先に紹介した「西洋挿絵見聞録」を中心に自分用にメモします。
●中世の写本
一点物。手書き。大型大重量、革(パーチメント・ヴェラム)、絹、宝石・貴金属・象牙。エマイユ、象嵌、モザイク 、他
キリスト教、修道士による
●1450年代に活版印刷が発明される
●Aldo Manuzio / Aldus Manutius アルドゥス・マヌティウス(羅)
1452c~1515
イタリア人、Roma, Ferarra,ラテン語、ギリシャ語、学者
1494年c Venezia 印刷所・出版社
1495年ギリシャから亡命したラスカリフの文法書が出発
1499年 Hypnerotomachia Poliphili は一斉を風靡し美術作品も多い
プラトン、アリストテレスらのギリシャ語、ペトラルカのラテン語など131点出版
印刷(時代的には手書き写本と共存)、一部手書き
Aldain Italic ゴシック体から読みやすいイタリック書体の発明(ローマン体)
携帯用の小型本、手すき紙の頁(軽量化)、総革装丁。
●Jean Grolier de Serviers ジャン・グロリエ
1489c~1565 フランス人、リヨン。父の後継としてフランス領ミラノ公国の財務官。
アルドゥス、エラスムスなどと親交。(下図はヴェネツィアのアルドゥス出版社における二人。黒衣がアルドゥス。)
1521年帰国後パリ財務長官。フランスに豪華で壮大な蔵書をもたらした。
1884年 アメリカNYに愛書家のためのグロリエ・クラブ誕生、健在。
日本では神戸に「ぐろりあそさえて」が昭和初期に誕生。
【グロリエ様式】 ジャン・ピカール工房で制作。総革に金箔型押し。
幾何学文様にの間に曲線的な植物文様を配す。西洋装丁の基礎を作る。
●ロココ挿絵本
もっぱら恋愛、エロチックなテーマが主流。挿絵はエングローヴィング、エッチングで雅宴画。艶笑物など。フランス革命まで隆盛。ラ・フォンテーヌはボッカッチョらのエロティックな話ばかり集めて、編集脚色したら大受け。修道院に尼僧に化けて潜入した男が修道女を妊娠させ、大騒ぎになる。誰が犯人か皆裸になっているところ、紐で一物を縛って女のふりをするが、元気過ぎて紐は千切れ正体がバレるも、最後にはお仕置きも上手く逃れる。
この話は大流行したので、様々な絵師がエッチングを制作した。下図など、紐が切れ男の一物が修道院長の鼻眼鏡を吹っ飛ばした瞬間を描いている。こんな物に偉そうな総革の金箔押し装丁を施していた。「あれ〜っ!」て声が聞こえてきそうではある。
●暗いエロスの時代へ
「マノン・レスコー」サド、ヴォルテール、三島由紀夫「仮面の告白」
●イギリスの同時代で重要なのは「ベントレー挿絵によるグレイ6詩篇」
出版をお膳立てしたホレス・ウォルポール(英首相御曹司でゴシック小説の父)の飼い猫の死が含まれる。夏目漱石「吾輩は猫である」
●モード本
1590年 Cesare Vecellio " De gli habiti antichi et moderni di diverse parti del mondo"
ヴェチェッリオ「世界の様々な場所の古代から現代までの衣服」木版画400点以上
大航海時代に入り、世界の様々な文化が知られるようになる
1770年 「レディス・マガジン」イギリス
1778年「ギャルリー・デ・モード」女性ファッション雑誌創刊
Fashin plate の流行は20世期にポショワール(ステンシル)で極まる
1912年に創刊されたLa Gazzette du Bon ton(ガゼット・デュ・ボン・トン)は私も子供の頃から大好きで、何冊もヴォーグの画集になったものを持っていました。父方の家には古い西洋やインド(時にはアフリカの)の素敵なものがたくさんあって、子供の頃から馴染んでいました。美大時代には、真似て描いたり、自分の服を絵から起こしたりしたものです。抜群のセンス❣️
19世期はイギリスの覇権が世界に広がるため、イギリス式がフランスでも席巻。
●ジャンセニスト
無装飾の総革装丁
●カルトナージュ(厚紙製本)
19世期に本は手工業製本から工業製本(手仕事多し)に移行。
購入した人物が装丁をするのではなく版元が装丁まで行うように。
●画家本:画家の絵が主体で文字はほとんど無い大判(タトウ)の連作物
コメディー・フランセーズからシャイクスピアへ
ドラクロワ「ハムレット」画家本で最も価値があると言われているらしい
シャセリオー「オセロ」など版画連作
ギュスターブ・ドレ「風流滑稽譚」バルザック著
本国フランスの愛書家には大衆向けの挿絵と馬鹿にされたが、英米で人気を博したドレは、小口木版画の挿絵本を多数作成し後世に絶大な影響を与えた。
1832年アルザスに生まれる。12歳で初のリトグラフ集「ヘラクレスの12の功業」を出版すると、出版社からパリに呼ばれ15歳からプロとして様々な新聞、挿絵、版画集、油彩、彫刻など1万点を優に越える作品を残した。中には自身の著作「神聖ロシア帝国の歴史」も含まれる。フランス以外にイギリス、ドイツ、ロシアへも作品を描き、国際的な成功を収める。ラブレー全集はじめダンテ等大家の連作挿絵本は現在も様々な国語で出版されている。にも関わらず、伝説的大女優サラ・ベルナールへの恋は叶わず、51歳(心筋梗塞)で失意のうちに亡くなった。
私にとってもドレは芸術家というより物凄く巧い挿絵画家でした。初めてドレの作品を見たのは子供の頃で「ほらふき男爵の冒険」です。めちゃくちゃシュールな物語で大好きでした。そうだ。コロナ暇の間に読み返そう!これは家にあったのですが、自分で買った物にはダンテの「神曲」と上図の「狂乱のオルランド」があります。正直言ってイタリア語をやっているとダンテは避けて通れないんだけど、あんな物全部読める訳が無いからドレは最高です。彼のお陰で全部通して知ることができます。読んだ気にはならないけれど、ドレの絵は完璧なデッサンと、力強い線、ハイライトの入れ方などが素晴らしく、彼に関しては、私はやはり油彩より版画作品が好きです。オルランドに関しては著者アリオストのファンなので、カルヴィーノの解説入りとかいろいろ持っています。そういえばこの三作品には共通点があるのに嫌でも気づかされます。この世を超越した(超現実的)部分があるのです。う〜ん、普通の恋愛映画とか見てらんないわけですね。
ウィリアム・ブレイク 1757~1827
独自に考案した凸版腐食銅版画で、絵と言葉を同一版面に描き着色。illuminated printing
1789年の「無垢の歌」(上図)は30部程しか現存せず、1794年に合本された「無垢と経験の歌」もほぼ同数しかない。何度も複製されたが、それも貴重。
ウィリアム・ブレイクはすごく変わった人。出版社からでなく自身の印刷機で制作することで、出版社から独立した。その自立、独自路線は一貫して彼の作品に見て取れる。愛書家喫水の「無垢の歌」より上図の怪物悪魔の方が一般には有名で、映画や犯罪物ドラマなどにしょっちゅう出てくる。靴下職人の息子としてロンドンのソーホーに生まれ、職人としてスタートするけれど、オカルト、預言者などこの世を超越した存在が大好きな彼は詩人でもあり画家でもあり、思想家じみている。なんかさっき書いた誰かと同じだな〜と思うけれど、私は彼の絵自体が好きではないのでファンとはいえません。面白いし気持ちは分かるけれど、いかんせん彼のひく線がヤな感じ。現在のアニメを先取りしてる感も強いので、あちこちの作品で使われるのだと思うし、中には私も好きな作品がある。有名な「日の老たるもの」、神様がコンパスを使って世界を想像してる姿がカッコいい。晩年はダンテに傾倒して、死ぬまで「神曲」を制作した。そのためイタリア語の勉強も始めた。改めてダンテの凄さを痛感するな〜。
贅を凝らした愛蔵本に蔵書票(自分の物ですっていう印)を貼り、家具の様な本棚に並べるのがベル・エポックの愛書家の夢で、その中身で大流行したのが「悪の華」。モロッコ革の無地の装丁(ジャンセニスト)は再販なのに420万円で落札。かつての所有者が名高い愛書家というのが重要な様だ。初版本ボードレールの手紙付きは4400万円(1999年のロンドン・サザビーズの話)で、この年パリ、ロンドン、ニューヨークのオークションで、ボードレールの3冊は合わせて1億5千万円だとか・・・・????
「悪の華」ならペーパバックやネットで読めますよー。
●削除本・無削除本
原本の内、問題ありとして有罪判決を受けるなど削除された部分のある本を削除本という。このほかに削除補填本もある。
ボードレール 1821 Paris ~1867 Paris
ボードレールは有名だよね。毎日学校が終わると図書館へ通っていたので中学生の頃には「悪の華」はお馴染みでした。と言っても一応読んだのはずっと後だけど。一応って書いたのは、好きじゃないから教養として速読したので。好きな本や、考えたい本は時間をかけて読み直したりするけど、私にとっては、ボードレールはそういう類のものではなかった。大体詩って翻訳で読む意味がどれだけあるのか昔から疑問で、高校生あたりから詩はオリジナル言語でしか読まなくなった。こう思ったきっかけはジャムとランボーの詩集を買ってもらって、期待して読んでみたら、それまで読んでいた日本人の詩とは全く違ってほんと読み難かった。ってことは、私が読める詩は日本語、英語、イタリア語に限られる。フランス語が堪能ならボードレールも見直すかな〜?疑問。だって後ろ向きの人好きじゃないし優しくない人も嫌いだから。
ボードレールってめちゃくちゃ勝手な人で、幾ら尊敬するお父さんが6歳で死んでお母さんが再婚したからって、一生恨むなんて心が狭いよ。養父は悪い人じゃなかったみたいだもん。「彼の服装には襞一つとして無駄なものは無かった。」っていうくらいウルトラお洒落だったんだけど、中産階級ではあり得ないお金の使い方をして、親戚に旅に行かされた。お金使わせないために「世界一周してこい」なんて、なんて羨ましいと思うけど心の狭い彼には世界は広すぎて、パリに帰り、散財しまくり、問題起こして準禁治産者状態で貧乏のうちに死んだ。
「悪の華」は101篇の詩集で、序「憂鬱と理想」「悪の華」「反逆」「葡萄酒」「死」で構成される。(共感するのは反逆って言葉だけ。)これだけで内容が分かるけど、退廃的官能的個人的。重要なのはフランスにおける韻文詩の始まりであり、象徴主義ってとこが各国の詩人たちに影響を与えた。ほぼ20代の時に書かれていて、ランボーもそうだったけど天才で売り出しあとは凡人ていうのも、私にとっては真の天才じゃ無い感じ。早熟は当然として、歳をとってなお新しい人こそ、真の天才って私は思ってるので。画家とか文筆家などに時々いる。101篇の内6篇が問題になった。「レスボス」「地獄に落ちた女たち」「陽気すぎる娘へ」「宝石」「吸血鬼の変身」がそれ。今は普通に読める。けど読書メーターで感想を見ると、揃って「あまりに退廃過ぎ、分からん」って感じです。
それにしてもボードレールってたった一冊の、しかも若い時に書いた詩集しかない割にものすごく有名です。死後エッセイが出てるけど、後世への影響という点では、絵の才能もあったので、美術評論をやっていた。ドラクロワを擁護したっていうのが通説だったけれど、最近はドラクロワに取り入っていた、というふうに解釈が変わってきている。昔ほどボードレールが流行らなくなったってこともあるかも。でも詩人が美術評論をするっていう先例を作った。
ちなみにこのブログを書いている元となっている「西洋挿絵見聞録」気谷誠著161頁に、ボードレールが「悪の華」の中の「悪僧」の元としたのは、カンポサント(ピサ)のトライーニのフレスコ「死の勝利」だとあります。でもトライーニ?それってブッファルマッコの間違いですよね。日本版のボードレール全集に、イタリアから送られてきたフレスコ の絵がそのまま載っていて大変貴重だとか、ベレンソンが「イタリアの産んだ中世における最も偉大な作品」と言ってるとか結構書いているので、間違いをここに記しました。 ブッファルマッコは中世や美術史を勉強すれば、すぐにお目にかかる非常に有名な画家で、ボッカッチョが作品の中で何度も彼をモデルに使ってたりする人でもあるので、直しておかないとね。この本には、時々美術に関して疑問に思う点がありました。カンポサントのフレスコ はほとんど修理が終わったところで去年(2019)観てきたら、以前よりずっと綺麗になっていました。
追記:ピサのカンポサントの名高いフレスコ画は1333年頃Francesco Trainiから始まったのは事実。でもその後14世期を通じて作品を描きあげたのはBuonamico Buffalmacco, Taddeo Gaddi, Andrea Buonaiuti, Spinello Aretino, Pietro di Puccio, Benozzo Gozzoliで、問題の「死の勝利」の画家はMaestro del Trionfo diella Morte (死の凱旋の親方)と言われてきました。近年の研究ではそれはBuffalmaccoだとされていて、写真にも載せた通りです。
1914年までに主要なものだけで8つの愛書家クラブが設立され、挿絵本を競った。
「美書を生み出すのは一人の芸術家では無い。愛書家、出版者、挿絵画家、版画家、製本家」だそうです。(同書164頁)
最高傑作はメリメの「シャルル九世年代記」で、エドモン・モランの腐食銅版画で、透かし入りの手隙紙(和紙が最高)。115部が会員に配布された。
愛書家によると
1)著名な文芸作品に
2)繊細な銅版画や木版画を
3)規則正しく配し
4)透かし入りの上質な紙に
5)100部ほどを吸った限定出版
いかに豪華な挿絵本であっても装丁をしなければ紙同然???
が挿絵本なんだって。イラストレイテッド・ブックとは違うらしい。
当然書店にも図書館にも並ばない。版元から愛書家に渡り、好みの製本を施し書斎に納めれば、もう誰の目にも触れない。これってまさしくオタク。不健全だ〜。メリメだって大勢の人に読んで欲しかったと思う。みんなじゃ無いけど。
有名なのがパリのコンケとカルトレ書店。
大金持ち相手に注文で商売する、中世みたいですな。
●マリユス・ミシェル
当代随一の製本家。アール・ヌーヴォーとアール・デコなデザインがかっこいい。
http://bibliotheca-g.jugem.jp/?eid=50
今更だけど、著者のブログです。言うまでもなく私と真逆のスポンサー付き。ここでマリユスのデザインが見られます。
●蔵書票 Exlibris Bookplate
本は昔宝物だったので、入手した人は自分の所有物であるという印を、本に貼り付けた。それが蔵書票。上図は修道院が所有している本に貼る。西洋の本が取引されるようになると、日本では蔵書票は本のデザインの一部と勘違いしてしまったようで、最初から蔵書票のような印が内表紙や裏表紙に印刷されたり、表紙のデザインとなったりした。この話は面白い。
こんな感じ。日本のアールデコ時代のイラストって大好きです。子供の頃大好きだったのに北原白秋の詩集があります。アールデコな版画が印象的でした。白秋は凄くおしゃれだからアートディレクターでもあった。
私も読書家だからと言って、イタリア世の蔵書票をいただいたことがあった。薄緑色の景色が彫られた版画で、中程が空間になっていると言うもの。そこに名前を書くんだろうと思って、最初は入手日と名前を書いていたけれど、とてもじゃないけど全部に貼ってられないので辞めました。モロッコ革の金箔押し装丁を発注したこともないので。
あー疲れた。もし読んでくださった方があればお疲れ様です。
ウィリアムモリスについては別に書きます。