covid19コロナのため授業できなくてやたら時間があるから、みたくても観られなかった映画や、大好きだった映画を観ちゃってます。
2017年のスウェーデン映画です。
西洋美術をやってるので、当然ですがキュレーターが主人公というだけで観たくなります。この映画はさらに2017年の売れ線映画ではなく良質な映画に与えられる賞を受賞しまくったので、ずっと観たかったのに見逃していました。
国立近現代美術館の首席キュレーター、媒体にも顔が売れていて、世界のウルトラお金持ちとも親交のある主人公は、中年美男子、離婚し、二人の愛娘とは一緒に暮らしてはいません。
映像には特別凝ったところは無く、SF幻想系でも全く無く、社会派リアリズム系の非常に真面目で深刻なテーマを持っているのに、可笑しい!それだけで凄いと思います。王宮を使ったりもするので豪華な場面もありますが、基本的にはたった一人の主人公の心理戦。この先どう展開するのか全く分からず、地味な映像にも関わらず目が離せません。
人の目ばかり気にする日本人とは真逆の、個人主義が徹底した言動や行為は見どころで、人種、貧困、移民と文化背景の違いなどの様々な問題を突きつけられます。自分は差別意識など持っていない、平和と融和を展覧会のテーマとしたいと思いながらも、結局自分は偽善者でしかないのだろうかと追い詰められる主人公に、自分が重なります。
「個人主義と全体主義」と同時に重要なテーマなのが「表現の自由」です。芸術ならばなんでも許されるのか、売れれば何をしても良いのか、その辺の物を美術館に置けば芸術だろうか、といった現代美術の問題は、デュシャンのレディ・メイド以来の問題ですが、ネット社会の今日いよいよ真実を見分けるのが困難になり、良識と非常識の問題が明白になりました。
路上生活者を横目に莫大な金額で、ただの四角い石の枠を購入する権利が美術館にはあるのでしょうか。しかも美術館は国立なので税金が使われています。このスクエア(四角い枠)は、この枠内では困った人を手助けしなくてはならないという「思いやりの聖域」です。典型的なコンセプチュアル・アートで、ある意味最も現代美術らしい物かもしれません。この知的(?)な静なるアートに対して、パーティーのイベントとしてモンキーマンのショウがあります。欲望と暴力を象徴するようなパフォーマンスの場面は思いの外長く、この映画における重要性が伝わります。私は、四角い理性の聖域と猿の乱入アートは、人間の両側面を象徴しているのだと思いました。
「殺される!」と狂乱状態で叫ぶ女性を助けようとしてスリに遭ったことがきっかけとなり、主人公を窮地に追いやってゆくのですが、これは監督の実体験から生まれた話だと、後から知りました。個人的には背景に出て来る美術作品や、美術論なども興味深かったのですが、美術に関心がない人でも十分堪能できる作品です。素晴らしい作品だし、一人でも多くの人に見て欲しいので、書いて見ました。