゆかりの人物たちで表されています。旅が終わり幼児イエスをお参りする場面はフレスコ でなく、フィリッポ・リッピによる祭壇画で、これも素晴らしいものです。ゴッツォリはピサのカンポサントのフレスコ も大仕事としてあるのですが、こちらは室内にあったため痛みがなく、ストレスなく堪能できます。他にもバロックの天才画家ルーカ・ジョルダーノの間など見所があります。

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Benozzo Gozzoli, Cappella dei magi

ゴッツォリといえば、彼の師匠であり特別な画家べアート・アンジェリコを思い出します。ここからそう遠くない場所に世界で唯一の修道院博物館サン・マルコがあるので絶対に訪問します。サン・マルコは駅の近くのサンタ・マリア・ノヴェッラ同様ドメニコ会の修道院ですが、隣接した聖堂も、フィレンツ史における重要な聖堂ですので必ず同時に訪れましょう。入場料のあるところは別として、聖堂を訪れた時には、素晴らしい芸術作品と宗教的遺産を守るためにもお布施をしてください。ガイドにはそんなものいらないという人がいますが、それは彼らの宗教や芸術に対する尊敬の念の欠如から来ると私は思っています。offertaと書かれた切り込みのある口が、蝋燭や聖人像の下などにあるので気をつけましょう。

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San Marco

日本や英語ではフラ・アンジェリコと言われていいますが、これはフラーテ(修道士)アンジェリコ(天使のような)という意味で、彼の名はグイド・ディ・ピエトロと言い、ドメニコ会の修道士となった時にジョヴァンニ・ダ・フィエーゾレ(フィレンツェの郊外の街フィエーゾレのヨハネ)と改名しました。彼は大変徳の高い高潔な人物で素晴らしい画家でもあったので、生前から「ベアート(神に恵まれた)アンジェリコ(天使のような)画家」と言われてきました。天に召された後(彼は間違いなく天に召されたと、私は信じています)カトリック教会からも列聖された、特別な画家なのです。

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Beato Angelico

アンジェリコは日本でも人気が高く、サン・マルコ博物館は彼の絵を見に行く人で溢れていますが、ここはただの美術館ではありません。フィレンツェの歴史を知っていれば、当時の人々の熱烈な信仰心、暴力的で騒ぎを起こさずにはいられないルネサンスの男たちの怒り、権力と政治に絡んだ、感動的で悲惨な様々な出来事が、まさにここで起こったのだと思い知らされます。有名な図書館の入り口には「サヴォナローラはここで捕まった」というプレートが掲げられ、拷問の末火炙りになった彼の修道服の切れ端が展示されているのです。アンジェリコ修道院長に推薦されました。中世には大修道院長が王や皇帝の政治顧問で、影の支配者であったことが珍しくありません。卑しい権力闘争とは正反対の静寂に包まれ、アンジェリコがベノッツォを筆頭とする弟子たちと仕事をしていた姿が、回廊では目に浮かぶようでした。ここでは撮影は禁止です。私は特別に許可をとったところだけ撮しています。上の写真は自前のポスターです。

 

この近くにはルネサンスのフレスコ など見所が他にもあるのですが、ルネサンス①の今日は、最も有名な場所だけにします。なので次はアカデミアへ行きます。

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Accademia, Michelangelo

アッカデミーアは、ただひたすらミケランジェロダヴィを目的に来る人でごった返していますが、この写真にある通りミケランジェロの他の作品もあるし、中世の板絵などもあります。満員電車の中のようなダヴィデ周辺とお土産室とは裏腹に、二階展示室には人っ子一人いません。よほど時間がないなら仕方ないとしても、ここに入るだけでも並ぶ人が少なくないのに、入ったらこれとお土産だけっていうのは、美術が好きなんじゃないんだなーと、私なんかは思ってしまいます。それならパラッツォ・ヴェッキオの入り口にも、素晴らしい眺望のミケランジェロ広場にも複製があるんだから、それでいいんじゃないでしょうか。

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ランツィのロッジャから見たパラッツォ・ヴェッキオの入り口

パラッツォ・ヴェッキオは絶対入るべき!上のカフェで休むのも超お勧めです。

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Palazzo Vecchio

フィレンツェが共和国であった時代の最も象徴的な建造物であり、街の中心にあるのがパラッツォ・ヴェッキオです。「古い館」という意味の呼び名は当然現在のもの。これこそフィレンツェ史を読んでから行って欲しいですが、中にはレオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロが腕を競ったと言われる五百人広間や、多少気のおかしかったフランチェスコ一世錬金術の研究室ストゥディオーロ、様々な有名人が幽閉された塔など最低でも半日は必要です。もし行かれるならば、写真のストゥディオーロとメディチ家の人々が秘密裏に街から逃げるための隠し通路、この建物の構造が直近に見られる屋根裏、祖国の父コジモ・デ・メディチサヴォナローラが幽閉された塔など、一般には見られない特別ツアーも考えてみてください。以前フィレンツェの文化事業ボランティアのガイドで、旅の参加者には私が通訳をしました。とても興味深い内容で大満足でした。

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Studiolo

これと連結された建物が、世界一古い美術館であるウッフィーツィです。日本ではウフィッツィと表記されますが間違い。Fが二つなのでウの次に小さな「ッ」が必要です。アクセントの位置も違ってるし。語学を勉強するときにアクセントの位置に気を配らない人は、上手く話せるようにはならないと思うます。パラッツォ・ヴェッキオとウッフィーツィは連続しているので、一緒に見るのが時間的には最高ですが、とにかく作品数が多く、しかも内容が濃いので真剣に美術を見る人なら最低でも二日は必要です。午前中一杯お屋敷を見たら、近くで昼食とり英気を養って美術館へ。最大の呼び物はボッティチェッリのニ作品ですが、他に無数の優劣つけ難い作品があります。

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Uffizi

大体周辺の広場にはベンベヌート・チェッリーニジャンボローニャランツィの回廊という素晴らしい彫刻群を陳列した場所や、椅子がわりにされているバルトロメーオ・アンマナーティの大噴水などシニョリーア広場だけでも、ルネサンス美術の殿堂の感があります。下は18世期のシニョリーア広場です。左にパラッツォ・ヴェッキオと噴水、正面にランツィの回廊が見えます。

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Giuseppe Zocchi

ルネサンスの旅一回目の今日は、行きやすい、まず大注目の場所だけ記しました。まだまだまだまだあります。ルネサンス好きには、フィレンツェだけで一週間から十日なんて全然足りません。

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