天使たちの西洋美術

美術、イタリア、読書を愛する西洋美術研究者SSの思ったこと

【イタリア語】Tutti i Giorni❣️L'italiano:言葉は神か

In principio era il Verbo,
e il Verbo era presso Dio
e il Verbo era Dio.

dalla Bibbila testo ufficiale CEI,1988

 

In principio, c'era colui che e` "la Parola".
Egli era con Dio,
Egli era Dio.

dal Nuovo Testamento in lingua corrente, 2009

 

In the beginning the Word already existed.
The Word was with God,
and the Word was God.

NLT,2014

 

太初(はじめ)に言(ことば)あり、
言は神と共にあり、
言は神なりき。

(旧新約聖書1939年より)

 

初めにみ言葉があった。
み言葉は神と共にあった。
み言葉は神であった。
み言葉は初めに神と共にあった。

新約聖書フランシスコ聖書研究所2010年)

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Brindisi

いきなり難しいかもしれませんが、翻訳がいかに困難で、ある意味では不可能かという事を分かって欲しいから書いています。1単語に1日本語を充てて覚えることが、いかに良くないかという事を理解する必要があるのです。これはほんの一例に過ぎません。なによりも、このあまりにも名高い『ヨハネ福音書』の冒頭の言葉は本来ギリシャ語でロゴスという言葉です。それをラテン語Verbumに訳し全西欧に広がり、宗教改革イエズス会の世界への宣教活動により各国語に翻訳され、現在に至っているのだと認識する必要があります。

 

例として最初にイタリア語を二つ、現代英語版、日本語の訳も異なったものを載せました。イタリア語版は解説や資料付きのカトリック版と、ヴァルド派という中世に異端として大弾圧を受けた教会でいただいた大変珍しいものです。古くて硬い印象なのは、ギリシャ正教の日本語訳と同じ傾向です。御茶ノ水ニコライ堂で使っている聖書は、言葉は悪いですがぶっ飛んでいて、載せたかったのですが見つからないのが残念です。

 

イタリア語も英語も定冠詞がついているのは当然として、フランシスコ版ではそこを「み言葉」と、他の言葉とは違うという意味で訳したのかもしれませんが、なぜ「御言葉」でないのかは私には分かりません。

 

現代日本語訳より圧倒的にかっこいいのが、かつての日本語訳。聖書全体を通して私が感じるのは、神を身近に感じられるのは日本語訳ではないという事。身近ではいけないのかもしれませんが、イタリア語だと、神へ話かけている、問いかけている気持ちになれます。

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Santa Maria del Casale, Brindisi

verbo

は語学を勉強していれば誰でも知っているように「動詞」のことです。英語もverb.

「動詞」と「言葉」が同じとはどういうことか?と中学生頃に思いました。そもそもこの冒頭は旧約聖書の『創世記』の冒頭と同じです。

 

In principio Dio creo` il cielo e la terra.

 

元始(はじめ)に神天地を創造(つくり)たまへり

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ブリンディシ出土の古代ギリシャ作品

イタリア語では両方とも In principio となっているところ1939年日本語訳では、読み方は両方とも「はじめに」なのに、当て字は「元始」から「太初」となっているところがニクいです。

創世記とヨハネの冒頭は両方とも、新たな世界の始まりを表現しているという意味で、運動なのだと思いました。運動とはスポーツのことではありません。動きがあるということは時間が存在するということ。そこから全ては始まった、ということなのだ!と独りごちたのを今でも思い出します。でも「動」が神と共にあった、でないのはやはり古代ギリシャの哲人たちが言う本来のロゴスという言葉の意味が「摂理」宇宙を支配し展開させる一定の調和・統一のある理性的法則(ランダムハウス)とすると、確かに「動」だけではまずい。そのロジック(摂理)を「言葉」に訳した時が、大きなターニングポイントで、多少の意味のズレは生じてもよりキリスト教的になったのだと思えます。「摂理」は極めて抽象的ですが「ことば」は誰にも分かるもの。極めて有能な古代ギリシャの哲人たちの考えは深遠なものですが、それが全ての人の宗教に変わった瞬間ではないか、ヒエロニムスの苦労と偉大さを今更ながら痛感するのでした。

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書斎の聖ヒエロニムス

お分かりのとおり、私は全く宗教学者ではありません。聖書に親しむ一読者として、翻訳の問題に日々ぶち当たっている者として、感じた事を記したまでです。

 

日本語で読む「聖書」は私にはあまり魅力的ではなく、子供の頃は読めませんでした。それ以降も何かしっくり来なかったのに、英語やイタリア語で読むと非常に親しみやすく読むことができました。その逆としては、例えばイタリアで吉本バナナの小説が大変人気を博したのはイタリア語訳が良かったのが大きな要因だと言われています。F.K.ディックの同じ作品も訳が違うとこうも変わるものかと思ったものです。私は、翻訳には語学の知識以外が非常に重要だと思っています。歴史など、その内容に関する深い知識が不可欠。でも当然語学自体をよく知る必要がある。しかも両方の言語を。

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言葉は神と

こんなこと書いていると、じゃ、できないじゃんと思います。そう。だから適当なところで諦めるのが肝心。大体理解できたらそれで良いし、どこか間違ってるかもしれないと分かっていれば良いと思います。一字一句訳せないと進めない人がいますが、それでは永遠に無理なので適当を覚えましょう。分かっている簡単なことだけやっているより、多少わからないけれどだいたいわかる程度で続けていくのが、できるようになる秘訣だと思います。ただ基本文法と最低単語2000程はできるだけ早く身につけたいけど。

 

文の構造は絶対名詞と動詞。神のことば動詞こそ文の骨格。

今日も元気でこもろう!

【イタリア語】Tutti i Giorni❣️L'italiano:愛について

愛という言葉は外来語です。

十四世期に愛染明王という言葉が文献に現れるそうですが、それは性欲という意味で使用されていたと幾つかの資料で読みました。現在は愛を、大変イトオシイと思う、とても大切に感じる、という意味で捉えていないでしょうか。日本語ではこれをカナシと言ったそうで「慈」「悲」という漢字は共に愛に近いものなのです。漢字とアジア史は強くないので、間違っていたら教えてください。

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Matteo Civitali, Lucca

キリスト教の宣教師たちが日本にやってきた時、キリストの愛を伝える表現が存在せず「御大切」などと言っていたのは知られるところです。多分こちらの方が現在の愛に近いのではないでしょうか。歴史学に新たな視点を与えたフィリップ・アリエスは『アンシャン・レジューム期の子供と家族』という非常に有名な論文で、近代以前のヨーロッパには子供という概念が存在せず、子供服が無かったとか、死亡率が非常に高いため親は子供にたいして愛情を注がなかったと言っていますが、大変いとおしく、守りたいと思う気持ち、は世界中に、多分古代から存在したと私は思っています。ここにあげた写真は近代以前どころか皆中世のものですが、どれも子供に対する愛情が明確です。キリスト教美術史において、聖書での重要度が高くないにも関わらず聖母子像が圧倒的な数存在している事実が、その証拠でなくてなんでしょう。

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Angelo Puccinelli,Lucca

写真には親子間以外の愛もあるのを見てください。最後は主人の亡骸を見つめる犬ですし、下図は聖なる存在であるマリアとイエスを愛する教会の擬人像が聖母の靴に口づけしています。宗教的な愛と言えます。
このように当然イタリア語にも様々な愛があります。

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Biduino e Maestro lucchese,Lucca

amore アモーレ

という言葉はどこかで聞いたことがあるでしょう。これは名詞で「愛」。ちなみに男性名詞です。どこか女性名詞のような気がしませんか?イタリア語では基本的に思想的な抽象名詞は男性名詞です。頭を使うのは男と決まっていたからです。言葉は非常に古いものですから、完膚無きまで男尊女卑です。これはどんな文法書にも書いてない私見です。そして現在は、献身的な気持ち、思いやり、憐憫、恋愛など全てひっくるめてこの言葉を使うことが可能です。日本語もそうですが、どんどん単語数が減ってきているのです。昔は書き言葉はごく少数のエリートのものだったので、言葉の数も内容も、表現もずっと多様でした。民主化と共に文化程度は低くなりますから、ある意味では自然な現象です。現在は、どこまでも低くならないように文化の底上げが求められています。これは民主主義の根幹に関わる大問題です。

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Tino di Camaino

amare アマーレ

こちらが動詞。動詞はラテン系の言語の場合(その他の多くの言語も同じですが)主語によって人称変化します。これは実に大切なことで、勉強したい人はまずこれを身につけねばなりません。勉強を始めて何年も経つのにまだ人称変化が身についていない人がいますが、考え方が間違っていると、私は思います。これは「誰が」「何を」「する」かという、根本的な文章の構造の第一歩だからです。日本語では主語が省かれることが多く、それは誰が言ったのか、誰の行動なのか分からないことが少なくありませんが、欧米語では許されないことです。それこそ自己責任、自治の概念に結びつくのです。

 

are系動詞の変化:amareの語尾areを切り落とし、人称により変化させる。

発音は最後に。

 

一人称(自分)

Io  amo  私は愛する 

noi  amiamo 私たちは愛する

 

二人称(会話相手)

tu  am  君は愛する 

voi  amate あなたたちは愛する

 

三人称(目の前にいない人)

lui/lei  ama   彼(彼女)は愛する 

loro  amano   彼らは愛する

 

動詞の語尾変化により主語が分かるので、強調しないときは主語を省くのが一般的です。

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Jacopo Della Quercia, Lucca

Maria ama Gesu`  マリアはイエスを愛する

le madri amano i bambini  母は子供を愛する(複数で一般化)

Amiamo la pace  我々は平和を愛する(一般化の一種)

Amo le opere d'arte medievale  私は中世の美術作品が大好きです

 

知ってるよという人も、知らない単語で考えずに言えるところまで身につけて。初めての人は、うんざりするかもしれないけれど、できるようになった時の楽しさを想像して。それに私は歌うように覚えたから、辛く無かった。

amare amo ami ama amiamo amate amano

アマーレ、アーモ、アーミ、アーマ、アミャーモ、アマーテ、アーマノ🎶

 

【イタリア語】Tutti i Giorni❣️L'italiano :二重母音と助け合い

aiutare アターレ(助ける)

二重母音はイとウを区別して発音しないで混合した音にする。

厳密にはユと完全に一文字で発音するのとは違うけれど、イゥを早口で発音するとユに近い音になる。日本人はそこまで気にせずユで大丈夫。十分通じます。

 

それではコロナの下での助け合いの歌を聞いてください。

 

https://www.youtube.com/watch?v=2-pwv-Y5Xn0&feature=share&fbclid=IwAR0emNhjNRxbIEStUNA0NCOy6RYlWDJT8MFCJSqeQyC67L-5XmdP1CV5NZA

 

この歌のタイトルは

I nostri eroi reloaded「(再び立ち向かう)私たちの英雄」と言うような意味でしょうか。reloadedは英語で、再び銃弾を込める、と言う意味。くる日も来る日も戦い続ける病院の人達が翌日も働きに行く映像です。

 

知り合いの中世美術史の教授のご家族はご両親もお姉さんも、北イタリアのブレッシャの病院で働くお医者さんです。上のサイトの歌が届きました。ずいぶん前に知り合いには回したのですが、掲載しなおします。

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中世の病院の様子

このようにYouTubeで歌や画像を再生すると募金できる助け合いは、コンピュータとネットの力で繋がった現代ならでは。ごく僅かな援助ですが、みんなですれば大きなことができるのはもう証明済。どうぞ相互援助の精神を発揮してください。

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サレルノ医療博物館

https://www.youtube.com/watch?v=D5DhJS5hGWc

Rinascero` Rinascerai

「私は再生するだろう、君も再び生まれるさ」

この曲のタイトルは未来時制です。未来は英語もそうですが「強い意志」を表す時制です。

ルネサンスと言う言葉もこの言葉ですが、生まれるという意味のnascereに「再び」を表すriという接頭語を付けています。

 

両方ともイタリアらしい感動的な曲です。どうぞ聞いてください💖

 

 

【イタリア語】Tutti i Giorni❣️L'italiano:二重子音の発音

以前から一緒に勉強してくれてる人には、とっくに知ってることも沢山あるけれど、イタリア語から離れないために、確認のためにも一緒に発音してください。

 

今日は文字と発音の仕方。

 

●二重子音の前では詰まる。小さい【っ】をいれる。

 

美術史上重要な画家、彫刻家の名前で確認。

肖像は全て美術家自身の作品。

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Leonardo

Leonardo da Vinci つまるところは無い

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Michelangelo

Michelangelo Buonarroti 

ブォナッローティ(rrは巻き舌)

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Raffaello

Raffaello Sanzio

ッフッロ (弾むように)

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Caravaggio

Caravaggio

カラヴァッジ

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Donatello

Donatello

ドナテッロ

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Giotto

Giotto

ジォット

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Filippino

Filippino Lippi

フィリッピーノ・リッピ

 

 イタリア語はあらゆる言語の中でも、特にリズム感や音色がはっきりしているので、詰まるところはしっかりつまり、伸ばすところはうんと伸ばす気持ちで、歌うように🎶

 

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Botticelli

日本でも高い人気を誇るボッティチェッリだけど、日本語の表記はまちまち。

昔は

ボッティチェ
と表記されていたけれど、藤沢道郎先生もおっしゃっていた通り、おかしい。
だってこれだと Botticerli
かと思ってしまう。正しくは

Bitticelli なので ボッティチェッリ

コンピューターを使わない印刷の時代に出版社はさぞ苦労したことだと思う。わざわざ小さいルにこだわる研究者ってヤカラは!と思ったに違いない。読みにくい上、間違いとは。現在展覧会などでよく見かける

ボッティチェリ(東京の人だと最初のシラブルにアクセントがくる)

は言語道断。これだとアクセントの位置がずれてしまう。

Botticelli ボッティチェッリ

が最も原語に近い。ラッファエッロ同様、一つの単語の中で二回つまるので弾むようなリズムがつく。そして2人ともアクセントは後ろにくる。

 

美術史豆知識:様式名。時代区分は画家の人生の長さが違うので目安。

ゴシックもしくはプレ・ルネサンス:ジォット

初期ルネサンス:ドナテッロ

盛期ルネサンスレオナルド・ダ・ヴィンチ

ルネサンス(中期):フィリッピーノ・リッピ

盛期ルネサンスからマニエリスムミケランジェロ・ブォナッローティ

盛期ルネサンス:ラッファエッロ・サンツィオ

バロック:カラヴァッジョ

 

a domani!

 

【イタリア語】Tutti i Giorni❣️L'italiano:今日!

コロナウィルスのおかげで授業がいつ再開できる分からない😭

語学は様々な勉強の中でも特に毎日やらないと、最も危険!忘れてしまうってこと。

だからせめてちょっとづつアップするので授業のない間に後退しないよう頑張ろう。

もったいないから💪

 

ちなみにイタリア語は、英語と違ってほとんど発音がローマ字読みだから、私の授業に出てない人でもやってみようって人は是非挑戦してね🤗

 

家にいないといけないし、仕事も減って、時間だけはあるって人、私だけではないはず。お金かけないで新たなことを始めてみれば、ウィルス騒ぎが治まった頃には、ちょっと実力もついてイタリア旅行が現実的になるかもしれないよ。クラシック音楽やオペラ、映画やブランドの名前、いろんなところにイタリア語があるのに気付くだろうし。私は美術が専門だから基本、美術を例にとって書いてゆきます。

 

もちろん英語は最も現実的だけど、全く英語を知らない人はほとんどいないでしょ。目先を変えて新しい言語(ラテン系の言語がいいな。文法が明確だし、フランス語以外は発音が楽だから。北欧系やアラブ系の発音は日本人には巨大な分厚い壁だけど。)をやってみると、英語も新しい見方ができるようになるよ。私は断然そうだった💖

 

今日の単語

ieri  oggi  domani
(イェーリ、オッジ、ドマーニ・昨日、今日、明日)

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Ieri Oggi Domani

ソフィア・ローレンがめちゃくちゃカッコいい1964年のイタリア映画。過去、現在、未来の三部作。街の様子も全然違って興味深い。

 

ちなみに Sophia Lorenって完全に芸名。

イタリア語だったら Sofia Lorena とかってなるところ。

 

A domani(ア・ドマーニ また明日)

 

【美術】印象的な作品:男色と退廃?ソドマの自画像

画家:イル・ソドマ Giovanni Antonio Bazzi

年代:1506〜年

場所:モンテ・オリヴェート・マッジョーレ大修道院回廊、シエナ近郊

技法:フレスコ 

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Il Sodoma

自画像というのは画家や彫刻家が自らを表現した作品で、ルネサンス以降頻繁にみられるようになります。でも古代や中世には自画像というジャンルは存在しませんでした。芸術という概念も存在しなかったから「個人」と「芸術」が社会の中で地位を獲得してゆくルネサンスの特徴と言ってもいいかもしれません。ソドマは後期ルネサンスの画家です。自画像は自己顕示欲の強い画家の作品が少なくないのですが、ソドマのこの自画像ほど印象的なものはありません。今日はそのお話。

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同じフレスコ のアップ

まずそのニックネームですが、多少なりとも英語や西洋文化に親しんだ者にはソドムを連想させます。ランダムハウス英語辞典でSodomを引くと、1)男色など住民の邪悪さのためにGomorraゴモラと共に天上から火で滅ぼされた古代都市。(聖書、創世記18−19)The apple of Sodomソドムのリンゴ:見た目は美しいが手にするとたちまち灰と化す。2)同性愛、男色の象徴。3)背徳と罪悪のはびこる場所、邪悪の地、犯罪都市。などと書かれています。散々です。様々な差別を無くそうという現代の風潮でやっと使われなくなってきた表現ですが昔の文章には普通に出てきます。

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San Sebastiano

現在ソドマの最も有名な作品は聖セバスティアヌスを描いたもので、こぼれ落ちる涙、よじらせた裸体など怪しい雰囲気で、三島由紀夫も大好きだった作品です。美術史の父ヴァザーリは「芸術家列伝」の後半にソドマを登場させますが、大した酷い書き様です。ヴァザーリの「芸術家列伝」は美術史に関心のある者ならば誰もが知る非常に重要な作品ですが、歴史的史料としては誤解や単純な間違いも多く指摘されています。が当時の考え方を知るには貴重な史料です。そのヴァザーリもソドマという名前をランダムハウスのソドムと同じ意味で取り、ヒゲも生えない若い衆に取り囲まれてみだらな暮らしぶりをしているダメ人間だから、最後には落ちぶれ切って死んだ、というように彼を紹介しています。

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a Vercelli

ところが、北イタリアのヴェルチェッリで撮ったこの写真は、彼を地元出身の最大の画家として記念しています。いくら昔の事だからといって、そんなとんでもない人の記念碑を公の予算で掲げるでしょうか。

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Giovanni Antonio Bazzi

美術に限らないとは思いますが、歴史の中で人の評価は変わります。今では信じられない事ですがあのボッティチェッリだって忘れ去られた時期があったし、カラヴァッジョが評価される様になるのは最近です。フェルメールなんて今の自分の人気を見たらどんなに驚くかと思います。どうせなら生きていた時に人気者になりたかったはず。可哀想なゴッホなんて一枚も売れなかった。あらゆる時代を通じ不動の大芸術家とされてきたのはミケランジェロだけと言ってもいいかもしれません。そんな中でソドマ程評価が激しく変動した画家も珍しいのです。一時期はルネサンスの頂点とされ幾多の論文が発表されたかと思うと、取るに足らない画家プラス人格破綻者としてめちゃくちゃに言われました。どうしてそんなことになったのでしょう。

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ソドマの天井。ラッファエッロの間

バチカンで描き教皇レオ十世に騎士に叙せられ、ヨーロッパ最大の銀行家キージの屋敷を飾り、神聖ローマ皇帝を感心させ、当代随一の文化人と親しく付き合い、王侯貴族に混ざって何度もパリオ(競馬)で自分の馬を優勝させる様な成功した人生でした。シエナ最大の画家としてフレスコ 、油彩、彫刻も盛んに制作しました。

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Scuola di Atene, Citta del Vaticano

ヴァチカンの「ラッファエッロの間」として知られる天井は、元はソドマとペルジーノが描いていました。両方とも消してラッファエッロに描き直せと恐ろしい教皇ユリウス二世は命じたのに、ラッファエッロは二人の作品を残しました。流石社交の達人です。写真の天井は人物部分のみラッファエッロが手直ししたと言われていますが、素晴らしい装飾部分はソドマの才能が発揮されたもので、4つある「ラッファエッロの間」の中でも最も美しいものです。ラッファエッロは彼らを尊重しています。その証拠に西洋美術史上名高い「アテネの学童」の右端で、ラッファエッロの自画像の手前に居るのはソドマともペルジーノとも言われています。ペルジーノは1450年生まれで1511年までかかったこのフレスコの時は60才頃なので40才ほどのソドマと考えるのが妥当でしょう。それにペルジーノは地味で真面目な人柄ですがこのニヤけた感じはソドマの人柄にぴったりです。衣装も派手な珍しい色だったのでフレスコ ・ア・セッコで描いたため剥落しているのかもしれません。

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ラッファエッロの手前に並ぶソドマ

彼の本名はジョヴァンニ・アントニオ・バッツィ、1477年に靴屋の息子としてヴェルチェッリに生まれました。その後シエナが第二の故郷になり、当時の画家としては十分に成功しました。ラッファエッロの空前絶後の成功には遠く及びませんが、靴屋の息子から騎士になったのです。得意満面な彼は自画像をいくつも残しています。中でも最も有名なのがトップのフレスコ画。これは当時非常に厳しい修行で尊敬を集めた修道院の回廊に描かれたものです。バチカンに呼ばれる前の話です。

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Monte Oliveto Maggiore

回廊には西洋修道制の父聖ベネディクトゥスの物語が描かれています。アーチ毎に一場面を、ほぼ中心にパースペクティブ、一点透視方の消失点が来るように描いています。消失点は理論上は存在しても目には見えず永遠に続くので、「アテネの学童」でも使われていますが「神」を象徴するものでもあります。その真下に自分が来るという大胆な構図がまずとんでもないものです。普通は聖母子とかイエスや聖人の場所ですから。ちなみに「アテネの学童」ではプラトンアリストテレスがその座にいます。

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San Benedetto e il Sodoma

場面左半分は聖人の物語で聖ベネディクトゥスは祈りのポーズをとっています。右半分はソドマの家族と仲間たちといわれ全く聖人伝に無関係なのです。フレスコが痛んで見難いですが、ソドマの足元には動物や鳥たち、彼の衣装はこの修道院に身を捧げたミラノの貴族が身につけていた大変豪華なもので、真っ赤なタイツ姿のソドマは、職人は身に付けることのない白い手袋で自分の取り巻きを紹介する様に、得意げにこちらを見ています。ヴァザーリは、ソドマは不精と怠慢のため壁に直に描く(下書きやスケッチもしない)程いい加減な奴だが、唯一気にかけていたことが派手派手しく着飾る事で、金地の織物や帽子に首飾りなど道化師の様だった、と書いています。彼はありとあらゆる珍しい動物を飼い彼の家はノアの方舟(世界中の動物を集めた)の様だったというのも証明できます。修道院の記録には彼の馬の薬代や犬猫の餌代なども記されているからです。この場面は誰が見てもソドマ自身が主役にしか見えません。

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最後の晩餐のユダ

最後の晩餐のフレスコ は痛みが激しいのが残念ですが、一人こちらに座ったユダはソドマの自画像ではないかという人もいます。12弟子やイエスより目立ったであろうマッチョな魅力に溢れたユダです。比較的痛みの少ない下半身は、彼の力量が感じられる素晴らしい出来です。自分をユダに重ねるというのもソドマらしいと思わせる様なエピソードが、いくつか残っています。1531年、税金訴訟に対するソドマの市への手紙はそれこそ印象的。所々引用します。

 

「立派な皆様に明言いたします。・・ただ今8頭の馬を所有しており、それは雄山羊とよばれておりますが・・猿と九官鳥を飼っています。その九官鳥は言葉を喋り、檻の中にいる理論家の驢馬に言葉を教えるために飼っているのでございます。・・狂人を脅す梟、二羽の孔雀、・・・(延々と飼っている動物が続く)それに三頭の扱いにくい獣がおります。すなわち3人の女です。・・成長した子供が30人おります。閣下様方におかれましても、私が大変な重荷を負っている事は、お認めくださると思います。・・法令によりますと12人の子供を持っている者は、街へ税金を納めなくとも良いとの事です。それゆえ皆様の御健勝を祈って筆を置きます。さようなら。ソドマ・ソドマ本名 画家ソドマ」(「数奇な芸術家たち」366頁)

 

私は初めてこれを読んだ時何重にも驚きました。まず1531年の市民の手紙が残っている事。日本では政治の根幹に関わる資料もあっという間になくなるというのに。そして税金の訴訟が起きているというのに、皮肉と下品なギャグも含めたふざけた手紙が出せる心の余裕。周囲の目ばかり気にして、忖度を競い合っている、お上の言いなりの日本人には考えられないことではないでしょうか。

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Villa Farnesina

またユダは金庫番として腰にお金の入った袋を身に付けていますが、いい加減に仕事しているソドマを修道院長が嗜めると「私の絵筆はお金の音に合わせて踊りますから、もっとお支払いになる気さえおありでしたら、はるかに上手に描いて見せましょう」と言い、値上げに成功したら突如熱心に描き出した、とヴァザーリ

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修道士の話は後ろに小さく

こんな話が尽きないソドマなので、ヴァザーリを読んでいると楽しくて声を出して笑ってしまいます。彼によると、たまにソドマが素晴らしい作品を作ると「狂人の面倒をみたり、呑気者にも救いの手を差し伸べることもある・・幸運の女神」のおかげとなるのですから。ヴァザーリはレオナルドとミケランジェロを神の如きに描いて、彼らの亡骸からは芳香が漂ったとさえ書きます。ラッファエッロはそれ程でもなくデル・サルトには悪口、というのがよく知られたところですが、それはラッファエッロがフィレンツェの人間ではなく、デル・サルトに関しては彼の妻に意地悪されたという理由によるものです。ヴァザーリはソドマを知りませんでした。当初「芸術家列伝」はフィレンツェ人美術家だけを扱ったものでしたが、続編で他の地域も入れようとしたヴァザーリは情報屋を見つけます。シエナ美術に関してはモレッリという彫金師で、彼はドメニコ・ベッカフーミの大親友でした。10才ほど若いベッカフーミとソドマはシエナの美術界を二分するライバルでした。ヴァザーリのベッカフーミ伝には次のように書かれています。

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San Domenico

「ジョヴァンニ・アントニオ(ソドマ)が野蛮でふしだらで風変わりで、また常にひげもまだ生えぬ若衆と付き合っていた故にソドマと渾名されたのに引き換え、ドメニコ(ベッカフーミ)はあらゆる点で品行方正で行儀よく、キリスト教徒にふさわしい生活を送り、ほとんどいつも一人でいた」と。

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神話画

メディチ家のお抱え美術監督となったヴァザーリは生真面目な人でした。「芸術家列伝」の最初に必ずお説教を書くのですが、それはいかに努力と鍛錬を惜しまぬ人間が成功するかということです。社会的責任のある地位で巨大プロジェクトの総合監督として馬車馬の如く働いたヴァザーリは、気ままで冗談好きな遊び人が嫌いでした。彼はパリオ(競馬)でソドマの馬が勝った時、子供や若者がソドマ!ソドマ!と大声で叫ぶのを聞いて、品行方正な貴人達の間では「そんな下品な言葉を我が街フィレンツェで叫ぶとは、けしからん!」と問題になったと言っています。また、ソドマがフレスコ で修道士を愚弄するために、娼婦達の裸を描いたが、反対にあって後から服を描き足したと書いていますが、これは現在の調査で嘘だとわかっています。最初から裸ではなかったのです。

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Villa Farnesina

大体ソドマには30人も子供はいませんが、シエナで最大の旅館(王侯が宿泊した)の娘を妻にし二人子供もいました。すぐに死んでしまった男の子はアペッレ(古代ギリシャで最大の絵描き)という名前でした。娘は一番弟子と結婚しています。結局ソドマという名前は男色と退廃という意味ではなかったというのが、最近の研究です。Su'nduma!(ス・ンドゥーマ)というのが口癖でした。これは現在も使われる北部イタリアの方言でSu,andiamo!(ス・アンディァーモ)という意味です。レッツゴー「行くぞ!」「さ、始めようっ」そんな意味です。

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San Giorgio

ソドマは本当にソドミアン(男色家、退廃不道徳者)だったのでしょうか。ソドマ研究者の中にはそれを完全に否定する人がいますが、そうとも言えない気がします。結婚はすぐに破綻したと言う研究者もいますし、あちこちの街を回っていてあまり家にいなかっただろうとは思います。ソドマは間違いなく、当時の人々も勘違いする彼の渾名を気に入っていたし、彼が描く少年達は異常に派手な衣装をつけて色っぽかったりするのです。例にあげた少年は画面の前面で大変目立つ存在ですが、別にいなくても問題ないのです。彼を騎士にした教皇レオ十世の美少年趣味は有名でした。レオナルドが美少年愛者なのは確実だし、ミケランジェロだってウルトラ筋肉美の若い男の天使ばかり描いています。カラヴァッジョのように両刀だったのかもしれない。要するにルネサンスの権力者達には、そんなことはどうでも良いと思っている人たちが大勢いました。ルネサンス後期とはそう言う時代なのです。

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ド派手な衣装でシナを作る少年

 ただヴァザーリが言うように「よれよれに老いぼれた一文無しの身で」死んだことが無かったのは確実です。妻に残された彼の財産目録は、それ以前の画家達と比較しかなりリッチだった証拠になっています。シエナ市庁舎のフレスコ は中世美術史上最も人気の高い作品です。あまりにも素晴らしいシモーネ・マルティーニの傭兵隊長の下に描かれたシエナ守護聖人達はソドマの作品です。中世愛好家からすると消されたフレスコ が見たかったと思ってしまいますが、これは彼のせいではありません。

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シエナ市庁舎のフレスコ

非常に残念なことですが、シエナのピスピーニ門にはソドマのフレスコ があり、そこにはラッファエッロのより愛らしい天使達と彼の自画像が描かれていたそうです。ヴァザーリは自画像と共に「私が作った」と書いてあると言っています。これは古代ギリシャの職人達が使った手法ですが、エンツォ・カルリはそうではなく「作ってみろ」「お前もやってみろ(できないだろ)」と書いてあったのだと言います。ルネサンス愛好家には有名なエピソード、ドナテッロがブルネッレスキに言った言葉です。

 

美術に限らずスポーツでも科学などあらゆる分野で起っている現象ですが、私は極一部の決まった人ばかり有名になって、その人が最高峰のように扱われるのには反対です。世界には知られざる尊敬に値する人たちが沢山います。間違いなくソドマは尊敬に値する人で無かったに違いありませんが、 ほとんど完成した作品が無かったレオナルド・ダ・ヴィンチが美術界の最高峰のように扱われるのに疑問を感じます。ソドマはレオナルドの何倍も仕事をしたのに、努力もせずにのたれ死んだと書かれる所以は絶対にないはずです。

 

 

【美術】印象に残る作品:サンタ・チェチーリア・イン・トラステーヴェレ聖堂

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Stefano Maderno

前の記事でモザイクの御光の話をしました。そのモザイクがある三つの聖堂はどれも重要なのですが、中でもこのサンタ・チェチーリア・イン・トラステーヴェレは地域も含めて印象的な聖堂です。トラステーヴェレとは「テヴェレ川の向こう側」という意味です。トラスの英語はトランス。トランス状態とは、あっちの世界へ行ってしまった人のことで、現代なら薬物、中世なら信仰の力によって向こう側へ行く人がいるわけです。とにかくトラステヴェレ地区はコロナさえなければ観光客でごった返すローマの中央から川で遮られているせいもあって、観光客目当てのお店もないし断然落ち着いた地域です。その上美術史を愛する者にとっては極めて重要な聖堂が幾つもあります。なので私は時間さえあればトラステヴェレへ行くし、できるならトラステヴェレに宿を取りたいのです。

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Santa Cecilia in Trastevere

場所:ローマ、トラステヴェレ地区

聖堂名:サンタ・チェチーリア・イン・トラステーヴェレ

 

サンタ・マリア・イン・トラステーヴェレもあるので間違えないように。どちらも初期キリスト教時代からの最重要聖堂です。聖母(サンタ・マリーア)聖堂が大きな広場に面して遠くからも目に入るのに対して、聖チェチーリアは壁に遮られて見えません。聖堂の前に広い中庭があり高い壁で覆われているのです。

上の写真は道から門をくぐって聖堂を撮したところ、次は聖堂を背にして門を撮したところです。奥の白い建築物は中庭の壁の役割を果たしています。こんなところに人が住んで普通に生活しているのがイタリアです。やたらに看板があるアジアの街と違って美観の問題と歴史を大切にする意識が高いので、知らないと入ってはいけないのかと思って通り過ぎてしまう事が多々あります。

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聖堂ファサードから中庭を見る

門をくぐると素晴らしい空間が開けます。写真を見ながら読んでください。整然とした中庭の中央には、古典芸術の立派な壺を配した噴水があり、空には典型的なロマネスクの塔が聳え、中世の空気。バロック様式ファサードは地面から立ち上がるのではなく、一階部分は古代風の柱廊玄関口となっています。そこには古代ローマや中世の石碑の断片が埋め込まれています。

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Santa Cecilia in Trastevere

解説の一部を見てください。赤い中には古代ローマ由来のSPQRの文字が見えます。で聖堂の名前の下に制作年代が表示されています。5世紀に始まり9,12,13,16,17,18,20世紀となっていて何度も何度もこの聖堂が修復されたことが分かります。それだけ大切な聖堂だということです。特に教皇権が強まった中世盛期(12−13)と対抗宗教改革(16-18)時期に盛んに改築されています。聖堂の下にはフェルディナンド・フーガなど関わった建築家の名があります。

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Santa Cecilia in Trastevere

聖堂の中に入ると単郎式の内陣が目に入ります。外が簡素ながらも堂々とした質実剛健な印象を与えるので、ロココ風の天井を持つ内部は一見軟弱な印象を与えます。特に私はロココが好きでは無いので残念な感さえあります。私が一番好きなのは先のブログで書いた奥の半円形部分に配された初期キリスト教様式のモザイクですが、所々に素晴らしいバロックの彫刻もある聖堂です。下の写真の礼拝堂などもし日本に来たら大変な話題になりそうな大彫刻なのに、完全無視される程この聖堂には名だたる作品があるのです。写真では分かりませんが、入り口から見ると重なったアーチの向こうにこの礼拝堂があり、礼拝堂の中のアーチの遠近法に連なって行く、まさに空間を最大限に利用した劇場効果のあるバロック芸術です。

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無視されている礼拝堂

無視されている理由の一つが、最初のイタリア人画家として知られるピエトロ・カヴァッリーニのフレスコ。フィレンツェのジオット、ローマのカヴァッリーニですが 彼についてはまた今度。ジオットよりビザンチン的ですがご覧のように綺麗です。

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Pietro Cavallini

内陣の写真では、見えないかも知れませんが左の方で修道女がパイプオルガンを演奏しています。音楽を流している聖堂はよくあるのですが、修道女の生演奏はここならではで感動的です。この聖堂が捧げられた聖女チェチーリアは音楽の守護聖女で、ここには音楽学校が付属しています。奥に半ズボンの不届き者とその一団がいて何かを見ています。それは非常に有名なバロック彫刻で、3世紀に殉教した聖女が1599年に再発見された時の姿を象ったもの。この場所にはチェチーリアの家があったと言われ、地下のクリプタは古代ローマの家の痕跡を留めています。

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Cripta

トップの写真の話をします。美術史の本でこの彫刻を知って以来是非観たいと思っていたので、初めてこの聖堂を訪れた時には感慨深いものがありました。千三百年も経ったというのに聖女は亡くなったばかりのような姿で、それはまさしく奇跡でした。プロテスタントが奇跡を弾劾するのに対して、教皇は大喜び、この聖女を宣伝し世界中から巡礼が訪れたので、何度も改築が行われたのです。三本の指は三位一体を指し示すとか様々な逸話があり、対抗宗教改革期の最も有名な美術作品です。

このステファノ・マデルノの作品の頭上には先のブログで書いた9世紀のモザイクが、前面にはフィレンツェルネサンスを準備した大彫刻家で建築家アルノルフォ・ディ・カンビオのキボリウム(屋根の付いた祭壇)があります。

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Santa Cecilia in Trastevere, Roma

前庭だけでなく中世の中庭、クリプタ、ベネディクト会修道院音楽学校とこの施設は複合施設になっていますので、訪ねた時は是非全てを堪能できる時間を選んで欲しいと思います。私はいつもそうなのですが、有名な作品だけ見れば満足するわけではなく、ゆっくりじっくり観てしまいます。すると全然ガイドブックや美術書にも掲載されていない素敵な作品があちこちに見つかってしまうのです。この聖堂左側の入り口近くにある礼拝堂もそういう一つ。さっぱり有名でないので電気がついていませんから真っ暗です。逆に作られた当時の人々のように自然光だけで見る事ができます。私はこの前に来た時どきっとしました。誰かが立っているように思ったからです。でもそれは彫刻作品。注目される事なく何世紀も佇んでいる美少年は夢見るように首を傾げています。

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Santa Cecilia in Trastevere

暗い聖堂内から外へ出ました。この時はまだ夏の終わりだったので快晴です。聖堂前の広場には13世紀の家が残っています。右端の斜めになっている部分にはもとは塔があったのです。貧者のための同心会が所有していました。トラステーヴェレ地区は中世の面影を最もよく留めた地区でもあるのです。

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casa di Ettore Fieramosca

この界隈は食事の面でもローマで一番。何度も言うけれど観光客相手のところに良いお店は滅多にありません。地元の人に愛されていないとダメって言うのは当たり前だと思いませんか。観光地ローマにはあまり良いレストランがありません。テルミニ駅の周囲などは酷いものです。聖女チェチーリア前の広場にあるお店で、ローマの地元料理をいただきます。「消し去られたローマ」と書かれたお皿には名物、胡椒パスタが。

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Ristorante

 1日も早く再訪できることを祈って。

【美術】印象的な作品:聖人の頭についた御光は丸いだけじゃない!

イタリア語ではニンボ、英語ではニンブスというものがあります。もとはギリシャ神話の神様の周囲を取り巻く雲、という意味のラテン語から派生した言葉。日本語では後輪とか御光とか言い方は何種類かありますが、聖人の頭には丸い円がくっついていますよね。日本の仏画などにも見られます。天使の頭にも丸い輪っかがついています。丸いもの、円だとすり込まれてきたのでこの作品を見たときは、非常に印象に残りました。ビックリした!シ・カ・ク・イ・・・・青いし。

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Santa Cecilia in Trastevere

聖堂:サンタ・チェチーリア・イン・トラステーヴェレ

場所:ローマのトラステーヴェレ地区、聖堂後陣(半円の球状の部分、アブシデ)

制作年代:9世紀

技法:モザイク

内容:購主(あがなう人)救世主イエスを取り囲む聖人たち

施主:教皇パスカリス一世(在位817~824年)

製作者:ギリシャ人のモザイク職人

 

非常に重要な聖堂なので聖堂については別に書きます。

 

実はこれとそっくりな後陣モザイクがローマには三つあるので一気にそっちも紹介します。作品がある聖堂以外は上に記した情報とほぼ同じです。

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Santa Maria in Domnica

聖堂:サンタ・マリア・イン・ドムニカ

場所:ローマのチェリオ地区、コロッセーオやラテラーノの南

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Santa Prassede

聖堂:サンタ・プラッセーデ

場所:ローマ、エスクイリーノ地区、テルミニ駅から遠くない。

 

どれもみんな大好きな聖堂で楽しくさせてくれるモザイクです。モザイク全体については後ほど説明するとして、今は御光の話が中心。

 

三つのモザイクがある場所はどこも大変由緒ある地域です。地域というか場所は大変重要です。場所自体に力があると考えられてきたので、世界には汚れた森とか神聖な丘とかが存在します。別にキリスト教とかイタリアに限ったことではありません。

 

キリスト教に限ったこととしては、このモザイクが製作された時期はキリスト教の黄金時代と呼ばれる時代で、シャルルマーニュカール大帝)が教皇レオ三世の要請で神聖ローマ皇帝になった後、コンスタンチノープルを首都とするローマ帝国(後に東ローマまたはビザンチン帝国と呼ばれる)からローマ教会が独立を果たした時期です。レオは偉大な教皇だったのでその後任選びは大変でした。繋ぎにステファヌスが一年やりますが、その後パスカリスが教皇となります。アインハルトは817年の「フルダ年代記」の中で、パスカリス一世は皇帝に書簡を送り、自分に押し付けられた恐れ多い教皇職を受ける気はさらさらなかったどころか、必死にそうならないように反対した、と書いています。本当でしょうか?レオ自体もそのつもりがなかったし、当時の教皇職は大変なだけで、後のルネサンス教皇たちのような絶大な権力を持ってやりたい放題というわけにいかなかったのは確かです。とにかく教皇となったパスカリスが、全てのモザイクの発注者で、四角い御光の持ち主です。三つを比較すると、だんだん歳をとっているような気がしますが、技術が足りずそれほど似ていないのかも知れません。最後のサンタ・プラッセーデの肖像が最もリアルです。ハゲではなく頭頂を剃っているのが、額の上に残る一筋の黒い線で分かります。

 

どのモザイクでも彼以外は普通の御光を着けているのに、彼だけが四角く青い謎の物を付けています。よく見ると黒い筋で縁取られていて、四角い箱のような物を被っているようにも見えます。これはモザイクが製作された時点で、彼が生きているという印です。ほぼ全ての聖人は死後列聖(聖人となること)されます。パスカリスは生きている時に、自らをペテロなど偉大な聖人たちの輪に加えたのです。二つ目の写真を見てください。聖母子の上に文字のような印が入った円が見えるでしょ。これはパスカリスの印です。あらゆる場面で、最も目立つ重要な場所に「私がこの聖堂を作りました!自分がやったんだよー!」と叫んでいるような人が教皇職を恐れ多いと感じたのかどうか分かりませんが、美術を愛する者、特に中世美術好きにとっては、彼は感謝の対象でしかありません。

 

ローマへ行ったら、ぜひ寄ってください。今日はほんの一部の話しかしませんでしたが、どれも見どころ満載の素晴らしい聖堂です。きっと楽しめると思います。お洒落な靴も素敵だし。

 

【美術】印象に残る作品:サンタ・チェチーリア・イン・トラステーヴェレ聖堂

前の記事でモザイクの御光の話をしました。そのモザイクがある三つの聖堂はどれも重要なのですが、中でもこのサンタ・チェチーリア・イン・トラステーヴェレは地域も含めて印象的な聖堂です。トラステーヴェレとは「テヴェレ川の向こう側」という意味です。トラスの英語はトランス。トランス状態とは、あっちの世界へ行ってしまった人のことで、現代なら薬物、中世なら信仰の力によって、向こう側へ行く人がいるわけです。とにかくトラステヴェレ地区はコロナさえいなければ観光客でごった返すローマの中央から川で遮られているせいもあって、観光客目当てのお店もないし断然落ち着いた地域です。その上美術史を愛する者にとっては極めて重要な聖堂が幾つもあります。なので私は時間さえあればトラステヴェレへ行くし、できるならトラステヴェレに宿を取りたいのです。

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Santa Cecilia in Trastevere

場所:ローマ、トラステヴェレ地区

聖堂名:サンタ・チェチーリア・イン・トラステーヴェレ

 

サンタ・マリア・イン・トラステーヴェレもあるので間違えないように。どちらも初期キリスト教時代からの最重要聖堂です。聖母(サンタ・マリーア)聖堂が大きな広場に面して遠くからも目に入るのに対して、聖チェチーリアは壁に遮られて見えません。下の説明図を見てください。聖堂の前に広い中庭があり高い壁で覆われているのです。

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Santa Cecilia in Trastevere

一枚目の写真は門をくぐって聖堂を撮したところ、三枚目は聖堂を背にして門を撮したところです。奥の建造物に見えるのは二枚目の写真の平面図、一番下の部分、入り口です。こんなところに人が住んで普通に生活しているのがイタリアです。やたらに看板があるアジアの街と違って美観の問題と歴史を大切にする意識が高いので、知らないと入ってはいけないのかと思って通り過ぎてしまう事が多々あります。

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聖堂ファサードから中庭を見る

重要な初期聖堂は、道路からは見えない事が多々あります。この聖堂もそうで、壁をくぐると素晴らしい空間が開けます。整然とした中庭の中央には、古典芸術の立派な壺を配した噴水があり、空には典型的なロマネスクの塔が聳え、中世の空気。バロック様式ファサードは地面から立ち上がるのではなく、一階部分は古代風の柱廊玄関口となっています。そこには古代ローマや中世の石碑の断片が埋め込まれています。中に入ると下の写真、単郎式の内陣が目に入ります。外が質実剛健な印象を与えるので、ロココ風の天井を持つ内部は一見軟弱な印象を与えます。私が大好きなのは奥の半円形部分に配された初期キリスト教様式のモザイクですが、所々に素晴らしいバロックの彫刻もある聖堂です。因みにこの聖堂は美術史の好きな人には、多分最初のイタリア人画家として知られるピエトロ・カヴァッリーニのフレスコが外せないところでしょう。解説の一部を見てください。赤い中には古代ローマ由来のSPQRの文字が見えます。で聖堂の名前の下に制作年代が表示されています。5世紀に始まり9,12,13,16,17,18,20世紀となっていて何度も何度もこの聖堂が修復されたことが分かります。それだけ大切な聖堂だということです。特に教皇権が強まった中世盛期(12−13)と対抗宗教改革(16-18)時期に盛んに改築されています。聖堂の下にはフェルディナンド・フーガなど関わった建築家の名があります。

 

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Santa Cecilia in Trastevere

見えないかも知れませんが左の方で修道女がパイプオルガンを演奏しています。音楽を流している聖堂はよくあるのですが、修道女の生演奏はここならではで感動的です。聖女チェチーリアは音楽の守護聖女なのです。不届き者が半ズボンで、その聖女が発見された時の状態を象った、非常に有名な彫刻を眺めていますが、それはまた今度。

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Santa Cecilia in Trastevere,mosaici

やっと本題のモザイクに入ります。全くそぐわないバロックの枠に入れられて窮屈そうなのは9世紀のモザイクです。教皇パスカリス一世のモザイクとして知られる後陣(アブシデ。聖堂奥の半円形部分)がローマには三つあります。聖プラッセーデとドムニカの聖母マリア、そしてこの聖女チェチーリアで、

 

 

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Santa Cecilia in Trastevere

【美術】印象的な作品:ベルニーニのメデューサ胸像

最近こもりっきりで読書したり書いたりしていたら、難しいと立て続けに言われました。思想的な問題など書いてないつもりなんだけど難しいっていうのは、私が悪文だからというのもあると思うし、自分のためのメモのようなつもりで書いた分もあるからでしょう。

 

ということで西洋美術に興味のある人みんなに向けて分かりやすいシリーズを始めます。毎回連載ではないけれど、単純に印象に残る作品を紹介するというもの。写真は全て自分で撮影しています。素人撮影でお許しください。

 

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Busto di Medusa, Gian Lorenzo Bernini

作者:ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ

内容:メデューサの胸像

年代:1644-48年

高さ:68cm

所蔵:カピトリーノ博物館

作品番号:inv.MC1166

 

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Busto di Medusa. G.L.Bernini

ローマには何年居ても見尽くせない作品があり、これを所蔵するカピトリーノ博物館だけでも、慣れない人だとうんざりする程見るところがあります。カピトリーノって単数系ですが幾つかの部門が集まっているので、イタリア語ではmusei Capitoliniって複数形にします。建築物自体が観る者を圧倒してくるのに、ものすごく質の高い作品が所狭しと並んでいるのです。凄い!凄い!の連続、しかもこれより巨大な作品がいくつもあるにも関わらず、この作品の前で足を止めない人は居ないでしょう。

 

バチカンの壮大で独創的な回廊だけでも屈指の芸術家に違いありませんが、ベルニーニはあらゆる時代を通じて世界中の彫刻家の中でも王座に君臨する芸術家です。もちろん素晴らしい技術を持った弟子がいて、全てが彼の力というわけではないにしても、数え切れない大量の彫刻作品、ローマ中にある建築や記念碑、世界の王侯貴族が彼の作品を欲した事などを考えれば当然です。確かにミケランジェロのような熱烈な思想、レオナルドの持つ暗い神秘、ボッティチェッリの持つ深い悲しみ、デル・サルトやポントルモの持つ繊細さはありません。でも技術の無い芸術は存在しないと私は思っているし、やはり彼は職人の域に止まるにはあまりにも偉大です。ご多分に漏れず、人間的には褒められた人ではなかったけれど、それもある程度作品から読み取れます。そこが万人に分かりやすい作品となっている原因の一つではないでしょうか。

 

メデューサギリシャ神話は大変有名です。私は子供の頃、髪の毛が無数の蛇というだけで強い印象を受けましたが、その顔を見ると石になってしまうので、ペルセウスが彼女自身に鏡を見せて、本人を石に変えてしまう。というその勝利の方法も心に残りました。ただ腕力が強くて勝つのでは無いところが好きです。神話にはいくつもヴァージョンがあるのですが、ペルセウスは鏡のように磨がれた剣を見ながら眠っているメデューサに近づき首を切った、という方が主流だとはずっと後になってから知りました。メデューサはペガサスやサンゴ、蘇りの血など死んだ後も色々なものを生みました。

 

カラヴァッジョやルーベンスレオナルド・ダ・ヴィンチなどの大御所から無名の人まで実に大勢が、切られたメデューサの首を制作しました。ところがベルニーニの作品は英雄ペルセウスに切り取られた首ではなく、まだ生きているメデューサです。ペルセウスに鏡を見せられた直後、自らの力によって石に変わっていく、もしくは首に斬り付けられた直後の、死に直面した変容の瞬間をとらえています。思うように写真が撮れず、角度や光のせいで伝わらないかも知れませんが、このメデューサは数あるメデューサの中でも際立って美しい作品です。死への恐怖、馬鹿にしていた相手(人間、と言ってもペルセウスは半分人間ですが)の策略にはまった悔しさ、そしてもとは大変な美少女であったが故に海神ポセイドンの目に留まりアテナの神殿で交わったため(もしくは単に美し過ぎたので)アテナの怒りをかい、とてつもない怪物に変えられてしまった悲しみを表しているのです。

 

ローマへ行ったら是非見てください。

 

 難しくなかったでしょ?

有名な作品に拘らず、写真を整理していて気になった作品を紹介していくつもりです。コロナが収束するまで授業ができないので、西洋美術の参加者がせめてこれを読んでくれればと思います。もちろんお目にかかった事の無い方が、興味を持ってくださればこんな嬉しいことはありません。❣️

 

【本】古代ギリシャ・11の都市が語る歴史

題名:古代ギリシャ

副題:11の都市が語る歴史

著者:ポール・カートリッジ

監修:橋場弦

訳:新井雅

出版:白水社、2011年

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クノッソス神殿遺跡

白水社も一般向けになかなか良い本を出している。個人的には編集者の態度が酷かったという思い出があるけれど・・。これはとても良い本で、著者は古代ギリシャの権威だってだけじゃなく、人間的にも研究者としても好感のもてる人。訳も非常に読みやすい。ただこの訳者はリン・ピクネットの本も訳していて、彼女の本「トリノ聖骸布の謎」はとんでも本の最たるものなので戸惑ってしまう。だって「古代ギリシャ・11の都市が語たる歴史」はとてもまともな研究に基づいた冷静な見地で発言されているのに、あり得ない事を感情的に、しかも悪いことに一見科学的に見えるやり方で語るとんでも本は大嫌い。そういう本やネット記事が巷に溢れまくって、世界を偏見と無知で汚している。

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タイトルの本

それに引き換えこの本は、かつてのアテナイ絶対賛美に始まる一般的な思い込みを直し、古代ギリシャのポリスの実情を非常に理性的に語ってくれる。多くの古代ギリシャ関係の本が、アテナイに圧倒的な頁を割いているのにここでは写真のクノッソスに始まり、今はイタリアのシラクーサやフランスのマルセイユ、そして別のカテゴリーで扱われるビザンツを視野に入れていて全体像が把握できる。

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Siracusa, Sicilia

おおよそ年代順に都市が紹介されていて、全体で古代ギリシャ世界が理解できるというもの。先史時代ではクノッソスとミュケナイ、歴史時代初期にアルゴス、ミトレス、マッサリア、スパルタ、古典期はアテナイ、シュラクサイ、テバイ、ヘレニズム期がアレクサンドリアで回顧と展望としてビュザンティオンとなっている。古代ギリシャには驚くことに千程のポリスがあったそうだから当然だが、それらの都市と関連して様々な都市コリントスとかオリュンピュアなども絡んで登場。大体この本も随分前に買ったんだけれど、直接仕事に結びつくわけではないので後回しになっていたのを、このコロナ騒ぎで中止となったオリンピックの事がきっかけになって読みました。非常に読みやすいし時間があるので1日で読めたよ。本当にお勧め!

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スパルタ

写真の下の文字が 日本語だったりアルファベットだったりするのは、ギリシャ文字は日本人が馴染んでいるアルファベットと違うから。この本で興味深いことの一つが、語源について多くを語っていること。著者がクノッソスから始めたのも、そこで初めてギリシャ語の文書が用いられたからで、紀元前1400年頃。文書、文字こそ文化の必須要素で文化、文明とは都市のものという主張です。私も賛同します。それにしてもスパルタは何度も映画化されたりゲームになっているだけあって、本当に印象的。全てのスパルタ男子は7歳で両親から引き離され国家の下で日々軍事訓練に明け暮れる。時には死んだ後までも殴られ続ける。どこまでも怖い軍国主義なんだけど、それは同胞ギリシャ人を奴隷化してたから常に彼らの反乱に備えてのことだった。一時は最強最大のポリスだった。そんなスパルタでも驚いたのがテバイの神聖部隊で、これは少年と青年の150組の恋人たち300人を基本に作られた戦闘部隊だった。現代のLGBT関連ではとてつもなく高い興味を持たれているので、これに関しては嘘八百も含めいろんな資料がある。でもそんな恐ろしいスパルタで女性の権利が最も高く、土地を所有できたりする自由があった。この事実は私にムッソリーニ政権を思い出させる。ムッソリーニは残虐な性格の独裁者だけれども、軍国社会主義で、ある意味権利や社会参加の平等のような事があった。例えば昔日本の小学校で女の子が体育の時にはかされたブルマームッソリーニ政権下の発明だと読んだ事がある。それまでは脚を見せるなんて娼婦だというような時代に、全国民体育で鍛えよう!女子も器械運動!ということになってのことだとか。人間は難しい。そういえばレオニダスの名を知ってる人はチョコレートだと思ってない?スパルタの英雄的な死を遂げた王様です。人命辞典もついてて便利。

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アルゴス出土。オデュッセイア場面

この本の最後には、重要人物辞典、年表、重要用語集に貨幣と距離の単位がついているところなど、考古学の基礎を抑さえていてとても役に立ちます。地図はアレキサンダー大王の遠征とか要所要所に入っています。ギリシャ行ってみたくなるなー。でもその後の歴史に翻弄されて、古代ギリシャの栄光はほとんど目にするのは難しいし、古代ギリシャ最大の町の一つシラクーサなどを抱えるイタリアであちこち行って我慢します。特にシラクーサは個人的にも特別な思い出のある街で、神話的なアレトゥーザの泉などいつか再訪したい。

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デルフォイの神殿

基本的には戦争の記述が多い。それによって覇権が変わり街の衰亡が明確になるから。それだけではつまらない歴史の本になってしまうけど、ここでは風俗や社会の価値観などが具体的に理解できるように書かれている。当時の人たちにとって政治的であることはポリスの人であることで、それがどれほど価値のある当然のことだったかを痛感する。西洋文化の基礎知識として登場する思想家、哲学者、歴史家、時には芸術家なども王侯貴族に負けずに出てくるのが嬉しい。最後に、全ギリシャ人にとって一番大切だったデルフォイの神託の入り口に書かれていた言葉。

 

      汝自身を知れ  度を越すなかれ  過信は禁物

 

人間は進歩してるのかな。

 

【本】美しい書物の話:中世の彩飾写本からウィリアム・モリスまで

題名:美しい書物の話 中世の彩飾写本からウィリアム・モリスまで

原題:Fine Books

著者:アラン・G・トマス

訳:小野悦子

出版:1997年(オリジナル1967年)晶文社

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Kells

晶文社は一般向けに文化程度の高い本を沢山出していたので、中学から高校にかけて晶文社の本ばかり読んでいた時期がありました。もちろん当時は小説も沢山読みましたが、だんだんと思想や歴史、様々な分野の解説書などを読み始めた頃です。それは私の読書人生において、専門書の前段階として大変楽しい時期でした。

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この「美しい書物の話」は、かなり専門的な内容ではありますがオタク的な雰囲気はありません。西洋文化の基礎知識、というか書物こそ知識の源泉ですから、その源を知る良い機会を与えてくれます。著者は1927年にロンドンに書店を開き、大英博物館にも彼の編纂するカタログが納められるほどの人物です。高級で内輪な装丁の挿絵本(前回のブログを見てください)を偏愛するようなことは無く、書誌学的な知識が豊富で真に書物を愛する熱意ある人と思います。文章からは暖かい人柄も伝わってきます。

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Durrow

日本では副題までありますが、原題では単に「素敵な本たち」となっているだけです。著者にとってはどの本も素敵で素晴らしいからそうなったのだと思います。でも日本ではもう少し説明が必要だったのでしょう。ただウィリアム・モリスまでではなくもっと後まで語っているのですが。書物が文化にとってどれ程大切なものかを語り、一応年代順に手書き写本から始まります。特に取り上げられているのは「リンデスファーン福音書」で、「ケルズの書」には言及がありますが「ダロウの書」は出てきません。美術史をやっていると、その三つが三大ケルト美術書で、特にダロウは最も古くケルト的と言われています。ただ著者も書いているように、触れられない本は幾らでもあるので仕方のないことですし、逆にこの人の好みが分かる気がします。

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フランス王家の象徴を金箔で押した頁

   「書物を持たない教会は武器を持たない軍隊のようなものだ」
                           聖王ルイ

著者はイギリス人なので当然イギリス人の作家や画家、場所などの比重が大きく、誰でも読めるようにはなっていますが、読者の中心はやはりイギリス人を想定していると思います。最後に「印刷を改善するための現代の運動がイギリスから始まったと主張することが狂信的愛国主義だと思われないことを私は願うのである。(以後表記がない限り「美しい書物の話」からの引用。187頁)」と書いていますが、まさに反知性的な愛国主義が幅をきかせる現代(彼が書いているのは1960年代)、大変知性的な発言に思われます。そして、この本は一部のお金持ちのための豪華本ではなく、文化のための本と言う本来の意味を忘れてはいないので、出版物が対象ですから手書き写本の話は冒頭のみ。七、八世紀のケルトナポリの影響を受けていたり、ケルトの修道士が開いたボッビオ(北イタリアの街)や、ベネディクト会の総本山で「薔薇の名前」のヒントとなった中世の大出版局スビアコを愛する私としては、やはりイタリアこそ文化の源と思ってしまいがちですが・・・。

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初めてスビアコへ行った時に買った本

上の本は私が初めてスビアコへ行った時に買った本です。当時は読めませんでしたが、いつか読もうと思って買っておいて良かった。その後何度かスビアコへ行っていますが、どんどん観光地化されてお土産ばかり増えました。美術旅行でみんなを連れて行った時には、マウリツィオ修道士の案内付きで素晴らしい見学ができ、図書館長様にもご挨拶いただきました。まさに「薔薇の名前」みたいな長身痩躯の図書館長。気の弱そうな優しい修道士が、私たちの案内役の活力修道士に命令されて説明してくださいました。上の本は「マインツからスビアコへ」と書いてあります。グーテンベルクによって活版印刷が盛んになったドイツから、ルネサンスのイタリアへやってきた印刷技術者たちの話です。

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「美しい書物の話」104−5頁

「美しい書物の話」の中心の一つは、活版印刷が発明されて以後の職人的な技術者や、学者的な出版者などにあります。グーテンベルグと出資者フスト、タイポグラファーのペーター・シェイファーに始まり、先のスビアコで活躍したドイツ人スヴェンハイムとパナルツ、初期出版の要だったヴェネツィアに初めて出版社を開いたスパイアのジョンとウェンドリン(彼らはローマ自体活字の生みの親)、フランス王からマインツへ印刷技術を盗むスパイとして送り込まれたニコラ・ジェンソン(彼には、デザイナーにとって最も重要な要素スペーシングという感覚があった。)、そして技術者というより学者であり歴史を通じて彼ほど文化に貢献した人はいないとさえ言われるアルドゥス・マヌテウス(イタリア語ではアルド・マヌーツィオ)が登場します。彼の「ヒュプンエロトマキア」程史上有名な本はありません。彼は王侯貴族のために豪華本を制作するのではなく、良質な内容の本を多くの読者に伝える意思を具現化します。ポケット版サイズ(今の単行本の源)はまさに革新的。下の「ヒュプンエロトマキア」の挿絵は、鑑定家たちが、今までに表現された中で最高に素晴らしいと考えているものです。撮っている時に歪んでしまって本来の単純明快な美しさが損なわれ残念ですが。

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ヒュプンエロトマキアの挿絵

「1455年のグーテンベルク42行聖書」と1499年の「ヒュプンエロトマキア」は同等の、しかも対照的な卓抜さで、インキュナブラの時代の相対する両極から向かい合っている。グーテンベルクの聖書は地味で厳格にドイツ的でゴシック的でキリスト教的で中世的である。一方、「ヒュプンエロトマキア」は晴れやかで優雅にイタリア的で古典的で異教的でルネッサンス的である。この二つは印刷技術の最高傑作であり、人間の努力と欲望の二つの極に立っている。(118頁)

 

インキュナブラとは初期活版印刷で制作された本を指します。

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75頁。シエナの聖カタリーナの肖像画

アルドの素晴らしい功績は幾つもありますが、傾いたイタリック体の発明もそうで、聖女の持つ本と心臓(ハート)の形の中に初めて現れるそうです。それは教皇庁の写字生が使用する、速記できる明瞭な書き方に基づいたものでした。上の聖人カード(スポーツ選手やアイドルのカードのようなもの。中世のアイドルは聖人!)は木版画ですが、木版で挿絵も文字も同時に刷られた時代の説明が続きます。

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120頁から

本の半分を過ぎた頃からイギリスが話の中心になります。上の図は一見して明瞭なように、木版でなく銅版です。18世紀末から19世紀半ばにイギリスで大いに流行ったアクアチント(腐食銅版画)で、ピカレスクな風景画が沢山印刷されました。ピカレスクとはピクチュアからできた言葉で、絵のような風景というか写真のような風景というか難しいところですが、18世紀に支配的だった人工的な理想美(古典風)に対して、荒々しいドラマチックな自然美(ロマン派)を求める感情から生まれた風景画のことです。この本には書いてありませんが、特にグランドツアー(イギリス人等が紳士の教養としてイタリアを数ヶ月から数年ほどかけて旅する)の流行と共に、古代ローマの遺跡と風景を組み合わせて作った「廃墟の美」なども現れます。イギリス人は廃墟好きなんですね。著者も言っているように、イギリスは視覚芸術に関してイタリアはおろか、他の国と比較し劣っているのですが、水彩画には素晴らしい作品や画家がいます。ビクトリア朝の文化が花開く中、イギリス風庭園と共に美しい書物も生まれました。ターナーはあまりにも有名ですがトマス・ガーティン、ジョン・セル・コットマンなどが彫版師として仕事をしました。その中には1825−6年に出た「イギリスのスパイ」などという本もあります。流石007の国です。才能あるプロデューサー、アカーマンは1795年にロンドンに「芸術品の宝庫」という店を出し、家具や装飾品などで大成功しましたが主力商品はアクアチントの版画や書籍でした。「ロンドンの縮図」「ジョージ四世の戴冠式」など世界に冠たるイギリス(現在もその悲しい影響が続いている植民地支配による)を目で見る形にしたものという印象です。ゴシックリバイバルや革命の時代にイギリスは、それまで馬鹿にされてきた文化の無い国から、巨大な文化都市へ大躍進します。そしてそれがウィリアム・モリスを代表とする運動へ繋がってゆくのです。それが大きく分けてこの本の最終段階です。

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Kelmscott Press

ウィリアム・モリスの名前を知らない人でも、どこかで彼の作品を目にしたことがあるかもしれません。余談になりますが、国立(コクリツでなくクニタチ)に銀杏書房という小さな本屋さんがあります。元は一橋大学用に経済関係の洋書を扱うお店でしたが、店先には海外の低価格の絵本やデザイン関連の本が並んでいます。お小遣いで買ったウィリアム・モリスのデザイン集やヴィクトリア朝時代の装飾本で、刺繍したり絵を描いたりしたものです。彼は一般にはデザイナーとして知られています。装飾芸術家として後世に絶大な影響をもたらした人ですが、詩人であり社会運動家であり大変才能に恵まれた人でした。ラファエル 前派の人たちとも交友がありますが、彼らよりずっと新しく芸術家という枠には収まらない人です。私はモリスが大好きですが、それは単に彼のデザインが美しいだけでなく彼の思想が純粋で美しいからです。産業革命ですっかり醜くなった(この本の著者もそう見ています)ロンドンやイギリスの街町から生み出される大量の商品は、著しく質を落としていました。印刷も然り。モリスは産業革命の負の面から、手仕事の価値を見直します。彼の理想は中世の手仕事にあったので、写本を多く研究し自らの出版社を作りました。それがケルムスコット・プレスです。彼にはバーン・ジョーンズというオックスフォードで共に学び生涯親友だった画家がいました。ジョーンズは後期ラファエル前派の代表的な画家でもあります。ジョーンズの挿絵、エマリー・ウォーカーというプライヴェート・プレス(私的出版社とでもいうのだろうか)の立役者らの力を借り、自らは新たな美しいローマン体活字を編み出しました。彼が最初に印刷すると決めていたのは中世最大のベストセラー「黄金伝説」(聖人たちの生涯を綴った伝説集)だったので、そこからモリスの活字をゴールデン・タイプと言います。

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Nowhere

上はモリスの小説「どこにも無い場所」(日本では「ユートピアだより」という訳)です。 これは22世紀のロンドンを描いたもので、彼がSFファンタジー小説の父と言われる所以です。モリスの理想とした社会主義革命が達成されたロンドンでは、ヘドロ状態だったテムズ川は澄み渡り、機械の一部と化していた人々は喜び勇んで労働し、彼らが住んでいる家はアーツ・アンド・クラフト(工芸美術)運動によって生み出された、職人の暖かく美しい家具で満たされているのです。22世紀がすぐそこに迫った今、私たちは世界はモリスとは正反対の方向へ突き進んでいるのを実感せざるを得ません。精力的な彼も病気には勝てず、情熱的なモリスの仕事と思想をになったケルムスコット・プレスは終わりを迎えますが、彼の影響は多くのプライベート・プレスを産みました。その一つがアーツ・アンド・クラフトという言葉を創始したコブデン=サンダスンのダブス・プレスです。サンダスンは法廷弁護士として成功してたにも関わらずモリスのような工芸の人になったのでした。モリスと違って心の狭い人だったみたいな挿話があります。それは死んだ後に自分の活字一式を誰にも使わせないために、テムズ川に投げ込んだというのです。しかも本当なら死後はエマリー・ウォーカーのものになるはずだったのに・・。でも同じことをした人が他にもいました。バルビゾン派で最高の画家(と私は思う)カミーユピサロの息子ルシアンが活躍したエラニイ・プレスの創始者リケッツ、彼もテムズ川に活字の母型などを投げ込んだのです。テムズには愛憎渦巻く歴史が詰まっています。

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T.J.Cobden Sanderson, 1902

ケルムスコットが余りにも手の込んだ美しい観る本を作ったのに対して、サンダスンのダブス・プレスはハイセンスな読み物です。「創世記」の冒頭 " In the biginning " (はじめに・・)が、無駄の無い、しかしよく考えられたデザインに現れています。こうすることで言葉の持つ力強さやリズムまでが印象に残るのでは無いでしょうか。

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1903-5年に製作されたダブス聖書

イギリス中に文房具のチェーン店を展開するホーンビイが作ったアシェンデン・プレスのセミ・ローマン体は、ベネディクト会の総本山、スビアコという名前です。彼が最初の活字職人たちを研究したのがよく理解できます。

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ティーブン・グッテンのデザイン

プライヴェート・プレスを革新したのがナンサッチ・プレスです。「タイムズ」のタイポグラフィーを見たことが無い人は珍しいのでは無いでしょうか。そのモリスンとメイネルによるこの出版社は、機会を上手く利用し圧倒的に部数を伸ばしました。もちろんグッテンのような才能ある画家の挿絵も重要です。メイネルは「作品の意義、版の美しさ、適切な価格」を重要視し成功したのです。それら全ては現代の資本主義が忘れ去ったもの。ナンサッチ・プレスの傑作はダンテの「神曲」でボッティチェッリの挿絵が入っています。

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元ヴァチカン図書館

最後はアメリカのプライベート・プレスの紹介で終わります。多分彫刻師や出版業者の名前などほとんどの人には、覚える意味はないでしょう。でも人間と文化と社会との関係を考えることのできる本にもなっています。私は素晴らしい本だと、思いました。図書館や古書などで是非読んで欲しいと思います。 

 

【本】挿絵本とは絵の付いた本ではない

先に紹介した「西洋挿絵見聞録」を中心に自分用にメモします。

 

●中世の写本

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中世の写本

一点物。手書き。大型大重量、革(パーチメント・ヴェラム)、絹、宝石・貴金属・象牙エマイユ象嵌、モザイク 、他

キリスト教、修道士による

 

●1450年代に活版印刷が発明される

 

●Aldo Manuzio / Aldus Manutius アルドゥス・マヌティウス(羅)

1452c~1515 


イタリア人、Roma, Ferarra,ラテン語ギリシャ語、学者

1494年c Venezia 印刷所・出版社

1495年ギリシャから亡命したラスカリフの文法書が出発

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アルドゥスの印

1499年 Hypnerotomachia Poliphili は一斉を風靡し美術作品も多い

プラトンアリストテレスらのギリシャ語、ペトラルカのラテン語など131点出版

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Francesco Colonna

人文主義的装丁】15世期イスラムから革に金箔押し技術伝来

印刷(時代的には手書き写本と共存)、一部手書き

Aldain Italic ゴシック体から読みやすいイタリック書体の発明(ローマン体)

携帯用の小型本、手すき紙の頁(軽量化)、総革装丁。

 

●Jean Grolier de Serviers ジャン・グロリエ

1489c~1565 フランス人、リヨン。父の後継としてフランス領ミラノ公国の財務官。

アルドゥス、エラスムスなどと親交。(下図はヴェネツィアのアルドゥス出版社における二人。黒衣がアルドゥス。)

1521年帰国後パリ財務長官。フランスに豪華で壮大な蔵書をもたらした。

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Francois Flameng

1884年 アメリカNYに愛書家のためのグロリエ・クラブ誕生、健在。

日本では神戸に「ぐろりあそさえて」が昭和初期に誕生。

【グロリエ様式】 ジャン・ピカール工房で制作。総革に金箔型押し。

幾何学文様にの間に曲線的な植物文様を配す。西洋装丁の基礎を作る。

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グロリア様式

ロココ挿絵本

もっぱら恋愛、エロチックなテーマが主流。挿絵はエングローヴィング、エッチングで雅宴画。艶笑物など。フランス革命まで隆盛。ラ・フォンテーヌはボッカッチョらのエロティックな話ばかり集めて、編集脚色したら大受け。修道院に尼僧に化けて潜入した男が修道女を妊娠させ、大騒ぎになる。誰が犯人か皆裸になっているところ、紐で一物を縛って女のふりをするが、元気過ぎて紐は千切れ正体がバレるも、最後にはお仕置きも上手く逃れる。

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艶笑鏡

この話は大流行したので、様々な絵師がエッチングを制作した。下図など、紐が切れ男の一物が修道院長の鼻眼鏡を吹っ飛ばした瞬間を描いている。こんな物に偉そうな総革の金箔押し装丁を施していた。「あれ〜っ!」て声が聞こえてきそうではある。

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ラ・フォンテーヌの同じ話

●暗いエロスの時代へ

1782年「危険な関係ラクロ著。公序良俗便覧。

マノン・レスコー」サド、ヴォルテール三島由紀夫仮面の告白

 

●イギリスの同時代で重要なのは「ベントレー挿絵によるグレイ6詩篇

出版をお膳立てしたホレス・ウォルポール(英首相御曹司でゴシック小説の父)の飼い猫の死が含まれる。夏目漱石吾輩は猫である

 

●モード本

1590年 Cesare Vecellio " De gli habiti antichi et moderni di diverse parti del mondo"

ヴェチェッリオ「世界の様々な場所の古代から現代までの衣服」木版画400点以上

大航海時代に入り、世界の様々な文化が知られるようになる

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Vecellio

1770年 「レディス・マガジン」イギリス

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英国式

1778年「ギャルリー・デ・モード」女性ファッション雑誌創刊

Fashin plate の流行は20世期にポショワール(ステンシル)で極まる

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フランス式

1912年に創刊されたLa Gazzette du Bon ton(ガゼット・デュ・ボン・トン)は私も子供の頃から大好きで、何冊もヴォーグの画集になったものを持っていました。父方の家には古い西洋やインド(時にはアフリカの)の素敵なものがたくさんあって、子供の頃から馴染んでいました。美大時代には、真似て描いたり、自分の服を絵から起こしたりしたものです。抜群のセンス❣️

 

●ゴシック・リバイバルロマン主義

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celestin Nanteuil

19世期はイギリスの覇権が世界に広がるため、イギリス式がフランスでも席巻。

 

●ジャンセニスト

無装飾の総革装丁

 

●カルトナージュ(厚紙製本)

19世期に本は手工業製本から工業製本(手仕事多し)に移行。

購入した人物が装丁をするのではなく版元が装丁まで行うように。

ドン・キホーテ」「ファウスト」など

 

●画家本:画家の絵が主体で文字はほとんど無い大判(タトウ)の連作物

コメディー・フランセーズからシャイクスピアへ

ドラクロワハムレット」画家本で最も価値があると言われているらしい

シャセリオー「オセロ」など版画連作

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1844 Chasseriau

ギュスターブ・ドレ「風流滑稽譚」バルザック

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Balzac, Gustave Dore

本国フランスの愛書家には大衆向けの挿絵と馬鹿にされたが、英米で人気を博したドレは、小口木版画の挿絵本を多数作成し後世に絶大な影響を与えた。

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狂乱のオルランド

1832年アルザスに生まれる。12歳で初のリトグラフ集「ヘラクレスの12の功業」を出版すると、出版社からパリに呼ばれ15歳からプロとして様々な新聞、挿絵、版画集、油彩、彫刻など1万点を優に越える作品を残した。中には自身の著作「神聖ロシア帝国の歴史」も含まれる。フランス以外にイギリス、ドイツ、ロシアへも作品を描き、国際的な成功を収める。ラブレー全集はじめダンテ等大家の連作挿絵本は現在も様々な国語で出版されている。にも関わらず、伝説的大女優サラ・ベルナールへの恋は叶わず、51歳(心筋梗塞)で失意のうちに亡くなった。

 

私にとってもドレは芸術家というより物凄く巧い挿絵画家でした。初めてドレの作品を見たのは子供の頃で「ほらふき男爵の冒険」です。めちゃくちゃシュールな物語で大好きでした。そうだ。コロナ暇の間に読み返そう!これは家にあったのですが、自分で買った物にはダンテの「神曲」と上図の「狂乱のオルランド」があります。正直言ってイタリア語をやっているとダンテは避けて通れないんだけど、あんな物全部読める訳が無いからドレは最高です。彼のお陰で全部通して知ることができます。読んだ気にはならないけれど、ドレの絵は完璧なデッサンと、力強い線、ハイライトの入れ方などが素晴らしく、彼に関しては、私はやはり油彩より版画作品が好きです。オルランドに関しては著者アリオストのファンなので、カルヴィーノの解説入りとかいろいろ持っています。そういえばこの三作品には共通点があるのに嫌でも気づかされます。この世を超越した(超現実的)部分があるのです。う〜ん、普通の恋愛映画とか見てらんないわけですね。

 

ウィリアム・ブレイク 1757~1827

独自に考案した凸版腐食銅版画で、絵と言葉を同一版面に描き着色。illuminated printing

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Songs of Innocence 1794

1789年の「無垢の歌」(上図)は30部程しか現存せず、1794年に合本された「無垢と経験の歌」もほぼ同数しかない。何度も複製されたが、それも貴重。

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William Blake

ウィリアム・ブレイクはすごく変わった人。出版社からでなく自身の印刷機で制作することで、出版社から独立した。その自立、独自路線は一貫して彼の作品に見て取れる。愛書家喫水の「無垢の歌」より上図の怪物悪魔の方が一般には有名で、映画や犯罪物ドラマなどにしょっちゅう出てくる。靴下職人の息子としてロンドンのソーホーに生まれ、職人としてスタートするけれど、オカルト、預言者などこの世を超越した存在が大好きな彼は詩人でもあり画家でもあり、思想家じみている。なんかさっき書いた誰かと同じだな〜と思うけれど、私は彼の絵自体が好きではないのでファンとはいえません。面白いし気持ちは分かるけれど、いかんせん彼のひく線がヤな感じ。現在のアニメを先取りしてる感も強いので、あちこちの作品で使われるのだと思うし、中には私も好きな作品がある。有名な「日の老たるもの」、神様がコンパスを使って世界を想像してる姿がカッコいい。晩年はダンテに傾倒して、死ぬまで「神曲」を制作した。そのためイタリア語の勉強も始めた。改めてダンテの凄さを痛感するな〜。

 

●「悪の華ボードレール 1857

贅を凝らした愛蔵本に蔵書票(自分の物ですっていう印)を貼り、家具の様な本棚に並べるのがベル・エポックの愛書家の夢で、その中身で大流行したのが「悪の華」。モロッコ革の無地の装丁(ジャンセニスト)は再販なのに420万円で落札。かつての所有者が名高い愛書家というのが重要な様だ。初版本ボードレールの手紙付きは4400万円(1999年のロンドン・サザビーズの話)で、この年パリ、ロンドン、ニューヨークのオークションで、ボードレールの3冊は合わせて1億5千万円だとか・・・・????

 

悪の華」ならペーパバックやネットで読めますよー。

 

●削除本・無削除本

原本の内、問題ありとして有罪判決を受けるなど削除された部分のある本を削除本という。このほかに削除補填本もある。

 

ボードレール 1821 Paris ~1867 Paris

ボードレールは有名だよね。毎日学校が終わると図書館へ通っていたので中学生の頃には「悪の華」はお馴染みでした。と言っても一応読んだのはずっと後だけど。一応って書いたのは、好きじゃないから教養として速読したので。好きな本や、考えたい本は時間をかけて読み直したりするけど、私にとっては、ボードレールはそういう類のものではなかった。大体詩って翻訳で読む意味がどれだけあるのか昔から疑問で、高校生あたりから詩はオリジナル言語でしか読まなくなった。こう思ったきっかけはジャムとランボーの詩集を買ってもらって、期待して読んでみたら、それまで読んでいた日本人の詩とは全く違ってほんと読み難かった。ってことは、私が読める詩は日本語、英語、イタリア語に限られる。フランス語が堪能ならボードレールも見直すかな〜?疑問。だって後ろ向きの人好きじゃないし優しくない人も嫌いだから。

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Les Fleurs du mal

ボードレールってめちゃくちゃ勝手な人で、幾ら尊敬するお父さんが6歳で死んでお母さんが再婚したからって、一生恨むなんて心が狭いよ。養父は悪い人じゃなかったみたいだもん。「彼の服装には襞一つとして無駄なものは無かった。」っていうくらいウルトラお洒落だったんだけど、中産階級ではあり得ないお金の使い方をして、親戚に旅に行かされた。お金使わせないために「世界一周してこい」なんて、なんて羨ましいと思うけど心の狭い彼には世界は広すぎて、パリに帰り、散財しまくり、問題起こして準禁治産者状態で貧乏のうちに死んだ。

 

悪の華」は101篇の詩集で、序「憂鬱と理想」「悪の華」「反逆」「葡萄酒」「死」で構成される。(共感するのは反逆って言葉だけ。)これだけで内容が分かるけど、退廃的官能的個人的。重要なのはフランスにおける韻文詩の始まりであり、象徴主義ってとこが各国の詩人たちに影響を与えた。ほぼ20代の時に書かれていて、ランボーもそうだったけど天才で売り出しあとは凡人ていうのも、私にとっては真の天才じゃ無い感じ。早熟は当然として、歳をとってなお新しい人こそ、真の天才って私は思ってるので。画家とか文筆家などに時々いる。101篇の内6篇が問題になった。「レスボス」「地獄に落ちた女たち」「陽気すぎる娘へ」「宝石」「吸血鬼の変身」がそれ。今は普通に読める。けど読書メーターで感想を見ると、揃って「あまりに退廃過ぎ、分からん」って感じです。

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ボードレール自画像

それにしてもボードレールってたった一冊の、しかも若い時に書いた詩集しかない割にものすごく有名です。死後エッセイが出てるけど、後世への影響という点では、絵の才能もあったので、美術評論をやっていた。ドラクロワを擁護したっていうのが通説だったけれど、最近はドラクロワに取り入っていた、というふうに解釈が変わってきている。昔ほどボードレールが流行らなくなったってこともあるかも。でも詩人が美術評論をするっていう先例を作った。

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Buffalmacco

ちなみにこのブログを書いている元となっている「西洋挿絵見聞録」気谷誠著161頁に、ボードレールが「悪の華」の中の「悪僧」の元としたのは、カンポサント(ピサ)のトライーニのフレスコ「死の勝利」だとあります。でもトライーニ?それってブッファルマッコの間違いですよね。日本版のボードレール全集に、イタリアから送られてきたフレスコ の絵がそのまま載っていて大変貴重だとか、ベレンソンが「イタリアの産んだ中世における最も偉大な作品」と言ってるとか結構書いているので、間違いをここに記しました。 ブッファルマッコは中世や美術史を勉強すれば、すぐにお目にかかる非常に有名な画家で、ボッカッチョが作品の中で何度も彼をモデルに使ってたりする人でもあるので、直しておかないとね。この本には、時々美術に関して疑問に思う点がありました。カンポサントのフレスコ はほとんど修理が終わったところで去年(2019)観てきたら、以前よりずっと綺麗になっていました。

 

追記:ピサのカンポサントの名高いフレスコ画は1333年頃Francesco Trainiから始まったのは事実。でもその後14世期を通じて作品を描きあげたのはBuonamico Buffalmacco, Taddeo Gaddi, Andrea Buonaiuti, Spinello Aretino, Pietro di Puccio, Benozzo Gozzoliで、問題の「死の勝利」の画家はMaestro del Trionfo diella Morte (死の凱旋の親方)と言われてきました。近年の研究ではそれはBuffalmaccoだとされていて、写真にも載せた通りです。

 

ベル・エポック空前絶後の愛書家出版の戦い

1914年までに主要なものだけで8つの愛書家クラブが設立され、挿絵本を競った。

「美書を生み出すのは一人の芸術家では無い。愛書家、出版者、挿絵画家、版画家、製本家」だそうです。(同書164頁)

 

最高傑作はメリメの「シャルル九世年代記」で、エドモン・モランの腐食銅版画で、透かし入りの手隙紙(和紙が最高)。115部が会員に配布された。

愛書家によると

1)著名な文芸作品に

2)繊細な銅版画や木版画

3)規則正しく配し

4)透かし入りの上質な紙に

5)100部ほどを吸った限定出版

いかに豪華な挿絵本であっても装丁をしなければ紙同然???

が挿絵本なんだって。イラストレイテッド・ブックとは違うらしい。

当然書店にも図書館にも並ばない。版元から愛書家に渡り、好みの製本を施し書斎に納めれば、もう誰の目にも触れない。これってまさしくオタク。不健全だ〜。メリメだって大勢の人に読んで欲しかったと思う。みんなじゃ無いけど。

有名なのがパリのコンケとカルトレ書店。

大金持ち相手に注文で商売する、中世みたいですな。

 

 

●マリユス・ミシェル

当代随一の製本家。アール・ヌーヴォーアール・デコなデザインがかっこいい。

http://bibliotheca-g.jugem.jp/?eid=50

今更だけど、著者のブログです。言うまでもなく私と真逆のスポンサー付き。ここでマリユスのデザインが見られます。

 

●蔵書票 Exlibris Bookplate

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15世紀の修道院蔵書票

本は昔宝物だったので、入手した人は自分の所有物であるという印を、本に貼り付けた。それが蔵書票。上図は修道院が所有している本に貼る。西洋の本が取引されるようになると、日本では蔵書票は本のデザインの一部と勘違いしてしまったようで、最初から蔵書票のような印が内表紙や裏表紙に印刷されたり、表紙のデザインとなったりした。この話は面白い。

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デザインになった蔵書票

こんな感じ。日本のアールデコ時代のイラストって大好きです。子供の頃大好きだったのに北原白秋の詩集があります。アールデコな版画が印象的でした。白秋は凄くおしゃれだからアートディレクターでもあった。

 

私も読書家だからと言って、イタリア世の蔵書票をいただいたことがあった。薄緑色の景色が彫られた版画で、中程が空間になっていると言うもの。そこに名前を書くんだろうと思って、最初は入手日と名前を書いていたけれど、とてもじゃないけど全部に貼ってられないので辞めました。モロッコ革の金箔押し装丁を発注したこともないので。

 

あー疲れた。もし読んでくださった方があればお疲れ様です。 

 

ウィリアムモリスについては別に書きます。

 

【本】西洋挿絵見聞録:病跡学、鯰、エログロなど未知のもの

題名:西洋挿絵見聞録 製本・挿絵・蔵書票

著者:気谷誠

出版:2009、2010年 アーツアンドクラフツ

 

すごく変わった本だった。忙しかったらとても読めなかったと思うけど、コロナのため収入は激減した代り時間はあるから、普段読めない本を読んでいて、その内の一冊。こんな趣味に走った本がまともな値段で、しかも二版も出ているなんて驚きです。

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本との静かな悦楽

中野の「まんだらけ」でこれを見かけた時は、印刷、版画、ポスターなどに関する資料を探している時でした。この本も関連はあるけれど、いわゆる美術史でもなければ芸術論でも全くないし、印刷技術の話でも無い。よく知らない世界でした。帯には「ルネサンス期、アルドゥスがイタリック体で作った小型本から、総革装に幾何学模様金箔押しのグロリエの装丁本、さらにロココ時代の艶笑本挿絵、ベル・エポック期に沈没したタイタニック号に積まれた宝石本など、西洋の挿絵・製本・蔵書票のエピソードを綴る。惜しまれつつなくなった著者最後のエッセイ。」とあります。アルドゥスはイタリア史や美術史、西洋史をやっていれば知ってて当然の重要人物だし、図版170点というのもあって買ってみました。

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メリヨンとパリの銅版画

この本と並んで「風景画の病跡学」という上図の本があり、よく見ると同じ著者のものでした。病跡学って言葉、専門用語です。なんとなく知っていたけれど調べ直しました。日本病跡学会というのがあったのでサイトを見てみると、トップページには「年会費を納入してください!」という言葉と住所だけがあります。日本全体が貧しくなってるから、この学会も潰れてしまいそうなんですね。で、内容はその学会と福島章氏によると「精神医学や心理学の知識で天才といわれる人々の、個性、創造性などを研究するもの」。でランダムハウス(英語辞典)には「著名な芸術家の精神生活の異常性が創造性に及ぼした影響などを調べる研究。米国人作家J.C.Oatesの異常行動をテーマとした小説。ドイツ人精神科医P.J.Mo(¨ウムラウト)biusが1917年に作ったPathographieが源。」ということが分かりました。小説は、今で言うBAU(Behavioral Analysis Unit)かな?海外ドラマ「クリミナル・マインド」初め、今では定番の行動分析物ですね。

 

で、買った本は古本だけど新品みたいに綺麗だったから、読まずに出したんでしょうね。ちなみに図書館は気持ち悪くて使えないという人がいますが、コロナのご時世ではよく分かる。でもどうせ私の読む本は皆、ほとんど読まれていないかわいそうな本なので綺麗なもんです。

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同著者の別作品

この題名なんか私には読めませんでした。魚と念と書いて「ナマズ」だそうで、江戸時代のパロディ浮世絵のジャンルだということが分かりました。ナマズ地震を感知するという民間信仰から始まり別ヴァージョンがあります。はしか絵とかあわて絵とかいうそうです。表紙の絵は鹿島大明神が鯰を押さえつけている場面でした。興味があれば

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AF%B0%E7%B5%B5 

Wikiを参考にしましたのでどうぞ。

 

この著者は、展覧会の企画に関わったり、何冊も出版しているのでその筋では名の通った方に違いありません。が、印象を一言で言えば、完全無欠のオタクな内容でした。

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西洋挿絵見聞録のカバーを外したところ

印刷や出版の揺籃期はイタリアです。イタリアは今、本当にコロナで苦しんでいるけれど(海外がびっくりする危機感の無い日本がそうならないよう祈るばかり)世界史、特に文化史におけるイタリアの貢献はどれほど大きいかしれません。イタリアで出版が盛んになったのはルネサンス期なので、相手は主に富裕市民ですが、一般市民にも門戸が開かれました。中世には本は宝石同様で、内容は聖書に限られていましたが、古典古代の小説や歴史、ダンテやペトラルカなど格調高いものから、ボッカッチョのようなエロチックな小噺(艶笑本)も出てきます。それが著者の愛するロココ時代のフランスで様変わりし、装丁を競う物になっていくのです。昔、本は表紙の無い状態で売られていて買った人が、好きなように装丁したのです。挿絵も買った人が、版画家や時にはドラクロワロートレックなど名の知れた画家に描かせたりします。装丁の革の素材やデザインに凝る愛書家と言われる人たちです。千個以上も宝石を散りばめた豪華な装丁の本が所有者の愛書家と、タイタニック号と共に沈んだ話はまさに象徴的でしょう。私の受けた印象では、愛書家という人たちは趣味の権化と化した大金持ちで、俗っぽいというものです。亡くなった人を悪くいうものではないし、非常に丁寧に調べて書かれたもんですが、この著者も大金持ちに違いない。だってサザビーズやクリスティーズで世界の金持ちと争って入手した本を沢山所持しているんだもん。世界の特別な古書店(古本屋とは言わない)から連絡が来るし、展覧会へ所蔵品を何店も出品できるような人です。

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豪華さの追求

私が愛書家という人たちを素直に受け入れられないのは、本の内容が俗なことです。時にはエログロとしか言いようが無い場合もあり、とても残念です。アルドゥス(イタリア語ではアルド)は見た目なんかより、内容にとても気を配っていました。少しでも多くの人が知的で文化的な環境に置かれるように生涯努力したのです。とても尊敬します。対してここに出てくる愛書家は、たわいもない恋愛や通俗的で下品な話などを、高価な装丁で仕立て、手触りやデザインの素晴らしさを誇っています。私も美術史家の端くれだから、デザインや美にはとても興味がありますが、これは違っていると感じるのです。本の命はその思想にあり、何千万円とか億とかで取引される豪華さや珍しさにあるのではないと思うのです。だからこういう人たちを愛書家と素直に呼べません。でも本を大切にする気持ちは共通のものですし、彼らとは全く違ったやり方ですが、私も本を愛しています。装丁にも様々な様式があることを確認しました。この本ではなんとなく知っていたことが、確認され勉強になりました。

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工芸製本は確かに素晴らしい

http://www.frgm-reliure.jp/reliure/

上のサイトは、装丁を日本で現在行っている人たちのサイトです。作品や解説など載っているので見てください。いつか古い訳の聖書でもお願いできたら、と夢見ながら。

 

【語学】語学勉強は必要か?

首都大学東京のオープンユニバーシティで講座が持てるようになってから、ただの一度も授業がなくなった事はありませんでした。それが半年以上開校されないなんて、恐ろしやコロナウィルス!因みに私の受け持ちは「西洋美術史」と「イタリア史」です。世界遺産世界一のイタリアですが、コロナ世界一で日本人に知られる事になるとは夢にも思っていませんでした😭

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世界遺産ピサの奇跡の広場

オープンユニヴァーシティというのは、人数が集まらないと開校されないので、多くの講座が開校されないまま閉じてしまいます。中には真面目な良い講座もあるのに残念ですが、それが資本主義というか民主主義というか大衆化というか近代化です。社会主義だったら「難しい」とか「つまらない」という理由だけで、真面目な良い内容の講座が開かれないような事はありません。と言っても公務員と同じで、どんなにしたって辞めさせられないと思えば講座の内容も低下するということも容易に考えられます。悲しきかな人間。結局、世界史的に社会主義共産主義も含め)が滅んだのは意味あってのことでしょう。と言って今、世界中で資本主義が行き着き、その弊害があらゆる点で現れています。私たちは、社会主義と資本主義のいいとこ取りの福祉国家を目指すべきだと思います。

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普段は入るのに何時間も並ぶフィレンツェ大聖堂

私は小学生の低学年の頃、世界にお金は幾らでもあるのか、それとも限界があって、誰かが儲かるという事は、誰かが損をするという事なのかと考えました。実際にはそんなに単純なものではありませんが、そういうことを考えない、自分の利益しか考えない人が大儲けできるのが実情です。もちろんそうで無い場合もあります。追求してきたことが、世界の要求にあって莫大な利益が出、それが社会の役に立つならば夢のような話です。特別な才能のある人も、スポーツの世界などでは極端に儲かります。タレントや俳優という一部の、収入が両極端な仕事もあります。私は極端な収入に対しては常々疑問を感じています。世界中に、生きるか死ぬかの人が幾らでもいる一方、大勢の人を救えるだけの収入を独り占めするのは、正しいことでしょうか。

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ドナテッロのマグダラのマリアにも祈って欲しい

すみません、つい話が逸れてしまいます。要するに資本主義では、一眼で分かる簡単な内容の事=大勢を楽しませるような内容しかお金に直結しないので、文化はどんどん低次元化します。私も体の一部のように使っているコンピューターの発展も、ある意味で人間を反知性的にしました。本を読むことが以前に増してできなくなったのは、文化の崩壊につながると思います。長い凝った文章を正確に読解するための語学力は、もはや日本人にあるのか疑いたくなります。言葉は「考える」ための道具であり、困難な問題を考えるためには必要不可欠なものです。政府がどんなに不真面目で、理屈の通らない答弁をしても無関心な人たちは、きっと言葉が分からないのだと、最近私は思うようになりました。海外では「不思議な日本人」と言われています。自分たちが住んでいる社会なのに、発言の意味を考えもせず投票する程無責任な事はあるでしょうか。

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12世紀の天使もどうか世界のために祈って

他国の語学を学ぶことの最大の意味は、外から日本を見ることができるようになる事です。世界には、様々な考え方や価値観があるということを、言葉を通じて理解できます。大体、文法自体、西欧文法は日本語と比較し大変合理的で正確に作られています。数学的な正確さが求められ、話者の意見が明確に伝達できるようになっているのです。それだけで、言いたいこともよく分からず、何気なく話し始めて、すっかり話が何処かへ行ってしまったというような、日本語にありがちなことは不可能です。私は、そのことを痛感し、話す前に意見を確認するように(一瞬でするのですが)頭を切り替えました。

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コロナでがんじがらめの世界

何が本当に正しいかは誰にも分かりません。でも情報は多いほど真実に近づけるし、真実を理解するためには、それを読み解く力が必要です。それには知識をつける必要があって、知識の基礎は言葉なのです。朝から晩まで、些末で僅かで表面的な情報を何度も何度も繰り返し流すテレビには本当にうんざりなので、ぶちまけてしまいました。(真剣に良質な番組を作っている人たちの苦労を、心からお察しします)

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最強の大天使ミカエルにお願いしたくなります

写真は、世界で一番ひどい目にあっている哀れなイタリアで撮ったものです。信じ難く美しい風景や、素晴らしい美術作品で溢れた国イタリア。世界に1日も早く平穏が戻りますように。そして心晴れやかに勉強できますように。

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穏やかなジョヴィナッツォの港の夜の社交
西洋美術、イタリアの旅、読書が大好きな貴方へ、中世西洋美術研究者SSが思う事いろいろ