天使たちの西洋美術

美術、イタリア、読書を愛する西洋美術研究者SSの思ったこと

【本】芸術家の伝記

コンピューターと携帯(携帯する物はいくらでもあるはずなのに、今では電話に決まってる。あと何年したらこの常識が通じなくなるのか興味があります)が一般化して、素晴らしい点もたくさんあるけれど、負の部分もある。情報貧民と言われるような人々が当然のようにいて、年代格差だけでなく、あらゆる所で情報格差が生み出す生活の差がどんどん開いている。でもそれは私の専門外だからここでやめて、今言いたいことは、読書量が激減したということ。私自身も本とコンピューターではコンピュータに向き合ってる時間の方が長い。ちなみに携帯は必要最低限しか使わない。携帯があるからいいと思ってる人が実に多いけれど、それは全く違う。情報量が携帯の小さな画面と、21インチ画面ではどれだけ違うか考えるまでもないし、出来ることも時間も全く違う。どんなにギガ数を増やしたって所詮携帯は、ちょっとした情報検索と暇つぶし、連絡手段に過ぎない。本気で聴くには音質は悪いし、映画見るには迫力なさ過ぎでしょ。

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クレーの日記

ということで、携帯とコンピュータでは内容に違いがあるのと同じように、本とも違いがある。本は(と言っても本にもいろいろあるけど)画像が少なく、文章が多い分、より自分の頭を使って理解する必要があるから、筆者も文章をよく考えて練るので、美しい表現や凝った構文などに出会える。コンピューターに文学的な要素を求める人は、まだそれほど多くないし、長い時間じっくり読むのには紙の方が目が疲れない。姿勢も自由に出来るしね。最近の本は文字数がやたら少ないので、こういった文学の素晴らしさを味わうことが難しい。オリンピックやってるから例えるけど、スポーツと同じでなんでも量をこなすことはできるようになる秘訣だから、短い簡単な文章しか読んでいなければ、読解力もつかない。なので、すぐに諦めずに、分厚い本や、少し難しいと感じる文章に挑戦しましょう。私も歴史社会や美術史ばかり読んでないで、思想哲学や時には数学の本なんかも読むことにしています。

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ロートレックの生涯

やっと本題。今日紹介したいのは、芸術家たちの伝記です。美術史を講義していて常々思うけど、作品そのものより、描かれた内容や芸術家の挿話に感動したり関心を示す人は、大変大勢います。正直言って、作品そのものを良いと感じられなければ、作品は理解できないと思うけど、当然好きで絵を見たり読んだりするのは自由。それに深く作品を理解したいと思うような人には歴史を知るのは不可欠。ということで大まかな世界史の知識が欲しいとこだけど、それはつまんない。というなら、好みの芸術家の個人的な話なら興味を持って読めるのではないでしょうか。ネットで調べたり、美術史の本とは全然違ってリアルです。画家自身の手紙や言葉に触れると、悲しくなったり、かわいそうになったり、時には嫌いになったり、今までのイメージを覆されて驚いたり。

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ピカソとの17年

ピカソはウルトラ有名な大美術家です。確かに、彼のいくつかの作品は、非常に力強く印象的で独創的で心に響くものがあります。でも人間的には、全くろくでなしで彼のために酷い目にあった女性は数知れず、私は大嫌いです。こんな人がそばに居たら耐えられない部類です。そういうならゴッホも確かにそう。彼の場合はものすごく良い人だけど、常軌を逸した情熱家で、独力では生きられない人だから、そばに居たら面倒見なきゃならないけど、見れるわけないし。

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ベルニーニ その人生と彼のローマ

天才的な人の伝記は読みやすい場合が多い。天才少年ぶりに感嘆し、誰でもそうなると思うけど、とてつもなく思い上がったり、どん底に落ちたり。ベルニーニが愛人に斬りつけた話なんか忘れられない逸話で、作品を見るときにどんな気持ちだったのかと考えたり。ロートレックは、明確な理由は分からないけど、身体的な問題を抱えていたからか退廃的な生活と態度が悲しい。でもそれと同時に、日本へ行こうと考えたり、新たなことへ興味を持つ精神が、あれほどカッコイイ、独自のポスターに集結したのだと思う。百ページ足らずの簡単な本じゃなくて、たまには分厚い本を読んでみて。こういう類の本は、中学生くらいに読み始めたんだけど、いまだに印象が深く心に残っている本が何冊もあります。

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