天使たちの西洋美術

美術、イタリア、読書を愛する西洋美術研究者SSの思ったこと

【旅】イタリア旅計画:絶景、珍しい景観を体に感じる

対象:とにかく景色を楽しみたい人へ!

基本的に辺鄙な場所にあるので、お金と時間に多少余裕のある人向き

言葉は中〜上級者か、できないならば旅行社を使うなどして下さい

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イタリア州別地図

イタリアとフランスをまたぐモンブラン MonteBianco

地図:左上、灰色アオスタ渓谷州の上端

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イタリア語ではモンテビアンコ

アルプス連峰中最高峰のモンブラン。日本ではなぜかケーキの名前だけど、当然山が元。頂上へ登ると、イタリアとフランスの両方をまたぐことができる。フランス側のシャモニーから登るのと、イタリア側のクールマイヨール(この名前自体が既にフランス語だけど)から行くのでは印象が全然違う。そこに山があるから登ってしまうような人と私は非常に縁遠いので、ペトラルカや両親が感動していなければ行かなかったと思うし、朝が弱いのに頑張って早起きして行ったのに、残念ながらガスってしまって地表が見えなかったのでもう行かなくていい。あまりにも有名な山だし、自然好きな人は、雲の状況を見て早起きして行って下さい。アオスタやクールマイヨールなど近隣の町には当然のように、山の雲予報が出ています。普通は全く問題無く最高の気分で登れますが、飛行機で耳が痛くなるような人は、写真の超高速ロープーウェイに注意が必要。下界は真夏で暑くても上はめっちゃ寒いから着る物や、日本人は普通かけないサングラスも絶対あった方がいいと思う。やる気のある人には、トレッキングコースなどもあり。

 

迫力のドロミテ渓谷 Dolomiti

地図:上、黄色いトレンティーノ・アルト・アーディジェ州

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Dolomiti

ドロミテ渓谷は文化遺産の多いイタリアにして自然遺産登録されている地域です。アルプスはフランス側の国境ですが、ここはイタリア内でオーストリアより。アルプスやモンブラン程有名ではないけど、登山やトレッキング、バイカーや自転車好きにはたまらない地域です。私が訪れた時にはヴェスパ軍団が、エンジン全開で頑張っていたのが面白かったし、山小屋では普通に、鳥や動物が放し飼いにされていてアルプスの少女ハイジになった気分でした。写真では凄さがなかなか伝えられないのですが、岩肌の感じでしょうか、非常に迫力のある、日本の山とは全然違った景色です。周囲にある宿や小さな聖堂は、どれもいわゆるイタリアらしいものではなくチロル色全開で、可愛いというか、外壁に明るい色で工芸的な人形や花の装飾が施されています。

 

大天使ミカエルの至聖所 Sacra di San Michele

地図:左上紫色のピエモンテ州

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Sacra di San Michele

私はこれでも一応エコロジスト(環境問題を考えできることは実践している)だけれど、別に大自然好きというわけではなく、山や川へ行くよりは聖堂や博物館へ圧倒的に行きたい方なので、モンブランもドロミテ渓谷ももう行く気はない。けれど、ここサン・ミケーレは何度でも喜んで行きます! 素晴らしい!!大好き!!!トリノの至聖所と一直線で結ばれている、というより世界にある大天使聖ミカエルに捧げられた特別な場所(フランスのモン・サンミシェルが有名)は一直線上にあるのですが、中でもここが絶景です。世界中に本訳された、映画やドラマでも有名な「薔薇の名前」の構想の素になった場所ですが、あれを見れば誰でもドラマを書きたくなるような魅力に溢れた場所です。天然の絶景ではなく、こんなにも不便な、高い場所へゴシックの大聖堂を建てた人間に思いをはせられるところが好きです。

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いよいよ聖堂へ!入り口にいる大天使ミカエル

 

映画博物館となった巨大な塔 Mole Antonelliana

左上:紫色ピエモンテ州トリノ

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巨大すぎて近くから上手く撮れないアントネッリアーナ

サン・ミケーレの聖所との関連で紹介するのが、トリノのシンボル、巨大なアントネッリアーナです。今でこそもっと高い建造物がありますが、できた当時は皆があっと驚く高さでした。エッフェル塔、ワシントン記念塔の次、20世紀の三代高層建造物ですが、前の二つと違いただの塔ではなく、これは建築らしい空間を持った建物です。それもそのはず元はユダヤ教の礼拝所となるはずでした。奇抜な天才建築家アレッサンドロ・アントネッリの名から巨大なアントネッリと呼ばれています。現在は世界一高いところにある博物館で国際映画博物館となっていて、映画好きにはとても魅力的な場所です。博物館の上に登ることができ、当然トリノの街が一望できますが、天気が良ければ先に紹介したサン・ミケーレの姿も確認できます。

 

ニョキニョキ謎の影が至る所から伸びる「巨人の洞窟」 Grotta Gigante

地図:右上ピンクのフリウーリ・ヴェネツィア・ジューリア州

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巨人の洞窟のニョキニョキ

日本の鍾乳洞とは桁違いの巨大な鍾乳洞がヨーロッパにはあるのですが、印象的だったのはこのトリエステに近い「巨人の洞窟」と次に紹介するプーリア州のものです。トリエステからローカルバスで行きました。私はなぜか洞窟好きです。山登りより好きかも。洞窟って古代なくせにSF映画みたいでもあって、秘密結社や数世紀に及ぶ秘密の宗教儀式が行われていたりする場所だからか、神秘的なところが好き💓 滅多に来ないバスの時間を確認し、余裕を持って入ったはずが2時間では出られず、途中で特別に一人で歩かせてもらい辛うじてトリエステ行きバスに乗れました。こういうところはどこでもそうですが、本当は一人では歩けません。グループ毎にガイドを兼ねた道案内人についてぞろぞろ歩きます。私は当然イタリア語グループですが英語ガイドも大抵用意されています。トリエステの鍾乳洞は上からポタポタ落ちる水分が何世紀にも渡って、下からニョキニョキ伸びた微妙に気持ち悪い物が異様に沢山あって、それが聖母子像に見えたり、なんとかに見えたりと説明されながら進みます。とにかく底が見えないような深さが印象的でした。写真撮っても近くは撮れても奥深い感じは素人の私には無理で残念です。

 

地下帝国さながらの「カステッラーナの洞窟」Grotte di castellana

地図:右下蜜柑色のプーリア州

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鍾乳洞入り口

ここはヨーロッパで行った最初の大洞窟にして最高の鍾乳洞です。今まで北イタリアばかり書いてきたけれど、いっきに下って南はプーリア州、バーリと有名なアルベロベッロの中間あたりにあります。長年いくらでもただで捨てられる天然のゴミ溜として使われてきたのを、きれいにしたらこんなすごい鍾乳洞でしたっ!という信じられない話。地元民が土地の価値を理解していないというのはよくある話なんだけど、これはその最たる例です。写真は入ってすぐの場所で、ここは撮影していいよーっということでみんな頑張って撮影会。あとはツルツルぬるぬるする暗がりを歩くので、基本的に写真は禁止でした。今は知らない。この入り口の天に開いた穴から漏れる光が素晴らしく、トリエステの洞窟にはない魅力です。1時間か2時間コースを選びイタリア語か英語のグループに分かれて入ります。トリエステの方が深いのにびっくりし、こっちの方が長いのに驚く感じでしょうか。鍾乳洞なんてどれも同じように感じますが、色とか形も違ってまるで湖のような池があったり、本当に幻想的でした。こっちは近くへ行ったらまた行ってもいいかなって感じです。

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Grotte di Castellana

 

お伽話さながらの街々 アルベロベッロ、マルティーナフランカ、ロコロトンド

地図:南、蜜柑色のプーリア州

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アルベロベッロの教会

プーリア州に絵本の風景の中に入ってしまったかのような集落があります。日本ではひたすら「美しい木」という意味の街アルベロベッロ Alberobello だけが知られていますが、実はこの地域一帯にトゥルッリ trulli(一軒だとトゥルッロ)と言われる様式で建てられた家はあります。今やアルベロベッロは観光化され過ぎているのが嫌だという、私のようなひねくれ者はマルティーナフランカ MartinaFrancaロコロトンドLocorotondo のプール付きのトゥルッロに泊まるのもいいでしょう。先に紹介した巨大鍾乳洞カステッラーナグロッタの近くにも点在していますし、ローカル電車で行けばアルベロベッロの隣町などに、とんでもなく可愛い三角屋根の家が見えるはず。あまりに可愛いので写真で見たら行ってみたくなるのは当然です。せっかく尋ねるならばホテルではなくトゥルッロの宿に泊まりましょう。一軒一軒結構違いがあって、中は見てみないと分かりませんが、石組みのそう大きくない部屋には、大抵木の家具が備え付けてあって、お伽話の主人公になったような感覚が味わえます。司教座聖堂は駅に近い新市街にありますが、写真のトゥルッロの教会と昔この区域を納めていた、嫌われ者の地主のお屋敷(村人対策の銃眼がある)を見学するのをお勧めします。トゥルッロ様式では一番大きな立派な建物で、この不思議な建物の歴史などを解説してもらえます。

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アルベロベッロの街並み

一週間でいくつもの街を回ろうというような人は当然泊まれないでしょう。ツアーバスで着いたらお土産物屋へ行ってち〜さな街をちょっと歩き次の街へ、となるのでしょう。でもなんだか悲しい。南部イタリアは、中北部の大都市めぐりと違って、交通手段などずっと限られる上、一つ一つが結構離れているので急ぎの旅には向きません。自然好きな人なら連泊して自転車でも借りて走り回ってみては?最高に気持ちイイから。

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マルティーナフランカの宿は最高に気持ちイイ!

プーリア州は、気候や町の構造、人、聖堂はいうまでもなく私の一番好きな場所です。

洞穴住居、ギリシャ人修道士の洞窟教会 マテーラとサッシ Matera Sassi

地図:南、黄緑色のバジリカータ州

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サッシの洞窟住居

サッシというのは砂粒というような意味で、写真のように、岩肌を掘って作った無数の住居地帯を指して言います。印象と違って歴史はそれほど古くなく、いつ頃から人が住んでいたのか明確には分かりませんが、イタリアの多くの都市が古代に起源を持つのに対してこれは中世以後の新しい歴史ということ。産業革命で発展する世界に取り残され、貧しい人々が穴を掘って、ロバや牛共々一緒に住んでいたのです。危険なので新市街へ越すように行政指導がありましたが、引っ越せない人々も多く一時は本当に悲惨な状況にあったようです。それが近年、旅行の国際的な隆盛や世界遺産登録などで一躍有名になり、幾つかのサッシは夢の宿に変身して、とても印象的な街となりました。

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洞窟の一つから見たマテーラの街

地形は起伏に富んでいて、谷や崖、白い砂っぽい岩肌のあちこちをくり抜いて作られた街ですが、特に高い場所や、行き難い場所には洞窟聖堂があります。聖像破壊運動(イコノクラスム)でビザンチンギリシャ)より逃げてきた東方の修道士たちが、かろうじて命を繋ぐようにして洞窟聖堂で生活していました。彼らの描いた、西洋とは違った装飾的で思弁的なフレスコ が今も所々に残っています。マテーラの街には絶対に泊まりたい。陽光の色の変化、夜の窓に灯る暖かい光、朝が開ける頃の空と白い岩肌の輝きは、大変幻想的です。私は、やはりただ自然が美しいというより、そこで暮らした人の思いが、形となって現われたものが好き。ここは悲しさ、寂しさ、悔しさ、孤独、生活苦と喜びなどを、人の手で掘った無数の穴に感じることができる所です。

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トゥルッリの屋根

今回紹介した場所は、基本的に皆行きにくい場所です。北イタリアの山などは観光ツアーもたくさんあり、現地ではほとんど歩かないでもすみますが、南部では例え車などで当地へ着いたとしても、そこからまた散々歩きます。なのであまり歩けない人にはお勧めしません。それと南部イタリアはまだまだ英語が通じないことが多く、初心者の一人旅などは避けたほうが良いと思います。アルベロベッロにだけは日本人がいるでしょうが、一歩出てしまうとそれなりに語学力が必要です。

 

【旅】イタリア旅計画:入門編

 

対象:イタリアへ行ったことがない人、長旅のできない人へ。

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イタリア州別地図

ローマ(濃いピンク色のラツィオ州) フィレンツェ(藤色のトスカーナ州) ヴェネーツィア(青のヴェーネト州)を一週間から10日で回る旅。

 

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ローマの庶民的人気も高く観光スポットでもあるナヴォナ広場

 

ローマ Roma

かつて古代ローマ帝国の首都であり現在も教皇庁のあるキリスト教の中心地ローマは何がなんでも一番重要。見所は無数にあり何年居ても見尽くせないが最重要な場所は以下。

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ヴァチカン博物館の目玉ラファエッロの間フレスコ

ヴァチカン市国とその博物館 Citta del Vaticano con Musei Vaticani 聖堂クーポラ(大ドーム)へ登ったり、地下墓地を尋ねれば世界一の博物館と合わせて丸一日は十分かかる。博物館には西洋美術史上最も有名なラッファエッロの「アテネの学童」、ミケランジェロの涙が出るほど美しい「ピエタ」、ベルニーニの天才が発揮された聖堂や彫刻が目白押し。

古代遺跡群はローマをぐるぐる歩けば、至る所で目にすることができるが、まとまっているのはカピトリーノ博物館 Musei Capitolini。古代ローマの恐ろしさが良くも悪くも堪能できる。

大天使城とその橋 Castel Sant'Angelo 古代ローマ皇帝の巨大墳墓に端を発し、教皇の隠れ家、牢獄など時代と共に変化しながら変化した要塞。今は博物館で、素晴らしい眺望のカフェもある。

コロッセーオと凱旋門 Colosseo , Arco trionfale ローマを訪れてこれを見ないのはあり得ないのが凱旋門と並んで建つコロッセーオ。遺跡好きならその横には広大なフォロ・ロマーノが広がっている。

 

ローマは道や町が大きいだけでなく、世界で最も重要な建造物や記念碑、芸術作品が凝縮している。上記三つだけで疲れ切るはず。食事は、観光客向けの店は最悪。

 

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サンタ・マリア・デル・フィオーレ司教座聖堂ファサード

フィレンツェ Firenze

ルネサンス発祥の地フィレンツェは、日本人に最も愛される街でもある。ローマほど巨大ではなく、町中に素晴らしい聖堂や博物館、美術館があるので比較的疲れない。総合的なフィレンツェカードはお勧めしない。大急ぎで回りきらなければ損。日程と体力にあわせて見られる分だけ購入する事。

 

花の聖母聖堂と大聖堂博物館 Santa Maria del Fiore, Musei dell'opera del Duomo ルネサンスを象徴する司教座聖堂のクーポラ(巨大ドーム)は、大聖堂横の大聖堂博物館から目の当たりにできる。聖堂内は、博物館にほぼ全ての美術品が運び出されがらんとしているので、何時間も待って入場する必要なはい。博物館は圧巻で、美術愛好家なら卒倒しそうなほど。

ジオットの塔 Torre di Giotto とにかく高いところが好きなら登ったらいい。この塔は外観の彫刻が美術史上極めて重要なので、外から眺めるだけでもいいし、高いところ好きなら隣の大聖堂のクーポラに登る方が面白い。

洗礼堂 Battistero di San Giovanni 大聖堂や塔より、歴史的美術的によほど価値があるのが、大聖堂の目の前にある洗礼堂。世界一有名な扉(ミケランジェロが「天国の門」と呼んだ)はオリジナルが大聖堂美術館にある。天井モザイクが素晴らしく、最後の審判の地獄絵図が大迫力。修復されたばかりなので一番の見頃。

この三つは固まっているので時間がなければこれだけ観る。

 

観光客用のお土産屋やレストランが無数にあるが、高い不味いので、できれば川向こうなど少し離れると、ずっと良いお店に出会える。

 

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Brano di Venezia ブラーノ島

ヴェネーツィア Venezia

ヴェネーツィアはその土地の特殊性もあり昔から外国人の憧れの街だったので、世界大戦が終わった後世界一裕福だったアメリカ人たちがこぞってやって来た。ヴェネツィアを舞台とした白黒の古典的な映画などたくさんある。『旅情』『夏の嵐』『ベニスに死す』が代表的なところ。近年は気候変動や町の構造の問題で、島ごと海に沈みそうなため、いつまで観光可能か心配なこともあり、沈む前に行く価値はあり。観光には素晴らしい海のある街を好む傾向の強いイタリア人には、一般に人気の無い場所なので、街にいる外国人率は驚くほど高い。ヴェネツィア埋立地で街中を運河が流れているため、移動が非常に不便。目の前にある建物でも、運河に阻まれ、定期便の水上バスを使うか観光ゴンドラなどに乗って移動するので、町の大きさに比較し時間がかかる。

 

聖マルコ大聖堂と博物館 San Marco con tesori 問題なく一番外せない建造物は、西洋における最大のビザンチン様式聖堂の一つサン・マルコ。「ヴェニスの商人」ならずともうんざりする程ヴェネツィアではいちいちお金がかかり、大聖堂もいくつもの部分に分かれて支払う仕組みになっている。歴史や美術に特別な関心が負ければ、飛ばしてもいいのかもしれないが、私にとってはそれはあまりにも勿体無い。東ローマ(ビザンチン)帝国陥落を思い出す様々な略奪品が展示されている。モザイクを間近にみられる博物館やファサードの上から海や運河が眺められ、気分も上がるはず。

 

ブラーノ島 特に美術に関心がなければ、ティントレットやティツィアーノなどヴェネティア派の巨匠の作品を見に行くより、船に乗って島を訪ねるのがお勧め。最大でも2時間ほどで多くの島へ行ける。あまりにも有名なヴェネツィアン・グラスの工房があるムラーノ島もあるが、私はレース博物館のあるより小さなブラーノ島が好きだ。ひなびた漁村だった島は、漁師たちが自分の家を見分けるためにカラフルに好きな色に塗ったと言われていて、本当に可愛い。大変小さいので歩いて島中を巡ることができる。観光客でごった返す(コロナがなければ、島が沈みそうなほど混んでいる)本土と違って、地元の人が使う海沿いの食堂で、時間を忘れてワインを傾けてみたらどう?

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サン・ピエトロ大聖堂大ドームから見たヴァチカン博物館

一週間から十日もあるのにたった3都市だけ?と思う人がいるかもしれない。イタリアは世界文化遺産圧倒的第一位の国で、フランスやスペインを凌駕している。中でもローマは世界中の町の中でも、唯一の特別な存在だ。たった一つの聖堂や博物館を見るだけで、次から次へ怒涛の如く現れる恐るべき質の高い美術作品にヘトヘトになる。しかもパリのルーブルやロンドンのナショナルギャラリーと違って、それらは本来そこにあるものが基本となっている。寄せ集めではなく本物なのだ。

 

先に見るものリストを作り、それをチェックしながら駆け足で訪ねるより、気に入った聖堂や作品、風景を前に自らの感受性に意識を集中して欲しい。ヴェネツィア以外、歩ける人は徒歩で、経済的に余裕のある体力に自信のない人は車でどうぞ。

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暖かい時期には音楽イベントがいっぱい

美術館や聖堂、風景を楽しむためにも無理しないで回って欲しいから、午前中一つの美術館、数時間リラックスできる素敵なレストラン、午後遅めにまた聖堂や博物館、そして忘れてならないのは夜の町歩き。しっかりした昼食だったなら、ワインかビール(最近はイタリアのビールも美味しい)と小皿をいくつかを、気持ちの良いレストランや居酒屋で過ごす。夜になると湧いて出てくる町の人々を眺めながら、完璧な1日が過ぎゆく。時にはお洒落して歴史建造物でのアリアやコンサートに行ってみる。こんな旅が私のお勧めです。

【旅】イタリア全土旅計画色々

このところずっと更新していなかったので、心配されたりブログを更新してほしい(楽しみに待ってます)と言ってもらえたりしたので更新してみます。

 

私は全てのイタリアの州を旅しました。と言っても唯一カラーブリア(水色)には宿泊したことがありません。コロナが開けたら泊まって、完全制覇したいと思っています。私は西洋美術、特に中世ルネサンスが専門なので、目的は主に美術と聖堂巡りです。

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イタリア州別地図

仕事上、イタリアへ旅したことのある人とは大勢会ってきました。旅の仕方は、個人の好みに合わせて様々です。コロナが開けたら旅へ行きたい、ヨーロッパへ行きたい、もちろんイタリアへ行きたい、と考えている人へ向けて、対象別の計画を記したいと思います。

 

対象別とは

1)好みの違い(サッカー、料理、ショッピングなどに特別な関心があるなど)

2)取れる時間の違い(休みが一週間しかとれない人と、ゆったり1ヶ月回れる人など)

3)経済力の違い(有名高級ホテルに連泊するか巡礼宿やユースホステル、車をチャーターするか公の交通機関だけで行くかなど)

4)語学力の差(全く語学ができない人とイタリア語ができる人では、旅でできることが全然変わる。多少の英語ができるのも、また違う、など)

5)知識の差(イタリア史、世界史、西洋美術史などの知識があるかないか)

6)経験値(初めての人、何度も行っている人との差)

 

などを踏まえて、自分はどういう旅があっているかを考えてみてください。上記の違いで旅計画を提案します。

 

【入門】言葉ができず(といっても、ツアーに参加しないなら最低の旅英語ぐらいは勉強して行きましょう。)初めてイタリアへ行く、それほど時間もお金もかけられない人。広く浅く有名どころを押さえたい人へ。

 

【初級】ツアーでざっと回ったことがある。本の少しは旅語学ができるような人へ。

 

【中級】数回行ったことがありローマ、フィレンツェヴェネツィア以外へ行ってみたい人へ。

 

【個人旅行】旅会話はでき、一人旅に慣れていて、ツアーには無い場所へ行ってみたい人へ。

 

【ロマネスクの旅】中世初期の面影の強い場所を厳選。上級者向け。

 

【ゴシックの旅】中世盛期ゴシック美術を鑑賞する旅。

 

ルネサンスの旅】ルネサンス芸術に関連の深いところばかりの旅。

 

バロックの旅】バロック芸術に圧倒される旅。

 

【趣味の旅】特別な趣味がある人(食通、サッカー目当て、ファッションや買い物にしか興味が無い、など)は、ひたすら目的の場所へ直行する旅。

 

などのように紹介します。楽しみにしてね💓

【イタリア語】単語帳と元生徒シェフのレストラン

コロナのおかげでラインビデオ授業を始めたら、大学生の生徒ができました。始めたばかりだけれど、すぐ覚えるので教えがいがあります。普段はほとんど大人に教えています。高齢でもできるようになる人もいて、そう言う人は心から尊敬するしとても嬉しいんだけれども、それとはまた別の喜びです。で、今日授業したらお勧めの単語帳がないか聞かれました。英語と違ってイタリア語は種類も少ないし値段も高いので、そんなに選べません。必要なら手に入るのを買ってください。英語がかなりできる人は、伊英の方がずっと経済的でいろいろありますし、スペイン語やフランス語などができる人なら、すごく楽なので伊西や伊仏辞書の方がむしろいいと思います。ネットで良いのがないか探したのですが、私は気に入ったのを見つけられませんでした。一応無料イタリア語単語集を紹介します。ま、もともと一言で覚えるのが無理ですが、訳には結構気になるところがありましたが、本で勉強した後に、思い出すためや発音の助けにはなると思います。

https://play.google.com/store/apps/details?id=net.languagecourse.vt.it&hl=ja

 

だいたいイタリア語って英語のように、実用的に役に立つわけではないので、それじゃどうして勉強するかといえば

1)とにかくイタリアが好き【旅、人】

2)西洋美術が大好き【美術】

3)オペラやナポレターナ(カンツォーネ)が大好き【音楽】

4)サッカーが大好き【スポーツ】

5)イタリア料理が大好き【料理】

て感じでしょうか。

人数は少ないけれど、こだわりのある人なら自転車や車なども有名だし、バレーボールやバスケも弱くありません。それに歴史的にはイタリア映画は非常に重要で、大監督や大俳優を輩出しています。人数的には圧倒的に多い料理好きですが、残念ながら料理好きかつ勉強好きの人にはあまり会ったことがありません。料理人には10人以上教えましたが、本気で勉強した人はほぼ一人です。彼は今結婚式やイベントなどもするレストランのシェフなので紹介します。

 https://www.sentir-sensyukoen.com/murivecchi/

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Osteria i Muri Vecchi

オステリアムーリヴェッキで検索してもらえればインスタ とかFBとか、当然携帯用のサイトもあります。秋田で東京じゃないのでなかなか行けませんが、以前銀座でシェフをやっていた時はとても美味しくて経済的でした。銀座のレストランはヴェネツィア風の行きやすいレストランでしたが、今働いているところはドレスの展示会などするようなところです。彼は前菜が得意って印象を勝手に持っています。

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Osteria i Muri Vecchi

 Kazuo Yanataで探すとFBやインスタで彼が出てきます。料理のことならなんでも聞いてくださいって、生徒さんにも答えますって言ってくれてる。それが恩返しなんだって、嬉しい💖 彼はずっとイタリア語を使いながら仕事をしています。イタリア料理のシェフなんだから当たり前ですが、イタリア人と働くことも多いし、そういう時には言葉ができたら全然違うのは当たり前。

  

話は戻ってやっぱり本格的な単語帳は、やめようかと思います。学生のためにちょっとその気になったけど、すごく時間がかかるし、なんでも勉強しようと思えばまず今手に入る単語帳(本は必須。ネットは助けに)で2000単語ぐらい覚えましょう。それだけでくじけているようでは結局できるようにはなりません。世界中のあらゆる言語の最低会話に必須な単語の数が2000から2500なんだから。と言いつつもちょこっとづつ、私なりの分け方で、単語を集めて書いてみようとは思っています。

 

うちには昨日アベのマスクがきたんだけど、やっとコロナも開けてきたみたいだし、秋田駅の近くの人たち行って見て。ディナーでも五千円でお釣りがくる🍝🍷

【イタリア語・美術】ire 動詞:聞き感じるロマネスクのバルガ

直接法現在の動詞の最後の変化です。

前にire 動詞の第二変化をやったのでここでは第一変化。

より簡単な are  ere と同じ変化の仕方です。

 

原型 sentire センティーレ 聞く、聞こえる、感じる、など

io sento セント

tu senti センティ

lui/ lei sente センテ

noi sentiamo センティアーモ

voi sentite センティー

loro sentono セントノ

 

全ての動詞は二つの部位からできてます。

意味を持つ頭の部分と、人称(主語)を表す後ろの部分です。

後ろの赤字部分を切り落とし、主語によって入れ替えれば文章ができます。

この変化には aprire (open), partire(発つ)などがありますが多くはありません。

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Barga

Domani parto per Barga 明日私はバルがへ発ちます
partire はほぼ出発すると言う意味で使うので簡単ですが、sentire は内容が日本人には難しい言葉だと思います。英語で初めて hear を知ったときに、発音と文字の関係も難しいですが、物音を「聞く」のも、人の話をよく「聞く」のも、伝聞として「〜だそうだ。〜と聞いている」と言うもの、そこから派生して「便りをもらう、消息、噂を知る」なども皆一緒で、ときには「叱られる、罰せられる」とかまで内容に幅があるのに驚きました。今と違ってなかなか受け入れ難かったです。sentireは英語のhearの意味と似たような意味に、英語のfeel「感じる」と言う意味が加わるので、さらに幅広くなります。その上他動詞と自動詞、再帰動詞があります。他動詞から。

 

肉体的に「感じる」と言う意味で

Sento fresco a Barga 私はバルがでは新鮮な空気(涼しく)を感じる

Senti freddo / caldo ? 君は寒いの・暑いの?

Sentiamo un profumo dell'aria di campagna! 
田舎の芳しい空気を感じよう(わ〜!良い空気だね〜!)

Sentite sete/ fame ? 君たちは乾き・空腹を感じるか
(あなたたち、喉が乾いたの?お腹がすいたの?)

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Barga

「聞く」と言う意味で

Senti! 聞いて(命令法)

Abbiamo sentito la notizia del Salvatore
我々は救世主のお告げを聞いた

Sentite che cosa ne penso io
お前たち、私がどう考えているか聞くが良い

写真はトスカーナの素晴らしい村バルガと、その大聖堂です。バルガは大変小さいですが、私にとっては大好きな村の一つで何度も訪ねています。住む勇気はありませんが、いつでも喜んで行きたい場所です。山々に囲まれた丘には典型的なロマネスク聖堂があり、中にはこれぞロマネスクと言わんばかりの説教壇と守護聖人の巨大な木彫像があります。質の高い彫刻家による大理石の説教壇には、救世主イエスの誕生の場面が描かれています。星に導かれ(馬に乗った二人の頭上にあるのが星)、聖母子のもとへ向かう三賢人です。右の年長の賢人はもう聖母へお参りしています。彼らはヘロデ王に、幼子を見つけたら報告するように言われていましたが、胸騒ぎがしたのでヘロデの宮殿へは帰りませんでした。

 

感情、感覚的に「感じる」

I tre magi hanno sentito paura 
三賢人は恐れを感じた

Hanno sentito la simpatia per Madonna col bambino

彼らは聖母子に親愛の情を感じた

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San Cristoforo

Senti il bello di romanico?
君にはロマネスクの「美」が感じられるか(分かる)

 

文句の付け所のない木彫蔵は聖クリストフォロスです。肩の上の小〜さなイエスが愛らしく、同時に威厳に満ちているのが中世ならでは。これがルネサンスとかなると普通の子供になっちゃうのですが、ロマネスクやビザンチン様式のイエスはどんなに小さくても王の威厳があります。足元の青い波は川の表現。クリストフォロスはお年寄りや子供などが川を渡るのを助けていたのです。手にした棍棒もいい感じです。丈夫な杖は巡礼の必需品で、巡礼者を渡していたのが分かります。ある時子供を背負ったはずなのに、川の真ん中でどんどん重くなっていきクリストフォロスは流されそうになりますが、身を呈して子供を守ると実はそれがイエスだった。と言うお話。中世らしい物語で、お釈迦様のお話などと共通点があります。ここでは貴族の装束を付けていて、これもロマネスクならではです。

 

Cristoforo ha sentito strano

クリストーフォロは変だと感じた

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Crocifissione

次は自動詞としての使い方

 

Lui non sente

彼には(耳が)聞こえない

il vino sente di aceto

そのワインは酸っぱい感じがする(味がする)

Chi non sente non comprende a fondo l'arte

感性が豊かでない者は芸術を深く理解できない

小学館伊和中辞典より)

 

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Barga

再帰動詞

Mi sento depresso con corona virus

(私は)コロナのおかげで気分が憂鬱です

ma mi sento bene vedendo le foto di Barga

しかし(私は)バルガの写真を見ると気分が良くなります

 

他動詞

Maria ha sentito svenire con l'arcangelo Gabriele

マリアは大天使ガブリエルのために気が遠くなりました

Maria e Giuseppe sentono di amare il loro bambino

マリアとヨセフは彼らの幼子を愛していると感じています

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Gesu` Bambino

さっきは三賢人でしたが、これはその前の場面。

Annunciazione 受胎告知(右)に引き続き、ベッドで休む Santa Maria マリアを気遣う San Giuseppe ヨセフ、よく見ると馬と牛がグルグル巻きになったイエスを覗き込んでいたり、女たちが体を洗ったりしています。生まれたてなのに堂々と仁王立ちになっているところもブッダを連想させますね。説教壇の一面に三つの場面が、枠を使うことなく描かれています。構図や威厳のある表情、彫りの確かさなど、素晴らしい芸術です。

 

これで動詞の基本変化は終わりです。sentire を使って、懐かしいバルガに思いを馳せました。

Mi sento la mancanza di te, Italia con la bellezza

美しいイタリア、貴方がいなくて寂しい

 

 

【美術・イタリア語】ire 動詞「終わり」とシニョレッリ

Paradiso パラディーゾ 天国

私は2月後半から9月まで!!大学ではイタリア語、西洋美術史、イタリア史の授業ができません。今はビデオ通話に抵抗のない人とだけイタリア語の授業を続けていますが、多くの人はすっかりお休みになっています。でも、こんなに長い間休んだら、語学はものすごく後退しちゃう!せっかく今まで積み上げてきた努力が水の泡にならないように、ブログをできる限り更新するので、読んで、そこから自分で発展させて勉強を続けてください。今度会ったときに実力が激減したりしていないように。

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Paradiso

生徒でない人も、イタリア語に興味を持ってもらえれば嬉しいから、単に語学勉強ではなく、関連した文化的背景などの内容も同時に書いています。元々そういう方が得意だし。写真はローマのベルニーニが作った最高傑作です。どれが最高傑作かは人によって判断は異なるでしょうが、これに関しては作者自身がそのように考えていた節があるし、聖堂自体をほぼ全てベルニーニ一人でデザインしたという意味で、理解できます。もちろん私も初めてその空間へ足を踏み入れたときには、感動しました。深い心に染み入るような感動と言うのではなく、ぱっと目の前が明るく開けて、心が躍るような驚きでした。小さいながらもまさにこれぞバロックと言えるでしょう。聖堂の内部空間全てが天国 Paradiso パラディーゾを表現していますが、天国とはキリスト教徒にとっての終わりに他なりません。

 

are 動詞とere 動詞については書いたので残るは ire 動詞です。

最初に嫌なこと。

ire 動詞には基本変化が二種類あります。(直接法現在の場合)
今日はそのうちの面倒な方から。数は少ないですが頻度の高い動詞が多いので。

原型 finire フィニーレ (動詞)終わる 終える

io  finisco フィニスコ

tu  finisci フィニッシ

lui/ lei  finisce フィニッシェ

noi  finiamo フィニャーモ(普通の変化と同じ)

voi  finite フィニーテ(普通の変化と同じ)

loro  finiscono フィニスコノ

 

今までの規則に従えば io fino となるはずですが、そうはならず finisco となります。その流れでいくと noi finisciamo と言いたくなるのですが、一人称複数は常に基本に忠実なので noi finiamo となるのに注意。ほとんどの初心者が間違えるところです。

 

動詞の人称変化を覚えるのは何よりも最初にするべきことで、名詞や形容詞の男女単複の変化や、冠詞をどうするかよりも重要だと私は考えています。人称変化をすることにより動詞には主語が含まれる為、たった一つの単語で文章の骨格となるからです。

 

finire は英語の finish からすぐに覚えられる単語でもあります。

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Apocalisse

 このおもしろ可愛い絵はイベリア半島のロマネスクの最も特徴的なものです。絵の下ある Apocalisse とはなにか。

Apocalisse アポカリッセ とは「黙示録」のこと。新約聖書の最後にある、預言文学で、世界の終末が語られます。「ヨハネの黙示録」を描いた美術作品は無数にありますが、中でもLuca Signorelli ルーカ・シニョレッリが Olvieto オルヴィエートの司教座聖堂 Cattedrale カッテドラーレ に描いたフレスコ affreschi は強烈で、ミケランジェロより早く裸体 nuda で礼拝堂 cappella カッペッラを埋め尽くしたのは彼です。

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cappella di San Brizio

元々この礼拝堂は1447年に天使のような画家修道士 Giovanni da Fiesole ジョヴァンニ・ダ・フィエーゾレに発注されました。Beato Angelico ベアート・アンジェリコ(天使のような神の恵みを受けた者)として知られる画家です。 ところが彼は大人気画家であり、極めて従順な修道士だったので教皇のいるローマへ呼ばれて行ってしまいました。十五ヶ月で彼と Benozzo Gozzori ベノッツォ・ゴッツォリを筆頭とした、彼のBottega ボッテーガ(工房)が仕上げたのは天井部分で、壁は残されました。アンジェリコの最高傑作とは思いませんが、いかにも Beato Angelico の工房らしい作品です。呼ばれて行った教皇庁に描いたフレスコ はそれは素晴らしいものなのに、長くヴァチカンでは公開されていません。

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Beato Angelico, Vatican

アンジェリコの工房がいなくなった後、何人かの画家が後継に考えられます。ラッファエッロの師匠だった Perugino ペルジーノは、当時世界最高額級の大巨匠で、しかも忙し過ぎたため頼めませんでした。1499年に、40年以上経過してやっと決まったのが Signorelli シニョレッリでした。

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Beato Angelico

上の画風からいきなり下の画風になっちゃったのですが、ドメニコ会の修道士たちは驚かなかったのでしょうか。彼らはフレスコ の内容には、神学的に深く関わっていたのですが、画風まではどうだったのだろうと思います。

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Luca Signorelli

自動詞(〜が終わる)

Il mondo finisce fra poco

世界は間も無く終わる

Il lavoro della cappella e` finito nel 1502

その礼拝堂の仕事は1502年に終わった

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Luca Signorelli, Apocalisse

他動詞(〜を終える)

Luca ha finito di affrescare tutto in maniera molto originale

ルーカは全てのフレスコ を大変独自の手法で仕上げた

Luca ha finito di lavorare anche per la cappella sistina

ルーカはシスティーナ礼拝堂でも仕事をやり遂げた

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ウワァーッ!ギャーッ!ルーカはのけぞり、ねじりポーズが得意

それにしても当時の男性の格好はすごい。こういうのが理想だったんでしょう。ルネサンス恐るべし!

 

finireの終わると言う言葉を止める(辞める)と混同してはなりません

finireはすっかりし終える、と言う意味なので仕上げる、やり遂げる、と言う意味で終わると言うときに使うのです。

 

だから

Ho finito il lavoro

私は仕事を終えた(仕上げた)

Ho smesso il lavoro

私は仕事をやめた(職を変える、退職した)

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Luca Signorelli

悪魔光線が飛び交っています。それにしても天国を現した天井はアンジェリコが、世界の滅亡である黙示録をシニョレッリが描いたのは、適材適所の最高の例ではないでしょうか。ルーカは裸体や「うぎゃーっ!」となった人を描くのが得意技でしたが、正反対のアンジェリコを尊敬していたのでハルマゲドンの大惨事の中に自分とアンジェリコを描きました。締め殺される人を後目に涼しい顔をしています。この絵は特に、惑わされる人々に囲まれた、台の上のアンチクリストで有名です。

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Luca Signorelli e Beato Angelico

ちなみに Raffaello ラッファエッロもべアート・アンジェリコを自分のフレスコ に描いています。それはミケランジェロシスティーナ礼拝堂と並んで、ヴァチカン博物館の最大の見どころですし、絵としては余程美しいものです。

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Raffaello, Vatican

アンジェリコは二つの画面の両方で、左隅に描かれています。ドメニコ会の黒い衣装をつけているのが彼です。ラッファエッロの方がだいぶ歳をとっています。ラッファエッロは多くの美術家を「アテネの学童」と言う美術史上最高に名高い作品に描きましたが、アンジェリコだけは「聖体の論議」と言う別の内容に描きました。内容から明白なように、アテネルネサンスの文化人が夢中になった古代ギリシャ・ローマがテーマですが、アンジェリコは100%キリスト教の人だったからです。

Raffaello e` finito troppo presto

ラッファエッロはあまりにも早く終わった(死んだ) 

ma la sua fama non finisce mai

しかし彼の名声が終わることはない(彼の名は永遠だ)

【本・美術】ヴェラスケスと奴隷の物語

題名:赤い十字章

副題:画家ヴェラスケスとその弟子パレハ

著者:デ・トレビノ

訳者:定松正

出版:さ・え・ら書房 1993年

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Francesco d'Este

イタリア好きや食通の人はこの人を、と言うかこの絵をどこかで見ていないでしょうか。バルサミコ酢って日本では言われているバルサミーコの瓶に付いています。これは1638年にマドリッドを訪れたフランチェスコ・デステ(ディ・エステ)公爵をヴェラスケスが描いたもの。ヴェラスケスは生涯のほとんどを宮廷画家として過ごし、イタリア出張以外ほぼマドリッドから出ませんでした。なので現在も、美術史を通じて最も有名な画家にしては作品が世界中に散らばっていない画家です。1843年にはこの絵の人物が住んでいたモデナ(イタリア、エミリアロマーニャ州)のエステ画廊に買い取られ、今もそこにあります。

https://www.gallerie-estensi.beniculturali.it/scopri/

博物館のYouTubeです。「エステ家とルネサンス」というテーマで4部構成になっていて、この作品は第二部と最後に登場します。イタリア語で英語字幕付き。モデナもフェッラーラも大好きな街で、見ていると行きたくてたまらなくなります。コロナが開けたら、ウルトラ貧乏にもかかわらずエミリアロマーニャの旅をしようかとか、考え出しています❣️

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Aceto balsamico del Duca di Modena

さて本題の本は、そのヴェラスケスの最高傑作と言われる「ラス・メニーナス」に描かれた画家の自画像、の胸の上の十字章を誰が描いたのか?という伝説が元になってできたもの。画家の奴隷だったファン・デ・パレハ(本の中ではひたすらファニコという名で登場)の伝記物語。一昔前の翻訳という印象を受けますが、児童書なので誰でも簡単に読めるし、物語としては大変読みやすく感動的な良いお話ですから、一人でも多くの人に読んでほしいです。大人なら一、二日で読める内容です。

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赤い十字章

絵をあまり知らない人は多分このブログを読んでくれないと思うから、わざわざ説明するまでもないかもしれませんが、現在「ラス・メニーナス」という名で知られる下の作品は西洋美術史上、異常なくらい評価の高い作品です。ヴェラスケス晩年の巨大油彩画で、バロックの天才画家ルーカ・ジョルダーノが「絵画の神学」と呼んだのは有名な話ですが、筆捌きから印象派を用意したと言われたり、とにかく革命的な作品という定評です。この作品については、いくらでも書いたものがあるので色々読んでください。

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ラス・メニーナス

問題は、この絵の左に描かれたヴェラスケスの自画像にある、当時のスペイン王国で最も栄誉あるサン・ティアゴ騎士団の記章です。王命で彼が騎士になれたのは1659年で死の前年ですが、作品自体は1656年に描かれたので、赤い十字章は後から加えられたというのは衆目の一致するところです。ところが画家自身が描いたのか、死後彼を尊敬する何者かによって加えられたのかというのが見解の相違で、かつては他者説が有力でした。

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ラス・メニーナスの自画像

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%82%B4%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%82%B9

このヴェラスケスの解説Wikiでは画家自身説で、新しい研究ではこっちが優勢です。「赤い十字章」という本の題名とイラストからもわかるように、この物語はそこがクライマックスなのですが、もしヴェラスケス自身が描いていたら話はどーでも良くなってしまう程です。でもとにかく良いお話なので絶対お勧めはします。

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ヴェラスケス自画像

この物語を読み終わると、ヴェラスケスはこんなに才能があって特別な人なのに、家族愛、いや人類愛に溢れたなんて善人で素晴らしい人なんだろう!!!と思ってしまいます。実際にはイタリアで子供を産ませているし、非常に上昇志向が強い人で騎士団員になりたくてたまらないのに、父方がポルトガル移民のコンヴェルソ(キリスト教徒に改宗した者)だったため騎士になれなかったのを、彼の死が近いと思ったのか、ヴェラスケスを愛してやまない王が特別に騎士にしたらしいですし、上の自画像からも、全く欲の無い優しい善人という印象は受けないのですが・・・。ヴェラスケスが奴隷であったパレハを解放したのは史実で、その後彼は画家として作品を残しています。レオナルドの弟子たちと違って一流の作品です。現在はプラドやエルミタージュで観る事ができます。

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Juan de Pareja, Prado

スペインバロックの画家の中でも立派な画家と言えるでしょう。恥ずかしながら私は彼を知りませんでした。告白します。ヴェラスケスも言っているように「美を描きたくはない。醜を描きたいのだ」というようなスペイン絵画はあまり得意ではないので。

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Juan de Pareja, Ermitage

でもヴェラスケスは奴隷を解放するとき、4年間は彼の元に止まって働くとか色々条件をつけています。これだけ描けるんだから一番弟子だったのでしょう。弟子といえば3年ほどですが、ムリリョもいました。私なんかスペイン絵画で一番に浮かぶのがムリリョです。ひたすら愛らしいマリアと天使たちの単純な構図と色彩、素直この上ない素朴さが特徴です。

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Murillo

物語にはムリリョも出てきます。そちらは想像通りの素朴ないい奴という描かれ方。もう一人物語で重要なのが、ヴェラスケスを大変気に入っていたスペイン国王フェリペ四世です。これは何枚もあるフェリペ四世の初期の立像です。飛び抜けて厳格で知られたスペイン王室らしく、真っ黒で地味な衣装をつけた肖像画は非常に印象的。モデル自身が特徴的なので、どんな画家が描いても印象的な作品になったのか知りたいところではありますが、素晴らしい美術作品です。私は、好みではありませんが、ヴェラスケスが超一流の画家だというのには全く異議を唱えるつもりはありません。

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フェリペ四世

物語では、もうこの王様も大好きになってしまいそうです。フェリペ四世は、美術愛好家にとっては感謝の対象ですが、国王としては大した才能はなかったようで、スペインや世界史にほとんどその名は出てきません。かつての栄光から転げ落ちるように衰退してゆくスペインを横目に、女性と狩が大好きなよくいるダメ貴族なのですが・・。国王にとって重要な政治家としての資質という意味では、教皇イノケンティウス十世は大政治家でした。全世界のキリスト教世界と、イタリアの中の教皇国家という国を同時に治めるのは大変な仕事です。顔立ちからフェリペと違い、厳しく頭脳明晰な人物像が浮かび上がるようです。ヴェラスケスはモデルの内面を描くことに非常に力を注いだ、最初の画家の一人です。

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教皇イノケンティウス十世

 この肖像画肖像画の全歴史の中でも絶賛される作品で、現代美術の革命家フランシス・ベイコンが幾つもヴァージョン違いで作品を作っています。ベイコンは、私にとっても、20世紀最大の画家の一人です。

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Francis Bacon

最後に、この物語は全てヴェラスケスの奴隷だったフェニコが語るのですが、その彼の肖像画で締めたいと思います。ヴェラスケスは宮廷の小人や道化師を冷徹な目(真実を見る)で描いたことでもよく知られています。普通は描かれることのない奴隷をモデルに立派な肖像画を制作したヴェラスケスは、やはり只者ではなかったと思うし、この絵は、平気で楽しみの為に奴隷を殺すような人々が珍しくない時代に、ヴェラスケスのヒューマニティを現した素晴らしい作品ではないでしょうか。ニューヨーク、メトロポリタン美術館で、ファニコに会えます。

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Juan de Pareja

古い本ですいません。コロナで時間ができたので読みました。図書館やアマゾンなどで探してください。

【イタリア語・映画】L'italiano:色彩と「落下の王国」

もう何回目かわかんないけど、また「落下の王国」を観てしまいました。

題名:The Fall

監督:Tarsem Singh

制作:2006年

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The Fall

ターセム・シン監督の作品は2000年のThe Cell(邦題はそのまま「ザ・セル」)があまりに衝撃的だったので、それからずっと観ています。でも最近は初期に比較し平凡になった気がします。ま、The Cell とThe Fall でやり尽くした感がある気もするけど。それ程この二作品は独創的でした。話の内容もそうですが、何よりも映像美を追求する姿勢がすごいっ。「セル」がちょっとグロテスクで気持ち悪く、いかにもアンダーグラウンドなのに比べて「落下の王国」は本当にきれい💖 話を忘れて画面にうっとりしてしまう。色彩と構図が完璧な美しい画面が印象的です。

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Villa Adriana

なぜハドリアヌスの別荘の写真かと言うと、この場面から始まるから。この映画のために25ケ国で13の世界文化遺産を撮影しまくったのが非常に効果的に使われていて、それだけで私なんかは何度でも見たくなっちゃう。出てくる世界遺産は以下のブログで確認できます。

http://thefall-locations.blogspot.com/

構想26年、4年をかけて撮影されただけあります。その割に話はどうなのよって、言う見方は確かにあると思う。社会派の真剣な良い映画ってわけじゃない。美術に関心のない人は寝ちゃうかもしれない。でも石岡瑛子の衣装もかなり面白い。

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mevlânâ

1981年のブルガリア映画Yo Ho Hoが元になっていて、ブルガリア語だから全然わからないんだけど、病院で寝ている男と少年、彼らの会話から生まれる異次元の物語と言う設定はそっくりそのまま。モスクワ国際映画祭で特別賞をとっています。「落下の帝国」では少年が少女になって、中年のおっさんが若いイケメンになり、異次元のお話部分の映像が格段に美的になってる。ただ世界遺産で撮影するだけじゃなくて、様々な芸術家や作品に対する高い関心が現れていて、ポスターを見れば、美術好きの人ならすぐにダリを思い浮かべるし、建造物だけじゃなくメブラーナのような伝統的な舞踊(本当は宗教儀式だけど)などもあちこちに現れる。

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1967,NY

もう一つが映画に対する愛で、白黒のトーキー映画がルーツとなっているのも映画ファンからすると楽しい。写真は私が子供の頃から持っている分厚いポストカードで、裏には1967年ニューヨーク、五番街って書いてある。多分父の家にあったもの。1923年の映画H.LloydのSafty Lastの最も有名な場面。祖父が機械好きだったので家には16ミリの映写機とフィルムがあって、小さい頃はカタカタ言う音とともにいろいろ見ました。家族や風景を撮影したものとか漫画とかもあった中に、ハリウッドものもあってハロルド・ロイドの映画は特に楽しいものでした。「落下の王国」の主人公はロイって言うんだけどロイドから取ったんだろうなと思いながら見てる。でもこの映像はより直接的に「ヒューゴーの不思議な発明」を思い出す。こっちは家族みんなで誰もが見られるまともな映画って言うか、変わったところは全然なく、映画愛が語られます。

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Hugo

で、やっとイタリア語のお勉強タイム。The Fallから色と美しさに関する言葉です。

 

名詞 bellezza ベッレッツァ 美、美しさ

形容詞 bello ベッロ  bella ベッラ belli ベッリ belle ベッレ

形容詞は名詞に合わせて男女単複で変化

una bella scena 美しい場面

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The Fall

名詞 colore コローレ 色、色彩

 

colori a olio / a tempera / ad acquarello / a pastello

油絵具 テンペラ画材 水彩絵具 パステル(画材として)

avere un bel / brutto colore

良い色を持つ(顔色が良い)悪い色を持つ(顔色が悪い)

riprendere i colori

色を取り戻す(元気になる)

i tre colori italiani

イタリアの三色(国旗)

cambiare colore

色を変える(主義主張、意見を変える)

vedere tutti i colori

全ての色を見る(様々な人や出来事に合う)

senza colore

色無しの(特徴のない、味わいのない、つまらない)

privo di colore

色に欠ける(生彩がない。どんよりした)

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The Fall

日本語でも「旗色が悪い」とか「色々」などと、色と言う言葉を結構比喩的に使います。もちろん例文の他にも色々な使い方があって、色と言う言葉は実に興味深い言葉だとわかります。ちなみに私の名前は「色」と言う意味なのでした。名は体を表すで、色が大好きです。

 

Il film, The Fall ”il cadere" e` ricco di colore.

映画「落下」は色が豊だ。(精彩溢れる作品)

 

【イタリア語・美術】Tutti i Giorni❣️L'italiano:ere動詞とルネサンスの栄光と頽廃

leggere 読む

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Pontormo e Brongino

先にamareare動詞を紹介しました。

イタリア語の動詞の末尾は

-are  -ere  -ire

の三つです。

圧倒的にare動詞が多く、しかも規則的に変化します。(このブログの「愛について」を見てね)

ere動詞は歴史的に古く数は多くはないですが、面倒なのは原形(不定形)のアクセントの位置が不規則であること。今日は読み書きのere動詞を取り上げます。

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Filippino Lippi

leggere レッジェレ

まず問題なのは、基本では、アクセントの位置は後ろから二番目のシラブルにつくのでレッジェーレになるところ、ere動詞では多くの場合(全てではない)頭にアクセントが移動することです。

 

io leggo レッゴ 私は読む

tu leggi レッジ 君が読む

lui/lei legge レッジェ 彼(彼女)が読む

noi leggiamo レッジャーモ 我々は読む

voi leggete レッジェーテ あなたたちは読む

loro leggono レッゴノ 彼らは読む

 

さらにleggereの場合はG(Cも)という文字の特殊性もあって、音が均一に変化しません。ゴとジという、カタカナで書くと「か行」と「さ行」で違ってしまうのも注意。

 

are,ere,ire全ての動詞に一致する変化部分は

io _o   tu_i   noi_iamo   voi_te   loro_no

です。

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Subiaco

写真はローマ近郊のスビアコにあるSan Benedetto(聖ベネディクトゥス)のSacro Speco(聖洞窟)天井フレスコ の一部です。

 

一般的にsanti(聖人)やpapi(教皇)の名前はラテン語表記されることが多く、ベネディクトゥスと書きましたが、イタリア語ではベネデットです。私自身もその時々で表記を変えますが、一読者として困るのはラテン語発音、英語発音、イタリア語発音、間違った発音と、同じ聖人や教皇でも違った表記が溢れていることです。例えば、英語でもイタリア語やフランス語、ラテン語など外国語の名前を、そのまま表記したり英語風に直したりするのを見かけますが、日本語で読む場合この問題はずっと頻繁に、複雑になります。ここではイタリア語の勉強という目的で、本来ならばラテン語表記すべきところをイタリア語表記でいきたいと思います。

 

話は戻ってSan Benedetto(サン・ベネデット)のaffresco(フレスコ画) は中世盛期の典型的な天井といえます。Gotico(ゴシック様式)のリブボールトで四つに分かれた空間に天使や聖人を配するというもの。頻繁にみられるのは四福音書記者ですが、ここは人里離れた大修道院の総本山なので、ベネディクト会子が最も尊敬し、彼らの生活に密着した内容として崇拝する聖人たちが描かれています。全ての聖人は書物をしたり読書をしています。

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Subiaco

別の天井をアップにしてみました。書見台や本棚から覗いた書物がはっきり見えます。西洋文化を牽引した人々で読み書きのできない人は極めて稀です。特に中世の教会文化は読み書きのできる人によって担われました。一番目の画像は福音書記者マタイですが、手に持っているのは言うまでもなくマタイの福音書です。

 

scrivere スクリーヴェレ(書く)

 ここでもアクセントの位置が基本のスクリヴェーレではなく、スクリーヴェレとなっていることに注意。

 

io scrivo 私は書く

tu scrivi 君は書く

lui/lei scrive 彼(彼女)は書く

noi scriviamo 私たちが書く

voi scrivete 君たちは書く

loro scrivono 彼らが書く

 

leggereと違いscrivereは原型のアクセント位置が基本でないだけで、後は基本通りで、特に発音が乱れることもありません。

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Filippino Lippi

この絵はルネサンス期の大変有名な一枚です。実は私のブログのタイトルはこの写真の一部を使っているのですが、判りました?左端の顔を寄せ合った天使たちがポイントです。読書なしには物事を考えることは不可能に近いと思っている私は、ブログのタイトルバックをどうするか考えた時、すぐにこの絵が浮かびました。もちろん中世やルネサンスが話の中心になると言うのも理由の一つです。これは千年に及ぶ中世で最も影響力のあった聖人、シトー会の聖ベルナールが、彼の前に出現した聖母の言葉を書き留めている図です。この作品はフィレンツェのど真ん中にあるにもかかわらず、観光者が行かない場所にあります。フィレンツェにはウッフィーツィやアッカデミーアなど見るべき博物館、美術館が幾つもあり、作品で溢れかえっているので普通の人はそれだけで疲れてしまい、おかげでサン・ベルナールと美術史上最も愛らしいと言われる天使たちは、いつも静寂か祈りの声に包まれているのです。作者のフィリッピーノ(生前はフィリッポと呼ばれていた)は、偉大な画家と同時に無類の女好きで有名な父フィリッポ・リッピから才能を、父の最高の弟子サンドロ(ボッティチェッリ)からは技術と愛情を受け、世界一の芸術の都フィレンツェ国葬されるような成功した人生を送りました。それなのに、彼の作品には不安や悲しみが感じられ、父とは大きな違いを見せています。それは後期ボッティチェッリにも共通するもので、繊細な作風が示すようにルネサンスの栄光と頽廃を映し出しているように、私には思えます。ボッティチェッリもフィリッピーノもルネサンスの文化的中心にいたので、職人画家とは全く違いました。彼ら以前やイタリア以外の画家たちは多くの場合、読み書きを知らない職人でしたが、彼らにとって書物は最も貴重で愛するものでしたから描き方も違います。本を非常に注意深く、丁寧に描いているのです。ブログのタイトルバックをみたら、思い出してください💖

 

 

 

【イタリア語・美術】Tutti i Giorni❣️L'italiano:女を指す言葉

前回はuomo(男)の単語を巡って書きました。今日はdonna(女)を巡りたいと思います。写真は女性を扱った美術作品で、作品に興味を持ってくださった方のため、作者と現在存在する場所を示しました。

Donna ドンナ 女(微妙だけど、どんな女?って覚えやすくないですか?)

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Niccolo Dell'Arca, Bologna

まず名詞の確認。対で覚えよう。

donna:uomo 女:男

人間に対して使用

femmina : maschio メス:オス

種の性別。植物や動物にも使える

signora : signore 奥様、ご主人(日本語では訳し難い。英語のMr.などと同じ)

肩書き、女主人など社会的に使用。呼びかけ

signorina 

未婚女性に対して使用されたが、結婚観の変化などで時代により使用法に変化がある。昔は未婚男性を指すsignorinoもあったがほとんど死語か冗談になった経緯もあります。

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Piero della Francesca, Sansepolcro

例文

donna per bene 

育ちの良い女性(良家の子女)

時代錯誤の感もあるけれど、こういう簡単な単語だけれども上手く訳せないというのは注目すべきだから、例にあげました。

donna di classe 

上流階級の女性

最近日本も経済格差が大きくなっているけれど、欧米は日本より明確に社会階層の名残があるし、小説や映画などにはよく出るので知っておくべき表現。

donna in carriera

キャリアウーマン、経歴につながるような仕事をして働く女性。働いていれば誰でもキャリアウーマンとは言わないのに注意。

donna di gusto 

趣味の良い女性。この言葉は好き。センスが良いとか洗練されているとか、そういう時に使う。

donna cannone

大砲女(どーいう意味だ?と思うけど巨大な女性を指すらしい。フェリーニの映画によく出るサーカスの女性を想像してください)

buona donna 

気の良い女(娼婦を指す俗語にもなるところが面白い)

calzone da donna

女性用靴下(ストッキング)

le mie donne

私の女たち(一族の女性みんなを指す。南イタリアっぽい)

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matteo Civitali,Berlin

ちなみにイタリア語は語尾を変化させることで、意味を付け足します。英語でもdogをdoggy、catをkitty、ワンワンとか子猫とか、可愛い、小さい、愛らしいという感じを付与するのと同じで、それをほぼ全ての単語に使うことができるのがイタリア語の特徴です。

 

donnina ドンニーナ

ina をつけると上の英語と同じように小さくなります。若い女性とか小柄。

donnone ドンノーネ

逆に one をつけると巨大化。大女

donnetta ドンネッタ

etta は愛らしい、愛おしい感を出します。別に小柄じゃなくても結構

donnaccia ドンナッチャ

accia というのは蔑称と言って、悪い意味をつける時。素行の悪い女性、というか犯罪者まで行かないけれど不良というか礼儀知らずな問題のある女。

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Matteo Civitali, Firenze

聖母マリアのことをMadonnaとも言いますが、元は貴婦人に対する尊称でした。私の世代でももう使わないと思うけど、かつては日本にも大学やクラスにマドンナがいました。漱石の小説でなど知ることができます。

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Canova, Roma

英語のwoman がmanにwif(元は女、後に妻)を付け足して作られたのと比較し、donnaはラテン語domina女主人=という意味で気分が良いです。このカノーヴァの有名な作品もナポレオンの妹だけあって、いかにも女主人という雰囲気。

 

これはローマのボルゲーゼ美術館のカノーヴァの作品ですが、調べていたら「アントニオ・カノーヴァ作 天然大理石彫刻 パオリーナ・ボルゲーゼ」が楽天で売られているのに気づきました。どうみても彼の作品ではないし、本物は当然二百万ちょっとで買えるようなものではありません。実際にはいくら出しても買えないのが事実です。よく見ると「カノーヴァの作品をモチーフにして作られた」と小さい字で書いてありますが、大きく何度も「カノーヴァ作」と書かれています。美術作品の贋作の闇市場は巨大なものです。これは贋作というにはあまりにも似ていないのですが馬鹿なお金持ちが買っちゃうんでしょうか。知り合いがフランスからステンドグラスを買い、自分の建造物に嵌め込んだ時に裏返しに嵌めたのを思い出します。古代の美術品の個人コレクションはほぼ贋作か盗品だと、ニューヨーク市大ジョン・ジェイ・カレッジ刑事司法大学院のエリン・トンプソンは言っています。フェイク・ニュースが世界を席巻するなか、楽天でも許してはいけない気がする。それより国会で平気で嘘が通用するのを許さない世界になって欲しいけど。心から。

【イタリア語・ドラマ】Tutti i Giorni❣️L'italiano:ヒューマンズ

先のブログで andare con Dio(神と共にゆけ「ほっといてくれ」)という使い方を書きましたが、イタリアの若い友人から「結構使うよ」とメッセージが来ました。彼は大学生です。日本の学生が「仏ほっとけ、神かまうな」とか言ったらびっくりしますよね!


今日は神様に続き、神の似姿と考えられてきた「人間」がテーマです。

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Adamo&Eva, Otranto

 human ヒューマンという英語はラテン語 humanus が元。

ラテン系の言語では h は無発音なのでイタリア語では

umano ウマーノ (形容詞)人間の属性を備えた、人間に特有の、人の

uomo ウオーモ (名詞)男。男性単数系

uomini ウオーミニ(名詞)人間、人類。複数形

umanesimo ウマネージモ(名詞)ヒューマニズム人文主義

umanista ウマニスタ(名詞)通常ルネサンス人文主義者、古典研究者

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聖山のアダムとエヴァ Varallo

例文

il primo uomo 最初の男=アダム

uomo di parola 言葉の男=約束を守る人

uomo di cuore 心のある人=心が広い、寛大な人

uomo d'oro 黄金の人=素晴らしい資質の持ち主

uomo d'affari 大仕事の人=実業家

uomo da bosco e da riviera 森と川の人=どこでも行き抜ける→万能人

uomo della strada 道の人=権力や資産などない普通の人

uomo morto 死んだ人=ロボット

L'uomo e` mortale.  人は死ぬもの

Dio e` immortale. 神は不死(永遠)である

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Caravaggio, Roma

 正直言っちゃうと、この数年で圧倒的に気に入っていた海外ドラマ「ヒューマンズ 」を見終わった(悲しいかな打ち切りだけど)のでその影響です。だからあとはドラマの話。「ヒューマンズ 」は2015年制作のイギリスとアメリカの合作ドラマで、スウェーデンのドラマ"Real Humans"が元になっています。北欧雑貨は日本にも固定ファンがいますが、ある意味、現在世界で最も進化した地域が北欧文化圏で、小説やドラマも北欧ものが凄いとだいぶ前から話題になっていました。アメリカやメキシコでもリメイクされた「キリング」や「ブリッジ」も強烈で特に「ブリッジ」ははまりました。でも断然「ヒューマンズ 」が好きです。先の二作品は、心底怖くて暗くて辛い現実が重くのしかかるのに対して、ヒューマンズ には優しさや良心に触れられる部分があって、可愛いとかおかしいとか、ほっとできたりもします。

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海外ドラマ

SFに関しては、ひたすらエンターテインメントを追求した大掛かりな馬鹿らしい内容の物は、環境問題や世界経済、教育という観点からも好きではありません。(と言っておきながら、コロナのおかげで「ヒーローズ 」全部見ちゃった。ザカリー・クイント最高!それに「ゴッサム」も中は飛ばしたけど、結構見ちゃった。偽善者ですいません。)でも社会派のSFは昔から小説も大好きで、日本はコロナでAI後進国が明確になったけど、歴史的にみれば「ヒューマンズ 」はとてもリアリティがありました。写真の人たちはuomimi(人間)ではなくuomini morti(死んだ人間=ロボット)なんだけど、死んでないの。感情もあるし!

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タイトルと音楽もマッチ

ヒットドラマや映画の有名な俳優も結構出てる。私はコリン・モーガンがかっこいいというのが???だけど、主演のジェンマ・チャンはじめシンス(AIロボット)役の人たちはみんな良かった。とんでもない格好だけど、モデルみたいな人やウルトラマッチョな役者が沢山いて目に楽しい。

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壊れた旧式ロボットから神ロボットへW.Tudor

内容的には特に女性の役が感動的だった。ダメな母親だけど超勇気のある人権(AIだけど)派弁護士のローラや、子供シンスを守って死んじゃうカレン。ピートが死んだ時に彼女が流す涙は人間としか思えない最も印象的な場面だった。可哀想って言えばエピソード終盤で活躍するアナトール。演じたU.ローチは好きな俳優で、全身刺青のやたら強い記憶喪失の美女が活躍する「ブラインドスポット」でやってた役を思い出した。優しい善人が、実は裏の組織幹部、なんだけどそれには悲しい過去があったから、ってとこが似てる。

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ロボットの宗教感を表現したUkwell Roach

Aiに仕事を奪われた大量の失業者を抱える社会という、考えるべき具体的な設定から、意識を持ったロボットを前に、それぞれの立場でその人間の良心や残酷さ、保守性や柔軟性が問われる。ヒューマニティ、人間らしさとは何かという永遠のテーマ。

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愛に満ちたロボットを演じたI.Jeremiah

神が人を作り人を滅ぼす(ノア)。そうして人は神を葬り去る(無信仰)。人がロボットを作り敵視する。なぜならAIは人間を超えて神に近づくと考えるから。囲碁だってもうロボットに勝てないでしょ。だから根強いAI反対派がいる。海外ドラマって打ち切りになるのが悲しい。十分にエンターテインメントのある社会派SFで良い内容だったのに。

 

uomo、単に「男」って覚えるより、上のように他の単語と一緒に覚える方が感覚的にも覚えやすい。ルネサンスやってれば一年中出てくる言葉だしね。やってみて。 

【イタリア語・キリスト教】Tutti i Giorni❣️L'italiano:andare  神と共に行く

andare con Dio!

andare col cavallo di S.Francesco

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聖母に戴冠する神

今日はandareと言う動詞を覚えます。

andareは最重要動詞の一つで、だいたい英語のgoに相当します。

日常的で頻度の高い動詞ほど不規則変化なので、これも不規則です。

 

andare(原形)アンダーレ

io vado ヴァード

tu vai ヴァイ

lui/lei va ヴァ

noi andiamo アンディァーモ

voi andate アンダーテ

loro vanno ヴァンノ

 

と言っても赤字で示した語尾変化はほぼ全ての動詞で同じだから、勉強する人は何より先にこの主格と動詞の変化を暗記しましょう。

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ヴァチカン博物館の牧人イエス

Vado a Roma. 私はローマへ行く:肯定文

Dove vai ? (君は)どこへ行くの?:疑問文

Andiamo in centro! (私たちは)中心街へ行こうよ:感嘆文

 

と言うのが基本的な使用法ですが、様々な方法で使用できる他、慣用句もたくさんあります。

私はイタリア語を勉強しながら、いかに日常生活にキリスト教関連の単語が混じり込んでいるかを痛感しました。生活していると、驚いたり、喜んだり、ガッカリしたり、悪態をついている声が一年中聞こえてきますが、聖人の名前を叫ぶ場合が多いのです。

Madonna! マッドンナ! 聖母の名を呼ぶのは性別、年齢の差を超え全国的。

Oddio! オッディーオ! も元は「神よ(助けたまえ)」に由来するだろうし

地方の聖人の名を口にするのは減少傾向にあるとは言え、本を読んでいれば出てきます。

Porco San Pietro! 聖ペテロの豚めっ  とかね。

 

なので「行く」と結びついた例を二つ頭に挙げました。

 

andare con Dio! 

は命令文で二人称で使います。

なので現実には

Va con Dio! お前、神と共に行けよっ

Andate con Dio! あんたたち、神様と行っちゃってっ

 

「ほっといてくれ」と言いたい時に。

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現在のジォットの聖フランチェスコ一場面

andare col cavallo di S.Francesco

聖フランチェスコの馬で行く

は何度も読んだことのある使用法です。

「歩いてゆく」と言う意味です。

世界中で最も愛されるこの聖人は、貧困と結婚したので常に素足でしたし、どんなに遠くても世界中どこへでも歩いて行ったからです。

 

*andareは不完全自動詞ですから後に前置詞を伴って文を作ります。

 

Anch'io vado col cavallo di S.Francesco, perche` non voglio prendere nessun treno.

私も歩いて行きます。電車に乗りたくないので。

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研究で判明した本来の色。馬は白かった。

なんで普通に言えないの?と思うかもしれません。camminare(歩く)と言う単語もあるのですが、様々な表現を知っていた方が、自分自身の考え方も広がるし、何よりイタリア語は文学的な表現が多発するので、それを楽しめる人ができるようになると思います。

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Assisi

単語を丸暗記するのではなく、歴史や思想背景と共に覚えるのが、私には楽しいのです。

【イタリア語】Tutti i Giorni❣️L'italiano:言葉は神か

In principio era il Verbo,
e il Verbo era presso Dio
e il Verbo era Dio.

dalla Bibbila testo ufficiale CEI,1988

 

In principio, c'era colui che e` "la Parola".
Egli era con Dio,
Egli era Dio.

dal Nuovo Testamento in lingua corrente, 2009

 

In the beginning the Word already existed.
The Word was with God,
and the Word was God.

NLT,2014

 

太初(はじめ)に言(ことば)あり、
言は神と共にあり、
言は神なりき。

(旧新約聖書1939年より)

 

初めにみ言葉があった。
み言葉は神と共にあった。
み言葉は神であった。
み言葉は初めに神と共にあった。

新約聖書フランシスコ聖書研究所2010年)

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Brindisi

いきなり難しいかもしれませんが、翻訳がいかに困難で、ある意味では不可能かという事を分かって欲しいから書いています。1単語に1日本語を充てて覚えることが、いかに良くないかという事を理解する必要があるのです。これはほんの一例に過ぎません。なによりも、このあまりにも名高い『ヨハネ福音書』の冒頭の言葉は本来ギリシャ語でロゴスという言葉です。それをラテン語Verbumに訳し全西欧に広がり、宗教改革イエズス会の世界への宣教活動により各国語に翻訳され、現在に至っているのだと認識する必要があります。

 

例として最初にイタリア語を二つ、現代英語版、日本語の訳も異なったものを載せました。イタリア語版は解説や資料付きのカトリック版と、ヴァルド派という中世に異端として大弾圧を受けた教会でいただいた大変珍しいものです。古くて硬い印象なのは、ギリシャ正教の日本語訳と同じ傾向です。御茶ノ水ニコライ堂で使っている聖書は、言葉は悪いですがぶっ飛んでいて、載せたかったのですが見つからないのが残念です。

 

イタリア語も英語も定冠詞がついているのは当然として、フランシスコ版ではそこを「み言葉」と、他の言葉とは違うという意味で訳したのかもしれませんが、なぜ「御言葉」でないのかは私には分かりません。

 

現代日本語訳より圧倒的にかっこいいのが、かつての日本語訳。聖書全体を通して私が感じるのは、神を身近に感じられるのは日本語訳ではないという事。身近ではいけないのかもしれませんが、イタリア語だと、神へ話かけている、問いかけている気持ちになれます。

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Santa Maria del Casale, Brindisi

verbo

は語学を勉強していれば誰でも知っているように「動詞」のことです。英語もverb.

「動詞」と「言葉」が同じとはどういうことか?と中学生頃に思いました。そもそもこの冒頭は旧約聖書の『創世記』の冒頭と同じです。

 

In principio Dio creo` il cielo e la terra.

 

元始(はじめ)に神天地を創造(つくり)たまへり

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ブリンディシ出土の古代ギリシャ作品

イタリア語では両方とも In principio となっているところ1939年日本語訳では、読み方は両方とも「はじめに」なのに、当て字は「元始」から「太初」となっているところがニクいです。

創世記とヨハネの冒頭は両方とも、新たな世界の始まりを表現しているという意味で、運動なのだと思いました。運動とはスポーツのことではありません。動きがあるということは時間が存在するということ。そこから全ては始まった、ということなのだ!と独りごちたのを今でも思い出します。でも「動」が神と共にあった、でないのはやはり古代ギリシャの哲人たちが言う本来のロゴスという言葉の意味が「摂理」宇宙を支配し展開させる一定の調和・統一のある理性的法則(ランダムハウス)とすると、確かに「動」だけではまずい。そのロジック(摂理)を「言葉」に訳した時が、大きなターニングポイントで、多少の意味のズレは生じてもよりキリスト教的になったのだと思えます。「摂理」は極めて抽象的ですが「ことば」は誰にも分かるもの。極めて有能な古代ギリシャの哲人たちの考えは深遠なものですが、それが全ての人の宗教に変わった瞬間ではないか、ヒエロニムスの苦労と偉大さを今更ながら痛感するのでした。

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書斎の聖ヒエロニムス

お分かりのとおり、私は全く宗教学者ではありません。聖書に親しむ一読者として、翻訳の問題に日々ぶち当たっている者として、感じた事を記したまでです。

 

日本語で読む「聖書」は私にはあまり魅力的ではなく、子供の頃は読めませんでした。それ以降も何かしっくり来なかったのに、英語やイタリア語で読むと非常に親しみやすく読むことができました。その逆としては、例えばイタリアで吉本バナナの小説が大変人気を博したのはイタリア語訳が良かったのが大きな要因だと言われています。F.K.ディックの同じ作品も訳が違うとこうも変わるものかと思ったものです。私は、翻訳には語学の知識以外が非常に重要だと思っています。歴史など、その内容に関する深い知識が不可欠。でも当然語学自体をよく知る必要がある。しかも両方の言語を。

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言葉は神と

こんなこと書いていると、じゃ、できないじゃんと思います。そう。だから適当なところで諦めるのが肝心。大体理解できたらそれで良いし、どこか間違ってるかもしれないと分かっていれば良いと思います。一字一句訳せないと進めない人がいますが、それでは永遠に無理なので適当を覚えましょう。分かっている簡単なことだけやっているより、多少わからないけれどだいたいわかる程度で続けていくのが、できるようになる秘訣だと思います。ただ基本文法と最低単語2000程はできるだけ早く身につけたいけど。

 

文の構造は絶対名詞と動詞。神のことば動詞こそ文の骨格。

今日も元気でこもろう!

【イタリア語】Tutti i Giorni❣️L'italiano:愛について

愛という言葉は外来語です。

十四世期に愛染明王という言葉が文献に現れるそうですが、それは性欲という意味で使用されていたと幾つかの資料で読みました。現在は愛を、大変イトオシイと思う、とても大切に感じる、という意味で捉えていないでしょうか。日本語ではこれをカナシと言ったそうで「慈」「悲」という漢字は共に愛に近いものなのです。漢字とアジア史は強くないので、間違っていたら教えてください。

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Matteo Civitali, Lucca

キリスト教の宣教師たちが日本にやってきた時、キリストの愛を伝える表現が存在せず「御大切」などと言っていたのは知られるところです。多分こちらの方が現在の愛に近いのではないでしょうか。歴史学に新たな視点を与えたフィリップ・アリエスは『アンシャン・レジューム期の子供と家族』という非常に有名な論文で、近代以前のヨーロッパには子供という概念が存在せず、子供服が無かったとか、死亡率が非常に高いため親は子供にたいして愛情を注がなかったと言っていますが、大変いとおしく、守りたいと思う気持ち、は世界中に、多分古代から存在したと私は思っています。ここにあげた写真は近代以前どころか皆中世のものですが、どれも子供に対する愛情が明確です。キリスト教美術史において、聖書での重要度が高くないにも関わらず聖母子像が圧倒的な数存在している事実が、その証拠でなくてなんでしょう。

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Angelo Puccinelli,Lucca

写真には親子間以外の愛もあるのを見てください。最後は主人の亡骸を見つめる犬ですし、下図は聖なる存在であるマリアとイエスを愛する教会の擬人像が聖母の靴に口づけしています。宗教的な愛と言えます。
このように当然イタリア語にも様々な愛があります。

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Biduino e Maestro lucchese,Lucca

amore アモーレ

という言葉はどこかで聞いたことがあるでしょう。これは名詞で「愛」。ちなみに男性名詞です。どこか女性名詞のような気がしませんか?イタリア語では基本的に思想的な抽象名詞は男性名詞です。頭を使うのは男と決まっていたからです。言葉は非常に古いものですから、完膚無きまで男尊女卑です。これはどんな文法書にも書いてない私見です。そして現在は、献身的な気持ち、思いやり、憐憫、恋愛など全てひっくるめてこの言葉を使うことが可能です。日本語もそうですが、どんどん単語数が減ってきているのです。昔は書き言葉はごく少数のエリートのものだったので、言葉の数も内容も、表現もずっと多様でした。民主化と共に文化程度は低くなりますから、ある意味では自然な現象です。現在は、どこまでも低くならないように文化の底上げが求められています。これは民主主義の根幹に関わる大問題です。

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Tino di Camaino

amare アマーレ

こちらが動詞。動詞はラテン系の言語の場合(その他の多くの言語も同じですが)主語によって人称変化します。これは実に大切なことで、勉強したい人はまずこれを身につけねばなりません。勉強を始めて何年も経つのにまだ人称変化が身についていない人がいますが、考え方が間違っていると、私は思います。これは「誰が」「何を」「する」かという、根本的な文章の構造の第一歩だからです。日本語では主語が省かれることが多く、それは誰が言ったのか、誰の行動なのか分からないことが少なくありませんが、欧米語では許されないことです。それこそ自己責任、自治の概念に結びつくのです。

 

are系動詞の変化:amareの語尾areを切り落とし、人称により変化させる。

発音は最後に。

 

一人称(自分)

Io  amo  私は愛する 

noi  amiamo 私たちは愛する

 

二人称(会話相手)

tu  am  君は愛する 

voi  amate あなたたちは愛する

 

三人称(目の前にいない人)

lui/lei  ama   彼(彼女)は愛する 

loro  amano   彼らは愛する

 

動詞の語尾変化により主語が分かるので、強調しないときは主語を省くのが一般的です。

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Jacopo Della Quercia, Lucca

Maria ama Gesu`  マリアはイエスを愛する

le madri amano i bambini  母は子供を愛する(複数で一般化)

Amiamo la pace  我々は平和を愛する(一般化の一種)

Amo le opere d'arte medievale  私は中世の美術作品が大好きです

 

知ってるよという人も、知らない単語で考えずに言えるところまで身につけて。初めての人は、うんざりするかもしれないけれど、できるようになった時の楽しさを想像して。それに私は歌うように覚えたから、辛く無かった。

amare amo ami ama amiamo amate amano

アマーレ、アーモ、アーミ、アーマ、アミャーモ、アマーテ、アーマノ🎶

 

【イタリア語】Tutti i Giorni❣️L'italiano :二重母音と助け合い

aiutare アターレ(助ける)

二重母音はイとウを区別して発音しないで混合した音にする。

厳密にはユと完全に一文字で発音するのとは違うけれど、イゥを早口で発音するとユに近い音になる。日本人はそこまで気にせずユで大丈夫。十分通じます。

 

それではコロナの下での助け合いの歌を聞いてください。

 

https://www.youtube.com/watch?v=2-pwv-Y5Xn0&feature=share&fbclid=IwAR0emNhjNRxbIEStUNA0NCOy6RYlWDJT8MFCJSqeQyC67L-5XmdP1CV5NZA

 

この歌のタイトルは

I nostri eroi reloaded「(再び立ち向かう)私たちの英雄」と言うような意味でしょうか。reloadedは英語で、再び銃弾を込める、と言う意味。くる日も来る日も戦い続ける病院の人達が翌日も働きに行く映像です。

 

知り合いの中世美術史の教授のご家族はご両親もお姉さんも、北イタリアのブレッシャの病院で働くお医者さんです。上のサイトの歌が届きました。ずいぶん前に知り合いには回したのですが、掲載しなおします。

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中世の病院の様子

このようにYouTubeで歌や画像を再生すると募金できる助け合いは、コンピュータとネットの力で繋がった現代ならでは。ごく僅かな援助ですが、みんなですれば大きなことができるのはもう証明済。どうぞ相互援助の精神を発揮してください。

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サレルノ医療博物館

https://www.youtube.com/watch?v=D5DhJS5hGWc

Rinascero` Rinascerai

「私は再生するだろう、君も再び生まれるさ」

この曲のタイトルは未来時制です。未来は英語もそうですが「強い意志」を表す時制です。

ルネサンスと言う言葉もこの言葉ですが、生まれるという意味のnascereに「再び」を表すriという接頭語を付けています。

 

両方ともイタリアらしい感動的な曲です。どうぞ聞いてください💖

 

 

西洋美術、イタリアの旅、読書が大好きな貴方へ、中世西洋美術研究者SSが思う事いろいろ