天使たちの西洋美術

美術、イタリア、読書を愛する西洋美術研究者SSの思ったこと

【イタリア語】バカにできないイタリア語サイトと読本

語学学習の絶対基本

①とにかく毎日触れること

②楽してできるようになることは絶対ない

👉何冊入門書を買っても決してできるようにはならない

👉辞書と講読本(これはできるだけたくさん)は必須

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San Michele in Foro a Lucca

日本でこれをやってる人はなかなか居ない。「何年もやっているのに全然できなくて恥ずかしい」という人は絶対これをやっていないと思う。私も語学が好きじゃなかったから(今でも好きとは言えない。美術や歴史、思想を知るために仕方なく読んでいる感は否めない。)分かるけど、楽してできるようになりたいので何頁もあるテキストをどうしても敬遠してしまう。単純な内容の会話なら、パターンで暗記すればできるようになるし、音楽的才能があればいわゆるペラペラに聞こえる。それでも本が読めないという人を何人も知っている。ま、それでも生きては行ける。私は今でも「中世の巡礼街道」とか「17世期の公衆衛生」とか「異端と民衆運動」(っていうかここで書いても仕方ないような専門的な論文を普通読んでる)だったら分厚い本が何冊も読めるのに、内容に興味が持てなかったり、全く知らなかったりすると全然読めないから、語学のエキスパートでは全くない。でも最低限の会話ができるようになると、旅先でもネットを通じても一気に世界が広がるのですごく楽しい💖 だからそういう初心者に自力学習の補助として以下を紹介します。

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Italiano Facile レベル1 Dov'e` Yukio

私のイタリア語の生徒さんたちに最初に読んでもらうのがこの本。小さい本で文字は大きく短い。Dov'e' Yukio?「ユキオは何処へ」です。頻度の高い日常単語500と直接法現在+命令法。というと難しく感じるかもしれないけれど、やってみれば、短い文章ばかりだし、大体タイトルからして日本が出てくるしどんどん読める。動詞の基本変化を覚えたと思ったら、是非読んで。同じ単語が何度も繰り返し出てくるので自然に覚えられる。

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Italiano Facile レベル5 Dolce Vita

Dolce Vita(甘い生活)はこのシリーズの最高レベル5で2500単語、全ての文法を勉強した人向け。と言ってもこのシリーズは全体に簡単なので、私の生徒さんたちも何人も読んだもの。ソフィア・ローレン好きには最悪か面白いかどっちか。今日紹介した二冊は両方ともローマが舞台。ローマに行ったことがあれば、なおさら興味深いのは当然です。アマゾンで「洋書:italiano facile」と検索してください。絶対お勧め。

 

https://www.digitaldialects.com/Italian/Colour_audio.htm

次はネットで楽しく単語覚え。

児童向け英語サイトなので一緒に英語も覚えられる。

上にあげたのはイタリア語の色を覚えるサイト。

このサイトがよくできてるところは、連続して単語を覚える練習にもなること。

サイトをクリックしたらBegin Game をクリック

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様々な色が4色出てくるので、正解の色をクリック

最初は Blu と言ったら青をクリック、この練習が終わると

Giallo, Viola と2色連続に、さらに3色連続となっていくから、それなりに読めても聞き取りの苦手に人にお勧め。やってみて

 

【イタリア語】楽しい勉強サイトや読本:継続は力也

私は普段、オープンユニヴァーシティで「西洋美術」や「イタリア史」の講座を持っているのですが、他にイタリア語の個人や少人数グループの授業もしています。ところがコロナのおかげで多くの人が授業を中断しています。カルチャーセンターはもう再開されていますが、大学や遠い人とのイタリア語は止まったままです。ずっと続けられている人とはラインヴィデオやアップルのFaceTimeなどを利用して、ヴィデオ授業をしています。

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歴史建造物に映像を投影し巡礼の歴史を辿る。イタリア語解説。Lucca

語学で最も大切なことは継続する事。止めると本当に力が落ちますし、初めて間もないと何も知らない人と変わらなくなってしまいます。せっかく始めたのだから、もったいないので是非続けましょう。一番は「多読」。たくさん読まないでできるようになったという人は、全然分からない人を騙しているか、旅行会話ができるくらいのレベルに違いありません。天才というような人たちだって、多読しています。彼らは楽にどんどん読める人たちなのです。

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Italiano Facile音声付きレベル3は1500単語

読み物は語学レベルに合わせるのが大切です。難しすぎると続かないので、何となく見て分かるくらいが適当です。今アマゾンで「本・イタリア語」で探しても、いくらでも似たり寄ったりの入門書は出てくるのに講読のための本が出てきませんでした。その代わり「洋書:italiano facile」と入力すると出てきます。このシリーズは外国人向けの入門書としては最もよく出来ているので絶対おすすめです。

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レベル1は500単語で現在時制だけ

他に単語を覚えるのに使えるサイトが下です。元々は英語の幼児向けサイトですが、ここではイタリア語のサイトを紹介します。

https://www.digitaldialects.com/Italian.htm

このサイトへ行くと「数」「色」「フレーズ」「動詞」などと分かれていますから、どれか選んでクリックすると絵と音声で勉強できます。気晴らしにどうぞ。

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Italian Language learning games

動詞を勉強するなら直接以下へ。全部で17単語。それなのに「航海する」なんて単語が出てくるところイタリアの歴史を感じたりましす。元々英語サイトなので英語も一緒に勉強できます。

https://www.digitaldialects.com/Italian/Verbsinfinitive.

このページへ行くとtextとAudioが選べるようになっているのでAudioを選んでください。変な発音の語学勉強サイトもよくあるんだけれど、これはとてもいい発音です。

コンピューターの音声をしっかり上げてね。今すぐチェック!

【旅】イタリア旅計画:バロックな旅:絵画編②ローマ

コロナのおかげで旅へ行けなくて、ネットを通じての代行旅行さえあるくらいなんだから、自分で行くときのことを想像して、じっくり計画を立てて楽しもうという意図で書いています。私も授業が半年以上無いので、生徒たち、参加者の皆さんにいつもの授業を少しでも忘れないようにして欲しいという願いも込めて。

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Andrea del Pozzo, Europa

対象:バロック絵画をより深く知りたい人へ。

地図が読めれば、ローマの大聖堂やお屋敷ですから語学的にはあまり問題なし。

一応ローマの最も重要な場所へは行ったという人にお勧めします。

場所は太字、美術家は赤文字、それ以外の重要単語は青文字で表記。

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イタリア州別地図・ローマは中部の濃いピンク色ラツィオ州

バロックな旅絵画編の1回目はカラヴァッジョがテーマでしたが、二回目は同じバロックとはいえ全くカラヴァッジョとは違った絵画を紹介します。西洋美術史に興味を持ち本を読み始めると、まず様式の名前を知らないと話にならないことに気づきますが、バロック美術は時代的にはルネサンスの後、宗教改革の真っ只中に始まり、カトリックの巻き返しとしての対抗宗教改革期に盛大に打ち上げられた花火です。

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Chiesa del Gesu`

対抗宗教改革の先鋒として良くも悪くも大活躍したのはイエズス会なので、バロック美術はイエズス会の聖堂で最高潮に達します。「神の軍隊」と言われ全世界へ信仰の光を届けに出撃して行ったイエズス会士は、もちろん日本にもやってきました。ザビエルの名は歴史の教科書に必ず載っています。上智大学イエズス会の大学で、現在も神父かつ学者である人々が活躍しています。その総本山ローマの、その名も「イエスの教会」イル・ジェスー、キエーザ・デル・ジェスーが写真の聖堂です。バロック様式が確立していくとバロック聖堂は、ファサードの両脇に渦巻きのような意匠が施され似た外観を持つようになるので、見慣れてくるとすぐに判別できます。アメリカや中南米、世界中にあるバロック聖堂のファサードは全てこの聖堂を真似たものなのです。

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Sant'Ignazio De Loyola

ミケランジェロが無償で設計を申し出たこの聖堂は、ジャコモ・バロッチ・ダ・ヴィニョーラジャコモ・デッラ・ポルタの二人のジャコモ(ヤコブ)によって完成されました。二人とも大美術家です。ヴィニョーラは壮大なルネサンス建築を思わせる館が得意で、ピアチェンツァファルネーゼ宮殿で実感できます。今は博物館ですが、私の愛する博物館の一つです。フェデリコ・ツッカリ、ピエトロ・ダ・コルトーナなど、この聖堂には当時最大の美術家が多数参加しているので、美術史を勉強する人には最適です。外の生真面目な印象と違って、中は驚くことになっています!!

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Chiesa del Gesu` ,Il Gesu`

エスを称えるためイエズス会(翻訳問題であって、イエスとイエズスは同じ。)の総本山として作られた聖堂の中は息を飲むような豪華なものです。床も壁も豪華だけれど、なんと言っても天井が壮絶!

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"Baciccia" Giovan Battista Gaulli

バチッチャと呼ばれたジョヴァンバッティスタ・ガウッリの「イエスの名の凱旋」は世界中にある、豪華な天井画の最高峰の一つに間違いありません。バロック美術の特徴である壮大な劇的効果が頂点に達しています。バロックは建築や彫刻と一体となって最高の効果を発揮します。空間を飛び交う天使たちは白いストゥッコです。ストゥッコとは古代ローマ時代から使われた、漆喰と似た技法ですが、大理石より安価で軽量、しかも造形しやすいので、バロック時代に高い部分に盛んに使われました。バロックの聖堂へ行くと頭がぼうっとし首が痛くなるのも当然です。望遠鏡を使ってよく見ても、見れば見るほど細部まで入念に描かれています。雲の影はまるで本物に見えますが、それも描かれたもの。フランス語でトロンプルイユというのですが騙し絵のことで、至る所に目の錯覚を利用した高い技術が駆使されているのです。

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切手になったポッツォの自画像、イエズス会士の服装

イエズス会は専門的な技術を習得した修道士を多く育てたので、バロック美術にはそういった技術者兼美術家である修道士が活躍しました。中でも数学、幾何学、複雑な遠近法を駆使したアンドレア・ポッツォは達人としか言いようがありません。自画像制作の依頼を受けた彼は、バロック遠近法の頂点として有名な、自らの偽ドームを指差しています。次はサンティニャーツィオ・デ・ロヨラ聖堂です。

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Chiesa di San'Ignazio De Loyola

これはイエズス会創始者聖イグナチウス・デ・ロヨラに捧げられた聖堂です。ここも、よくあることですが、最初の建築計画が実行されず、当初の計画にあったクーポラ(大ドーム)が作られないことになりました。ポッツォはそれに信じ難い方法で対処します。それが上の写真。灰色のクーポラに見えるところは全て描かれているだけ、凸状の空間は存在しないのです!当然、平なのですから見る角度によって歪んで見えますが、入り口から入ってきた者にはちゃんとクーポラに見えるのです。ルネサンス初期にブルネッレスキやマサッチョが皆に知らせた遠近法は、ここまで複雑で練りに練ったものになりました。本物のクーポラと違い明かり窓がないので暗い上、色も濁っている現在、よほど明るい日に見に行かないと、薄暗がりにぼうっと見えるだけなので、訪問する際は日時を選んでください。望遠鏡があると最高です。

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Andrea del Pozzo

盛期バロック絵画中、後のロココ美術に最も大きな影響を与えたのはポッツォではないでしょうか。それまでのバロック美術の、劇的で迫力はあっても重々しく暗い、という印象をこの天井画「聖イグナチウスの栄光」は一変させました。影のないルネサンスとは違い、バロックらしい陰影の効果と劇的な空間を一気に輝かしいものとしたのです。

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Gloria di Sant'Ignazio De Loyola 1685

81,5mに及ぶフレスコ の中心を見てみましょう。天に近づく程色が薄くなる空気遠近法で見え難いですが、最深部には父なる神、神の下には十字架にかかって人類の罪を贖った神の息子救世主イエス、そのイエスの下に灰色の服を着て腕を広げているイエズス会創始者聖イグナチウス、聖人から発せられる光は黒い服を身につけたイエズス会士を通じてヨーロッパ、アジア、アメリカ、アフリカの四大陸へ、そして全世界を表すその大陸には大勢のイエズス会士たちが天使の守護を受けながら活躍している。天に連なる理想的な宮殿のアーチの下ではイエズス会のシンボルIHSを掲げた天使が浮かんでいます。全世界のキリスト教徒が、神へ向かって吸い込まれてゆくような壮大な主題が、絵画的才能の上にこれ以上ない技術力で表現されているのです。どこからが建築でどこからが天上なのかさえ判別不能な程、暗い聖堂内部に神々しい光がもたらされます。これは後のティエーポロに受け継がれ、彼をもって壮大な巨匠の時代は終わりを告げるのです。ポッツォはその後ウィーンの宮廷で皆を驚かせ、何世紀にも渡ってヨーロッパ宮廷の規範となる『画家と建築家のための遠近法』を著し、ハンガリーボヘミアモラヴィアポーランド他カラヴァッジェスキ(カラヴァッジョ の追従者たち)ならぬポッツェスキと言っても良いような画家たちを産んだのです。

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Pietro da Cortona 1633

 イタリア語でsotto in suソット・イン・スッと言われる下から見上げる技法、「天井」を超えて「天上」が見える。という考えはポッツォの考案ではありません。遠近法と視覚の問題に取り組んだ美術家は大勢います。さらに「イグナチウスの栄光」ではイエズス会のシンボルIHSでしたが、盛期バロック美術のソット・イン・スッに付き物の象徴的な印はピエトロ・ダ・コルトーナの「神意の凱旋の寓意」に極めてルネサンスらしい形で表されていました。最後を締めるのはバルベリーニ宮殿です。Pietro Berrettiniが本名のピエトロ・ダ・コルトーナは盛期バロックの三代巨匠の内最年長の1596年生まれ。ジェノヴァ出身のガウッリが1639年、トレント出身のポッツォは1642年生まれなので半世紀違います。ガウッリとポッツォは二人共1709年に昇天しました。バルベリーニ宮殿の大広間の天井を見れば、ルネサンスらしさがみられます。天使の代わりに、ふくよかな理想的な美女たちとプットーという可愛らしいぷくぷくの幼児が半裸の姿で戯れている。陰りの無い明るい画風はカラヴァッジョの始めたバロック美術とは正反対です。

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Pietro da Cortona , Barberini

上の絵は先の絵の部分です。なぜか彼らの真ん中には「金色の蜜蜂」よく見るとその上には「黄金の二本の鍵」。これはバルベリーニ家の紋章と教皇の印です。さらによく見るとその印に何かを被せようとしています。下から見ているので内側しか見えませんが、教皇の三重冠です。下の女性が持っているのは、十字架に見えますがそうではなくオリーブの枝の端で、彼らは空間に紋章を形作っているのです。バルベリーニ家の勢力は1632年に頂点に達します。マッフェーオ・バルベリーニが教皇ウルバヌス八世となったのです。キリスト教世界の頂点たる教皇に選ばれたのは、神意によるものだっ!という、まさにルネサンスの祝賀画で、一切キリスト教的なところはありません。先の二つに比較すると、この絵は小さく大したことがないように感じます。先の二つがプロテスタントに対抗し、世界中の人々をキリスト教徒とすべく世界中に建造されたイエズス会の最も重要な大聖堂に描かれているのに対して、この絵は一家の広間に描かれた私的なものなのだから当然です。

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Palazzo Barberini

バルベリーニのお屋敷は地下鉄バルベリーニ駅からすぐ。大体駅の名前がこの屋敷からとられていることからも察しがつくように、あの天井だけでなく美術館博物館として質の高い作品を多数揃え、屋敷自体も当時最高の建築家たちによるものです。

https://www.barberinicorsini.org/arte/capolavori/

バルベリーニ国立博物館のサイトです。すごい💖

骸骨寺として有名なSanta Maria Concezioneや、この次紹介する天才バロック建築ボッロミーニの代表作サン・カルロ・アッレ・クアットロ・フォンターネも近くですので、二度目のローマ、もしくはゆったりローマにいられる人は是非どうぞ。

【旅】イタリア旅計画:ルネサンスに興味①

対象:とにかくルネサンスと名の付くものなら見てみる、なんだか知らないがルネサンスに興味があるのだ、でもイタリアへ行ったことが無い、と言う人へ。

一週間から十日ほどのフィレンツェだけの旅。

地図:北中部、藤色のトスカーナ州フィレンツェ

重要人物や事件は青文字、美術家は赤文字、所蔵場所は太文字で記します。

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イタリア州別地図、上から北部、中部、南部、島嶼

私が大学院で最初に言われたこと。「ルネサンスと名が付けばなんでも売れるし研究も沢山あるが、中世の巡礼、しかも誰も聞いたことが無いルッカの木彫像など、やめなさい。どうやって生きていくんだ。せめてゴシックの街シエナにしろ。」もちろん私のためを思ってのことですし、藤沢道郎先生は誠実で大変優秀な方でしたので間違いありません。先生自身がルネサンスに特別な思いを持たれていたので、尚更でしょう。でも自分の興味が何より先行する私には無理でした。それ以来、先生の予言通り、生きていくのに苦労しています。子供の頃からだけど。

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1493年に印刷されたフィレンツェ

ルネサンスという言葉は「再生」を意味します。その意味で現在はスポーツジム初め様々なところで使用される言葉として定着していますが、元はフィレンツェで生まれた概念です。長きにわたってルネサンスは「古典古代の復興、人間再生」などという紋切り型で紹介されてきました。2020年7月の今日でさえ、テレビの「日曜美術館」で100年前と変わらずそう言っていました。要するに中世キリスト教の否定になります。世界史を知らない人に一言で大雑把極まりなくいうと、古代ギリシャ・ローマ世界をクラシック(古典古代)ローマ帝国崩壊後の中世(ビザンチン、ロマネスク、ゴシックなどキリスト教絶対主義の時代)、近世(ルネサンス以降産業革命前)、現代というように捉えれば、なんとかなります。歴史は連続しているのだし、地域によって様式の差は大きく、同じ様式も土地によっては非常に年代が異なったりするので、現実には様々ですが。ジェノヴァ人のコロンボコロンブスラテン語読み)が新大陸へ旅だったのが1492年、ルターがヴィッテンベルクの門に95カ条(ヴァチカンへの告発状)を打ち付けた(伝説)のは1517年なので、歴史上の一つの目安になります。ルネサンスとは中世と近世の橋渡し、中間、両方の要素がある時代と言えるでしょう。なので、ルネサンス美術の代表はボッティチェッリの「ビーナスの誕生」というのは間違いです。あれは象徴的な作品であって、ルネサンス美術の8割はキリスト教美術なのですから。

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Santa Maria Novella

ルネサンスは思想運動ですから、本当は美術ではなく文学が先ですが、日本人でラテン語や当時のイタリア語が読める人などほとんどいるわけがなく、やはり美術がメインとなるでしょう。一にも二にもフィレンツェ、そしてローマが圧倒的中心です。そこから世界へ広がるので、まずフィレンツェに降りましょう。フィレンツェの中央駅はサンタ・マリア・ノヴェッラと言います。駅の標識にFirenze S.M.N.と書いてあるのはそういう意味で、目の前にあるドメニコ会修道院聖堂の名前です。サンタマリーアは聖マリアのことですがノヴェッラとは物語というような意味で、ここではマリアの少女時代を意味します。ドメニコ会は聖母に特別な崇敬を与えていたので、ドメニコ会の聖堂には多くマリアの名がついています。

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Ghirlandaio, S.M.Novella

サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂ルネサンスの万能の天才レオン・バッティスタ・アルベルティによるファサード(建築正面)を持ち、中ではフィレンツェの象徴とも言える大クーポラ(ドーム)を架けた建築家ブルネッレスキの数少ない彫刻でありエピソードに飛んだ磔刑像や、絵画に革命を起こしたマザッチョのこれぞ遠近法というようなフレスコ 、まさにルネサンスという聖俗織り交ぜた礼拝堂を美しく飾ったギルランダイオ(写真上)など、たった一つの聖堂だけで美術館になる程のルネサンス美術の殿堂です。隣接した回廊にある、パオロ・ウッチェッロのフレスコも損傷激しいですが大変魅力的です。同名の世界初の薬局として知られる、ちょっと離れた場所でお土産ばかり買うのに時間を取るのはもったいない。

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ブルネッレスキの大クーポラが見えるフィレンツェの眺望

次にブルネッレスキの大クーポラを持つ司教座聖堂サンタ・マリア・デル・フィオーレへ行きますが、聖堂内へ入るのに大行列ができていたら中へは入らず、ぐるっと一周します。いかに聖堂の後陣(後ろの方)や脇がすごいかわかるでしょう。ファサードはとても新しいものですから綺麗ですが軽薄な印象です。それと反比例し後方は量感のある重厚な印象を与えます。脇にある大聖堂博物館へ。聖堂の中にあったものや重要な建造物のオリジナル彫刻はみな博物館にあるし、ルネサンス期の本来の聖堂ファサードが再現されていて、世界一の博物館と、私には思えるほどです。https://duomo.firenze.it/it/scopri/museo-dell-opera-del-duomo

大聖堂博物館のサイトです。イタリア語ですが、あちこちクリックすれば写真で様子がわかります。ここではなんと言っても前ルネサンスの巨匠たちから、司教座聖堂とジオットの塔に備えられていたドナテッロの大彫刻、ミケランジェロが自らのお墓のために作った彼の自画像(彫刻だけど)が表現された感動的なピエタなど、丸一日いても足りません。

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Michelangelo, Pieta`

聖堂内へは空いている時を見計らって入ったら良いでしょう。飛ばしても良い。他に見る物が山積みだから。次はサンタクローチェ聖堂です。サンタ(聖なる)クローチェ(十字架)というのはイエス・キリスト磔刑にかかったときの十字架のことを指します。

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Santa Croce

この聖堂はルネサンスというよりゴシック美術の殿堂ですが、右脇のお墓があまりにも有名です。フィレンツェを中心に活躍した有名人がゴロゴロここに眠っています。歴史的にはガリレオ・ガリレイが有名ですが、異端審問にかけられた彼は長らくゆっくり休めませんでしたが、やっとお墓を作ってもらえました。ミケランジェロは当然います。私的には先に紹介した自分の彫刻で飾りたかっただろうにと残念になってしまうお墓ではありますが。博物館では後期ルネサンスマニエリスム)を支えたジョルジョ・ヴァザーリの大祭壇画なども見られます。

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Brunelleschi, Donatello,1429

ルネサンス期の歴史を読めば必ず出てくるメディチ家と「パッツィ家の陰謀」というのがあるのですが、そのパッツィ家の霊廟ルネサンス建築のエッセンスとでも言いたくなるようなブルネッレスキの作品ですし、空前絶後の大彫刻家ドナテッロも仕事をしています。教会建築とは思えないほどシンプルな作りなのを確認してください。灰色の枠がアクセントになっています。素朴で面白いロマネスク、荘厳で最もキリスト教中世らしいゴシック、派手で豪華なバロックに対してルネサンス建築というのは、素人にはなかなか特徴が掴みにくいものです。これぞルネサンス建築というのは聖堂でなくお屋敷の方が分かりやすく、フィレンツェの街の中心にある大商人たちのお屋敷がいくつも残っています。メディチ家の最も重要な建築家であるミケロッツォパラッツォ・メディチ・リッカルディは代表的なもの。パラッツォは城という訳を見かけますが、そうではなく現在ではビルディング(総合集合住宅のような建造物)を指す言葉です。城にあたる言葉はCastelloカステッロと言います。基本的に戦いのためのカステッロと違い、パラッツォは裕福な人々の住宅や市庁舎のような建物で、写真もフィレンツェのど真ん中、目抜き通りに面しています。近くから見ると、一階部分の壁の巨大な石が大変印象的です。切り出したままのようになっていてゴツゴツ、凸凹しています。対照的に上階は整然と等間隔で並んだヴィーフォラ(二つに分かれた窓)が特徴です。淡い茶色の石の色一色の長方形。中世の装飾的でお伽話のような建物と違い、合理主義のルネサンス建築はこんな感じで、私のような中世好きには面白味に欠けます。

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Palazzo Medici-Riccardi

このお屋敷の中には大変有名な礼拝堂があります。「三賢者の礼拝堂」と一般に言われているものでベノッツォ・ゴッツォリの作品です。まだゴシックの雰囲気を残しながらルネサンスが訪れたのを実感させてくれる力作で、小さいながら必見です。キリストの誕生を祝うために三賢人が旅をしてゆくのですが、その大行列がメディチ家と画家の自画像も含めた、ゆかりの人物たちで表されています。旅が終わり幼児イエスをお参りする場面はフレスコ でなく、フィリッポ・リッピによる祭壇画で、これも素晴らしいものです。ゴッツォリはピサのカンポサントのフレスコ も大仕事としてあるのですが、こちらは室内にあったため痛みがなく、ストレスなく堪能できます。他にもバロックの天才画家ルーカ・ジョルダーノの間など見所があります。

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Benozzo Gozzoli, Cappella dei magi

ゴッツォリといえば、彼の師匠であり特別な画家べアート・アンジェリコを思い出します。ここからそう遠くない場所に世界で唯一の修道院博物館サン・マルコがあるので絶対に訪問します。サン・マルコは駅の近くのサンタ・マリア・ノヴェッラ同様ドメニコ会の修道院ですが、隣接した聖堂も、フィレンツ史における重要な聖堂ですので必ず同時に訪れましょう。入場料のあるところは別として、聖堂を訪れた時には、素晴らしい芸術作品と宗教的遺産を守るためにもお布施をしてください。ガイドにはそんなものいらないという人がいますが、それは彼らの宗教や芸術に対する尊敬の念の欠如から来ると私は思っています。offertaと書かれた切り込みのある口が、蝋燭や聖人像の下などにあるので気をつけましょう。

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San Marco

日本や英語ではフラ・アンジェリコと言われていいますが、これはフラーテ(修道士)アンジェリコ(天使のような)という意味で、彼の名はグイド・ディ・ピエトロと言い、ドメニコ会の修道士となった時にジョヴァンニ・ダ・フィエーゾレ(フィレンツェの郊外の街フィエーゾレのヨハネ)と改名しました。彼は大変徳の高い高潔な人物で素晴らしい画家でもあったので、生前から「ベアート(神に恵まれた)アンジェリコ(天使のような)画家」と言われてきました。天に召された後(彼は間違いなく天に召されたと、私は信じています)カトリック教会からも列聖された、特別な画家なのです。

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Beato Angelico

アンジェリコは日本でも人気が高く、サン・マルコ博物館は彼の絵を見に行く人で溢れていますが、ここはただの美術館ではありません。フィレンツェの歴史を知っていれば、当時の人々の熱烈な信仰心、暴力的で騒ぎを起こさずにはいられないルネサンスの男たちの怒り、権力と政治に絡んだ、感動的で悲惨な様々な出来事が、まさにここで起こったのだと思い知らされます。有名な図書館の入り口には「サヴォナローラはここで捕まった」というプレートが掲げられ、拷問の末火炙りになった彼の修道服の切れ端が展示されているのです。アンジェリコ修道院長に推薦されました。中世には大修道院長が王や皇帝の政治顧問で、影の支配者であったことが珍しくありません。卑しい権力闘争とは正反対の静寂に包まれ、アンジェリコがベノッツォを筆頭とする弟子たちと仕事をしていた姿が、回廊では目に浮かぶようでした。ここでは撮影は禁止です。私は特別に許可をとったところだけ撮しています。上の写真は自前のポスターです。

 

この近くにはルネサンスのフレスコ など見所が他にもあるのですが、ルネサンス①の今日は、最も有名な場所だけにします。なので次はアカデミアへ行きます。

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Accademia, Michelangelo

アッカデミーアは、ただひたすらミケランジェロダヴィを目的に来る人でごった返していますが、この写真にある通りミケランジェロの他の作品もあるし、中世の板絵などもあります。満員電車の中のようなダヴィデ周辺とお土産室とは裏腹に、二階展示室には人っ子一人いません。よほど時間がないなら仕方ないとしても、ここに入るだけでも並ぶ人が少なくないのに、入ったらこれとお土産だけっていうのは、美術が好きなんじゃないんだなーと、私なんかは思ってしまいます。それならパラッツォ・ヴェッキオの入り口にも、素晴らしい眺望のミケランジェロ広場にも複製があるんだから、それでいいんじゃないでしょうか。

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ランツィのロッジャから見たパラッツォ・ヴェッキオの入り口

パラッツォ・ヴェッキオは絶対入るべき!上のカフェで休むのも超お勧めです。

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Palazzo Vecchio

フィレンツェが共和国であった時代の最も象徴的な建造物であり、街の中心にあるのがパラッツォ・ヴェッキオです。「古い館」という意味の呼び名は当然現在のもの。これこそフィレンツェ史を読んでから行って欲しいですが、中にはレオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロが腕を競ったと言われる五百人広間や、多少気のおかしかったフランチェスコ一世錬金術の研究室ストゥディオーロ、様々な有名人が幽閉された塔など最低でも半日は必要です。もし行かれるならば、写真のストゥディオーロとメディチ家の人々が秘密裏に街から逃げるための隠し通路、この建物の構造が直近に見られる屋根裏、祖国の父コジモ・デ・メディチサヴォナローラが幽閉された塔など、一般には見られない特別ツアーも考えてみてください。以前フィレンツェの文化事業ボランティアのガイドで、旅の参加者には私が通訳をしました。とても興味深い内容で大満足でした。

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Studiolo

これと連結された建物が、世界一古い美術館であるウッフィーツィです。日本ではウフィッツィと表記されますが間違い。Fが二つなのでウの次に小さな「ッ」が必要です。アクセントの位置も違ってるし。語学を勉強するときにアクセントの位置に気を配らない人は、上手く話せるようにはならないと思うます。パラッツォ・ヴェッキオとウッフィーツィは連続しているので、一緒に見るのが時間的には最高ですが、とにかく作品数が多く、しかも内容が濃いので真剣に美術を見る人なら最低でも二日は必要です。午前中一杯お屋敷を見たら、近くで昼食とり英気を養って美術館へ。最大の呼び物はボッティチェッリのニ作品ですが、他に無数の優劣つけ難い作品があります。

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Uffizi

大体周辺の広場にはベンベヌート・チェッリーニジャンボローニャランツィの回廊という素晴らしい彫刻群を陳列した場所や、椅子がわりにされているバルトロメーオ・アンマナーティの大噴水などシニョリーア広場だけでも、ルネサンス美術の殿堂の感があります。下は18世期のシニョリーア広場です。左にパラッツォ・ヴェッキオと噴水、正面にランツィの回廊が見えます。

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Giuseppe Zocchi

ルネサンスの旅一回目の今日は、行きやすい、まず大注目の場所だけ記しました。まだまだまだまだあります。ルネサンス好きには、フィレンツェだけで一週間から十日なんて全然足りません。

【旅】イタリア旅計画:バロックな旅:絵画編①ローマ

対象:カラヴァッジョが好き、彫刻より絵の方が好きと言う人へ

語学力はそれほど必要無し。大きな美術館・博物館や有名な聖堂、さらにローマやナポリならあちこちにある。今回はローマで見られるバロック絵画、カラヴァッジョの作品をとりあげます。画家は赤文字、所蔵場所は太字で表記。

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Davide #googleimages

バロック美術と聞くとカラヴァッジョを思い浮かべる日本人が少なくありません。近年特に日本人には大人気のようで研究者も多く、一般書も何冊も出ていますからその影響でしょう。宮下規久朗著カラヴァッジョ関連の本にはカラヴァッジョだけを観てイタリアを巡る本まであります。

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宮下規久朗著とんぼの本

私はカラヴァッジョのファンではないけれど、見られる限りの作品を観ていますしイタリア全土の聖堂や博物館を訪問した印象でいうと、カラヴァッジョは決して代表的なバロック美術家ではありません。持論ですが、いわゆる天才と言われるような人、または革新的な作家というものは時代を超越するもので、そういった意味で時代や流派を代表するには良い美術家ではあっても超越的ではない方がいいのです。言い換えれば非凡過ぎると誰も真似できないので、孤立した存在となります。それこそ天才というものです。カラヴァッジョは実に大きな影響を後世に与えましたが、彼の影響を受けた無数の美術家たちの方がいかにもバロックらしい作品を量産しているのです。

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Caravaggio, Musei Vaticani, Roma

この作品はバチカン博物館で鑑賞できます。大きさと言い、丁寧な仕事ぶりといい、色彩も構図も構想力も、修復という点でもカラヴァッジョ作品中最高の一点だと思います。カラヴァッジョがバロックと言われる理由は、舞台で演じられているような劇的な場面、迫真の表現力にありますが、より具体的にいうと、実際よりずっと暗い背景に非日常的なライティングで悲壮感を盛り上げるのです。彼の追従者たちは、その点を大いに真似しました。がカラヴァッジョの悲惨で壮絶な、どす黒い血を感じさせるような作品は一つもないし、それどころか後には、暗い背景とスポットライトを使った劇的ではあるが、彼とは真逆に、天使や花が舞い散る、時にはふざけているとさえ思えるほどの明るい内容に変化してゆきます。カラヴァッジョだけがバロックと思っていると、全然把握できないのでその変化も紹介したいと思います。

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Guido Reni, Musei Vaticani, Roma

バチカン博物館では先のカラヴァッジョと並んでグイド・レーニの「聖ペテロの磔刑」が鑑賞できます。イエスの一番弟子で初代教皇であるペテロは、一度はイエスを否認しますが最後は英雄的に磔刑を受け入れます。その時、師であるイエスと同じ磔刑ではおこがましいとして自ら「逆さ磔」を願い出たのです。想像しただけで恐ろしいですが、初期バロックの描き方だとその恐ろしさが最もよく表現できるでしょう。初期のバロック絵画はカラヴァッジョの画風に直接的な影響を受けています。レーニはカラヴァッジェスキ(カラヴァッジョ風の作品を描いた人たちをこう呼ぶ)の中では突出した画家の一人で、この作品も見事です。グイド・レーニもカラヴァッジョほどではありませんが人間的には問題のある人で、そのため作品の質にかなりばらつきがあります。真面目できちんと仕事をするペルジーでも確かにかなり質に差がありますが、それは弟子のラッファエッロ同様、あまりにも人気が高く弟子を使って大車輪で仕事をしたためです。引き換えバロック時代になると、ペルジーノやラッファエッロのようなルネサンスの大工房と違い、弟子の数もグッと減って作品数も減りますし、何よりもルネサンスの花である大フレスコ が油絵に取って代わるので、サイズが縮小されます。当然個人的になると言う意味でも、より現代の芸術家という概念に近づいています。

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今回の作品は中部のLazio州Romaにあります

カラヴァッジョとは北イタリアのベルガモ近郊の地名で、彼の出身地を表すとされてきました。最近はミラノ出身かもしれないという研究もありますが、とにかく彼の名はミケランジェロ・メリージと言います。親が巨匠ミケランジェロを尊敬していたのかもしれないし、大天使ミカエルから取られたかもしれません。彼はラッファエッロやアンドレア・デル・サルトなどの天才と違いデッサンに苦労しました。私がカラヴァッジョが愛せない大きな理由の一つでもあるデッサンの不具合による気持ち悪さは、特に初期の作品では顕著です。

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Fanciullo,Borghese

初期作品で最も魅力的なのは「果物籠を持つ少年」で、それはボルゲーゼ美術館で見られます。そこでは他にもカラヴァッジョを何点も鑑賞できます。ボルゲーゼの一番の見所はベルニーニだと私は思いますが、とにかく強欲なコレクター、シピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿道徳心のない芸術愛好家の極みだったので、素晴らしい作品が目白押しです。カラヴァッジョの愛人でもあったというこのモデルは何度も作品に登場し、ここでは男娼を思い浮かべさせる姿で表現されます。初めてこの作品を見たのは画集ですが、本物を観て、なんとも言いようがない魅力に囚われました。果物は素晴らしいのに顔や首の空間など下手くそなんだけれど、独特の力を持った作品です。

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La donna della serpente

気持ち悪い「バッカスに扮した自画像」や「洗礼者ヨハネ」などと比較し、大型で高い品質なのは「蛇の聖母と聖アンナ」です。この作品は、その後何度も彼が見舞われる、発注者による受け取り拒否の初期の大型作品ですし、極めて珍しい内容、完成度の高さなどから注目すべき作品です。私は、ミラノで生活していたのが確実な彼が、ロマネスクの名高いサンタンブロージョ(聖アンブロジウスSant'Anbrogio)聖堂にある青銅の蛇を思い浮かべて描いたのではないかと思っています。とにかくボルゲーゼ美術館は、西洋美術史上有名な芸術家の名高い作品がゴロゴロしているところで、その上立地も素晴らしいので本当にお勧めします。イタリア語と英語ですが公式サイトです。写真だけでも十分楽しめます。

https://galleriaborghese.beniculturali.it/

丘の上のボルゲーゼ公園の麓にあるサンタ・マリア・デル・ポーポロ(民衆の聖母マリア聖堂は絶対外せません。この聖堂にある二枚のカラヴァッジョ作品は、私にカラヴァッジョの偉大さを気づかせてくれました。聖ペテロと、彼と並ぶキリスト教で最も偉大な聖人である(考え方によっては誰より偉大な)聖パウロが向かい合わせにかかっています。どちらも非常に迫力のある力作で、彼のやる気を感じます。礼拝堂の真ん中にあるカッラッチ(彼も非常に重要な画家です)が二流に見えてしまうほど、他を圧倒する出来栄えです。一世を風靡したカッラッチと比較できるいい機会ですし、カラヴァッジョの新さが如実だといってもいいかもしれません。

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Chiesa di Santa Maria del Popolo

カラヴァッジョといえばこの作品を表紙に持ってくる程評価の高いのが、サン・ルイージ・デイ・フランチェージ聖堂の聖マタイの物語です。聖堂自体がバロック全快ですが、特にこの礼拝堂前に人が群がっています。ガイド付きで礼拝堂に入ると、西洋美術史の本に必ずといって良いほど掲載されている「マタイの召命」が正面から観られますし、3面を考えて作られているのですから礼拝堂の中に立つのがベストです。この作品が特に評論家の間でも話題なのは、誰がマタイか?というところで意見が割れているからでもあります。マタイの仲間の内一番若いのはさっきと同様のモデルです。写真右側の向かいにある殉教場面には自画像が描かれています。この絵については色々と読めるので、興味があればぜひ本を手にしてください。カラヴァッジョが本格的に活動を開始するきっかけになった大出世作でもあるし、ローマのど真ん中なのでぜひどうぞ。

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Chiesa di San Luigi dei Francesi

カラヴァッジョの最後はカピトリーノ博物館にある洗礼者聖ヨハネです。カピトリーノは単数で複合施設なのでカピトリーニと言います。カピトリーニ博物館は巨大すぎて、ここだけで1日とらないとならないでしょう。古代ローマの信じ難い作品から、このびっくりするようなカラヴァッジョの作品まであり過ぎるほどあります。映画や美術などで性描写が当たり前になった現代でさえ、ギョッとするような大胆な作品です。ソドマの時代からずいぶん進化したものです。初めてこの作品を前にした時、じろじろ観ていいものか少し戸惑ったほどです。ただいまと違って周囲には人っ子ひとりいませんでしたから、十分時間をとって眺めさせていただきました。カラヴァッジョはほぼ確実に女性との関係も持っていたらしいですが、若い男性像の方がずっとエロティックな力作になっていると私は思います。

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Musei Capitolini

この次は、バロックの後半、カラバッジョとは全く違ったバロック絵画を紹介するつもりです。

【旅】イタリア旅計画:バロックな旅①聖ペテロ大聖堂

対象:ド派手なバロック美術が好きっ!という人へ

語学力は無くても地図かグーグルでなんとかなる。一週間から10日程のローマだけの旅

地図:中部、濃いピンク色のラツィオ州

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イタリア州別地図:北部、中部、万部、島嶼

全然時代が違うんだけど、バロックという言葉を時々ゴシックと取り違えている人がいて不思議に思う。ロマネスクやルネサンスとは取り違えないんだよね〜。バロックとゴシックの共通性ってなんだろう?単に単語のリズム?もしかしたら何にも知らない人にとってはそうかもしれない。けど、なんとなく知っている人には何か共通項があるに違いない。派手、暗い、ちょっと怖い、壮絶技巧、など思い当たりました。どうでしょうか?

場所は太字、芸術家は赤字で表記します。

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ヴァチカン市国の大柱廊にある教皇の印、世界で最も壮大で美しい柱廊だ

ルネサンス美術の衰退とも言われるマニエリスム(もちろん衰退だけではないが、そういう面もあるとは思う)は技巧を凝らして、練りに練った内容となり、なんだか訳の分からない絵になってゆきます。象徴や様々な決まり事など知っている者にはそれが魅力でもありますし、それは今も変わりません。美術史やイコノロジーなど勉強してゆくと、マニエリスム絵画を読み解く面白さにはまります。他の人には分からないのに自分は知ってるんだーっという、美術通になった気分も味わえます。でもやはりそれは正道ではないし美術の本質とは別のものです。

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ルネサンスに始まりバロックに完成した聖ペテロ:ファサードも両様式が混合

誰が見てもあっと驚く素晴らしさ、見事さ、美しさといったものをバロック美術は追究しました。一部の教養階級の手から万人に美術を取り戻したといっても良いかもしれません。それには世界史における、中世から近世への非常に重要なターニングポイントとなった宗教改革という背景があるからでもあります。プロテスタントは美術を否定したのに対して、カトリックは美術の力を最大限に発揮して信者の心をつかもうとしたのです。だから当然最大のバロック美術は教皇庁であるヴァチカン市国ローマに集中しています。後にはカトリック信仰の厚い支配者、神聖ローマ皇帝などが収める地域、ナポリ南イタリアバロック地帯です。その最大のスターは誰もが認めるだろうジャンバティスタ・ベルニーニです。

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ベルニーニの大柱廊をクーポラの上から撮影

ローマの街はまるごとバロック美術の舞台装置であるかのようです。ローマは無知でも十分楽しめますが、歴史を知っていれば百倍千倍にもその楽しさは深まります。古代から中世、ルネサンス、近世とほとんどあらゆる時代で重要な役割を果たしてきた街だからですが、特に古代ローマバロック美術が色濃く反映されています。何度も映画化された「ベンハー」のレースはここで行われたのかとか、コロッセーオでは皇帝たちが親指を使って、グラディエイター(剣闘士)やキリスト教徒の命を決めていたとか・・つい横道にそれました。バロックに戻ります。クラシック美術では古代ローマ皇帝が断然主役ですが、バロック美術では教皇、大貴族に並んで美術家たちも主役になります。

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聖ペテロ大聖堂内陣 この日はフランシスコ教皇のミサで大混雑

ローマのテルミニ駅は便利ではあってもつまらないので、何がなんでもヴァチカン市国へ行きましょう。ヴァチカンには最低でも丸一日、できれば二日とりましょう。私はヴァチカン美術館をじっくり観る目的の時にはCipro(チープロ)駅まで行って美術館入口まで徒歩ですぐのところに泊まります。この辺は圧倒的に観光客も減って、日常生活も味わえる地域です。今Google マップでCiproを調べたら、ヴァチカン美術館の説明に「ルネサンス時代の美術作品を展示する」と書いてありました。真っ赤な嘘だよ〜。エジプト美術から現代美術まであります。

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Basilica di Santissimi Pietro e Paolo

聖ペテロ寺院 Basilica di Santissimi Pietro e Paolo は正式には聖ペテロとパウロのバジリカです。その二人が共にあることに大きな意味があるからですが、一般にはペテロだけの名で呼ばれています。ベルニーニの大柱廊のなかを歩いて、その巨大さを痛感したりしたいものですが、時間がなかったり気持ちがはやって、一目散に大聖堂(バジリカ)へ直行してしまいがちです。でも広場を眺めれば噴水が二つあり二人の像があるのが分かります。それはペテロとパウロです。旧約聖書新約聖書、伝統と革新、ユダヤ教と世界中の人々を二人は象徴しているのです。

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ベルニーニの巨大聖水盤:男の子と天使の大きさを比べて

チェックを受けて入場します。初めてここへ行った時、若かった私はスカートの長さが短過ぎ、入れてもらえず、必死のズリ下ろし作戦も通じず、凄く楽しみにして勢い込んで行ったのに叫びたい気分をあじわいました。その時のヴェネトンの超カラフルな服装を今でも覚えていますし、私を入れてくれなかったアフリカ系の守衛さんも忘れられません。当時は憎かったけれど、今は迷惑かけてすみませんという思いです。どの聖堂もそうですがノースリーブ、ミニスカート、半ズボン、大きく胸が開いた服(イタリアにしては)は入れません。スリップドレスで入ってきた韓国人が、何度も出るように言われているのに言葉がわからなかったのでしょうが、出ていかず神父さんが困っていたり、ノーブラ、タンクトップのドイツ人団体が大きな禁止の看板があるにも関わらず、無視して入り、教会守りの人たちを不愉快にしているなど、何度も見たことがあります。自分もそうだったのですが、皆さん注意しましょう。聖堂は観光客のものではなく本当に信仰厚い人たちのためのものです。

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内陣と袖廊の交差部にあるベルニーニのロンギヌス

聖堂は上から下まで、隙間なく埋め尽くされた芸術的空間で、息が詰まりそうです。大抵は上を見上げて、その呆れた豪華さに圧倒されます。あまりにも至る所観るべきところばかりですがゆっくり全部見ていると聖ペテロだけで一日が終わってしまうので、特にバロック的な優れた作品だけ取り出すと、聖堂の交差部にある四つの大彫刻は最も意味のあるものです。それは全て十字架と関係のある作品です。上は私が一番好きなベルニーニのロンギヌス。ロンギヌスは槍を持っているので判別できます。足元には彼がローマ兵であることを示す兜。あの槍で磔刑にかかったイエスの脇腹を突いたのですが、そこからは聖水と聖血が吹き出し、それを受け止めたのが聖杯です。様々な伝説を産み、ダヴィンチコードなどの小説のキーポイントにもなっています。

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他に左から聖ヴェロニカ、聖エレナ、聖アンドレ磔刑にかかるためゴルゴタの丘へ向かうイエスの顔の汗を拭いたヴェロニカは、そこに聖なる顔が転写されているのに気ずきます。彼女の名は伝説的に作られたものですが、その場面は聖書に記されています。エレナはキリスト教を公認した古代ローマ皇帝コンスタンティヌスの母で、イエスが掛かった十字架を発見したとされています。世界中にある聖十字架に捧げられた聖堂(サンタ・クローチェ、サンタ・クルスなど)には、この十字架の破片があることになっています。彼女は聖遺物の天才的発見者で、イエスが登った階段までローマに運んできました。アンドレはイエスに最初に従った12使徒の一人で、X型の十字架にかかりました。なのでセント・アンドリューなどの名を持つ学校の記章はX十字です。

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R.M.Slodtzの聖ブルーノ

18世期に入ってからの作品も、先行するバロック作品と釣り合うように作られました。中でも私が好きなのは聖ブルーノです。静寂のカルトジオ会の創立者で、天使が差し出す教皇冠を拒否しています。初めてここへ行った時に、この彫刻の美しさと大きさ、物語性が非常に印象に残ったので聖ブルーノについて調べ直しました。

 

https://www.teggelaar.com/en/rome-day-4-continuation-9/

聖ペテロ大聖堂のベルニーニのことを書いたブログです。英語ですが写真がたくさんあるので参考にどうぞ。

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ベルニーニのバルダッキーノ

聖堂の中程、この聖堂が捧げられたペテロのお墓の上に青銅の天蓋があります。バルダッキーノといって、ロマネスク聖堂にはよく見かけるものです。ただベルニーニのバルダッキーノほど豪華なものはありません。この大きさを青銅で制作するのには、技術的、経済的に非常に問題がありました。ライバルの独創的な建築家ボッロミーニとのイザコザなどエピソードもあります。ねじれた柱は、知恵でユダヤを統治したソロモンの神殿の柱に基付いたデザインで、以後これはバロック意匠の典型となります。上には三位一体を表す白鳩が施され、地下の聖ペテロ、聖霊の鳩、ミケランジェロの大クーポラが縦軸に一直線になる考えられた設計です。この周囲は十字架にまつわる象徴で埋め尽くされ、先の四聖人もその内です。

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ベルニーニの天才が発揮された教皇アレクサンデル七世のお墓

聖堂内には教皇たちのお墓が競い合うように並んでいます。どのお墓も一級の美術品ですがこれに敵う物はありません。初めて目にした時の驚きは忘れません。写真ではどうなっているのかよく分からないと思いますが、近くから見ても、無知だった私はいったいどうなっているのだろうと思いました。まずほぼ全てが大理石でできていることに驚き、巨大な柄のある大理石の布に絡まった、砂時計を持っているのが骸骨だと解ると謎が深まり、骸骨だけが金属で作られ、その向こうには扉があって・・・これはいわゆる擬人像の群れなのです。手前の赤ん坊を抱いている女性は「慈愛」です。どれだけこの教皇が慈愛と信仰の炎に燃えた素晴らしい人だったかと言っています。アレクサンデル七世は名家キージ家の出身で、反フランス政策を継承したため、悪名高い大政治家でもある枢機卿マザランを敵に回し、政治家としては失敗だったけれど、美術愛好家としては最高の鑑識眼を持っており、現在私たちがベルニーニの信じ難い傑作の数々を堪能できるのは彼のおかげです。なのでこのお墓に近づけた時は(これは聖堂の後陣にあり、特別なミサなどがあるときは側へ行けない)祈っている彼のために祈ります。

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聖ペテロ聖堂の最も奥にある司教座記念碑

もちろん後陣を飾る大彫刻もベルニーニの作品で、それは聖ペテロの椅子がここにあるという印です。聖堂にもヒエラルキーがあって、バジリカというのは特権的な聖堂のことです。さらに英語のキャセドラル、イタリア語のカッテドラーレとは司教が座る椅子のことで、司教が座る椅子を持つ聖堂は司教区に一つしかありません。行政区画があるのです。全世界のカトリックキリスト教会で最高の椅子は唯一、ここにあります。

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ベルニーニの司教の椅子

エスに従った12使徒の中で最初に弟子となり、仲間の長だったのがペテロです。1世紀に生きたペテロの椅子が見つかった!?そしてその椅子はこの青銅の椅子の中にベルニーニが包み隠した!!と言われたのですが、実際には875年にシャルル禿頭王が教皇に贈った象牙と木でできた椅子でした。それでも9世紀で新しい〜っとなるローマって、どれだけ歴史があるんだろうと、いつも思います。とにかく、1世紀に生きた聖ペテロ以来、今の教皇フランシスコまで延々と受け継がれた神の代理人の座、これはその象徴です。

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クーポラから見たバルダッキーノと聖ペテロのお墓

ちなみに聖ペテロ大聖堂は、ベルニーニの大回廊、地下の歴代教皇のお墓、ミケランジェロの大クーポラ、その途中のクーポラの付け根でモザイクを目前にし、三重冠などの宝物館、さらにはまだ発掘途中の地下遺跡と、一つの教会建築とは思えない程見るところが満載の建造物ですので、十分時間をとってください。ミケランジェロの「ピエタ」やラッファエッロの「昇天」、デル・ピオンボの「ラザロの復活」などのルネサンスや他の美術には触れていないので、それはまた別の機会に。

 

【旅】イタリア旅計画:絶景、珍しい景観を体に感じる

対象:とにかく景色を楽しみたい人へ!

基本的に辺鄙な場所にあるので、お金と時間に多少余裕のある人向き

言葉は中〜上級者か、できないならば旅行社を使うなどして下さい

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イタリア州別地図

イタリアとフランスをまたぐモンブラン MonteBianco

地図:左上、灰色アオスタ渓谷州の上端

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イタリア語ではモンテビアンコ

アルプス連峰中最高峰のモンブラン。日本ではなぜかケーキの名前だけど、当然山が元。頂上へ登ると、イタリアとフランスの両方をまたぐことができる。フランス側のシャモニーから登るのと、イタリア側のクールマイヨール(この名前自体が既にフランス語だけど)から行くのでは印象が全然違う。そこに山があるから登ってしまうような人と私は非常に縁遠いので、ペトラルカや両親が感動していなければ行かなかったと思うし、朝が弱いのに頑張って早起きして行ったのに、残念ながらガスってしまって地表が見えなかったのでもう行かなくていい。あまりにも有名な山だし、自然好きな人は、雲の状況を見て早起きして行って下さい。アオスタやクールマイヨールなど近隣の町には当然のように、山の雲予報が出ています。普通は全く問題無く最高の気分で登れますが、飛行機で耳が痛くなるような人は、写真の超高速ロープーウェイに注意が必要。下界は真夏で暑くても上はめっちゃ寒いから着る物や、日本人は普通かけないサングラスも絶対あった方がいいと思う。やる気のある人には、トレッキングコースなどもあり。

 

迫力のドロミテ渓谷 Dolomiti

地図:上、黄色いトレンティーノ・アルト・アーディジェ州

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Dolomiti

ドロミテ渓谷は文化遺産の多いイタリアにして自然遺産登録されている地域です。アルプスはフランス側の国境ですが、ここはイタリア内でオーストリアより。アルプスやモンブラン程有名ではないけど、登山やトレッキング、バイカーや自転車好きにはたまらない地域です。私が訪れた時にはヴェスパ軍団が、エンジン全開で頑張っていたのが面白かったし、山小屋では普通に、鳥や動物が放し飼いにされていてアルプスの少女ハイジになった気分でした。写真では凄さがなかなか伝えられないのですが、岩肌の感じでしょうか、非常に迫力のある、日本の山とは全然違った景色です。周囲にある宿や小さな聖堂は、どれもいわゆるイタリアらしいものではなくチロル色全開で、可愛いというか、外壁に明るい色で工芸的な人形や花の装飾が施されています。

 

大天使ミカエルの至聖所 Sacra di San Michele

地図:左上紫色のピエモンテ州

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Sacra di San Michele

私はこれでも一応エコロジスト(環境問題を考えできることは実践している)だけれど、別に大自然好きというわけではなく、山や川へ行くよりは聖堂や博物館へ圧倒的に行きたい方なので、モンブランもドロミテ渓谷ももう行く気はない。けれど、ここサン・ミケーレは何度でも喜んで行きます! 素晴らしい!!大好き!!!トリノの至聖所と一直線で結ばれている、というより世界にある大天使聖ミカエルに捧げられた特別な場所(フランスのモン・サンミシェルが有名)は一直線上にあるのですが、中でもここが絶景です。世界中に本訳された、映画やドラマでも有名な「薔薇の名前」の構想の素になった場所ですが、あれを見れば誰でもドラマを書きたくなるような魅力に溢れた場所です。天然の絶景ではなく、こんなにも不便な、高い場所へゴシックの大聖堂を建てた人間に思いをはせられるところが好きです。

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いよいよ聖堂へ!入り口にいる大天使ミカエル

 

映画博物館となった巨大な塔 Mole Antonelliana

左上:紫色ピエモンテ州トリノ

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巨大すぎて近くから上手く撮れないアントネッリアーナ

サン・ミケーレの聖所との関連で紹介するのが、トリノのシンボル、巨大なアントネッリアーナです。今でこそもっと高い建造物がありますが、できた当時は皆があっと驚く高さでした。エッフェル塔、ワシントン記念塔の次、20世紀の三代高層建造物ですが、前の二つと違いただの塔ではなく、これは建築らしい空間を持った建物です。それもそのはず元はユダヤ教の礼拝所となるはずでした。奇抜な天才建築家アレッサンドロ・アントネッリの名から巨大なアントネッリと呼ばれています。現在は世界一高いところにある博物館で国際映画博物館となっていて、映画好きにはとても魅力的な場所です。博物館の上に登ることができ、当然トリノの街が一望できますが、天気が良ければ先に紹介したサン・ミケーレの姿も確認できます。

 

ニョキニョキ謎の影が至る所から伸びる「巨人の洞窟」 Grotta Gigante

地図:右上ピンクのフリウーリ・ヴェネツィア・ジューリア州

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巨人の洞窟のニョキニョキ

日本の鍾乳洞とは桁違いの巨大な鍾乳洞がヨーロッパにはあるのですが、印象的だったのはこのトリエステに近い「巨人の洞窟」と次に紹介するプーリア州のものです。トリエステからローカルバスで行きました。私はなぜか洞窟好きです。山登りより好きかも。洞窟って古代なくせにSF映画みたいでもあって、秘密結社や数世紀に及ぶ秘密の宗教儀式が行われていたりする場所だからか、神秘的なところが好き💓 滅多に来ないバスの時間を確認し、余裕を持って入ったはずが2時間では出られず、途中で特別に一人で歩かせてもらい辛うじてトリエステ行きバスに乗れました。こういうところはどこでもそうですが、本当は一人では歩けません。グループ毎にガイドを兼ねた道案内人についてぞろぞろ歩きます。私は当然イタリア語グループですが英語ガイドも大抵用意されています。トリエステの鍾乳洞は上からポタポタ落ちる水分が何世紀にも渡って、下からニョキニョキ伸びた微妙に気持ち悪い物が異様に沢山あって、それが聖母子像に見えたり、なんとかに見えたりと説明されながら進みます。とにかく底が見えないような深さが印象的でした。写真撮っても近くは撮れても奥深い感じは素人の私には無理で残念です。

 

地下帝国さながらの「カステッラーナの洞窟」Grotte di castellana

地図:右下蜜柑色のプーリア州

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鍾乳洞入り口

ここはヨーロッパで行った最初の大洞窟にして最高の鍾乳洞です。今まで北イタリアばかり書いてきたけれど、いっきに下って南はプーリア州、バーリと有名なアルベロベッロの中間あたりにあります。長年いくらでもただで捨てられる天然のゴミ溜として使われてきたのを、きれいにしたらこんなすごい鍾乳洞でしたっ!という信じられない話。地元民が土地の価値を理解していないというのはよくある話なんだけど、これはその最たる例です。写真は入ってすぐの場所で、ここは撮影していいよーっということでみんな頑張って撮影会。あとはツルツルぬるぬるする暗がりを歩くので、基本的に写真は禁止でした。今は知らない。この入り口の天に開いた穴から漏れる光が素晴らしく、トリエステの洞窟にはない魅力です。1時間か2時間コースを選びイタリア語か英語のグループに分かれて入ります。トリエステの方が深いのにびっくりし、こっちの方が長いのに驚く感じでしょうか。鍾乳洞なんてどれも同じように感じますが、色とか形も違ってまるで湖のような池があったり、本当に幻想的でした。こっちは近くへ行ったらまた行ってもいいかなって感じです。

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Grotte di Castellana

 

お伽話さながらの街々 アルベロベッロ、マルティーナフランカ、ロコロトンド

地図:南、蜜柑色のプーリア州

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アルベロベッロの教会

プーリア州に絵本の風景の中に入ってしまったかのような集落があります。日本ではひたすら「美しい木」という意味の街アルベロベッロ Alberobello だけが知られていますが、実はこの地域一帯にトゥルッリ trulli(一軒だとトゥルッロ)と言われる様式で建てられた家はあります。今やアルベロベッロは観光化され過ぎているのが嫌だという、私のようなひねくれ者はマルティーナフランカ MartinaFrancaロコロトンドLocorotondo のプール付きのトゥルッロに泊まるのもいいでしょう。先に紹介した巨大鍾乳洞カステッラーナグロッタの近くにも点在していますし、ローカル電車で行けばアルベロベッロの隣町などに、とんでもなく可愛い三角屋根の家が見えるはず。あまりに可愛いので写真で見たら行ってみたくなるのは当然です。せっかく尋ねるならばホテルではなくトゥルッロの宿に泊まりましょう。一軒一軒結構違いがあって、中は見てみないと分かりませんが、石組みのそう大きくない部屋には、大抵木の家具が備え付けてあって、お伽話の主人公になったような感覚が味わえます。司教座聖堂は駅に近い新市街にありますが、写真のトゥルッロの教会と昔この区域を納めていた、嫌われ者の地主のお屋敷(村人対策の銃眼がある)を見学するのをお勧めします。トゥルッロ様式では一番大きな立派な建物で、この不思議な建物の歴史などを解説してもらえます。

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アルベロベッロの街並み

一週間でいくつもの街を回ろうというような人は当然泊まれないでしょう。ツアーバスで着いたらお土産物屋へ行ってち〜さな街をちょっと歩き次の街へ、となるのでしょう。でもなんだか悲しい。南部イタリアは、中北部の大都市めぐりと違って、交通手段などずっと限られる上、一つ一つが結構離れているので急ぎの旅には向きません。自然好きな人なら連泊して自転車でも借りて走り回ってみては?最高に気持ちイイから。

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マルティーナフランカの宿は最高に気持ちイイ!

プーリア州は、気候や町の構造、人、聖堂はいうまでもなく私の一番好きな場所です。

洞穴住居、ギリシャ人修道士の洞窟教会 マテーラとサッシ Matera Sassi

地図:南、黄緑色のバジリカータ州

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サッシの洞窟住居

サッシというのは砂粒というような意味で、写真のように、岩肌を掘って作った無数の住居地帯を指して言います。印象と違って歴史はそれほど古くなく、いつ頃から人が住んでいたのか明確には分かりませんが、イタリアの多くの都市が古代に起源を持つのに対してこれは中世以後の新しい歴史ということ。産業革命で発展する世界に取り残され、貧しい人々が穴を掘って、ロバや牛共々一緒に住んでいたのです。危険なので新市街へ越すように行政指導がありましたが、引っ越せない人々も多く一時は本当に悲惨な状況にあったようです。それが近年、旅行の国際的な隆盛や世界遺産登録などで一躍有名になり、幾つかのサッシは夢の宿に変身して、とても印象的な街となりました。

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洞窟の一つから見たマテーラの街

地形は起伏に富んでいて、谷や崖、白い砂っぽい岩肌のあちこちをくり抜いて作られた街ですが、特に高い場所や、行き難い場所には洞窟聖堂があります。聖像破壊運動(イコノクラスム)でビザンチンギリシャ)より逃げてきた東方の修道士たちが、かろうじて命を繋ぐようにして洞窟聖堂で生活していました。彼らの描いた、西洋とは違った装飾的で思弁的なフレスコ が今も所々に残っています。マテーラの街には絶対に泊まりたい。陽光の色の変化、夜の窓に灯る暖かい光、朝が開ける頃の空と白い岩肌の輝きは、大変幻想的です。私は、やはりただ自然が美しいというより、そこで暮らした人の思いが、形となって現われたものが好き。ここは悲しさ、寂しさ、悔しさ、孤独、生活苦と喜びなどを、人の手で掘った無数の穴に感じることができる所です。

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トゥルッリの屋根

今回紹介した場所は、基本的に皆行きにくい場所です。北イタリアの山などは観光ツアーもたくさんあり、現地ではほとんど歩かないでもすみますが、南部では例え車などで当地へ着いたとしても、そこからまた散々歩きます。なのであまり歩けない人にはお勧めしません。それと南部イタリアはまだまだ英語が通じないことが多く、初心者の一人旅などは避けたほうが良いと思います。アルベロベッロにだけは日本人がいるでしょうが、一歩出てしまうとそれなりに語学力が必要です。

 

【旅】イタリア旅計画:入門編

 

対象:イタリアへ行ったことがない人、長旅のできない人へ。

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イタリア州別地図

ローマ(濃いピンク色のラツィオ州) フィレンツェ(藤色のトスカーナ州) ヴェネーツィア(青のヴェーネト州)を一週間から10日で回る旅。

 

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ローマの庶民的人気も高く観光スポットでもあるナヴォナ広場

 

ローマ Roma

かつて古代ローマ帝国の首都であり現在も教皇庁のあるキリスト教の中心地ローマは何がなんでも一番重要。見所は無数にあり何年居ても見尽くせないが最重要な場所は以下。

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ヴァチカン博物館の目玉ラファエッロの間フレスコ

ヴァチカン市国とその博物館 Citta del Vaticano con Musei Vaticani 聖堂クーポラ(大ドーム)へ登ったり、地下墓地を尋ねれば世界一の博物館と合わせて丸一日は十分かかる。博物館には西洋美術史上最も有名なラッファエッロの「アテネの学童」、ミケランジェロの涙が出るほど美しい「ピエタ」、ベルニーニの天才が発揮された聖堂や彫刻が目白押し。

古代遺跡群はローマをぐるぐる歩けば、至る所で目にすることができるが、まとまっているのはカピトリーノ博物館 Musei Capitolini。古代ローマの恐ろしさが良くも悪くも堪能できる。

大天使城とその橋 Castel Sant'Angelo 古代ローマ皇帝の巨大墳墓に端を発し、教皇の隠れ家、牢獄など時代と共に変化しながら変化した要塞。今は博物館で、素晴らしい眺望のカフェもある。

コロッセーオと凱旋門 Colosseo , Arco trionfale ローマを訪れてこれを見ないのはあり得ないのが凱旋門と並んで建つコロッセーオ。遺跡好きならその横には広大なフォロ・ロマーノが広がっている。

 

ローマは道や町が大きいだけでなく、世界で最も重要な建造物や記念碑、芸術作品が凝縮している。上記三つだけで疲れ切るはず。食事は、観光客向けの店は最悪。

 

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サンタ・マリア・デル・フィオーレ司教座聖堂ファサード

フィレンツェ Firenze

ルネサンス発祥の地フィレンツェは、日本人に最も愛される街でもある。ローマほど巨大ではなく、町中に素晴らしい聖堂や博物館、美術館があるので比較的疲れない。総合的なフィレンツェカードはお勧めしない。大急ぎで回りきらなければ損。日程と体力にあわせて見られる分だけ購入する事。

 

花の聖母聖堂と大聖堂博物館 Santa Maria del Fiore, Musei dell'opera del Duomo ルネサンスを象徴する司教座聖堂のクーポラ(巨大ドーム)は、大聖堂横の大聖堂博物館から目の当たりにできる。聖堂内は、博物館にほぼ全ての美術品が運び出されがらんとしているので、何時間も待って入場する必要なはい。博物館は圧巻で、美術愛好家なら卒倒しそうなほど。

ジオットの塔 Torre di Giotto とにかく高いところが好きなら登ったらいい。この塔は外観の彫刻が美術史上極めて重要なので、外から眺めるだけでもいいし、高いところ好きなら隣の大聖堂のクーポラに登る方が面白い。

洗礼堂 Battistero di San Giovanni 大聖堂や塔より、歴史的美術的によほど価値があるのが、大聖堂の目の前にある洗礼堂。世界一有名な扉(ミケランジェロが「天国の門」と呼んだ)はオリジナルが大聖堂美術館にある。天井モザイクが素晴らしく、最後の審判の地獄絵図が大迫力。修復されたばかりなので一番の見頃。

この三つは固まっているので時間がなければこれだけ観る。

 

観光客用のお土産屋やレストランが無数にあるが、高い不味いので、できれば川向こうなど少し離れると、ずっと良いお店に出会える。

 

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Brano di Venezia ブラーノ島

ヴェネーツィア Venezia

ヴェネーツィアはその土地の特殊性もあり昔から外国人の憧れの街だったので、世界大戦が終わった後世界一裕福だったアメリカ人たちがこぞってやって来た。ヴェネツィアを舞台とした白黒の古典的な映画などたくさんある。『旅情』『夏の嵐』『ベニスに死す』が代表的なところ。近年は気候変動や町の構造の問題で、島ごと海に沈みそうなため、いつまで観光可能か心配なこともあり、沈む前に行く価値はあり。観光には素晴らしい海のある街を好む傾向の強いイタリア人には、一般に人気の無い場所なので、街にいる外国人率は驚くほど高い。ヴェネツィア埋立地で街中を運河が流れているため、移動が非常に不便。目の前にある建物でも、運河に阻まれ、定期便の水上バスを使うか観光ゴンドラなどに乗って移動するので、町の大きさに比較し時間がかかる。

 

聖マルコ大聖堂と博物館 San Marco con tesori 問題なく一番外せない建造物は、西洋における最大のビザンチン様式聖堂の一つサン・マルコ。「ヴェニスの商人」ならずともうんざりする程ヴェネツィアではいちいちお金がかかり、大聖堂もいくつもの部分に分かれて支払う仕組みになっている。歴史や美術に特別な関心が負ければ、飛ばしてもいいのかもしれないが、私にとってはそれはあまりにも勿体無い。東ローマ(ビザンチン)帝国陥落を思い出す様々な略奪品が展示されている。モザイクを間近にみられる博物館やファサードの上から海や運河が眺められ、気分も上がるはず。

 

ブラーノ島 特に美術に関心がなければ、ティントレットやティツィアーノなどヴェネティア派の巨匠の作品を見に行くより、船に乗って島を訪ねるのがお勧め。最大でも2時間ほどで多くの島へ行ける。あまりにも有名なヴェネツィアン・グラスの工房があるムラーノ島もあるが、私はレース博物館のあるより小さなブラーノ島が好きだ。ひなびた漁村だった島は、漁師たちが自分の家を見分けるためにカラフルに好きな色に塗ったと言われていて、本当に可愛い。大変小さいので歩いて島中を巡ることができる。観光客でごった返す(コロナがなければ、島が沈みそうなほど混んでいる)本土と違って、地元の人が使う海沿いの食堂で、時間を忘れてワインを傾けてみたらどう?

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サン・ピエトロ大聖堂大ドームから見たヴァチカン博物館

一週間から十日もあるのにたった3都市だけ?と思う人がいるかもしれない。イタリアは世界文化遺産圧倒的第一位の国で、フランスやスペインを凌駕している。中でもローマは世界中の町の中でも、唯一の特別な存在だ。たった一つの聖堂や博物館を見るだけで、次から次へ怒涛の如く現れる恐るべき質の高い美術作品にヘトヘトになる。しかもパリのルーブルやロンドンのナショナルギャラリーと違って、それらは本来そこにあるものが基本となっている。寄せ集めではなく本物なのだ。

 

先に見るものリストを作り、それをチェックしながら駆け足で訪ねるより、気に入った聖堂や作品、風景を前に自らの感受性に意識を集中して欲しい。ヴェネツィア以外、歩ける人は徒歩で、経済的に余裕のある体力に自信のない人は車でどうぞ。

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暖かい時期には音楽イベントがいっぱい

美術館や聖堂、風景を楽しむためにも無理しないで回って欲しいから、午前中一つの美術館、数時間リラックスできる素敵なレストラン、午後遅めにまた聖堂や博物館、そして忘れてならないのは夜の町歩き。しっかりした昼食だったなら、ワインかビール(最近はイタリアのビールも美味しい)と小皿をいくつかを、気持ちの良いレストランや居酒屋で過ごす。夜になると湧いて出てくる町の人々を眺めながら、完璧な1日が過ぎゆく。時にはお洒落して歴史建造物でのアリアやコンサートに行ってみる。こんな旅が私のお勧めです。

【旅】イタリア全土旅計画色々

このところずっと更新していなかったので、心配されたりブログを更新してほしい(楽しみに待ってます)と言ってもらえたりしたので更新してみます。

 

私は全てのイタリアの州を旅しました。と言っても唯一カラーブリア(水色)には宿泊したことがありません。コロナが開けたら泊まって、完全制覇したいと思っています。私は西洋美術、特に中世ルネサンスが専門なので、目的は主に美術と聖堂巡りです。

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イタリア州別地図

仕事上、イタリアへ旅したことのある人とは大勢会ってきました。旅の仕方は、個人の好みに合わせて様々です。コロナが開けたら旅へ行きたい、ヨーロッパへ行きたい、もちろんイタリアへ行きたい、と考えている人へ向けて、対象別の計画を記したいと思います。

 

対象別とは

1)好みの違い(サッカー、料理、ショッピングなどに特別な関心があるなど)

2)取れる時間の違い(休みが一週間しかとれない人と、ゆったり1ヶ月回れる人など)

3)経済力の違い(有名高級ホテルに連泊するか巡礼宿やユースホステル、車をチャーターするか公の交通機関だけで行くかなど)

4)語学力の差(全く語学ができない人とイタリア語ができる人では、旅でできることが全然変わる。多少の英語ができるのも、また違う、など)

5)知識の差(イタリア史、世界史、西洋美術史などの知識があるかないか)

6)経験値(初めての人、何度も行っている人との差)

 

などを踏まえて、自分はどういう旅があっているかを考えてみてください。上記の違いで旅計画を提案します。

 

【入門】言葉ができず(といっても、ツアーに参加しないなら最低の旅英語ぐらいは勉強して行きましょう。)初めてイタリアへ行く、それほど時間もお金もかけられない人。広く浅く有名どころを押さえたい人へ。

 

【初級】ツアーでざっと回ったことがある。本の少しは旅語学ができるような人へ。

 

【中級】数回行ったことがありローマ、フィレンツェヴェネツィア以外へ行ってみたい人へ。

 

【個人旅行】旅会話はでき、一人旅に慣れていて、ツアーには無い場所へ行ってみたい人へ。

 

【ロマネスクの旅】中世初期の面影の強い場所を厳選。上級者向け。

 

【ゴシックの旅】中世盛期ゴシック美術を鑑賞する旅。

 

ルネサンスの旅】ルネサンス芸術に関連の深いところばかりの旅。

 

バロックの旅】バロック芸術に圧倒される旅。

 

【趣味の旅】特別な趣味がある人(食通、サッカー目当て、ファッションや買い物にしか興味が無い、など)は、ひたすら目的の場所へ直行する旅。

 

などのように紹介します。楽しみにしてね💓

【イタリア語】単語帳と元生徒シェフのレストラン

コロナのおかげでラインビデオ授業を始めたら、大学生の生徒ができました。始めたばかりだけれど、すぐ覚えるので教えがいがあります。普段はほとんど大人に教えています。高齢でもできるようになる人もいて、そう言う人は心から尊敬するしとても嬉しいんだけれども、それとはまた別の喜びです。で、今日授業したらお勧めの単語帳がないか聞かれました。英語と違ってイタリア語は種類も少ないし値段も高いので、そんなに選べません。必要なら手に入るのを買ってください。英語がかなりできる人は、伊英の方がずっと経済的でいろいろありますし、スペイン語やフランス語などができる人なら、すごく楽なので伊西や伊仏辞書の方がむしろいいと思います。ネットで良いのがないか探したのですが、私は気に入ったのを見つけられませんでした。一応無料イタリア語単語集を紹介します。ま、もともと一言で覚えるのが無理ですが、訳には結構気になるところがありましたが、本で勉強した後に、思い出すためや発音の助けにはなると思います。

https://play.google.com/store/apps/details?id=net.languagecourse.vt.it&hl=ja

 

だいたいイタリア語って英語のように、実用的に役に立つわけではないので、それじゃどうして勉強するかといえば

1)とにかくイタリアが好き【旅、人】

2)西洋美術が大好き【美術】

3)オペラやナポレターナ(カンツォーネ)が大好き【音楽】

4)サッカーが大好き【スポーツ】

5)イタリア料理が大好き【料理】

て感じでしょうか。

人数は少ないけれど、こだわりのある人なら自転車や車なども有名だし、バレーボールやバスケも弱くありません。それに歴史的にはイタリア映画は非常に重要で、大監督や大俳優を輩出しています。人数的には圧倒的に多い料理好きですが、残念ながら料理好きかつ勉強好きの人にはあまり会ったことがありません。料理人には10人以上教えましたが、本気で勉強した人はほぼ一人です。彼は今結婚式やイベントなどもするレストランのシェフなので紹介します。

 https://www.sentir-sensyukoen.com/murivecchi/

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Osteria i Muri Vecchi

オステリアムーリヴェッキで検索してもらえればインスタ とかFBとか、当然携帯用のサイトもあります。秋田で東京じゃないのでなかなか行けませんが、以前銀座でシェフをやっていた時はとても美味しくて経済的でした。銀座のレストランはヴェネツィア風の行きやすいレストランでしたが、今働いているところはドレスの展示会などするようなところです。彼は前菜が得意って印象を勝手に持っています。

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Osteria i Muri Vecchi

 Kazuo Yanataで探すとFBやインスタで彼が出てきます。料理のことならなんでも聞いてくださいって、生徒さんにも答えますって言ってくれてる。それが恩返しなんだって、嬉しい💖 彼はずっとイタリア語を使いながら仕事をしています。イタリア料理のシェフなんだから当たり前ですが、イタリア人と働くことも多いし、そういう時には言葉ができたら全然違うのは当たり前。

  

話は戻ってやっぱり本格的な単語帳は、やめようかと思います。学生のためにちょっとその気になったけど、すごく時間がかかるし、なんでも勉強しようと思えばまず今手に入る単語帳(本は必須。ネットは助けに)で2000単語ぐらい覚えましょう。それだけでくじけているようでは結局できるようにはなりません。世界中のあらゆる言語の最低会話に必須な単語の数が2000から2500なんだから。と言いつつもちょこっとづつ、私なりの分け方で、単語を集めて書いてみようとは思っています。

 

うちには昨日アベのマスクがきたんだけど、やっとコロナも開けてきたみたいだし、秋田駅の近くの人たち行って見て。ディナーでも五千円でお釣りがくる🍝🍷

【イタリア語・美術】ire 動詞:聞き感じるロマネスクのバルガ

直接法現在の動詞の最後の変化です。

前にire 動詞の第二変化をやったのでここでは第一変化。

より簡単な are  ere と同じ変化の仕方です。

 

原型 sentire センティーレ 聞く、聞こえる、感じる、など

io sento セント

tu senti センティ

lui/ lei sente センテ

noi sentiamo センティアーモ

voi sentite センティー

loro sentono セントノ

 

全ての動詞は二つの部位からできてます。

意味を持つ頭の部分と、人称(主語)を表す後ろの部分です。

後ろの赤字部分を切り落とし、主語によって入れ替えれば文章ができます。

この変化には aprire (open), partire(発つ)などがありますが多くはありません。

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Barga

Domani parto per Barga 明日私はバルがへ発ちます
partire はほぼ出発すると言う意味で使うので簡単ですが、sentire は内容が日本人には難しい言葉だと思います。英語で初めて hear を知ったときに、発音と文字の関係も難しいですが、物音を「聞く」のも、人の話をよく「聞く」のも、伝聞として「〜だそうだ。〜と聞いている」と言うもの、そこから派生して「便りをもらう、消息、噂を知る」なども皆一緒で、ときには「叱られる、罰せられる」とかまで内容に幅があるのに驚きました。今と違ってなかなか受け入れ難かったです。sentireは英語のhearの意味と似たような意味に、英語のfeel「感じる」と言う意味が加わるので、さらに幅広くなります。その上他動詞と自動詞、再帰動詞があります。他動詞から。

 

肉体的に「感じる」と言う意味で

Sento fresco a Barga 私はバルがでは新鮮な空気(涼しく)を感じる

Senti freddo / caldo ? 君は寒いの・暑いの?

Sentiamo un profumo dell'aria di campagna! 
田舎の芳しい空気を感じよう(わ〜!良い空気だね〜!)

Sentite sete/ fame ? 君たちは乾き・空腹を感じるか
(あなたたち、喉が乾いたの?お腹がすいたの?)

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Barga

「聞く」と言う意味で

Senti! 聞いて(命令法)

Abbiamo sentito la notizia del Salvatore
我々は救世主のお告げを聞いた

Sentite che cosa ne penso io
お前たち、私がどう考えているか聞くが良い

写真はトスカーナの素晴らしい村バルガと、その大聖堂です。バルガは大変小さいですが、私にとっては大好きな村の一つで何度も訪ねています。住む勇気はありませんが、いつでも喜んで行きたい場所です。山々に囲まれた丘には典型的なロマネスク聖堂があり、中にはこれぞロマネスクと言わんばかりの説教壇と守護聖人の巨大な木彫像があります。質の高い彫刻家による大理石の説教壇には、救世主イエスの誕生の場面が描かれています。星に導かれ(馬に乗った二人の頭上にあるのが星)、聖母子のもとへ向かう三賢人です。右の年長の賢人はもう聖母へお参りしています。彼らはヘロデ王に、幼子を見つけたら報告するように言われていましたが、胸騒ぎがしたのでヘロデの宮殿へは帰りませんでした。

 

感情、感覚的に「感じる」

I tre magi hanno sentito paura 
三賢人は恐れを感じた

Hanno sentito la simpatia per Madonna col bambino

彼らは聖母子に親愛の情を感じた

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San Cristoforo

Senti il bello di romanico?
君にはロマネスクの「美」が感じられるか(分かる)

 

文句の付け所のない木彫蔵は聖クリストフォロスです。肩の上の小〜さなイエスが愛らしく、同時に威厳に満ちているのが中世ならでは。これがルネサンスとかなると普通の子供になっちゃうのですが、ロマネスクやビザンチン様式のイエスはどんなに小さくても王の威厳があります。足元の青い波は川の表現。クリストフォロスはお年寄りや子供などが川を渡るのを助けていたのです。手にした棍棒もいい感じです。丈夫な杖は巡礼の必需品で、巡礼者を渡していたのが分かります。ある時子供を背負ったはずなのに、川の真ん中でどんどん重くなっていきクリストフォロスは流されそうになりますが、身を呈して子供を守ると実はそれがイエスだった。と言うお話。中世らしい物語で、お釈迦様のお話などと共通点があります。ここでは貴族の装束を付けていて、これもロマネスクならではです。

 

Cristoforo ha sentito strano

クリストーフォロは変だと感じた

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Crocifissione

次は自動詞としての使い方

 

Lui non sente

彼には(耳が)聞こえない

il vino sente di aceto

そのワインは酸っぱい感じがする(味がする)

Chi non sente non comprende a fondo l'arte

感性が豊かでない者は芸術を深く理解できない

小学館伊和中辞典より)

 

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Barga

再帰動詞

Mi sento depresso con corona virus

(私は)コロナのおかげで気分が憂鬱です

ma mi sento bene vedendo le foto di Barga

しかし(私は)バルガの写真を見ると気分が良くなります

 

他動詞

Maria ha sentito svenire con l'arcangelo Gabriele

マリアは大天使ガブリエルのために気が遠くなりました

Maria e Giuseppe sentono di amare il loro bambino

マリアとヨセフは彼らの幼子を愛していると感じています

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Gesu` Bambino

さっきは三賢人でしたが、これはその前の場面。

Annunciazione 受胎告知(右)に引き続き、ベッドで休む Santa Maria マリアを気遣う San Giuseppe ヨセフ、よく見ると馬と牛がグルグル巻きになったイエスを覗き込んでいたり、女たちが体を洗ったりしています。生まれたてなのに堂々と仁王立ちになっているところもブッダを連想させますね。説教壇の一面に三つの場面が、枠を使うことなく描かれています。構図や威厳のある表情、彫りの確かさなど、素晴らしい芸術です。

 

これで動詞の基本変化は終わりです。sentire を使って、懐かしいバルガに思いを馳せました。

Mi sento la mancanza di te, Italia con la bellezza

美しいイタリア、貴方がいなくて寂しい

 

 

【美術・イタリア語】ire 動詞「終わり」とシニョレッリ

Paradiso パラディーゾ 天国

私は2月後半から9月まで!!大学ではイタリア語、西洋美術史、イタリア史の授業ができません。今はビデオ通話に抵抗のない人とだけイタリア語の授業を続けていますが、多くの人はすっかりお休みになっています。でも、こんなに長い間休んだら、語学はものすごく後退しちゃう!せっかく今まで積み上げてきた努力が水の泡にならないように、ブログをできる限り更新するので、読んで、そこから自分で発展させて勉強を続けてください。今度会ったときに実力が激減したりしていないように。

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Paradiso

生徒でない人も、イタリア語に興味を持ってもらえれば嬉しいから、単に語学勉強ではなく、関連した文化的背景などの内容も同時に書いています。元々そういう方が得意だし。写真はローマのベルニーニが作った最高傑作です。どれが最高傑作かは人によって判断は異なるでしょうが、これに関しては作者自身がそのように考えていた節があるし、聖堂自体をほぼ全てベルニーニ一人でデザインしたという意味で、理解できます。もちろん私も初めてその空間へ足を踏み入れたときには、感動しました。深い心に染み入るような感動と言うのではなく、ぱっと目の前が明るく開けて、心が躍るような驚きでした。小さいながらもまさにこれぞバロックと言えるでしょう。聖堂の内部空間全てが天国 Paradiso パラディーゾを表現していますが、天国とはキリスト教徒にとっての終わりに他なりません。

 

are 動詞とere 動詞については書いたので残るは ire 動詞です。

最初に嫌なこと。

ire 動詞には基本変化が二種類あります。(直接法現在の場合)
今日はそのうちの面倒な方から。数は少ないですが頻度の高い動詞が多いので。

原型 finire フィニーレ (動詞)終わる 終える

io  finisco フィニスコ

tu  finisci フィニッシ

lui/ lei  finisce フィニッシェ

noi  finiamo フィニャーモ(普通の変化と同じ)

voi  finite フィニーテ(普通の変化と同じ)

loro  finiscono フィニスコノ

 

今までの規則に従えば io fino となるはずですが、そうはならず finisco となります。その流れでいくと noi finisciamo と言いたくなるのですが、一人称複数は常に基本に忠実なので noi finiamo となるのに注意。ほとんどの初心者が間違えるところです。

 

動詞の人称変化を覚えるのは何よりも最初にするべきことで、名詞や形容詞の男女単複の変化や、冠詞をどうするかよりも重要だと私は考えています。人称変化をすることにより動詞には主語が含まれる為、たった一つの単語で文章の骨格となるからです。

 

finire は英語の finish からすぐに覚えられる単語でもあります。

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Apocalisse

 このおもしろ可愛い絵はイベリア半島のロマネスクの最も特徴的なものです。絵の下ある Apocalisse とはなにか。

Apocalisse アポカリッセ とは「黙示録」のこと。新約聖書の最後にある、預言文学で、世界の終末が語られます。「ヨハネの黙示録」を描いた美術作品は無数にありますが、中でもLuca Signorelli ルーカ・シニョレッリが Olvieto オルヴィエートの司教座聖堂 Cattedrale カッテドラーレ に描いたフレスコ affreschi は強烈で、ミケランジェロより早く裸体 nuda で礼拝堂 cappella カッペッラを埋め尽くしたのは彼です。

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cappella di San Brizio

元々この礼拝堂は1447年に天使のような画家修道士 Giovanni da Fiesole ジョヴァンニ・ダ・フィエーゾレに発注されました。Beato Angelico ベアート・アンジェリコ(天使のような神の恵みを受けた者)として知られる画家です。 ところが彼は大人気画家であり、極めて従順な修道士だったので教皇のいるローマへ呼ばれて行ってしまいました。十五ヶ月で彼と Benozzo Gozzori ベノッツォ・ゴッツォリを筆頭とした、彼のBottega ボッテーガ(工房)が仕上げたのは天井部分で、壁は残されました。アンジェリコの最高傑作とは思いませんが、いかにも Beato Angelico の工房らしい作品です。呼ばれて行った教皇庁に描いたフレスコ はそれは素晴らしいものなのに、長くヴァチカンでは公開されていません。

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Beato Angelico, Vatican

アンジェリコの工房がいなくなった後、何人かの画家が後継に考えられます。ラッファエッロの師匠だった Perugino ペルジーノは、当時世界最高額級の大巨匠で、しかも忙し過ぎたため頼めませんでした。1499年に、40年以上経過してやっと決まったのが Signorelli シニョレッリでした。

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Beato Angelico

上の画風からいきなり下の画風になっちゃったのですが、ドメニコ会の修道士たちは驚かなかったのでしょうか。彼らはフレスコ の内容には、神学的に深く関わっていたのですが、画風まではどうだったのだろうと思います。

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Luca Signorelli

自動詞(〜が終わる)

Il mondo finisce fra poco

世界は間も無く終わる

Il lavoro della cappella e` finito nel 1502

その礼拝堂の仕事は1502年に終わった

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Luca Signorelli, Apocalisse

他動詞(〜を終える)

Luca ha finito di affrescare tutto in maniera molto originale

ルーカは全てのフレスコ を大変独自の手法で仕上げた

Luca ha finito di lavorare anche per la cappella sistina

ルーカはシスティーナ礼拝堂でも仕事をやり遂げた

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ウワァーッ!ギャーッ!ルーカはのけぞり、ねじりポーズが得意

それにしても当時の男性の格好はすごい。こういうのが理想だったんでしょう。ルネサンス恐るべし!

 

finireの終わると言う言葉を止める(辞める)と混同してはなりません

finireはすっかりし終える、と言う意味なので仕上げる、やり遂げる、と言う意味で終わると言うときに使うのです。

 

だから

Ho finito il lavoro

私は仕事を終えた(仕上げた)

Ho smesso il lavoro

私は仕事をやめた(職を変える、退職した)

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Luca Signorelli

悪魔光線が飛び交っています。それにしても天国を現した天井はアンジェリコが、世界の滅亡である黙示録をシニョレッリが描いたのは、適材適所の最高の例ではないでしょうか。ルーカは裸体や「うぎゃーっ!」となった人を描くのが得意技でしたが、正反対のアンジェリコを尊敬していたのでハルマゲドンの大惨事の中に自分とアンジェリコを描きました。締め殺される人を後目に涼しい顔をしています。この絵は特に、惑わされる人々に囲まれた、台の上のアンチクリストで有名です。

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Luca Signorelli e Beato Angelico

ちなみに Raffaello ラッファエッロもべアート・アンジェリコを自分のフレスコ に描いています。それはミケランジェロシスティーナ礼拝堂と並んで、ヴァチカン博物館の最大の見どころですし、絵としては余程美しいものです。

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Raffaello, Vatican

アンジェリコは二つの画面の両方で、左隅に描かれています。ドメニコ会の黒い衣装をつけているのが彼です。ラッファエッロの方がだいぶ歳をとっています。ラッファエッロは多くの美術家を「アテネの学童」と言う美術史上最高に名高い作品に描きましたが、アンジェリコだけは「聖体の論議」と言う別の内容に描きました。内容から明白なように、アテネルネサンスの文化人が夢中になった古代ギリシャ・ローマがテーマですが、アンジェリコは100%キリスト教の人だったからです。

Raffaello e` finito troppo presto

ラッファエッロはあまりにも早く終わった(死んだ) 

ma la sua fama non finisce mai

しかし彼の名声が終わることはない(彼の名は永遠だ)

【本・美術】ヴェラスケスと奴隷の物語

題名:赤い十字章

副題:画家ヴェラスケスとその弟子パレハ

著者:デ・トレビノ

訳者:定松正

出版:さ・え・ら書房 1993年

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Francesco d'Este

イタリア好きや食通の人はこの人を、と言うかこの絵をどこかで見ていないでしょうか。バルサミコ酢って日本では言われているバルサミーコの瓶に付いています。これは1638年にマドリッドを訪れたフランチェスコ・デステ(ディ・エステ)公爵をヴェラスケスが描いたもの。ヴェラスケスは生涯のほとんどを宮廷画家として過ごし、イタリア出張以外ほぼマドリッドから出ませんでした。なので現在も、美術史を通じて最も有名な画家にしては作品が世界中に散らばっていない画家です。1843年にはこの絵の人物が住んでいたモデナ(イタリア、エミリアロマーニャ州)のエステ画廊に買い取られ、今もそこにあります。

https://www.gallerie-estensi.beniculturali.it/scopri/

博物館のYouTubeです。「エステ家とルネサンス」というテーマで4部構成になっていて、この作品は第二部と最後に登場します。イタリア語で英語字幕付き。モデナもフェッラーラも大好きな街で、見ていると行きたくてたまらなくなります。コロナが開けたら、ウルトラ貧乏にもかかわらずエミリアロマーニャの旅をしようかとか、考え出しています❣️

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Aceto balsamico del Duca di Modena

さて本題の本は、そのヴェラスケスの最高傑作と言われる「ラス・メニーナス」に描かれた画家の自画像、の胸の上の十字章を誰が描いたのか?という伝説が元になってできたもの。画家の奴隷だったファン・デ・パレハ(本の中ではひたすらファニコという名で登場)の伝記物語。一昔前の翻訳という印象を受けますが、児童書なので誰でも簡単に読めるし、物語としては大変読みやすく感動的な良いお話ですから、一人でも多くの人に読んでほしいです。大人なら一、二日で読める内容です。

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赤い十字章

絵をあまり知らない人は多分このブログを読んでくれないと思うから、わざわざ説明するまでもないかもしれませんが、現在「ラス・メニーナス」という名で知られる下の作品は西洋美術史上、異常なくらい評価の高い作品です。ヴェラスケス晩年の巨大油彩画で、バロックの天才画家ルーカ・ジョルダーノが「絵画の神学」と呼んだのは有名な話ですが、筆捌きから印象派を用意したと言われたり、とにかく革命的な作品という定評です。この作品については、いくらでも書いたものがあるので色々読んでください。

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ラス・メニーナス

問題は、この絵の左に描かれたヴェラスケスの自画像にある、当時のスペイン王国で最も栄誉あるサン・ティアゴ騎士団の記章です。王命で彼が騎士になれたのは1659年で死の前年ですが、作品自体は1656年に描かれたので、赤い十字章は後から加えられたというのは衆目の一致するところです。ところが画家自身が描いたのか、死後彼を尊敬する何者かによって加えられたのかというのが見解の相違で、かつては他者説が有力でした。

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ラス・メニーナスの自画像

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%82%B4%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%82%B9

このヴェラスケスの解説Wikiでは画家自身説で、新しい研究ではこっちが優勢です。「赤い十字章」という本の題名とイラストからもわかるように、この物語はそこがクライマックスなのですが、もしヴェラスケス自身が描いていたら話はどーでも良くなってしまう程です。でもとにかく良いお話なので絶対お勧めはします。

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ヴェラスケス自画像

この物語を読み終わると、ヴェラスケスはこんなに才能があって特別な人なのに、家族愛、いや人類愛に溢れたなんて善人で素晴らしい人なんだろう!!!と思ってしまいます。実際にはイタリアで子供を産ませているし、非常に上昇志向が強い人で騎士団員になりたくてたまらないのに、父方がポルトガル移民のコンヴェルソ(キリスト教徒に改宗した者)だったため騎士になれなかったのを、彼の死が近いと思ったのか、ヴェラスケスを愛してやまない王が特別に騎士にしたらしいですし、上の自画像からも、全く欲の無い優しい善人という印象は受けないのですが・・・。ヴェラスケスが奴隷であったパレハを解放したのは史実で、その後彼は画家として作品を残しています。レオナルドの弟子たちと違って一流の作品です。現在はプラドやエルミタージュで観る事ができます。

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Juan de Pareja, Prado

スペインバロックの画家の中でも立派な画家と言えるでしょう。恥ずかしながら私は彼を知りませんでした。告白します。ヴェラスケスも言っているように「美を描きたくはない。醜を描きたいのだ」というようなスペイン絵画はあまり得意ではないので。

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Juan de Pareja, Ermitage

でもヴェラスケスは奴隷を解放するとき、4年間は彼の元に止まって働くとか色々条件をつけています。これだけ描けるんだから一番弟子だったのでしょう。弟子といえば3年ほどですが、ムリリョもいました。私なんかスペイン絵画で一番に浮かぶのがムリリョです。ひたすら愛らしいマリアと天使たちの単純な構図と色彩、素直この上ない素朴さが特徴です。

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Murillo

物語にはムリリョも出てきます。そちらは想像通りの素朴ないい奴という描かれ方。もう一人物語で重要なのが、ヴェラスケスを大変気に入っていたスペイン国王フェリペ四世です。これは何枚もあるフェリペ四世の初期の立像です。飛び抜けて厳格で知られたスペイン王室らしく、真っ黒で地味な衣装をつけた肖像画は非常に印象的。モデル自身が特徴的なので、どんな画家が描いても印象的な作品になったのか知りたいところではありますが、素晴らしい美術作品です。私は、好みではありませんが、ヴェラスケスが超一流の画家だというのには全く異議を唱えるつもりはありません。

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フェリペ四世

物語では、もうこの王様も大好きになってしまいそうです。フェリペ四世は、美術愛好家にとっては感謝の対象ですが、国王としては大した才能はなかったようで、スペインや世界史にほとんどその名は出てきません。かつての栄光から転げ落ちるように衰退してゆくスペインを横目に、女性と狩が大好きなよくいるダメ貴族なのですが・・。国王にとって重要な政治家としての資質という意味では、教皇イノケンティウス十世は大政治家でした。全世界のキリスト教世界と、イタリアの中の教皇国家という国を同時に治めるのは大変な仕事です。顔立ちからフェリペと違い、厳しく頭脳明晰な人物像が浮かび上がるようです。ヴェラスケスはモデルの内面を描くことに非常に力を注いだ、最初の画家の一人です。

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教皇イノケンティウス十世

 この肖像画肖像画の全歴史の中でも絶賛される作品で、現代美術の革命家フランシス・ベイコンが幾つもヴァージョン違いで作品を作っています。ベイコンは、私にとっても、20世紀最大の画家の一人です。

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Francis Bacon

最後に、この物語は全てヴェラスケスの奴隷だったフェニコが語るのですが、その彼の肖像画で締めたいと思います。ヴェラスケスは宮廷の小人や道化師を冷徹な目(真実を見る)で描いたことでもよく知られています。普通は描かれることのない奴隷をモデルに立派な肖像画を制作したヴェラスケスは、やはり只者ではなかったと思うし、この絵は、平気で楽しみの為に奴隷を殺すような人々が珍しくない時代に、ヴェラスケスのヒューマニティを現した素晴らしい作品ではないでしょうか。ニューヨーク、メトロポリタン美術館で、ファニコに会えます。

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Juan de Pareja

古い本ですいません。コロナで時間ができたので読みました。図書館やアマゾンなどで探してください。

【イタリア語・映画】L'italiano:色彩と「落下の王国」

もう何回目かわかんないけど、また「落下の王国」を観てしまいました。

題名:The Fall

監督:Tarsem Singh

制作:2006年

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The Fall

ターセム・シン監督の作品は2000年のThe Cell(邦題はそのまま「ザ・セル」)があまりに衝撃的だったので、それからずっと観ています。でも最近は初期に比較し平凡になった気がします。ま、The Cell とThe Fall でやり尽くした感がある気もするけど。それ程この二作品は独創的でした。話の内容もそうですが、何よりも映像美を追求する姿勢がすごいっ。「セル」がちょっとグロテスクで気持ち悪く、いかにもアンダーグラウンドなのに比べて「落下の王国」は本当にきれい💖 話を忘れて画面にうっとりしてしまう。色彩と構図が完璧な美しい画面が印象的です。

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Villa Adriana

なぜハドリアヌスの別荘の写真かと言うと、この場面から始まるから。この映画のために25ケ国で13の世界文化遺産を撮影しまくったのが非常に効果的に使われていて、それだけで私なんかは何度でも見たくなっちゃう。出てくる世界遺産は以下のブログで確認できます。

http://thefall-locations.blogspot.com/

構想26年、4年をかけて撮影されただけあります。その割に話はどうなのよって、言う見方は確かにあると思う。社会派の真剣な良い映画ってわけじゃない。美術に関心のない人は寝ちゃうかもしれない。でも石岡瑛子の衣装もかなり面白い。

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mevlânâ

1981年のブルガリア映画Yo Ho Hoが元になっていて、ブルガリア語だから全然わからないんだけど、病院で寝ている男と少年、彼らの会話から生まれる異次元の物語と言う設定はそっくりそのまま。モスクワ国際映画祭で特別賞をとっています。「落下の帝国」では少年が少女になって、中年のおっさんが若いイケメンになり、異次元のお話部分の映像が格段に美的になってる。ただ世界遺産で撮影するだけじゃなくて、様々な芸術家や作品に対する高い関心が現れていて、ポスターを見れば、美術好きの人ならすぐにダリを思い浮かべるし、建造物だけじゃなくメブラーナのような伝統的な舞踊(本当は宗教儀式だけど)などもあちこちに現れる。

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1967,NY

もう一つが映画に対する愛で、白黒のトーキー映画がルーツとなっているのも映画ファンからすると楽しい。写真は私が子供の頃から持っている分厚いポストカードで、裏には1967年ニューヨーク、五番街って書いてある。多分父の家にあったもの。1923年の映画H.LloydのSafty Lastの最も有名な場面。祖父が機械好きだったので家には16ミリの映写機とフィルムがあって、小さい頃はカタカタ言う音とともにいろいろ見ました。家族や風景を撮影したものとか漫画とかもあった中に、ハリウッドものもあってハロルド・ロイドの映画は特に楽しいものでした。「落下の王国」の主人公はロイって言うんだけどロイドから取ったんだろうなと思いながら見てる。でもこの映像はより直接的に「ヒューゴーの不思議な発明」を思い出す。こっちは家族みんなで誰もが見られるまともな映画って言うか、変わったところは全然なく、映画愛が語られます。

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Hugo

で、やっとイタリア語のお勉強タイム。The Fallから色と美しさに関する言葉です。

 

名詞 bellezza ベッレッツァ 美、美しさ

形容詞 bello ベッロ  bella ベッラ belli ベッリ belle ベッレ

形容詞は名詞に合わせて男女単複で変化

una bella scena 美しい場面

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The Fall

名詞 colore コローレ 色、色彩

 

colori a olio / a tempera / ad acquarello / a pastello

油絵具 テンペラ画材 水彩絵具 パステル(画材として)

avere un bel / brutto colore

良い色を持つ(顔色が良い)悪い色を持つ(顔色が悪い)

riprendere i colori

色を取り戻す(元気になる)

i tre colori italiani

イタリアの三色(国旗)

cambiare colore

色を変える(主義主張、意見を変える)

vedere tutti i colori

全ての色を見る(様々な人や出来事に合う)

senza colore

色無しの(特徴のない、味わいのない、つまらない)

privo di colore

色に欠ける(生彩がない。どんよりした)

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The Fall

日本語でも「旗色が悪い」とか「色々」などと、色と言う言葉を結構比喩的に使います。もちろん例文の他にも色々な使い方があって、色と言う言葉は実に興味深い言葉だとわかります。ちなみに私の名前は「色」と言う意味なのでした。名は体を表すで、色が大好きです。

 

Il film, The Fall ”il cadere" e` ricco di colore.

映画「落下」は色が豊だ。(精彩溢れる作品)

 

【イタリア語・美術】Tutti i Giorni❣️L'italiano:ere動詞とルネサンスの栄光と頽廃

leggere 読む

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Pontormo e Brongino

先にamareare動詞を紹介しました。

イタリア語の動詞の末尾は

-are  -ere  -ire

の三つです。

圧倒的にare動詞が多く、しかも規則的に変化します。(このブログの「愛について」を見てね)

ere動詞は歴史的に古く数は多くはないですが、面倒なのは原形(不定形)のアクセントの位置が不規則であること。今日は読み書きのere動詞を取り上げます。

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Filippino Lippi

leggere レッジェレ

まず問題なのは、基本では、アクセントの位置は後ろから二番目のシラブルにつくのでレッジェーレになるところ、ere動詞では多くの場合(全てではない)頭にアクセントが移動することです。

 

io leggo レッゴ 私は読む

tu leggi レッジ 君が読む

lui/lei legge レッジェ 彼(彼女)が読む

noi leggiamo レッジャーモ 我々は読む

voi leggete レッジェーテ あなたたちは読む

loro leggono レッゴノ 彼らは読む

 

さらにleggereの場合はG(Cも)という文字の特殊性もあって、音が均一に変化しません。ゴとジという、カタカナで書くと「か行」と「さ行」で違ってしまうのも注意。

 

are,ere,ire全ての動詞に一致する変化部分は

io _o   tu_i   noi_iamo   voi_te   loro_no

です。

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Subiaco

写真はローマ近郊のスビアコにあるSan Benedetto(聖ベネディクトゥス)のSacro Speco(聖洞窟)天井フレスコ の一部です。

 

一般的にsanti(聖人)やpapi(教皇)の名前はラテン語表記されることが多く、ベネディクトゥスと書きましたが、イタリア語ではベネデットです。私自身もその時々で表記を変えますが、一読者として困るのはラテン語発音、英語発音、イタリア語発音、間違った発音と、同じ聖人や教皇でも違った表記が溢れていることです。例えば、英語でもイタリア語やフランス語、ラテン語など外国語の名前を、そのまま表記したり英語風に直したりするのを見かけますが、日本語で読む場合この問題はずっと頻繁に、複雑になります。ここではイタリア語の勉強という目的で、本来ならばラテン語表記すべきところをイタリア語表記でいきたいと思います。

 

話は戻ってSan Benedetto(サン・ベネデット)のaffresco(フレスコ画) は中世盛期の典型的な天井といえます。Gotico(ゴシック様式)のリブボールトで四つに分かれた空間に天使や聖人を配するというもの。頻繁にみられるのは四福音書記者ですが、ここは人里離れた大修道院の総本山なので、ベネディクト会子が最も尊敬し、彼らの生活に密着した内容として崇拝する聖人たちが描かれています。全ての聖人は書物をしたり読書をしています。

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Subiaco

別の天井をアップにしてみました。書見台や本棚から覗いた書物がはっきり見えます。西洋文化を牽引した人々で読み書きのできない人は極めて稀です。特に中世の教会文化は読み書きのできる人によって担われました。一番目の画像は福音書記者マタイですが、手に持っているのは言うまでもなくマタイの福音書です。

 

scrivere スクリーヴェレ(書く)

 ここでもアクセントの位置が基本のスクリヴェーレではなく、スクリーヴェレとなっていることに注意。

 

io scrivo 私は書く

tu scrivi 君は書く

lui/lei scrive 彼(彼女)は書く

noi scriviamo 私たちが書く

voi scrivete 君たちは書く

loro scrivono 彼らが書く

 

leggereと違いscrivereは原型のアクセント位置が基本でないだけで、後は基本通りで、特に発音が乱れることもありません。

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Filippino Lippi

この絵はルネサンス期の大変有名な一枚です。実は私のブログのタイトルはこの写真の一部を使っているのですが、判りました?左端の顔を寄せ合った天使たちがポイントです。読書なしには物事を考えることは不可能に近いと思っている私は、ブログのタイトルバックをどうするか考えた時、すぐにこの絵が浮かびました。もちろん中世やルネサンスが話の中心になると言うのも理由の一つです。これは千年に及ぶ中世で最も影響力のあった聖人、シトー会の聖ベルナールが、彼の前に出現した聖母の言葉を書き留めている図です。この作品はフィレンツェのど真ん中にあるにもかかわらず、観光者が行かない場所にあります。フィレンツェにはウッフィーツィやアッカデミーアなど見るべき博物館、美術館が幾つもあり、作品で溢れかえっているので普通の人はそれだけで疲れてしまい、おかげでサン・ベルナールと美術史上最も愛らしいと言われる天使たちは、いつも静寂か祈りの声に包まれているのです。作者のフィリッピーノ(生前はフィリッポと呼ばれていた)は、偉大な画家と同時に無類の女好きで有名な父フィリッポ・リッピから才能を、父の最高の弟子サンドロ(ボッティチェッリ)からは技術と愛情を受け、世界一の芸術の都フィレンツェ国葬されるような成功した人生を送りました。それなのに、彼の作品には不安や悲しみが感じられ、父とは大きな違いを見せています。それは後期ボッティチェッリにも共通するもので、繊細な作風が示すようにルネサンスの栄光と頽廃を映し出しているように、私には思えます。ボッティチェッリもフィリッピーノもルネサンスの文化的中心にいたので、職人画家とは全く違いました。彼ら以前やイタリア以外の画家たちは多くの場合、読み書きを知らない職人でしたが、彼らにとって書物は最も貴重で愛するものでしたから描き方も違います。本を非常に注意深く、丁寧に描いているのです。ブログのタイトルバックをみたら、思い出してください💖

 

 

 

西洋美術、イタリアの旅、読書が大好きな貴方へ、中世西洋美術研究者SSが思う事いろいろ