天使たちの西洋美術

美術、イタリア、読書を愛する西洋美術研究者SSの思ったこと

【本・美術】ヒトラー強盗美術館

題名:ヒトラー強盗美術館

著者:デヴィッド・ロクサン、ケン・ウォンストール

訳者:永井淳

出版:1968年 月刊ペン社

 

めちゃくちゃ古い本です。勿論古いのが悪いという気はサラサラありません。珍しい内容なので手に取りました。西洋美術の歴史の一頁であり、ナチの歴史の一幕でもあります。ヒットラーの史上稀に見る複雑な性格の実例ともいえそうです。

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1936年のナチのポスター

米軍戦略事務局に、ナチにより略奪された美術品の捜査班が組織され、三つの膨大な報告書(ヒットラー・コレクション、ゲーリング・コレクション、ナチの公認略奪組織ローゼンベルグ機関)となり50部弱がコピーされ「極秘」資料となった。著者たちはワシントンの国立記録保管所の資料の一部を入手した。彼らの入手でこの資料の「極秘」扱いは取り消されたが、他の尋問報告書など多くが未開示のままアメリ国務省に隠されている。怪しい!というような内容で始まります。

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ナチのオリンピック

我々は野蛮人であり、野蛮人たることを希望する。

それは名誉ある呼称である。

アドルフ・ヒトラー

 

最初は、ヒトラーの自伝「我が闘争」に書かれた内容に反して、彼は裕福な社会的地位のある家のダメボン(バカボンじゃなく)だった話から始まる。優秀だったのは小学校時代だけであとは急降下、ついに中学も卒業できず、美術学校も絵では入れず、なんとか建築科に滑り込んだけど中退。病気で死にそうな母親を見捨て、徴兵忌避を狙ってウィーンやミュンヘンで遊びまわり、自作の水彩画を売って暮らすもいよいよ一文無しに・・・。知らなかったのはめちゃくちゃ運動神経がいいってこと。体育だけは常に抜群だったらしい。そーいえばファシズムの開祖ムッソリーニも民衆の前で派手に運動するのが大好きだった。上半身裸で乗馬とか水泳とかね。なんかプーチン思い出す。大体権力者はやたらオリンピックをやりたがる。ほとんどの日本人は現在その最大の被害者だから、この本はタイムリーな気もします。

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ヒトラーの水彩画

世界大戦の基本知識は当然あったほうがいいし、最低限の歴史の知識はあるべきだと思うのだけど、一応何も知らなくても読めるようにできてます。ナチはリーフェンシュタールの「民族の祭典」(オリンピック映画)が代表するように、非常に美術に力を入れたので有名です。服飾史でも軍服のデザインのカッコよさに定評があるし、何よりあのハーケンクロイツ(鉤十字)は印象的。それらはヒトラーが美術に執着したことと無関係ではあり得ない。彼は故郷リンツを世界最高峰の文化都市とすべく情熱を注いだのですが、その中心は世界一の博物館で、中でも絵画を蒐集しました。これはそのことに的を絞った本です。本の原題はThe Jackdaw of Linz-The Story of Hitler's art Theftsで、リンツの小鴉(ヨーロッパのおしゃべりな小型のカラス)、ヒトラーの盗品美術の物語、です。

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ハーケンクロイツを掲げる姿は死者たちを引き連れ復活したイエスの図を連想させる

なのでいかにヒトラーが人心を鷲掴みにし、ヨーロッパ中の軍隊を蹴散らし、狂気のうちに敗戦となるかというような話を期待してもダメで、その代わり画家や画商の名前が出てきて、この辺は全く西洋美術を知らないとつらいかもしれません。西洋美術史の講師としてはかなり面白い内容で、知らない画家が何人か出てきました。今では評価の低い19世紀のドイツの画家たちです。

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Hans Makart

リンツ博物館の主な蒐集絵画はドイツロマン派です。ドイツロマン派といえばゲーテをどうするかは別としてもハイネ、ベンヤミン、ベートーベン、シューマン、グリム兄弟、ワーグナーマーラー他、様々な分野、特に音楽に大物がいます。それに比較し絵画ではホルバイン以降大美術家が出ていないドイツ。著者らは「けばけばしく二流」のドイツ・ロマン派絵画がヒトラーの好みだったと書いています。その中では上のマカールトは有名な方で、鷹を調教する強そうな女性の肖像画を吟味するヒトラーやドイツ高官たちの写真が何枚も残っています。

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ベックリンの「死の島」を背にするヒトラー

余談ですが、ドイツロマン派には良い画家が何人かいます。この本では無視されていますが、フリードリヒとランゲが最高で、他にも興味深い画家が確実にいると私は思っています。

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最初の収集作品はイタリア人のボルドー

本によるとヒトラーの好みは狭く、後は権威に基づいて世界最高のリンツ博物館のために収集されました。ということは、ゲルマン魂を表す18~19世紀のドイツ画家のほかはイタリア、フランス、スペイン、フランドルの巨匠が最高で、イギリス人はゲインズバラなど僅かに入手し、東欧には期待せず、ロシアに芸術が存在するはずはないとして破壊行為を行なった、といいます。

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レンブラントは確実な権威ある画家だったので集めています

蒐集の仕方は幾つかあり、1、(非常に安くゴリ押しで)きちんと買う。2、民族浄化のためユダヤ人から没収。3、めちゃくちゃな理由をつけて法的に所有権を主張し取り上げる。 4、どんどんお金を刷りまくって高値で買う。などで、後で一流品だけがヒトラーの故郷リンツのために彼自身により選別され、次は、当時最高のドイツの美術館博物館へ回され、最後に高官たちが手に入れるのですが、途中で略奪や仲介屋が絡み失われた作品もあります。

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Canaletto

私が思うに、ヒトラーはカナレットが好きだったようで、カナレット一族の作品を喜んで集めています。カナレットは誰が見ても(絵を知らない人が見ても)素晴らしい画家ですが、生前にイタリアではあまり高い評価は受けませんでした。なぜってイタリアは人物こそ最高の主人公!なのにカナレットの人物はチョコーンと小さく、風景が主役だったからです。イタリアでは「遠近法の親方」などと嫌味に呼ばれたりもしています。 ヒトラーの絵は水彩、デッサンと結構残っていて、芸術家とはいえないけれど、普通の人よりは上手で、特に建築風景が得意だったようなので、カナレットに通じます。百万倍カナレットが素晴らしいんだけれど・・・。

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Jan van der Meer van Delft

この有名な作品もヒトラーによって正しく買い取られたもの。私は正直言って、何度も書いているように、現在のフェルメールの評価は他の画家に比較して高過ると思っています、というか他にも素晴らしい画家は大勢いる。けれどこの作品は大好きです。フェルメールの最高傑作だと思うし、画家自身もそう考えていた節のある作品です。1946年アメリカはこの作品を元の所有者(チェルニン家)ではなくオーストリア政府へ返還しました。本当は無理矢理買い取られてしまったのに、売買契約が成立しているので自発的に売ったとして、元の所有者は返してもらえなかったのです。私だったら怒りで発狂しそうですが、チェルニン家は2009年に再度訴え、法律が変わったことで半世紀ぶりに元の場所へ戻る可能性が出てきました。現在の所有者であるウィーン美術史美術館は大打撃ですが、ナチの横暴は明かだし、せめて所有者の名を記して博物館に貸し出して貰えばどうかな〜と思います。

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何万枚もの作品が何度も移動した

作品は今では大観光地のノイシュバンシュタイン城などへ保管されましたが、いよいよドイツの敗戦が色濃くなるとあちこちへ大移動させられました。写真はローマのベネディクト修道会総本山モンテカッシーノからヴァチカンへ避難させられるところです。モンテカッシーノは西洋修道制の源であり、文字通り聖なる場所なのに世界大戦末期、アメリカ、イギリスを中心とする連合軍はここにドイツ兵が隠れているとして大爆撃を行ったため、最高の歴史建造物は廃墟と化しました。ナチとヒトラーの行いは言語道断の非人道的なものであることに違いありません。でも正義の味方面した連合軍が破壊した文化遺産は、悪名高きドレスデン爆撃(広島や長崎同様、とっくに決着がついて不必要にも関わらず大爆撃)など無数にあります。絵画作品に関しては、むしろヒトラーが無理矢理集めて隠しまくったからこそ破壊を逃れたとさえ言えるほどです。モンテカッシーノからは修道士や神父も手伝って作品を積んだのにヴァチカンへ行き着くまでに大掠奪されました。右の兵士が手にしているのは女性画家の特徴を生かし大成功したロザルバ・カッリエーラの作品です。彼女はパステルの価値を知らしめた画家でした。

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ノイシュバンシュタイン城

ノイシュバンシュタインも遠目には素晴らしいですが、完全に倉庫と化していました。ただあまり芸術的価値の高い建造物ではないので、壁が剥がされたり、部屋ごと盗まれて移設されたりはしていません。ナチはあちこちで建造物も盗んだのですが。

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Peter Paul Rubens

ヒトラーの世界一の博物館構想のために、当然何人かの美術の専門家が働きました。中でも絵画部門は花形で、元ドレスデン美術館館長だったハンス・ポッセが大車輪の活躍をします。ルーベンスのガニメデもポッセが一目惚れし、リンツ博物館のリストに載った作品です。正直言って私はルーベンスが嫌いなので、この作品に情熱を掻き立てられたりしませんが、上野の西洋美術館にも何点かルーベンスは当然のようにあります。ゼウスが美少年をさらうのに鷲に変身している場面だけど、内容も嫌いだし色もギラギラして筆使いも嫌い。ま、これはものすごく個人的な好みの問題だけどさ。

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最近ドイツで修復されたヴェネツィア派の Francesco Guardi

集められた作品リストを見ると最初はイタリアの作品がいかにも少ないのですが、歴史を知っていれば当然です。ムッソリーニヒトラーの兄貴分だし最初イタリアは同盟国、日独伊の三国同盟(枢軸国)だったのだから、喉から手が出るほど欲しかったのに盗めませんでした。大戦末期にイタリアはするりと抜けたので、敗戦国となったドイツや日本ほど酷い賠償を負わずに済んだのですが、その代わり枢軸国でなくなるや否やどんどん作品は掠奪されました。中にはミケランジェロやラファエッロ、レオナルドなどが含まれています。ここでこの本で最も印象的だったエピソードが出てきます。イタリア人の美術への愛は計り知れず大きく、潜入して盗まれた美術品の情報を集める捜査官に志願した者が大勢いました。拷問の末命を落とした人々もいましたが、戦後どこへ運ばれたか行方知れずの多くの作品が戻ってきたのは彼らのおかげでした。涙が出ます。

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ミケランジェロの作品を救出

このブルージュにある聖母子像はミケランジェロの全作品中極めて珍しい作品です。なぜって彼は故郷フィレンツェ(近郊だけど)を愛していたし、教皇庁のために仕事をしたので作品はほとんどフィレンツェかローマにあります。現在世界の美術館博物館に存在するミケランジェロは、ずっと後になってから購入されたもので、彼が生きていた当時から外国に設置されたのはこの作品のみ。ミケランジェロはメジチをはじめとする大金持ちや歴代の教皇相手に仕事をしたので契約に関する資料がそれなりにあるのですが、この作品には全くそれもありません。なのでベルギー政府や旅行代理店は100%ミケランジェロ作としますが研究者によっては、これはミケランジェロ作品ではないと言う人までいるほどです。私も初めて見たときはそんな気がしないでもありませんでした。彼の情念にも似たど迫力が感じられない作品です。弟子の手が入っていると言うのが妥当でしょうか。とにかくこれも、ナチの大量の強奪作品発見場となった塩鉱から救出されたのです。

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Hans von Kulmbach

 フランドルの巨匠は評価していて、数は少ないですがメムリンクやファン・デル・ウェイデン、ブリューゲルの「乾草の取り入れ」など強奪しています。支配下に置かれた地域の教会は祭壇画などを守ろうと住民総出で戦ったところもあります。ハンス・フォン・クルンバッハも、デューラーとフランドル系の影響を感じる良い画家ですがクラクフの聖堂から持ち去られました。クラナッハを好んだのがゲーリングなのかポッセなのかそれともヒトラー自身だったのか明確ではありませんが集めています。ドイツ魂を感じることは確か。

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集めた作品は全て撮影されカタログ化された

この本には何度かドイツ的と言う言葉が使われますが、それは「きちんと組織立っている」と言う意味でよく出てきます。絵画強奪も整然と組織立って行われ、その後整理番号と写真とともにカタログ化されました。手紙も沢山あり、面白いのは、ヒトラーがどんどん目が悪くなったので、ツルツルしていない厚紙に3行おきにタイプするように、と言う指示が出ています。細かな手書きの文字で薄い光沢のある紙の裏表に書かれたら確かに読みにくいですが、ヒトラーは戦争が激化する中でも絵画作品の蒐集に関する報告書に自分で目を通していたのが分かります。著者らによるとヒトラーゲーリングと違い美術を愛していなかったのですが、そうなんでしょうか。彼の複雑な人柄を忍ばせます。

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Castiglione, Noe

ヒトラーより4年下のゲーリングもナチとドイツの歴史における超重要人物です。パイロットとして成功しヒトラーに誘われてからはナチの大躍進に貢献しました。強硬派のヒトラーに対し穏健派で明るかったそうです。戦争中に明るいのもどうかと思いますが、そんな政治家は大勢いそうです。自分のお城への絵画運搬に空軍を使っていた彼が美術を愛していた証拠に、彼は強奪した絵画を部屋に飾りよく何時間も眺めていたと言うのです。対してヒトラーが自室に飾った絵はごく僅かです。私も、絵画作品を買っておきながらしまいこんだり、ほったらかしてダメにする人を何人も見てきました。カビの生えたダリの版画、滲みのついたデュフィ・・・美術を愛する者からすれば怒りを覚える反文化的な行為です。ゲーリングは違ったみたいだけれど、だからって掠奪品を乗せた連なる列車が日に何度も走るようなことが許されるわけはありません。盗んだカスティリオーネの「ノアの箱舟」のように、自分たちも、動物でなく作品を避難させているつもりだったのでしょうか。ゲーリングは自殺します。

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私の愛するロレンツォ・ロットも捕まっちゃった

大金持ちの美術愛好家でユダヤ人の血が流れていれば、大量殺戮は逃れてもロスチャイルド家のように散々な目に遭いました。中でもフリッツ・マンハイマーは特筆に値する人です。財政の天才で、ユダヤ人で、ナチを憎んでいた彼は、何より西欧文明を愛していたのでヒトラーと戦ったと書かれています。ナチに対抗できると踏んだ相手に莫大な援助をして、ナチのブラックリストを上り詰めました。その結果ワイマール共和国を支えたメンデルスゾーン銀行を破産に追いやってしまった彼は自殺します。非常に心臓が弱かったので公には自然死ですが。自身の大コレクションは二ヶ月前に結婚したばかりの若い妻に残され、ヒトラーは憎き敵の大コレクションを全部自分のものにしようとしましたが、マンハイマーの資産凍結の結果、大部分がユダヤ人ではない人たちに権利があったので歯軋りしたのです。彼はとても興味深い人物なのでもっと調べたかったのですが、英語とドイツ語資料しか見つけられませんでした。

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マンハイマー・コレクションのシャルダン

発見された盗品美術は、寒村の小屋の天井まで積み上げられた場合もありましたが、ミケランジェロの聖母子が出てきたアルト・アウスゼーの洞窟が最大で約1万点の絵画、その半数は古大家(権威ある作品)で、デッサン、水彩、版画はそれに含まれていません。タピスリー95点、彫刻68点、古銭32箱、武具甲冑128点の他工芸品に演劇文献などです。さらに地下にはヒトラー個人の所有として絵画、彫刻、図書などがありました。国宝級の作品も、連合軍の空襲から守ると言う理由で集められ、かの有名なヘントの祭壇画もトラックに積まれて険しい道をごとごと運ばれたのでした。大した損傷もなかったのは神の奇跡と言いたいくらい。

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Hubert & Jan van Eyck, Gents altaarstuk

ナチが風前の灯となると、美術界にとって最も恐れていたことが現実になろうとしていました。この素晴らしいコレクションを決して敵方に渡してはならない。そのためには全て爆破!と言う命令が下ったのです。ヒトラーは狂気の中にあり、周囲の人々はあれほど熱心に固執していた美術品の破壊命令が果たして本心なのかどうか右往左往します。こんな状況において人々の態度はいくつかに分れます。1:美術品を奪って逃走(マルチン・ボルマンはナチの美術品に関わった高官の一人。2200枚の金貨コレクションを保護すると言って姿を消した。完全に別人になり代わり笑って過ごしたかもしれない映画になりそうな人物。ナチ再建のためにやはり金貨コレクションを持ち逃げしようとした者がいたが失敗。)2:バリバリのナチ(塩鉱の洞窟の守備隊はSS)は当然爆破しようとする。3:爆破から美術品を守ろうとする。

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Altaussee Salt

もちろん連合軍は美術品爆破阻止のために様々な行動を起こしていましたが、実際にはたった一人の小柄なドイツ人美術修復家によって膨大な美術品は救われました。カール・ジーバーはナチの初期に修復士として雇われ、塩鉱で熱心に修復作業を行っていましたが、美術品を救おうとするオーストリア抵抗運動のメンバーに誘われ一緒に計画を練ります。抵抗運動の人々は最初彼がドイツ人なので心配しますが、ジーバーは愛国ドイツではなく愛する美術のためにヒトラーの命令に反くことにためらいはありませんでした。いよいよナチの爆弾が洞窟に運び込まれその日が近づくと、彼らはナチより先に、美術品が眠る洞窟の手前で小さな爆発を起こし誰も入れないようにするという計画を実行します。洞窟はSSに守られていますから、オーストリア人は入れません。ジーバーは爆破に必要な知識を与えられ一人で実行しましたが、誰も彼を疑いませんでした。それ程無害な目立たない存在だったのです。

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Dorfstraße

時々思いがけず発見され元の所有者の子孫に返還されて、世界のニュースになる略奪美術品がありますが、まだまだ見つかっていない作品は沢山あり、イタリアでは600点以上の名画が失われたとさえ言います。発見されたくない人々が大勢いることも確実でしょう。残念なことです。

 

驚くほど残酷で自己中心的な人が権力の座につくことは、残念ながら珍しくありません。私など思わず人間嫌いになりそうですが、そうならずに済むのは自己犠牲を厭わない勇気ある善意の人々もいるからです。重苦しい世界情勢が当分続くのでしょうが、戦争だけは何がなんでも避けてほしい、そう願ってこの本で知ったドローグスロートの平和な絵で締めたいと思います。

 

*今回はほとんどWIKIから画像を拝借しました。

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