天使たちの西洋美術

美術、イタリア、読書を愛する西洋美術研究者SSの思ったこと

【本】西洋挿絵見聞録:病跡学、鯰、エログロなど未知のもの

題名:西洋挿絵見聞録 製本・挿絵・蔵書票

著者:気谷誠

出版:2009、2010年 アーツアンドクラフツ

 

すごく変わった本だった。忙しかったらとても読めなかったと思うけど、コロナのため収入は激減した代り時間はあるから、普段読めない本を読んでいて、その内の一冊。こんな趣味に走った本がまともな値段で、しかも二版も出ているなんて驚きです。

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本との静かな悦楽

中野の「まんだらけ」でこれを見かけた時は、印刷、版画、ポスターなどに関する資料を探している時でした。この本も関連はあるけれど、いわゆる美術史でもなければ芸術論でも全くないし、印刷技術の話でも無い。よく知らない世界でした。帯には「ルネサンス期、アルドゥスがイタリック体で作った小型本から、総革装に幾何学模様金箔押しのグロリエの装丁本、さらにロココ時代の艶笑本挿絵、ベル・エポック期に沈没したタイタニック号に積まれた宝石本など、西洋の挿絵・製本・蔵書票のエピソードを綴る。惜しまれつつなくなった著者最後のエッセイ。」とあります。アルドゥスはイタリア史や美術史、西洋史をやっていれば知ってて当然の重要人物だし、図版170点というのもあって買ってみました。

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メリヨンとパリの銅版画

この本と並んで「風景画の病跡学」という上図の本があり、よく見ると同じ著者のものでした。病跡学って言葉、専門用語です。なんとなく知っていたけれど調べ直しました。日本病跡学会というのがあったのでサイトを見てみると、トップページには「年会費を納入してください!」という言葉と住所だけがあります。日本全体が貧しくなってるから、この学会も潰れてしまいそうなんですね。で、内容はその学会と福島章氏によると「精神医学や心理学の知識で天才といわれる人々の、個性、創造性などを研究するもの」。でランダムハウス(英語辞典)には「著名な芸術家の精神生活の異常性が創造性に及ぼした影響などを調べる研究。米国人作家J.C.Oatesの異常行動をテーマとした小説。ドイツ人精神科医P.J.Mo(¨ウムラウト)biusが1917年に作ったPathographieが源。」ということが分かりました。小説は、今で言うBAU(Behavioral Analysis Unit)かな?海外ドラマ「クリミナル・マインド」初め、今では定番の行動分析物ですね。

 

で、買った本は古本だけど新品みたいに綺麗だったから、読まずに出したんでしょうね。ちなみに図書館は気持ち悪くて使えないという人がいますが、コロナのご時世ではよく分かる。でもどうせ私の読む本は皆、ほとんど読まれていないかわいそうな本なので綺麗なもんです。

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同著者の別作品

この題名なんか私には読めませんでした。魚と念と書いて「ナマズ」だそうで、江戸時代のパロディ浮世絵のジャンルだということが分かりました。ナマズ地震を感知するという民間信仰から始まり別ヴァージョンがあります。はしか絵とかあわて絵とかいうそうです。表紙の絵は鹿島大明神が鯰を押さえつけている場面でした。興味があれば

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AF%B0%E7%B5%B5 

Wikiを参考にしましたのでどうぞ。

 

この著者は、展覧会の企画に関わったり、何冊も出版しているのでその筋では名の通った方に違いありません。が、印象を一言で言えば、完全無欠のオタクな内容でした。

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西洋挿絵見聞録のカバーを外したところ

印刷や出版の揺籃期はイタリアです。イタリアは今、本当にコロナで苦しんでいるけれど(海外がびっくりする危機感の無い日本がそうならないよう祈るばかり)世界史、特に文化史におけるイタリアの貢献はどれほど大きいかしれません。イタリアで出版が盛んになったのはルネサンス期なので、相手は主に富裕市民ですが、一般市民にも門戸が開かれました。中世には本は宝石同様で、内容は聖書に限られていましたが、古典古代の小説や歴史、ダンテやペトラルカなど格調高いものから、ボッカッチョのようなエロチックな小噺(艶笑本)も出てきます。それが著者の愛するロココ時代のフランスで様変わりし、装丁を競う物になっていくのです。昔、本は表紙の無い状態で売られていて買った人が、好きなように装丁したのです。挿絵も買った人が、版画家や時にはドラクロワロートレックなど名の知れた画家に描かせたりします。装丁の革の素材やデザインに凝る愛書家と言われる人たちです。千個以上も宝石を散りばめた豪華な装丁の本が所有者の愛書家と、タイタニック号と共に沈んだ話はまさに象徴的でしょう。私の受けた印象では、愛書家という人たちは趣味の権化と化した大金持ちで、俗っぽいというものです。亡くなった人を悪くいうものではないし、非常に丁寧に調べて書かれたもんですが、この著者も大金持ちに違いない。だってサザビーズやクリスティーズで世界の金持ちと争って入手した本を沢山所持しているんだもん。世界の特別な古書店(古本屋とは言わない)から連絡が来るし、展覧会へ所蔵品を何店も出品できるような人です。

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豪華さの追求

私が愛書家という人たちを素直に受け入れられないのは、本の内容が俗なことです。時にはエログロとしか言いようが無い場合もあり、とても残念です。アルドゥス(イタリア語ではアルド)は見た目なんかより、内容にとても気を配っていました。少しでも多くの人が知的で文化的な環境に置かれるように生涯努力したのです。とても尊敬します。対してここに出てくる愛書家は、たわいもない恋愛や通俗的で下品な話などを、高価な装丁で仕立て、手触りやデザインの素晴らしさを誇っています。私も美術史家の端くれだから、デザインや美にはとても興味がありますが、これは違っていると感じるのです。本の命はその思想にあり、何千万円とか億とかで取引される豪華さや珍しさにあるのではないと思うのです。だからこういう人たちを愛書家と素直に呼べません。でも本を大切にする気持ちは共通のものですし、彼らとは全く違ったやり方ですが、私も本を愛しています。装丁にも様々な様式があることを確認しました。この本ではなんとなく知っていたことが、確認され勉強になりました。

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工芸製本は確かに素晴らしい

http://www.frgm-reliure.jp/reliure/

上のサイトは、装丁を日本で現在行っている人たちのサイトです。作品や解説など載っているので見てください。いつか古い訳の聖書でもお願いできたら、と夢見ながら。

 

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