天使たちの西洋美術

美術、イタリア、読書を愛する西洋美術研究者SSの思ったこと

【旅】イタリア旅計画:バロックな旅:絵画編②ローマ

コロナのおかげで旅へ行けなくて、ネットを通じての代行旅行さえあるくらいなんだから、自分で行くときのことを想像して、じっくり計画を立てて楽しもうという意図で書いています。私も授業が半年以上無いので、生徒たち、参加者の皆さんにいつもの授業を少しでも忘れないようにして欲しいという願いも込めて。

f:id:Angeli:20200708135555j:plain

Andrea del Pozzo, Europa

対象:バロック絵画をより深く知りたい人へ。

地図が読めれば、ローマの大聖堂やお屋敷ですから語学的にはあまり問題なし。

一応ローマの最も重要な場所へは行ったという人にお勧めします。

場所は太字、美術家は赤文字、それ以外の重要単語は青文字で表記。

f:id:Angeli:20200708120541j:plain

イタリア州別地図・ローマは中部の濃いピンク色ラツィオ州

バロックな旅絵画編の1回目はカラヴァッジョがテーマでしたが、二回目は同じバロックとはいえ全くカラヴァッジョとは違った絵画を紹介します。西洋美術史に興味を持ち本を読み始めると、まず様式の名前を知らないと話にならないことに気づきますが、バロック美術は時代的にはルネサンスの後、宗教改革の真っ只中に始まり、カトリックの巻き返しとしての対抗宗教改革期に盛大に打ち上げられた花火です。

f:id:Angeli:20200705212021j:plain

Chiesa del Gesu`

対抗宗教改革の先鋒として良くも悪くも大活躍したのはイエズス会なので、バロック美術はイエズス会の聖堂で最高潮に達します。「神の軍隊」と言われ全世界へ信仰の光を届けに出撃して行ったイエズス会士は、もちろん日本にもやってきました。ザビエルの名は歴史の教科書に必ず載っています。上智大学イエズス会の大学で、現在も神父かつ学者である人々が活躍しています。その総本山ローマの、その名も「イエスの教会」イル・ジェスー、キエーザ・デル・ジェスーが写真の聖堂です。バロック様式が確立していくとバロック聖堂は、ファサードの両脇に渦巻きのような意匠が施され似た外観を持つようになるので、見慣れてくるとすぐに判別できます。アメリカや中南米、世界中にあるバロック聖堂のファサードは全てこの聖堂を真似たものなのです。

f:id:Angeli:20200708140958j:plain

Sant'Ignazio De Loyola

ミケランジェロが無償で設計を申し出たこの聖堂は、ジャコモ・バロッチ・ダ・ヴィニョーラジャコモ・デッラ・ポルタの二人のジャコモ(ヤコブ)によって完成されました。二人とも大美術家です。ヴィニョーラは壮大なルネサンス建築を思わせる館が得意で、ピアチェンツァファルネーゼ宮殿で実感できます。今は博物館ですが、私の愛する博物館の一つです。フェデリコ・ツッカリ、ピエトロ・ダ・コルトーナなど、この聖堂には当時最大の美術家が多数参加しているので、美術史を勉強する人には最適です。外の生真面目な印象と違って、中は驚くことになっています!!

f:id:Angeli:20200708131022j:plain

Chiesa del Gesu` ,Il Gesu`

エスを称えるためイエズス会(翻訳問題であって、イエスとイエズスは同じ。)の総本山として作られた聖堂の中は息を飲むような豪華なものです。床も壁も豪華だけれど、なんと言っても天井が壮絶!

f:id:Angeli:20200708130402j:plain

"Baciccia" Giovan Battista Gaulli

バチッチャと呼ばれたジョヴァンバッティスタ・ガウッリの「イエスの名の凱旋」は世界中にある、豪華な天井画の最高峰の一つに間違いありません。バロック美術の特徴である壮大な劇的効果が頂点に達しています。バロックは建築や彫刻と一体となって最高の効果を発揮します。空間を飛び交う天使たちは白いストゥッコです。ストゥッコとは古代ローマ時代から使われた、漆喰と似た技法ですが、大理石より安価で軽量、しかも造形しやすいので、バロック時代に高い部分に盛んに使われました。バロックの聖堂へ行くと頭がぼうっとし首が痛くなるのも当然です。望遠鏡を使ってよく見ても、見れば見るほど細部まで入念に描かれています。雲の影はまるで本物に見えますが、それも描かれたもの。フランス語でトロンプルイユというのですが騙し絵のことで、至る所に目の錯覚を利用した高い技術が駆使されているのです。

f:id:Angeli:20200708124614j:plain

切手になったポッツォの自画像、イエズス会士の服装

イエズス会は専門的な技術を習得した修道士を多く育てたので、バロック美術にはそういった技術者兼美術家である修道士が活躍しました。中でも数学、幾何学、複雑な遠近法を駆使したアンドレア・ポッツォは達人としか言いようがありません。自画像制作の依頼を受けた彼は、バロック遠近法の頂点として有名な、自らの偽ドームを指差しています。次はサンティニャーツィオ・デ・ロヨラ聖堂です。

f:id:Angeli:20200708125131j:plain

Chiesa di San'Ignazio De Loyola

これはイエズス会創始者聖イグナチウス・デ・ロヨラに捧げられた聖堂です。ここも、よくあることですが、最初の建築計画が実行されず、当初の計画にあったクーポラ(大ドーム)が作られないことになりました。ポッツォはそれに信じ難い方法で対処します。それが上の写真。灰色のクーポラに見えるところは全て描かれているだけ、凸状の空間は存在しないのです!当然、平なのですから見る角度によって歪んで見えますが、入り口から入ってきた者にはちゃんとクーポラに見えるのです。ルネサンス初期にブルネッレスキやマサッチョが皆に知らせた遠近法は、ここまで複雑で練りに練ったものになりました。本物のクーポラと違い明かり窓がないので暗い上、色も濁っている現在、よほど明るい日に見に行かないと、薄暗がりにぼうっと見えるだけなので、訪問する際は日時を選んでください。望遠鏡があると最高です。

f:id:Angeli:20200708132739j:plain

Andrea del Pozzo

盛期バロック絵画中、後のロココ美術に最も大きな影響を与えたのはポッツォではないでしょうか。それまでのバロック美術の、劇的で迫力はあっても重々しく暗い、という印象をこの天井画「聖イグナチウスの栄光」は一変させました。影のないルネサンスとは違い、バロックらしい陰影の効果と劇的な空間を一気に輝かしいものとしたのです。

f:id:Angeli:20200708142426j:plain

Gloria di Sant'Ignazio De Loyola 1685

81,5mに及ぶフレスコ の中心を見てみましょう。天に近づく程色が薄くなる空気遠近法で見え難いですが、最深部には父なる神、神の下には十字架にかかって人類の罪を贖った神の息子救世主イエス、そのイエスの下に灰色の服を着て腕を広げているイエズス会創始者聖イグナチウス、聖人から発せられる光は黒い服を身につけたイエズス会士を通じてヨーロッパ、アジア、アメリカ、アフリカの四大陸へ、そして全世界を表すその大陸には大勢のイエズス会士たちが天使の守護を受けながら活躍している。天に連なる理想的な宮殿のアーチの下ではイエズス会のシンボルIHSを掲げた天使が浮かんでいます。全世界のキリスト教徒が、神へ向かって吸い込まれてゆくような壮大な主題が、絵画的才能の上にこれ以上ない技術力で表現されているのです。どこからが建築でどこからが天上なのかさえ判別不能な程、暗い聖堂内部に神々しい光がもたらされます。これは後のティエーポロに受け継がれ、彼をもって壮大な巨匠の時代は終わりを告げるのです。ポッツォはその後ウィーンの宮廷で皆を驚かせ、何世紀にも渡ってヨーロッパ宮廷の規範となる『画家と建築家のための遠近法』を著し、ハンガリーボヘミアモラヴィアポーランド他カラヴァッジェスキ(カラヴァッジョ の追従者たち)ならぬポッツェスキと言っても良いような画家たちを産んだのです。

f:id:Angeli:20200705211817j:plain

Pietro da Cortona 1633

 イタリア語でsotto in suソット・イン・スッと言われる下から見上げる技法、「天井」を超えて「天上」が見える。という考えはポッツォの考案ではありません。遠近法と視覚の問題に取り組んだ美術家は大勢います。さらに「イグナチウスの栄光」ではイエズス会のシンボルIHSでしたが、盛期バロック美術のソット・イン・スッに付き物の象徴的な印はピエトロ・ダ・コルトーナの「神意の凱旋の寓意」に極めてルネサンスらしい形で表されていました。最後を締めるのはバルベリーニ宮殿です。Pietro Berrettiniが本名のピエトロ・ダ・コルトーナは盛期バロックの三代巨匠の内最年長の1596年生まれ。ジェノヴァ出身のガウッリが1639年、トレント出身のポッツォは1642年生まれなので半世紀違います。ガウッリとポッツォは二人共1709年に昇天しました。バルベリーニ宮殿の大広間の天井を見れば、ルネサンスらしさがみられます。天使の代わりに、ふくよかな理想的な美女たちとプットーという可愛らしいぷくぷくの幼児が半裸の姿で戯れている。陰りの無い明るい画風はカラヴァッジョの始めたバロック美術とは正反対です。

f:id:Angeli:20200708171208j:plain

Pietro da Cortona , Barberini

上の絵は先の絵の部分です。なぜか彼らの真ん中には「金色の蜜蜂」よく見るとその上には「黄金の二本の鍵」。これはバルベリーニ家の紋章と教皇の印です。さらによく見るとその印に何かを被せようとしています。下から見ているので内側しか見えませんが、教皇の三重冠です。下の女性が持っているのは、十字架に見えますがそうではなくオリーブの枝の端で、彼らは空間に紋章を形作っているのです。バルベリーニ家の勢力は1632年に頂点に達します。マッフェーオ・バルベリーニが教皇ウルバヌス八世となったのです。キリスト教世界の頂点たる教皇に選ばれたのは、神意によるものだっ!という、まさにルネサンスの祝賀画で、一切キリスト教的なところはありません。先の二つに比較すると、この絵は小さく大したことがないように感じます。先の二つがプロテスタントに対抗し、世界中の人々をキリスト教徒とすべく世界中に建造されたイエズス会の最も重要な大聖堂に描かれているのに対して、この絵は一家の広間に描かれた私的なものなのだから当然です。

f:id:Angeli:20200708174000j:plain

Palazzo Barberini

バルベリーニのお屋敷は地下鉄バルベリーニ駅からすぐ。大体駅の名前がこの屋敷からとられていることからも察しがつくように、あの天井だけでなく美術館博物館として質の高い作品を多数揃え、屋敷自体も当時最高の建築家たちによるものです。

https://www.barberinicorsini.org/arte/capolavori/

バルベリーニ国立博物館のサイトです。すごい💖

骸骨寺として有名なSanta Maria Concezioneや、この次紹介する天才バロック建築ボッロミーニの代表作サン・カルロ・アッレ・クアットロ・フォンターネも近くですので、二度目のローマ、もしくはゆったりローマにいられる人は是非どうぞ。

西洋美術、イタリアの旅、読書が大好きな貴方へ、中世西洋美術研究者SSが思う事いろいろ