コロナのおかげで見逃していた映画見まくり。最近見た映画の中で圧倒的に印象的だったのがこの「アダムの林檎」でした。
題名:アダムズ・アップル
制作:2005年 デンマーク、ドイツ共作
監督:アナス・トマス・イエンセン
主演:マッツ・ミケルセン、ウルリク・トムセン
ジャンルは難しい。コメディに分類されてるけど、この直前に書いた「ザ・スクエア:思いやりの聖域」同様単純なコメディからは程遠い。しかも聖書が下敷きになっているので、やはり普通の日本人だと理解がかなり浅くなってしまうと思われます。「思いやりの聖域」は当初から知ってたんだけど見逃してた映画で、こっちは知りませんでした。知ってたら映画館で見たかった。凄い衝撃だった。感動した。
どの映画見ようかな〜っと無料映画リストを見ていて、まず上のタイトル写真が目に入りました。あのスペイン・バロック美術で頻繁にお目にかかる白いアコーディオン襟巻と黒い衣服姿。
しかも題名が「アダムズ・アップル」とくれば、中世美術をこよなく愛する私が反応しないわけはありません。しかも主演はデンマークの至宝マッツ・ミケルセン!日本の女性ファンの間では「北欧の至宝」というらしい。良い作品に沢山出てるけど、ドラマの「ハンニバル」をやったときは内容的についていけなかった。
ハンニバル・レクターといえば圧倒的に「羊たちの沈黙」が有名だけど、私があのシリーズを見た理由は次のようです。ハンニバルは、「君主論」の著者マキャヴェッリとミラノの君主ヴィスコンティ家の血筋だそうで、美術史に詳しく、パッツィ家(メディチ家に破れ、腸を引き摺り出されて吊るされた、フィレンツェ史の有名な事件の首謀一族)の末裔の刑事が捜査していて、ヴェッキオ宮殿が舞台。
シリーズではウィリアム・ブレイクの「黙示録」の悪魔を身体中に刺青した犯人がいたり、南部イタリアに暗殺者集団がいたり、イタリアととにかく関係が深いので、どんなにアンソニー・ホプキンスが気持ち悪くても仕方なくて見ました。
だから彼の若い頃をマッツ・ミケルセンがやると知った時はあまりにも違うので驚きました。かっこよすぎだろ〜。どう見ても同じ人には思えない。
この映画に話を戻します。北欧の良い季節なのでしょうか、マッツ(だいたいマッツってMadsて書くから、気狂いを連想させます。デンマーク語ですが)はなんと半ズボンです!元体操選手だけあって締まった脚なんだろうけど、おじさんが半ズボン履くのはゲルマン系の人の得意技だな〜、と。刑期を終えた元犯罪者が短期間教会にお世話になるシステムのようです。中にはすっかり居ついてしまう人もいます。教会の牧師に対するもう一人の主役はネオナチの元受刑者。いかにも強面。牧師と元受刑者と尻軽妊婦と気狂い医者とネオナチと脳性麻痺の子供しか出てこない。平凡な人は一切登場しません。
ネオナチ男が教会にやってきて最初にやったことは、壁の十字架を外し、ヒットラーの肖像を掲げる事。事ある度にヒットラーは壁から落っこちます。そこへ牧師が、聖書を持って来ますが全然読む気はないので、棚にポイ。その聖書も何度も落ちるんだけれど、落ちる度に同じ頁が開くのに気づいたネオナチ男は、読んでみます。それは「ヨブ記」でした。
ヨブは旧約聖書にあり、紀元前3世紀頃までには成立していたもので、その主題はまさに、多くの信者がつまづくものだと思います。「なぜ善人が苦しまねばならないのか」悪人が裁きを受けるのは納得できるというか、当然のような気がします。ところが実際には何も悪いことをしていない多くの人が、大変な苦難にみまわれるのに神は助けてくれない。この「義人(正しい人のこと)の苦難」を主題としたヨブは、話が進むと牧師自身に重なるのです。
ヨブが執拗に繰り返し苦難にあうように、牧師も驚くほど酷い体験の持ち主でした。でも彼は全く気にしないどころか、全て素晴らしいことのように解釈して、自信に満ちています。ナチ男はそんな牧師に真実を突きつけ、どん底に突き落とし、ついに信仰を放棄させます。すっかり変わってしまった牧師は、余命僅かに。
雷光により真っ二つになった林檎の木!奇跡により彼は復活し、すっかり改心し髪も生えたナチ男は、今やキリストに従うペテロのようになり、二人は新たな元囚人たちを迎えに行くのでした。大団円💒 最後は想像通りですが、そこへたどり着く展開は、想像を絶するものです。
良い映画だった〜。とんでもない展開や発言満載で、あっけにとられて笑った場面がいくつもあった。西欧ブラック・ユーモアっていうのか、でもテーマはすごくしっかりしてた。映画館で見たいな〜。