イタリア語ではニンボ、英語ではニンブスというものがあります。もとはギリシャ神話の神様の周囲を取り巻く雲、という意味のラテン語から派生した言葉。日本語では後輪とか御光とか言い方は何種類かありますが、聖人の頭には丸い円がくっついていますよね。日本の仏画などにも見られます。天使の頭にも丸い輪っかがついています。丸いもの、円だとすり込まれてきたのでこの作品を見たときは、非常に印象に残りました。ビックリした!シ・カ・ク・イ・・・・青いし。
聖堂:サンタ・チェチーリア・イン・トラステーヴェレ
場所:ローマのトラステーヴェレ地区、聖堂後陣(半円の球状の部分、アブシデ)
制作年代:9世紀
技法:モザイク
内容:購主(あがなう人)救世主イエスを取り囲む聖人たち
施主:教皇パスカリス一世(在位817~824年)
製作者:ギリシャ人のモザイク職人
非常に重要な聖堂なので聖堂については別に書きます。
実はこれとそっくりな後陣モザイクがローマには三つあるので一気にそっちも紹介します。作品がある聖堂以外は上に記した情報とほぼ同じです。
聖堂:サンタ・マリア・イン・ドムニカ
場所:ローマのチェリオ地区、コロッセーオやラテラーノの南
聖堂:サンタ・プラッセーデ
場所:ローマ、エスクイリーノ地区、テルミニ駅から遠くない。
どれもみんな大好きな聖堂で楽しくさせてくれるモザイクです。モザイク全体については後ほど説明するとして、今は御光の話が中心。
三つのモザイクがある場所はどこも大変由緒ある地域です。地域というか場所は大変重要です。場所自体に力があると考えられてきたので、世界には汚れた森とか神聖な丘とかが存在します。別にキリスト教とかイタリアに限ったことではありません。
キリスト教に限ったこととしては、このモザイクが製作された時期はキリスト教の黄金時代と呼ばれる時代で、シャルルマーニュ(カール大帝)が教皇レオ三世の要請で神聖ローマ皇帝になった後、コンスタンチノープルを首都とするローマ帝国(後に東ローマまたはビザンチン帝国と呼ばれる)からローマ教会が独立を果たした時期です。レオは偉大な教皇だったのでその後任選びは大変でした。繋ぎにステファヌスが一年やりますが、その後パスカリスが教皇となります。アインハルトは817年の「フルダ年代記」の中で、パスカリス一世は皇帝に書簡を送り、自分に押し付けられた恐れ多い教皇職を受ける気はさらさらなかったどころか、必死にそうならないように反対した、と書いています。本当でしょうか?レオ自体もそのつもりがなかったし、当時の教皇職は大変なだけで、後のルネサンス教皇たちのような絶大な権力を持ってやりたい放題というわけにいかなかったのは確かです。とにかく教皇となったパスカリスが、全てのモザイクの発注者で、四角い御光の持ち主です。三つを比較すると、だんだん歳をとっているような気がしますが、技術が足りずそれほど似ていないのかも知れません。最後のサンタ・プラッセーデの肖像が最もリアルです。ハゲではなく頭頂を剃っているのが、額の上に残る一筋の黒い線で分かります。
どのモザイクでも彼以外は普通の御光を着けているのに、彼だけが四角く青い謎の物を付けています。よく見ると黒い筋で縁取られていて、四角い箱のような物を被っているようにも見えます。これはモザイクが製作された時点で、彼が生きているという印です。ほぼ全ての聖人は死後列聖(聖人となること)されます。パスカリスは生きている時に、自らをペテロなど偉大な聖人たちの輪に加えたのです。二つ目の写真を見てください。聖母子の上に文字のような印が入った円が見えるでしょ。これはパスカリスの印です。あらゆる場面で、最も目立つ重要な場所に「私がこの聖堂を作りました!自分がやったんだよー!」と叫んでいるような人が教皇職を恐れ多いと感じたのかどうか分かりませんが、美術を愛する者、特に中世美術好きにとっては、彼は感謝の対象でしかありません。
ローマへ行ったら、ぜひ寄ってください。今日はほんの一部の話しかしませんでしたが、どれも見どころ満載の素晴らしい聖堂です。きっと楽しめると思います。お洒落な靴も素敵だし。