天使たちの西洋美術

美術、イタリア、読書を愛する西洋美術研究者SSの思ったこと

【旅】イタリア旅計画:バロックな旅①聖ペテロ大聖堂

対象:ド派手なバロック美術が好きっ!という人へ

語学力は無くても地図かグーグルでなんとかなる。一週間から10日程のローマだけの旅

地図:中部、濃いピンク色のラツィオ州

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イタリア州別地図:北部、中部、万部、島嶼

全然時代が違うんだけど、バロックという言葉を時々ゴシックと取り違えている人がいて不思議に思う。ロマネスクやルネサンスとは取り違えないんだよね〜。バロックとゴシックの共通性ってなんだろう?単に単語のリズム?もしかしたら何にも知らない人にとってはそうかもしれない。けど、なんとなく知っている人には何か共通項があるに違いない。派手、暗い、ちょっと怖い、壮絶技巧、など思い当たりました。どうでしょうか?

場所は太字、芸術家は赤字で表記します。

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ヴァチカン市国の大柱廊にある教皇の印、世界で最も壮大で美しい柱廊だ

ルネサンス美術の衰退とも言われるマニエリスム(もちろん衰退だけではないが、そういう面もあるとは思う)は技巧を凝らして、練りに練った内容となり、なんだか訳の分からない絵になってゆきます。象徴や様々な決まり事など知っている者にはそれが魅力でもありますし、それは今も変わりません。美術史やイコノロジーなど勉強してゆくと、マニエリスム絵画を読み解く面白さにはまります。他の人には分からないのに自分は知ってるんだーっという、美術通になった気分も味わえます。でもやはりそれは正道ではないし美術の本質とは別のものです。

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ルネサンスに始まりバロックに完成した聖ペテロ:ファサードも両様式が混合

誰が見てもあっと驚く素晴らしさ、見事さ、美しさといったものをバロック美術は追究しました。一部の教養階級の手から万人に美術を取り戻したといっても良いかもしれません。それには世界史における、中世から近世への非常に重要なターニングポイントとなった宗教改革という背景があるからでもあります。プロテスタントは美術を否定したのに対して、カトリックは美術の力を最大限に発揮して信者の心をつかもうとしたのです。だから当然最大のバロック美術は教皇庁であるヴァチカン市国ローマに集中しています。後にはカトリック信仰の厚い支配者、神聖ローマ皇帝などが収める地域、ナポリ南イタリアバロック地帯です。その最大のスターは誰もが認めるだろうジャンバティスタ・ベルニーニです。

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ベルニーニの大柱廊をクーポラの上から撮影

ローマの街はまるごとバロック美術の舞台装置であるかのようです。ローマは無知でも十分楽しめますが、歴史を知っていれば百倍千倍にもその楽しさは深まります。古代から中世、ルネサンス、近世とほとんどあらゆる時代で重要な役割を果たしてきた街だからですが、特に古代ローマバロック美術が色濃く反映されています。何度も映画化された「ベンハー」のレースはここで行われたのかとか、コロッセーオでは皇帝たちが親指を使って、グラディエイター(剣闘士)やキリスト教徒の命を決めていたとか・・つい横道にそれました。バロックに戻ります。クラシック美術では古代ローマ皇帝が断然主役ですが、バロック美術では教皇、大貴族に並んで美術家たちも主役になります。

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聖ペテロ大聖堂内陣 この日はフランシスコ教皇のミサで大混雑

ローマのテルミニ駅は便利ではあってもつまらないので、何がなんでもヴァチカン市国へ行きましょう。ヴァチカンには最低でも丸一日、できれば二日とりましょう。私はヴァチカン美術館をじっくり観る目的の時にはCipro(チープロ)駅まで行って美術館入口まで徒歩ですぐのところに泊まります。この辺は圧倒的に観光客も減って、日常生活も味わえる地域です。今Google マップでCiproを調べたら、ヴァチカン美術館の説明に「ルネサンス時代の美術作品を展示する」と書いてありました。真っ赤な嘘だよ〜。エジプト美術から現代美術まであります。

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Basilica di Santissimi Pietro e Paolo

聖ペテロ寺院 Basilica di Santissimi Pietro e Paolo は正式には聖ペテロとパウロのバジリカです。その二人が共にあることに大きな意味があるからですが、一般にはペテロだけの名で呼ばれています。ベルニーニの大柱廊のなかを歩いて、その巨大さを痛感したりしたいものですが、時間がなかったり気持ちがはやって、一目散に大聖堂(バジリカ)へ直行してしまいがちです。でも広場を眺めれば噴水が二つあり二人の像があるのが分かります。それはペテロとパウロです。旧約聖書新約聖書、伝統と革新、ユダヤ教と世界中の人々を二人は象徴しているのです。

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ベルニーニの巨大聖水盤:男の子と天使の大きさを比べて

チェックを受けて入場します。初めてここへ行った時、若かった私はスカートの長さが短過ぎ、入れてもらえず、必死のズリ下ろし作戦も通じず、凄く楽しみにして勢い込んで行ったのに叫びたい気分をあじわいました。その時のヴェネトンの超カラフルな服装を今でも覚えていますし、私を入れてくれなかったアフリカ系の守衛さんも忘れられません。当時は憎かったけれど、今は迷惑かけてすみませんという思いです。どの聖堂もそうですがノースリーブ、ミニスカート、半ズボン、大きく胸が開いた服(イタリアにしては)は入れません。スリップドレスで入ってきた韓国人が、何度も出るように言われているのに言葉がわからなかったのでしょうが、出ていかず神父さんが困っていたり、ノーブラ、タンクトップのドイツ人団体が大きな禁止の看板があるにも関わらず、無視して入り、教会守りの人たちを不愉快にしているなど、何度も見たことがあります。自分もそうだったのですが、皆さん注意しましょう。聖堂は観光客のものではなく本当に信仰厚い人たちのためのものです。

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内陣と袖廊の交差部にあるベルニーニのロンギヌス

聖堂は上から下まで、隙間なく埋め尽くされた芸術的空間で、息が詰まりそうです。大抵は上を見上げて、その呆れた豪華さに圧倒されます。あまりにも至る所観るべきところばかりですがゆっくり全部見ていると聖ペテロだけで一日が終わってしまうので、特にバロック的な優れた作品だけ取り出すと、聖堂の交差部にある四つの大彫刻は最も意味のあるものです。それは全て十字架と関係のある作品です。上は私が一番好きなベルニーニのロンギヌス。ロンギヌスは槍を持っているので判別できます。足元には彼がローマ兵であることを示す兜。あの槍で磔刑にかかったイエスの脇腹を突いたのですが、そこからは聖水と聖血が吹き出し、それを受け止めたのが聖杯です。様々な伝説を産み、ダヴィンチコードなどの小説のキーポイントにもなっています。

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他に左から聖ヴェロニカ、聖エレナ、聖アンドレ磔刑にかかるためゴルゴタの丘へ向かうイエスの顔の汗を拭いたヴェロニカは、そこに聖なる顔が転写されているのに気ずきます。彼女の名は伝説的に作られたものですが、その場面は聖書に記されています。エレナはキリスト教を公認した古代ローマ皇帝コンスタンティヌスの母で、イエスが掛かった十字架を発見したとされています。世界中にある聖十字架に捧げられた聖堂(サンタ・クローチェ、サンタ・クルスなど)には、この十字架の破片があることになっています。彼女は聖遺物の天才的発見者で、イエスが登った階段までローマに運んできました。アンドレはイエスに最初に従った12使徒の一人で、X型の十字架にかかりました。なのでセント・アンドリューなどの名を持つ学校の記章はX十字です。

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R.M.Slodtzの聖ブルーノ

18世期に入ってからの作品も、先行するバロック作品と釣り合うように作られました。中でも私が好きなのは聖ブルーノです。静寂のカルトジオ会の創立者で、天使が差し出す教皇冠を拒否しています。初めてここへ行った時に、この彫刻の美しさと大きさ、物語性が非常に印象に残ったので聖ブルーノについて調べ直しました。

 

https://www.teggelaar.com/en/rome-day-4-continuation-9/

聖ペテロ大聖堂のベルニーニのことを書いたブログです。英語ですが写真がたくさんあるので参考にどうぞ。

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ベルニーニのバルダッキーノ

聖堂の中程、この聖堂が捧げられたペテロのお墓の上に青銅の天蓋があります。バルダッキーノといって、ロマネスク聖堂にはよく見かけるものです。ただベルニーニのバルダッキーノほど豪華なものはありません。この大きさを青銅で制作するのには、技術的、経済的に非常に問題がありました。ライバルの独創的な建築家ボッロミーニとのイザコザなどエピソードもあります。ねじれた柱は、知恵でユダヤを統治したソロモンの神殿の柱に基付いたデザインで、以後これはバロック意匠の典型となります。上には三位一体を表す白鳩が施され、地下の聖ペテロ、聖霊の鳩、ミケランジェロの大クーポラが縦軸に一直線になる考えられた設計です。この周囲は十字架にまつわる象徴で埋め尽くされ、先の四聖人もその内です。

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ベルニーニの天才が発揮された教皇アレクサンデル七世のお墓

聖堂内には教皇たちのお墓が競い合うように並んでいます。どのお墓も一級の美術品ですがこれに敵う物はありません。初めて目にした時の驚きは忘れません。写真ではどうなっているのかよく分からないと思いますが、近くから見ても、無知だった私はいったいどうなっているのだろうと思いました。まずほぼ全てが大理石でできていることに驚き、巨大な柄のある大理石の布に絡まった、砂時計を持っているのが骸骨だと解ると謎が深まり、骸骨だけが金属で作られ、その向こうには扉があって・・・これはいわゆる擬人像の群れなのです。手前の赤ん坊を抱いている女性は「慈愛」です。どれだけこの教皇が慈愛と信仰の炎に燃えた素晴らしい人だったかと言っています。アレクサンデル七世は名家キージ家の出身で、反フランス政策を継承したため、悪名高い大政治家でもある枢機卿マザランを敵に回し、政治家としては失敗だったけれど、美術愛好家としては最高の鑑識眼を持っており、現在私たちがベルニーニの信じ難い傑作の数々を堪能できるのは彼のおかげです。なのでこのお墓に近づけた時は(これは聖堂の後陣にあり、特別なミサなどがあるときは側へ行けない)祈っている彼のために祈ります。

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聖ペテロ聖堂の最も奥にある司教座記念碑

もちろん後陣を飾る大彫刻もベルニーニの作品で、それは聖ペテロの椅子がここにあるという印です。聖堂にもヒエラルキーがあって、バジリカというのは特権的な聖堂のことです。さらに英語のキャセドラル、イタリア語のカッテドラーレとは司教が座る椅子のことで、司教が座る椅子を持つ聖堂は司教区に一つしかありません。行政区画があるのです。全世界のカトリックキリスト教会で最高の椅子は唯一、ここにあります。

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ベルニーニの司教の椅子

エスに従った12使徒の中で最初に弟子となり、仲間の長だったのがペテロです。1世紀に生きたペテロの椅子が見つかった!?そしてその椅子はこの青銅の椅子の中にベルニーニが包み隠した!!と言われたのですが、実際には875年にシャルル禿頭王が教皇に贈った象牙と木でできた椅子でした。それでも9世紀で新しい〜っとなるローマって、どれだけ歴史があるんだろうと、いつも思います。とにかく、1世紀に生きた聖ペテロ以来、今の教皇フランシスコまで延々と受け継がれた神の代理人の座、これはその象徴です。

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クーポラから見たバルダッキーノと聖ペテロのお墓

ちなみに聖ペテロ大聖堂は、ベルニーニの大回廊、地下の歴代教皇のお墓、ミケランジェロの大クーポラ、その途中のクーポラの付け根でモザイクを目前にし、三重冠などの宝物館、さらにはまだ発掘途中の地下遺跡と、一つの教会建築とは思えない程見るところが満載の建造物ですので、十分時間をとってください。ミケランジェロの「ピエタ」やラッファエッロの「昇天」、デル・ピオンボの「ラザロの復活」などのルネサンスや他の美術には触れていないので、それはまた別の機会に。

 

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