天使たちの西洋美術

美術、イタリア、読書を愛する西洋美術研究者SSの思ったこと

【映画】ある画家の数奇な運命

竹橋の国立近代美術館で「ゲルハルト・リヒター」の展覧会をやっているので、気になっていた映画を見ました。
製作:2018年、ドイツ。日本では2020年公開。
監督:ドナースマルク

英語の国際版

題名に関して。ドイツ語の原題は werk ohne autor で、英語の逐語訳だと work without (an) author となり、日本語に訳すと「作者のいない作品(著者なしの仕事)」となると思う。映画を見れば、その意味が心に響くのに、またしても日本語の題名は、意味を喪失した説明的な題名に変えられている。ただ国際英語版の題名も変更されていて「決して目をそむけるな!(私訳)」となってる。確かに、それは意味を捉えていて、ドイツ語のポスター(次の写真)にも象徴的な場面が選ばれているから一応理解できる。自分の手を顔の前にかざして目の前の情景に意識を集中する場面は、子供時代から繰り返し出てくる。絵を描いたことがある者には、馴染みの行為でもある。

オリジナルはドイツ語

日本語の解説(Wikiでさえ)は全く内容を把握していない見当違いの紹介だらけなので、邦題が分かりやすい題名になるのは仕方ないことなのだろうか?といつも思う。日本人だって、内容を深く考えることはできるはずだし、原作者が考え抜いてつけた題名を軽視すべきではないと、私はいつも思います。題名は重要な作品の一部だから。

日本語版

日本語ウィキには、驚くべきことに「恋愛ドラマ映画」と書いてあるけど、それだったら私は見ないし、ドイツ語の映画としてヴェネツィアやアカデミーはじめ、26年ぶりに様々な賞にノミネートされるはずもない。ドナースマルクが監督した「ツーリスト」が、アンジェリーナ・ジョリージョニー・デップの、それこそ分かりやすい映画だったから恋愛ドラマとか思ったのかもしれないけど、これを見てそんなことしか分からない人が映画評を書いていい訳がない。(もちろん個人ブログだったら何書いてもいいよ。誰かをはっきりと中傷するのでなければ。だから私は個人的に書いています。利益とは無関係に書けるから。)

映画の冒頭

この映画の主題は、心底恐ろしい、そして真剣な内容の「人間の命の等価性について」で、それと並んで、たった今も書いた「(表現と意見の)自由」と言う問題です。恋愛映画と勘違いした人は、愛し合うベッドシーンが結構出てくるからかもしれないけど、これは「出産(命)」がこの映画の最大の主題だから。ポルノ的な表現ではないし、映画の裏の主人公である医師が産科医で、劣性遺伝によって価値のないと判断した命を堕胎するのは、祖国(東ドイツ)の明るい未来のために正しいことだと信じているから。

 

映画『ある画家の数奇な運命』公式サイト

この映画は、ゲルハルト・リヒターの生涯を元にした作品と言うことで、私も観ました。リヒターはドイツ最大の現代美術家の一人で、私も学生時代に影響を受けました。ただ取材に全面協力していたリヒターは、映画の予告編を観て、大袈裟でスリラーのようだと感じ、不快だったそうです。映画の予告編っていつも大袈裟だよね。最初から名前は全部変えるとか、どこまでが事実かは謎のままにするという条件だったそうなので、あくまでもリヒターの話をもとにした創作なのは確か。

richter.exhibit.jp

美術好きからすると、デュッセルドルフ美術アカデミーの彼の先生フェルテンが、実はヨゼフ・ボイスだとすぐ分かるし、作品と作家についても実物が思い浮かんで凄く楽しい。ただその辺は、現代美術をよく知ってる人じゃないと、そんなに楽しめないはずだし、188分という長編だからってこともあるけど、製作途中の場面も長く、それも美術関係者と無関係な人では全く臨場感が違うとは思う。

Gerhard Ritchter

リヒター自信は気に入らなかったとしても、映画祭では十三分のスタンディングオベーションで拍手が鳴り止まず「今まで見た中で最高の映画」と言ってる監督も何人も居る。私が思うには、難しいテーマに直接取り組んだ、人間固有の知的な悩みを主題とした、真剣で美しい素晴らしい映画でした。主演のトム・シェリングもとても良かった。

Joseph Beuys

余談だけど、私は来日したヨゼフ・ボイスに会ったことがある。彼のやることが芸術だとは、私にはどうしても納得できなかったけど、その辺も映画の中の発言で納得できた。冒頭の退廃芸術展に出てくるカンディンスキーモンドリアンピカソフランシス・ベーコンらの作品がいかに素晴らしく、当時において今より強烈な意味を持っていたかも心に残りました。美術好きな人には200%おすすめだし、美術に詳しくなくても良質な映画を求めるすべての人にお勧めします。

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